「共同便所のボロアパートで同棲」はなわ 借金まみれにも… “いい夫婦”選出までの激動の“結婚生活25年”
「いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー 2025」芸能部門を受賞したはなわさん(撮影:夛留見彩)
『いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー 2025』芸能部門を受賞した、お笑い芸人のはなわさんと智子さん夫婦。智子さんは中学時代の1つ先輩で、学校のマドンナ的存在だったという。
はなわさんが、初めて自身の家族の歩み、子育て哲学や経験を綴った著書『柔道3兄弟と天然ママと僕〜はなわの楽しい子育て〜』(徳間書店)を、11月22日「いい夫婦の日」に発売しました。
今年、結婚生活25周年を迎えたはなわさんに、これまで苦楽をともにしてきた家族について、インタビューマン山下が聞きました。
――奥様の智子さんは同じ中学校の1学年上の先輩だったそうですね。
はい。当時、嫁さんはバレーボールをやってたんですけど、ほかの中学校の生徒が練習を見にくるぐらいの人で…マドンナ的な存在だったんです。
それで、僕は柔道部だったんですけど、いつもバレー部の練習を見に行ってて、当時は「林さん」って呼んでたんすが、冗談で「好きです」とか「ちょっといい加減付き合ってくださいよ!」とか言ったりもしてたんですよ。
――智子さんの反応はどうだったんですか?
嫌われてたと思います。「うるせぇなこいつ。もういいから向こう行って」みたいな。
――アプローチはうまくいかなかったんですね。
その後、高校時代ですけど、お互いの家の近くに公園があるんですよ。そこで当時、嫁さんは彼氏がいたんですけど、僕が犬の散歩に行くと、いつもその公園のベンチで彼氏と喋ってるんです。
うちの嫁さんは犬が好きなんで僕の犬をなでにくるんです。うちの犬はけっこう人をガブって噛むんですけど、なぜかうちの嫁さんだけ噛まなかったんです。
それを見て彼氏も、「俺もなでさせて」ってきたときに、(リードを)クイッて引いたら噛みつくので、ガブって噛まして「すいません」とか言っときながら、心の中で「よっしゃ!」見たいな(笑)。
――酷いですね(笑)。付き合うことになるのはいつですか?
高校を卒業して僕は専門学校の「東京アナウンス学院お笑いタレント科」に入学するんですけど、その時期に友達が結婚するから佐賀に帰ったんです。その結婚式で久しぶりに会いまして。
そこで、「写真撮らしてください」って、撮ってもらって。「これ現像したら送りますから住所を教えてください」って。それで手紙とともに写真を入れて送ったんです。そしたら返信がきて、そこから文通が始まって付き合いました。
――その後、著書にありましたが、はじめ佐賀から東京にちょくちょく遊びに来てた智子さんですが、はなわさんは、それだけでは我慢できなくなったんですね。
そうですね。嫁さんは仕事があるんで、すぐ帰るんですよ。それで「また来週来てくんないか」って。そしたら嫁さんが「お金がないから」「じゃあ、帰りの飛行機代は俺が出すから来てくれないか」って。
それで次に来たときに「帰るから、ちょっとお金いい」て言われて。「ごめん、お金ないんだわ」って。「はぁー?仕事があるんだけど」って。
それで意味わかんないですけど、僕が「いいよ、帰んなくて」とか言っちゃって。結局お金がないんで嫁さんも帰れなくて、そのまま僕の共同便所のボロアパートで同棲しました。
――智子さんの家族は大丈夫だったんですか?
いろいろ迷惑をかけました。嫁さんが東京に来るときに、佐賀の空港に止めた車がずっとあるわけですよ。それで空港から嫁さんの実家に「車を取りに来てください」ってクレームが入った。
でも車の鍵がないんで、うちの嫁さんのお姉ちゃんが、嫁さんに「あんた、鍵をすぐに送りなさい!撤去されちゃうよ!」って。
それでうちの嫁さん、天然ボケなんですけど、普通、速達とかじゃないですか。だけどクール宅急便で鍵を送って。
クールっていうのが、なんか早く着くって思ったらしくて(笑)。それで鍵がカチンコチンに凍ってて。お姉ちゃんが「あんたカチンコチンになっとるやんね!」って(笑)。
――はなわさんはブレイク前の2000年7月に結婚し、12月に長男を出産。当時、金銭面は大丈夫だったんですか?
お金がまったくなくて消費者金融で借りちゃったんですよ。いろんなところで借りて、それが嫁さんにバレて怒られて。
――でも生活ができないからしょうがないですよね。別にギャンブルで作った借金じゃないわけですよね?
はい。
そうじゃないです。でもパチンコで一攫千金を狙ったこともありますけど。
――ギャンブルやってるじゃないですか(笑)
そういう時って全然勝てないんですよ。めちゃくちゃ腹立って電柱を蹴って足の親指を骨折したりとか。
――二次災害を起こしてるじゃないですか。借金はどうしたんですか?
あまりにも借金がいろいろなところで膨らんできちゃったので、1個にまとめようってなったんです。それで郵便ポストに入ってた「金利が安い」みたいなチラシをみて、そこに電話したら「じゃあ秋葉原のどこどこ来てください」て言われて。
それで嫁さんと赤ちゃんを抱っこして、3人で怪しい雑居ビルに入ってドアをガチャって開けたら、完全に怖い人たちがいっぱいいて。
――それ闇金じゃないですか。
それで向こうの人に「いろいろと調べたけど、二人とも完全にブラックリストだな」って言われて。
金利がめっちゃ高いから僕も「ヤバっ」てなって「間違えました」とか言って帰ろうとしたんですけどぜんぜん返してくれなくて、赤ちゃんも泣き出すし……。そしたら奥にいた親分みたいな人がきて、さすがにかわいそうと思ったんでしょうね。
「あんた田舎から出てきて大変だと思うけど、東京は危ねぇところだからホント気を付けろ」ってそのまま帰してくれたんです。
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そんな大変な時代を乗り越えて、はなわさんは2003年5月に発売されたCD『佐賀県』が約25万枚を売上げる大ヒット。その年末には『第54回NHK紅白歌合戦』へ出場します。
(取材・文:インタビューマン山下)