南樺太、ウクライナ――戦争で2度「故郷」を奪われ日本へ避難した降簱英捷さん(79)
「78歳になって故国に帰ってきました」と語る降籏さん
23年6月、ウクライナ北西部の都市・ジトーミルの郊外にある墓地。ここで痩身の男性が妻の墓前にたたずんでいる。妻・リュミドラさんの隣の墓碑には、すでに自分自身の肖像画を刻んでいる。
「しばらく来られなくなるけれど、また来るからね」
そっと手を合わせ、祈りを捧げるのは降簱英捷さん(79)。
1年3カ月暮らした日本から、危険を顧みず再びウクライナの地にやってきた。
英捷さんの両親は戦前、日本統治下であった南樺太(現在のサハリン)に一家で移住。英捷さんは2歳で終戦を迎え、ソ連の占領後はさまざまな事情から日本へ帰還することがかなわなかったサハリン残留邦人だ。
戦後、日本に帰れなくなった英捷さんは家族とともにサハリンで暮らし、その後、半世紀をウクライナで生きてきた。
22年2月24日にはロシアがウクライナに侵攻。英捷さんは人生で2度も戦争で「故郷」を奪われ、3度国籍を変更するという数奇な運命に翻弄された。
戦禍のウクライナから命からがら脱出し、日本への帰還を果たしたのが22年3月19日。
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