ハーブ研究家・ベニシアさん夫の梶山正さんが明かす「最後の日々」〈2〉“壮絶介護”で感じた苦悩と後悔
彼女の退院まで連日、病院に通って、おむつ交換や痰の吸引の仕方を練習しました」
こうしてベニシアさんは昨年9月、1年2カ月ぶりに大好きな大原の自宅に戻ることができた。
「やっぱりうれしそうでしたよ。おむつ交換のときも、病院のベッドでは緊張しているのか力いっぱい、手すりや僕の腕をつかんでいたのが、帰宅後は安心したんやろね、それもしなくなった。
ただ、もう寝たきりではありました。口からの食事はゼリーを少し食べるぐらい。あとは点滴でかろうじて栄養を取っている状態でした」
すでに独立していた息子・悠仁さんも、たびたび家に戻ってきた。
「悠仁はよく声をかけてましたね。『ベニシア、アイラブユー』って。
それを見て、『ああ、僕も言わなあかんな』と思ってたんだけど。最後まで言えなかった。なんか、急にそんなこと言うの、噓っぽい気がしてしまって。うん、最後まで言えんかった」
今年6月。いよいよ、その日が迫ってきていた。
「酸素マスクをつけていても呼吸は苦しそうだし、吸引してもなかなか吸えないぐらいかたい痰が絡むように。前の晩には、目の水晶体が白く濁ってしまって。悠仁がすぐに目薬を点眼していたけれど、まばたきすることもできなかった。