「お笑い界の母」児島気奈さんK-PROライブ立ち上げの裏にあった村田渚さんとの出会い
「ライブが終わるのは夜9時、10時。そのあとに打ち上げに行くと家に帰れなくなるので、4畳半の先輩芸人の家に転がり込んでいました。みんな貧乏なんですが“これこそ芸人だ”という空気感で居心地がよかったんです」
お笑い好きの父は、気奈さんがずっと家にこもってお笑い番組の編集をするより、ライブの手伝いをしながら人と関わるほうが安心だと、応援してくれた。
芸人として舞台に立つこともあったが、厳しさを痛感した。
「“もしかしたらテレビに出られるかも”って自信を持って舞台に上がっても、ずっとすべってました(笑)。それで“私には芸人は絶対無理だ”って思ったんです」
こうして、裏方の仕事が増え始めた。「仲間内でお笑いライブを開催したいと話が持ち上がると、一番年下だった私が面倒なことは全部やるからと劇場を借りるときの代表者になって、受付や照明、音響、舞台転換などを担当するようになったんです」
2カ月に1回ほどのペースでお笑いライブを開催していき、本格的に主催者としてK-PROライブを立ち上げたのは’04年のこと。初回ライブこそ、超満員で大成功したが、2回目は宣伝を怠り、お客さんもまばら。
芸人から「どんなにお客さんが少なくても、一生懸命にやるから」