山口百恵さん 運転を教わり、愛車もパジェロに…急逝した名ドライバー義兄と「37年の絆」
’90年代半ば以降は、友和の両親を東京・国立の自宅に迎え、やがて百恵さん夫妻が介護にあたった。前出のインタビューで、ひろ子さんはこう感謝を述べている。
「2人でいつも90代の両親の面倒をみてくれて。とくに百恵は、絶えず両親のことを気にかけてくれます。両親にとっても、百恵は私以上に娘らしいんじゃないですか。私以上に、両親のことを知っていますしね」
家事、育児、介護の苦労などをみじんも見せずに、いつも自然体でいる義理の妹を、篠塚さん夫妻は“百恵ちゃんは主婦の鑑”と称賛し、感謝していたのだ。やがて、篠塚さん夫妻が国立を訪れる機会が増えると、ひろ子さんが夕食を作り、その間に百恵さん夫妻が映画デートに出かけることもあったという。2つの家族が互いを尊重し、エールを送り合う、そんな関係性は、百恵さんにとっても心の支えの一つだったに違いない。
篠塚さんの座右の銘は「継続は力なり」だった。愛車の運転席に座るたび、百恵さんは情熱と優しさにあふれた“お義兄さん”を思い出すことだろう。
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