田中美奈子が告白!トレンディ時代の息抜きは深夜の品プリで…現在は大学生&嗅覚反応分析士も《あの80年代アイドルの今》
瞳に1億円の保険をかけ89年デビュー(写真:所属事務所提供)
「21歳でデビューしたので自分ではアイドルと思っていなかったんです。その1年前に、あるドラマのプロデューサーさんから“その年齢じゃ絶対失敗するよ”と、言われるほど20歳を過ぎてのデビューは当時珍しかった。かなり遅いですし、同期に田村英里子ちゃんや島崎和歌子ちゃんがいましたが、和歌子は14歳くらいで。和歌子から“美奈ちゃん最近いい感じじゃん!”って言われたこともありましたが、後から年齢がわかって敬語になりました(笑)」
そう当時を思い出し笑顔を見せるのは瞳に1億円の保険をかけて1989年に歌手デビューした田中美奈子(56)。端正なルックスに当時、流行していたワンレン&ボディコンファッションで人気を集め、歌手、タレントだけでなく女優としても活躍。90年代のトレンディドラマをけん引しながらも怒涛のスケジュールをこなしていたという。
「とにかく社長がスケジュールをパンパンにするのが好きで、多い時には1日11本の現場。ダブルブッキングも当たり前で、次の仕事にヘリコプターで移動することもありました。
当時、連ドラを2本掛け持ちし、私があまりにも疲れて車の中で横になっていると、共演させていただいていた渡哲也さんにその姿を見られてしまったんです。すると渡さんが“誰だ!美奈子をこんなふうにしたのは!”と怒ってくださって。渡さんから“帰って寝ろ!”と言われてその日の撮影は休みになりました。
ある日、本当に疲れていて爆睡してしまったんでしょうね。自宅に迎えの車が来ているのにインターホンや電話の音にさえ気づかなかったこともありました。当時、近所で女性が狙われる事件がニュースになっていたので“事件に巻き込まれた!”とスタッフが大慌てし、母親が合い鍵をもって実家から駆けつけてきたこともありました(笑)」
『君の瞳に恋してる!』『もう誰も愛さない』(フジテレビ)といったトレンディドラマに次々と出演。そんな多忙な生活の中で息抜きになっていたのが同世代の仲間たちとの交流だった。
「森尾由美ちゃんとはドラマで一緒だったのでけっこうご飯に行っていました。
それと(木梨)憲武さんと(安田)成美ちゃん、ヒロミさんや石黒賢ちゃん、西村和彦さんとは、当時、深夜も使えるテニスコートが品川プリンスにあったので、夜遅くにみんなで集まってテニスをしていました。逆にみんな忙しかったからその時間のほうが集まれて。賢ちゃんのお父様はプロテニス選手でしたので、賢ちゃんもテニスが上手で。私もテニス部でしたし、賢ちゃんが中心となって教えたり仕切ってくれていました。スポーツすることでストレス発散にもなるし、お酒を飲むわけでもなく健全な息抜きでしたね」
そしてバブル崩壊から思わぬ苦労も経験した。
「当時の社長が儲かっていたときに株に手を出し、そしたらバブルが崩壊して。ある日事務所に呼び出されて“美奈子の給料が支払えないと!”と言われてしまったんです。事務所をたたむからレコード会社に行けと言われて、、、。
あの社長だったから頑張ってこれたので、その時は辛かったですね」
現在は芸能活動だけでなく、パラオ共和国の親善大使や日本RV協会公式キャンピングカー親善大使を務め、5月にはアロマを使った嗅覚反応分析士の資格を取得した。そして通信制の大学で勉強する日々を送っている。
「アロマセラピストの資格は20年ほど前に取っていましたが、自身を知り、より豊かな人生を歩めるよう、嗅覚反応分析士の資格も取得しました、さらに大学の通信教育部で文学部を専攻し、哲学、文化、歴史等、学び続けています、サマースクーリングではキャンパスライフも楽しんでいます!
10月には横浜市開港記念館で80年代のアイドルメンバーが中心となって合唱の祭典『パワーコーラスフェス』を開催します。80年代アイドルメドレーを歌い、中森明菜さんの曲もみんなで歌う予定なのでぜひ聴きに来てください(笑)」
デビュー当時と変わらず田中は今もパワフルに活動している。
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