「ずっと私をたしなめてほしかった」三回忌追悼企画“いま寂聴さんに願うこと”
それに、ちっとも結婚できないし、自分が恵まれているとは思えなかったんです」
そんな不満を見透かすように、筑紫哲也氏とともに寂庵を訪れた阿川さんへ、寂聴さんは「あらあら、お父さまは元気?」と挨拶すると、目を見据えて「あなたはね、そこに座っているだけで、人に嫉妬されるわね」と語った。
「ハッとしました。たいして能もないのにもかかわらず、運よく親の七光りでライトの当たる場所にいられたのに、私は“恵まれていない”とウジウジしていたのです。寂聴さんの言葉が最後の決め手となって“このままじゃいけない。もっと地に足をつけなくては”と思い、’92年に『NEWS23』をやめることにしたのです。
それから1年ほどアメリカで一人で生活をしました。何か大いなる成果があったわけではありませんが、あの経験があったからこそ、いまの私があるのだと思います」
帰国後は『週刊文春』でライフワークとなる対談企画を開始し、仕事の幅も広がっていった。それから数年後の’90年代後半にもまた直感力に驚かされることに。
「某ホテルでフルコースがついた、富裕層向けのトークショーの司会を定期的に請け負っていたのですね。優雅で楽しい仕事ではあったのですが、一方で“私はこういう仕事をしたかったのだろうか”という疑問も感じていました。