「お笑い界の母」児島気奈さんK-PROライブ立ち上げの裏にあった村田渚さんとの出会い
と、逆に慰められ、奮起した。
「動員を増やすため、憧れの芸人に出てもらいたいと、カンニングさんの所属事務所に私の履歴書を同封してオファーしたんです。でも『知らない女のコに、うちのカンニングは貸せない』と断られてしまいました。当たり前ですよね」
同じ方法でオファーしたのは、『ボキャブラ天国』で人気を博した元フォークダンスDE成子坂のツッコミで、ピン芸人として活動していた村田渚さん(享年35)。
「事務所からは断られたんですが、私の送ったFAXを渚さんが偶然目にして『本人が出たいと言ってるので』と連絡があったんです。すると別の芸人さんからも『渚さんが出るなら』とOKがもらえて」
ライブは大成功を収めた。後日、立役者の渚さんと飲みに行ったときのことだ。
「バナナでモノボケをしろとか、居酒屋で6時間くらい、大喜利をさせられました」
まるで気奈さんのお笑いへかける思いを測るように渚さんはお題を出し、時折「あの日のメンバーなら、500人は集客できる」「今で満足しちゃダメなの、ちゃんとわかってるよね?」と、厳しくも頼りになるアドバイスをしてくれた。
その渚さんが’06年、くも膜下出血で35歳の若さでこの世を去ったことは、気奈さんの心境に大きな変化を与えたという。