元日の地震で被災は3度目…輪島塗「藤八屋」を何度でも立ち上がらせる思い
4月中旬、藤八屋本店があった場所にたたずむ塩士純江さん(撮影:須藤明子)
「お亡くなりになった方々のことを思えば、こんなことを考えるだけでバチが当たるのかもしれないけど……。気持ちがへこんだときなんかに、ふと思ってしまうんです。“私たちこの先、生きとってどうするんだろう”って。心から笑える日なんか、本当に来るんだろうかって」
まもなくゴールデンウイークを迎えようという4月半ば。本誌記者を案内しながら被災した町を歩く女性は、絞り出すようにしてこう打ち明けた。塩士純永さん(67)。その横顔は悲しみに沈み、足取りは限りなく重く見えた──。
1月1日、午後4時10分ごろ。
石川県能登地方を震源とするマグニチュード7.6の巨大地震が発生、最大震度7を観測した。建物の倒壊や津波による被害、さらに地盤の液状化など、地震の影響は広範囲に及び、石川県内の死者数は関連死も含めて240人を超えた。被災した市町村のなかでも、100人以上が犠牲になった輪島市の被害は甚大だった。有名な「輪島朝市」が開かれる朝市通り一帯は地震による大火に見舞われ、およそ300棟、約5万平方mが焼失。
がれきの処理が進まずにいる町の一角で、純永さんは足を止めた。