【追悼’23】谷村新司さんが語っていた、歌に込めた思い「大陸との架け橋に」
80年5月、後楽園球場での野球大会で笑顔を見せる谷村新司さんとさだまさし
《信じない》《いやいや、俺は信じない。》《出会ったのは51年前。デビューしたてのアリスが長崎にキャンペーンでやって来た。以来、兄貴の如く仲良くしてもらった。甲子園や後楽園で野球の試合もした。》——さだまさしがインスタグラムに投稿した一文だ。
10月8日に谷村新司さん(享年74歳)が逝去し、多くの著名人から悲しみの声が上がった。『女性自身』‘97年12月9日号に掲載された家田荘子連載「私にだけ聞かせて!」の第200回に登場した、谷村さんのインタビューを振り返る。
数々の名曲を世に残した谷村さんは、中学生時代に詞を書き始め、高校生でバンドを組んだ。この頃から歌手になることを考えていたのかというと……。
「何も考えていなかったんですよ。やりたいことしかやりたくないという意識だけが強くて。だから、サラリーマンはできないと思ったんですね。それで22歳のときかな〜、アマチュアのバンドを組んでいましたから、無謀にもアメリカに歌いに行って。そのときにきっと目覚めたんですね」
そして帰国後、1971年にアリスを結成。1978年には『チャンピオン』が大ヒットし、日本人アーティスト初となる日本武道館3日間公演を達成するなど、人気が加速した。
「ヤバイな〜と思いましたよね。もう勘違いしそうになるんですよね。偉いって思いそうになるっていうか……そういうのって、いちばん不細工だから。僕たちはステージを降りたら、もうすごく普通っていうのがカッコいいと思っていましたから」
「(売上など)数字のことは考えません。ただ、日本から世界に向かってステップしていくときに、『やっぱり1回、日本で一番になりたいね』っていうのがあったから、ナンバーワンを目指した時期はありましたね。ところが、武道館を1週間満員にとかいう記録をずっと作っていたときに何かすごく『これは虚しい』と」
「数字の争いって何も心は満たされないなぁって思って。そのころから、ナンバーワンじゃなくてオンリーワンだなって思いはじめたんですよね」
「オンリーワンの意識をもっていれば、地球上の全部のステージでできると思い込んでいますから」
そうして、ソロ活動では海外、とくにアジアで精力的にコンサートを行っていた。なぜアジアなのか聞かれることが多かったというが、
「『だって僕たちアジア人じゃないですか』って答えるんですけどね(笑)。
ちゃんと大陸に橋を架けることができるといいなって思っています」
「(言葉が通じなくても)心を込めて伝えようと思っていれば心は伝わります。これって究極の仕事かな。自分で作った言葉とメロディを自分で歌って、相手に感じてもらうことができるっていうのはすごい幸せだと思いますよ」
私たちを幸せにした“心の架け橋”はこれからも壊れることがないだろう。
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