寺島しのぶ 父が「七代目菊五郎」を“老害”と批判浴びながら名乗り続ける「本当の理由」
それが理由で、両親と衝突したこともあったといいます。
そのため、愛息の眞秀くんを父のような看板役者にするため、幼少期から自宅で歌舞伎の映像を流して親しませ、3歳からは日本舞踊を学ばせていました。小学校に入ってからは稽古の傍ら、自らの収録を見学させたり、ドラマや映画に出演させたり、表現力を学ばせる場を設けるようにしていました」(歌舞伎関係者)
音羽屋の“梨園のおかみ”として執念を燃やしていた寺島だけに、弟・菊之助親子の「八代目菊五郎」「六代目菊之助」襲名には複雑な思いを抱いていたようだ。
「今回のW襲名には“尾上家が七代目存命中に息子に継がせたのは、内紛の芽を摘む狙いも込められている”とみる向きがあります。“寺島さんは、眞秀くんに菊之助を襲名させたい思いがことさら強く、各方面に働きかけていた”ため、“七代目が娘の野望を封じた”と報じた一部週刊誌もありました」(前出・歌舞伎関係者)
だが、実情は異なるという。
「菊五郎さんは孫の眞秀くんを溺愛しています。しのぶさんが眞秀くんを歌舞伎役者にすると話したとき、梨園の幹部の中には“ハーフが歌舞伎役者になるなんて……”と心ない発言をする人もいました。