寺島しのぶ 父が「七代目菊五郎」を“老害”と批判浴びながら名乗り続ける「本当の理由」
しかし、菊五郎さんは“歴史的にも市村羽左衛門さん(十五代目)の前例がある”と彼らの口をピシャリと封じ込めたのです。菊五郎さんは本心では、しのぶさんと同様、眞秀くんも菊五郎を名乗れる資格があると思っています」(前出・後援会関係者)
寺島の“嘆願”は、父の心に響いていたようなのだ。
■菊五郎が「尾上梅幸」を名乗る構想だった
そもそも、今回の菊五郎襲名は、尾上家主導ではなく、松竹が率先して行われたものだったという。
「毎年5月に開催される團菊祭のため、市川宗家の團十郎さんの襲名披露が終わったら、同い年の菊之助さんを菊五郎にして“同格”にしたいという思惑がありました。そのため当代の菊五郎さんには新たに別の名跡を名乗れるよう各方面で動いていたといいます。
ところが、菊五郎さん本人が断固として拒否したのです。表向きは“菊五郎に愛着がある”と説明したことで、老害と揶揄する心ない声もありましたが、実はまったく別の理由があったのです」(前出・後援会関係者)
その名跡が「尾上梅幸」だった。
「菊五郎さんが次に名乗るとすれば、彼の実父の名跡・尾上梅幸にほかなりません。
もともと初代尾上菊五郎は『忠臣蔵』の由良之助で一世を風靡した江戸時代の名優でした。