加藤登紀子の娘Yaeが明かす鴨川自然王国での暮らし「いつの日か母との終のすみかに」
「私は音楽を、ビジネスとして成立するかどうかで考えていないから、いつまでも自分のペースで続けられるんです」と語る加藤登紀子さん(撮影:保坂洋也)
【前編】デビュー60周年……加藤登紀子さんと娘Yaeが明かす“子育て秘話”と最愛の夫・藤本敏夫さんとの別れから続く
デビュー60周年を迎えた加藤登紀子(82)。1981年、夫・藤本敏夫さんは鴨川自然王国(千葉県鴨川市)を創設したが、2002年に亡くなってしまう。
■父が遺した“王国”で出会った運命の人
「彼が他界してから、遺品や書類の整理をするために、頻繁に鴨川を訪れていたんですが、あるとき、若い人10人くらいが農園の見学に来てね。重たい段ボールや本を運ぶのを手伝ってくれて、大助かり。素晴らしいタイミングで(笑)」(おときさん)
そのなかの一人は、サラリーマンとして、企業のシャンプー製造部門で働いていた青年だった。趣味のサーフィンを通して、自分の作っている製品が海を汚染している葛藤を抱えた。ついには会社を辞め、環境にやさしく健康的な農業に興味を持ったところ、ある仲間から「君は鴨川自然王国を知らないのか?」と促され、見学にやってきたのだという。
「彼は藤本敏夫に会うことはかないませんでしたが、藤本が記したメモや書類を目にして考えに触れることができ、住み込みの研修生になってくれました」(おときさん)
藤本さんがまいた種が、次世代に芽吹いてきたのだった。
同時期、歌手デビューして4年ほどたった娘のYae(ヤエ・50)も、しばらく足が遠のいた鴨川自然王国を訪問した。
農作業している研修生となった青年に「何やってるんですか?できることはありますか」とたずねると、大豆畑の草取りをしてほしいと頼まれた。
「ヒマだからやってみますね」
どの葉っぱが雑草なのかわからず、大豆を抜いてしまったりしながら、夢中に作業をした。
「虫は来るわ、泥だらけになるわ、汗だくになるわで大変だったけど、デトックス効果が抜群で、爽快でした!
歌手デビューしたものの、思うように売れない、だから求められるキャラで曲を作らなければならない……。いろいろ“着込んで”いたものを、すべて脱ぎ捨てるようなかんじ」(Yae)
大豆の草取りを終えて立ち上がると、きれいな畑が広がっていた。
「“これ、私がやったんだ”という満足感があって“自然と共に、ここで暮らしていきたい”と決めたんです」
青年との出会いから3カ月後には交際が始まった。
「もう私は自分を開放しちゃっているので、突き進むだけ。さすがに母も最初はびっくりして『ちょっと、私の開いた口が塞がるまで、待ちなさい』と状況がのみ込めないようでしたが、出会って1年半で妊娠、結婚、出産を経験しました」(Yae)
藤本さんの“未来の夢”が詰まっている鴨川自然王国で、新たな家族ができたのだ。
Yae夫婦は、村で空き家の古民家を見つけて、自分たちでリフォームを始めた。
「家が傾いていたから、大家さんが『ジャッキアップすっぺ』と協力してくれて。ボロボロの床は、床板を入れて畳を敷こうとしたのに、サイズが合わずに入らない。『畳・サイズ合わない・切る』と検索して、やりかたを学びました。夫婦がラブラブだったし、自分たちの手で作っていく生活への変化が楽しかったんですね」(Yae)
“楽しくなければ人生じゃない”という家訓どおりの生き方だ。農業を始めると、畑が猪や鹿、キョンに荒らされる被害も経験。
「朝起きると、掘りごろの里芋がまるごと掘り返されたり……。だから罠の免許をとって、猪や鹿などは、自分でさばいてジビエ料理としてありがたくいただきます」
棚田は、毎年崩れるため、重機の免許も取得して自分で修復する。
唐辛子から加工したペッパーソース、手造り味噌も売り出した。
「販売はしていないものの、5年ほど前からは自前の醤油造りもしているんです」(Yae)
夢は広がり、現在、進行しているのは老人ホーム作りだ。
「村でいちばん大きな茅ぶき屋根の家をリフォームしています。茅ぶきをつくるため、原料のススキもここで育成して、研修に来ている美大生が内装を担当。茅の束は一つの家で3千束必要ですが、すでに半分を葺き替え、今年中にはリフォームを完成できそうです」
茅ぶきの家には、茅をいぶすために囲炉裏が必要だという。
「囲炉裏では、ここで採れた野菜をぐつぐつ煮込んで、誰でも好きなときに食べていいような老人ホームにしたいんです。一般的な老人ホームはサービスを与えられるだけですが、畑に出たり、料理をしたり、自分たちも動き、支え合いができるホームが理想です」(Yae)
藤本さんも同様の構想を持っていたという老人ホームには、いずれは母親にも終のすみかとして入居してもらいたいと考えている。
「おととい、東京の母の家に泊まったんですけど、火をかけっぱなしにしていて。
注意しても『そんなわけない』と否定されるし(笑)」(Yae)
Yaeは離れて暮らす母を心配するが、おときさんはこう語る。
「いやよ(笑)。まだまだ歌い続けるし、もうちょっと便利な都会でがんばりたいもの」
だが、Yaeの奮闘ぶりを見て、おときさんは藤本さんが亡くなった直後のことを思い出した。
「当時はまだ、カーナビにも地図が登録もされていない場所だったの。何も映らない地図の中央に、現在地を表す矢印が空を飛んでいるように見えたんですね。“ここからが未来だわ”と」
亡き夫が託した、鴨川自然王国という未来が、今、娘であるYaeによって進化しているのだ。
■60周年を超えても引退など考えない
「うれしかった!今日は、本当にうれしかった、ありがとう!」
12月9日に横浜市で開催された『ほろ酔いコンサート』の最後、感激したおときさんは、両手をあげて、客席に向かって破顔する。来場者に振る舞い酒が用意され、ステージ上にも日本酒の一升瓶と大きな盃が用意されている恒例のコンサートは、50年以上続いている。
終盤、バラのような真紅のドレス姿のおときさんが代表曲『百万本のバラ』を歌い上げると、会場は大盛り上がり。怒濤のようにフィナーレを迎えると、おときさんもほっとしたのだろうか、会場からどよめきが起こるくらい、何杯もの盃をあけていく。
80代とは思えないほど、パワフルなステージ。おときさんは歌手活動60周年イヤーを迎えた。5月には新しくレコーディングしたアルバム『for peace』を出し、Yaeの作詞作曲した『80億の祈り』もカバーした。10月にはアルバム『明日への讃歌』もリリース。引退の気配は全くない。Yaeは言う。
「仕事をしないと死んじゃう人っていると思うんですが、まさに母がそう」
おときさんも、歌手としてのゴールは自分でもわからないという。
「未来のことは考えない。そのときがくれば、そのときに考えればいい」
そう飄々と語る。これまでどおり、家族の絆の結晶である鴨川自然王国で英気を養い、歌で営む生活を続ける。「だって、楽しくなきゃ人生じゃないでしょ」
(取材・文:小野建史)