「物言えぬ人の代わりに物を言う」弁護士・鴨志田裕美さん 父が経験していた“ハンセン病差別”【令和の寅子たち(3)】
「三淵嘉子さんが、定年を迎え横浜家裁を笑顔で後にしたときにかぶっていたのが、赤いベレー帽。今日は私もかぶってきました(笑)」
キュートな笑みを浮かべながら、そう話すのは、日本弁護士連合会で、再審法改正実現本部の本部長代行を務める、Kollect京都法律事務所の鴨志田祐美弁護士(61)。
毎朝、仕事に出かける前に『虎に翼』を見て、「よし、今日も頑張るぞ!」と気合を入れているとか。
経歴がとてもユニークで、大学卒業後、社会人、結婚、出産、そして予備校講師を経て、なんと40歳で司法試験に合格したという“変わり種”なのだ。
「鹿児島でやっていたときは、“マチ弁”(町医者的弁護士)として、民事事件、家事事件(離婚・相続等)、刑事事件など、さまざまな案件を手がけてきました」
その一方で、彼女は「大崎事件」の弁護人を20年間も続けている。現在は、「大崎事件」での再審無罪の獲得と、冤罪被害者の真の救済を可能とする再審法改正の実現を車の両輪と捉え、自らのライフワークとして活動している。
「大崎事件」――1979年10月、鹿児島県の大隅半島にある、大崎町内の小さな集落で、当時42歳の男性が牛小屋の中で、堆肥に埋められた状態で発見された、「殺人・死体遺棄事件」。