【祝R-1優勝】街裏ぴんく「スベるもウケるも全部1人がいい」語っていた“漫談の覚悟”
当初は実際の出来事をベースに捲し立てるという“ぼやき芸”だったが、現在のスタイルを確立するまでは試行錯誤の日々があったという。
「ぼやき芸は大阪ではウケていたんですが、’12年に上京してからは全然ウケなかったんです。落ち込んでいた時に、『浅草リトルシアター』がエントリー代なしでも1日3、4回出演できると知って出始めました。その時に漫談以外やりたいことを全部捨てたんですね。『どうやったら東京で漫談がウケるんや』と模索して、色んな漫談が出来たんですよ。徐々に自分の話芸も上達してきて、ぼやきがウケるようになってきたんです。でも、本当にやりたいのは今やっているファンタジックな漫談だったんですが、とにかくウケなければ生き残っていけなかったんで。その時に『俺は漫談家として生きていくんや』と強く思いましたね」
浅草の舞台以外に月20本ものライブをこなし、ストイックに芸を追求していた’14年ごろに転機が訪れる。
「月20本やってるライブに『Aマッソ』が面識のない状態で見に来て、僕も彼女たちの存在を知ってるから『なんでAマッソ来てんねん!』って驚いて……。それから’15年に入って少し経った頃、Aマッソの主催ライブ『バスク』に誘ってもらったんですよね。