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「才能がない」と事務所からクビ宣告まで…森口博子 不遇の下積み時代救った「タモリの金言」

女性自身
「才能がない」と事務所からクビ宣告まで…森口博子 不遇の下積み時代救った「タモリの金言」

1991年、念願の紅白の舞台に立った森口博子さん(写真:本誌写真部)



【前編】「女優を続けてほしい」とメッセージが…森口博子涙で明かす中山美穂さんとの「FAX文通」から続く

「堀越高等学校の芸能コースに通っていたんですが、芸能の仕事が全然なくて。だからほとんど毎日学校に行っていました。それが恥ずかしいから、忙しいふりをして嘘の早退書を自分で書いて。『ラジオのため早退します』って、学校をサボって、下宿先の近くの教会で時間潰したり、友達と映画を見に行ったりしてましたね」

高校時代をそう振り返るのは、今年、芸能生活40周年を迎えた歌手の森口博子さん(57)。今でこそタレントや女優として、そして数多くの名曲をレパートリーにもつ歌手として知られる森口さんだが、デビュー直後は不遇だったという。

12月3日に40周年記念アルバム『Your Flower ~歌の花束を~』を発売、20日から広島を皮切りに記念ツアーを行うなど、現在も最前線で活動する森口さんに、不遇時代からブレイクまでの音楽人生を振り返ってもらった。

■「のり子ばっかり…」同期をうらやんだ高校時代

「福岡からデビューのために上京してきたとき、事務所には同期の松本典子ちゃんもいました。ふつうその年にプロモーションするアイドルは1人。
同期のアイドルが事務所に2人いるってなかったんですよね」

「事務所からはあまり期待されていなかった」と振り返るが、デビュー曲となった、アニメ『機動戦士Ζガンダム』のオープニングテーマ曲『水の星へ愛をこめて』はオリコン16位に輝いた。順調といっていいデビューだったが、その後はヒット曲に恵まれなかった。

「曲が売れないじゃなくて、『いや、売ってないじゃん』と子供ながらに思っていました(笑)。というのもファンレターをもらった時に『ヒロコちゃんのレコード買いに行ったんですけど、どこにも売ってないんですよ』って」

今でこそ、日本を代表する文化としてみられるようになったアニメだが、当時の扱いは今よりも低かった。

「同期でデビューしたアイドルのコたちは専用のラックとかがあるのに、私のはなかったんです。アニメの曲でデビューした私は地味な存在として見られていたのかな。だから、会社的にもガンダムは売れたけど、もうお役ごめんみたいな空気が漂っていて……。

事務所はのりちゃんばっかりプッシュするから、当時の日記に『のりちゃんばっかり、ずるい、ずるい』と書いていました。
途中で、それが『のり子ばっかり』になり、最後は『のり子ぶーばっかり』と書いていましたね(笑)」

しかし、腐ってはいられなかった。事務所から“リストラ”宣告を受けたのだ。

「高校の卒業間近に『才能がないから福岡に帰した方がいい』って。でも、私はとにかく歌いたいんで『どんなお仕事でも頑張るので返さないでください』って言ったら、バラエティ番組のお仕事が来ました。

バラエティの仕事の先に『絶対歌があるんだ、歌に繋げるんだ。まずは顔と名前を覚えてもらったら、事務所もやりたいことをやらせてくれる』と私なりの作戦でやろうと決めました。だから、好きなことをやるためには、バラエティで絶対に手を抜かない。だから全身全霊で無我夢中にやりました」

■「過去を追いかけてもどうしようもない」タモリさんの言葉に奮起

明るいキャラクターと、軽快なトークで瞬く間にバラエティには欠かせない存在になった。
1989年10月から1997年3月まで『笑っていいとも!』(フジテレビ)にレギュラー出演。MCのタモリさんは中学校の先輩でもある。

「今では考えられないんですけど、当時はめっちゃ落ち込みやすい性格で。生放送中に『あれ、大丈夫だったのかな』と思って次のコーナーまで引きずって、何にもいいことないまま終わっちゃうみたいなことがよくありました。

それをタモリさんに『どうやったら(芸能活動は)長続きするんですか』ってセットの裏で聞いたんです。そしたら『反省しないことだね』って。『過ぎたことはもう終わってて、時間はもう流れていってるんだから、過去を追いかけたって、もうどうしようもないんだから』って。まさに私のための話ですね(笑)」

タレントとしての実力をぐんぐん伸ばしていった森口さん。
だが、片時も歌うことを忘れたことはなかった。

1991年、努力は報われることになる。劇場版アニメ『機動戦士ガンダムF91』の主題歌「ETERNAL WIND~ほほえみは光る風の中~」がオリコン9位に輝き、その年の「NHK紅白歌合戦」(NHK)への出場が決まったのだ。

「やっと歌手としてスタートラインに立つことができたと思いました。思い描いていた歌手生活がようやくスタートできたなっていうのと、みんな私のことをバラエティタレントだと思っていたので、歌を聞いて感動しましたとか、泣きましたとか、歌声にびっくりしました、歌手だったんですねとか、感想をいただいて嬉しかったです。本当にがんばってきてよかったなと」

この年から6年連続で紅白出場を果たした森口さん。福岡から上京するときに抱いていた夢を見事実現させたのだ。

(取材・文:インタビューマン山下)

【後編】「夢には締切がない」森口博子50代で初めてレコ大のステージに…若者世代からも歌唱力絶賛された“転機”【デビュー40周年】へ続く

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