86歳現役のイラストレーター・田村セツコさんが語る「母と妹のW老老介護」
今のカワイイを生み出す私のルーツ?たしかに、そうかもしれません」
7歳で終戦を迎え、東京に戻る。絵日記を描き始めたのは、小4のときだった。
「女の子は誰でも、紙やノートの切れ端に、お姫様の絵を描くくらいしか娯楽がなかったの。
私は小学校だけで4回も転校するなかで、友達がいるのかどうかもわからなくなって、秘密のノートに自分の気持ちを書き込んだり、絵を描いたり。それ以来、小さな鉛筆とメモ帳を持ち歩く習慣ができて、いまだに続いてます」
都立八潮高校在学中に、童画家の松本かつぢ氏に弟子入りする。
「当時の少女雑誌には画家の先生たちの住所一覧が載っていて、ファンレターを送ったのがきっかけ。それから、月1で先生のお宅に通うようになりました」
松本氏の指導を受けながら、高校卒業後は銀行に就職。
「銀行勤めというのは、やっぱり長女として家計を助けたいという思いがありました。
一方、かつぢ先生のところへ通い始めて1年ほどしたころ、先生から編集者を紹介されてデビューします。
とはいっても、銀行員との二足のわらじですから、お昼休みに神保町の出版社にイラストを届けたりで、交通費にもならないような原稿料でした」