「売り上げをマネージャーが持ち逃げ」八代亜紀さんが涙で語っていた波乱の人生…救ってくれた亡き父の侠気
だった。八代さんは《父が水彩画を描く人で、私が2、3歳の頃から教えてくれて、休みの日は一緒に写生をしたりしていました。で、夜は父の腕枕で浪曲を子守歌代わりにして寝ていたんです。おかげで私も歌好きに育ちました》(『日刊GENDAI』’19.06.16)と明かしている。
「八代さんは小学校低学年の頃、地元ののど自慢大会に出て優勝を果たすほど、近所でも『歌が上手い』と評判の女の子だったといいます。いっぽう敬光さん譲りのハスキーボイスのあまり、学校では『そんな大人っぽい声を出してはいけない』と言われ、コンプレックスも抱えていたそうです。そのため、『将来は画家になる』という気持ちのほうが強かったといいます。
ところが12歳の時、敬光さんがジャズシンガーであるジュリー・ロンドンのレコードを“ジャケ買い”。
ジャケットの写真が、八代さんが幼い頃に描いていた絵の女性にそっくりだったといい、敬光さんは惹かれて買ったそうです。すると八代さんは、自身と同じくハスキーな声を持つジュリー・ロンドンの歌声の虜に。そこで歌手になる決意をしたといいます」(音楽関係者)
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