『となりのトトロ』の歌手・井上あずみさん(60)脳出血を乗り越え、固くなった夫妻の絆
’25年8月6日、新譜『母の家計簿』配信初日に娘の今尾侑夕さんとステージに上がり、車いすで熱唱した井上あずみさん(撮影:高野広美)
映画ではもちろん、運動会など子どもが参加するイベントで必ず歌われると言っていい名曲『さんぽ』。
その歌声もどこかで聴いたことがある人がほとんどだろう。だが声の主、井上さんは記念すべき夜に、病に倒れ、凄絶なリハビリの日々を送っていた。
家族の支えもあって、家の中でなら杖をついて歩けるようになった。だがステージでは……。
それでも車いすで歌う。一歩を踏み出す未来のために──。
■『となりのトトロ』『さんぽ』が大ヒット。
夫・娘とともに三人四脚で公演を続けた
井上あずみさんは1965年2月10日、石川県金沢市生まれ。
印刷工場を経営する父(故人)と母(84)とのあいだに生まれた3姉妹の長女である。
「私が小学生のころに、父は印刷会社から独立して活版印刷の工場兼自宅を建てました。家に帰るといつもインクのにおいがプンプンしていた記憶があります」
幼少時代に最初に憧れたのは、ピンキーとキラーズだった。
「4〜5歳のころ、バス停で振付をマネしていたら、バス待ちのおじいさん、おばあさんから『あなた上手ねえ』と褒められた。
『将来は歌手になりたい』と思うきっかけになりました」
11歳のころから歌謡教室に通って歌を習った。地元の「のど自慢大会」では何度も入賞。
「賞品でお米や家電、アクセサリーをもらえるから、生活が豊かになる。
もう『歌手になるしかない』と本気で考えるようになっていました」
1977年、12歳でテレビのオーディション番組『スター誕生!』に挑戦し、岩崎宏美のヒット曲『熱帯魚』を歌うも、県予選で落選。翌々年は東京の決勝大会まで進んだものの、
「残念ながらレコード会社のプラカードが1枚も上がらず、デビューできませんでした」
ほかにも『君こそスターだ!』や『全日本歌謡選手権』に挑戦したが、どれも合格にはならず。
「私は『もう歌手にはなれないのでは?』という思いが芽生えたんですが、『絶対に歌手になりたい。負けてたまるか!』と思い直して、歌のレッスンを続けたんです」
そして1983年4月、リバスターレコードからついに歌手デビュー。
「松本明子さん、岩井小百合さん、森尾由美さんや武田久美子さんなどが83年組の同期でした」
だがなかなか芽が出なかった。「それでもあきらめませんでした。『いつか絶対ヒットする!』と」
デビュー3年後の1986年に奇跡が起きる。宮駿監督らのスタジオジブリ映画『天空の城ラピュタ』のエンディングテーマ『君をのせて』の歌手選びが難航していた。
プロ・アマ20人以上にオーディションするも制作陣の理想にかなわず、最後にあずみさんに白羽の矢が立ったのだという。
「宮監督からは『デモテープの声がとてもよかったから、そのまま自然に歌ってもらえれば大丈夫です』と言っていただきました。
あとでわかったのですが、公開まで日がなく、私がダメだったらインストゥルメンタル(楽器のみの曲)にするところだったと」
続く1988年の『となりのトトロ』『さんぽ』両曲の大ヒットにより、全国区の認知度を得た。
あずみさんがいまも「今尾くん」と呼ぶ夫・公祐さんと知り合ったのは1993年ごろ。
「今尾くんは当時バンドマンで、曲の打ち込みなどで事務所によく顔を出すようになっていました」
彼はその後、事務所の経理を手伝うようになり、1997年ごろから「人気歌手とフリーター」の交際が始まった。結婚は1999年11月。
5年後の2004年9月16日、長女・侑夕さんを出産した。
「生まれたばかりの娘を抱いたとき『やっと会えたね!』とホッとしたのを覚えています」
仕事では全国公演はもちろん、宮アニメ需要が世界中で高まり、海外公演も多く行った。
看板歌手があずみさんで、経営面は今尾さん。さらに侑夕さんが7歳でステージ歌手デビューし、三人四脚で家業を回すように。
公私ともに順調で、幸せな日々がずっと続くかと思われた。
■40周年コンサートのリハーサルで倒れた母。緊急手術は成功したが「後遺症は残る」と
「コンサートやイベントの出演がパッタリとなくなり、本当に収入がなくなってしまいました。
音楽・ライブ業界に携わるすべての人に降りかかった災難でしたが、ウチも貯金が底を突き、赤字経営になってしまったんです」
今尾さんが2020年からの“コロナ禍”を、ため息まじりに振り返る。これまで年間80公演あったのが、自粛で年20公演未満に。しかもリモート出演やオンライン公演という寂しいものになったのだ。
侑夕さんはこう述懐する。
「いまでこそ仲のいい両親ですが、当時のウチは殺伐としていました。
母は『私が稼がなかったら誰が稼ぐの?』とこぼし『今尾くんも外で働いてよ!』と父に当たって」
今尾さんが吐露する。
「あずみにそう言われると、僕も『いまのウチのシステムを作ったのはアナタでしょ?』と感情的に言い返すしかなかった。
あずみのライブとリリースを軸にした家族経営は、彼女自身が望んでいたことでしたから……」
閉塞感と焦燥のなか、2020年年末には、なんとあずみさんが夜間に外で段差を踏み外し、両足首骨折の重傷を負う。ますます家にこもりっきりで、運動不足に。
「運動量が減ったのに、食事やお酒の量は、ストレスからかむしろ増えました。高血圧の薬も飲んでいたんです」(あずみさん)
そんななか、コロナ禍も収まり、外出ムードでイベントも以前に近い頻度で開催されるようになる。
2023年5月、コロナの感染症の5類移行=完全解禁は、真夏に予定する『井上あずみ40周年コンサート』に勢いがつく朗報だった。
今尾さんが言う。
「前売りで1千100枚がはけていて、なかのZERO大ホール完売まであと100枚でした。記念すべき完全復活のはずでした」
迎えた同年8月26日。本番前のリハーサルが始まると、いつにも増してあずみさんの声が「冴え渡っていた」と話すのは侑夕さん。
「歌い始めたらメチャクチャうまかった。AメロもBメロも聴いたことないくらいに。でも、サビでなぜか、外したんですね……」
ロビーで開場準備に追われていた夫も、これを耳にしていた。
「サビで外したんで、『どうしたのかな?』と思った。リハから感情が高ぶっているのかなって」
次の瞬間、あずみさんの隣にいた侑夕さんは、母の頭が前後に、ゆらゆら揺れ出すのを見た。
「そこから聞き取れないほど声がひどくなって、泣いているような歌い方になって……幕が下りかけたとき、母が左に倒れたんです」
舞台の床に倒れ込んだあずみさんは、なおもマイクを取り直そうとした。その母の口から「頭痛い」と漏れたのを聞くと、娘は迷わず「救急車呼んで!」と叫んだ。「母は意識を失っていくなかで、『今尾くん、ごめんね』と言い、その後は『ゆーゆ、ゆーゆ』と」
異変にかけつけた今尾さんは、
「コンサートは即中止しました。主役が倒れてしまったんですから」
侑夕さんが「ママ起きて!」と必死に呼び続けるも、あずみさんは鼾をかき始めた。危険な状態だ。
「母が倒れたのが16時30分ごろで、中止決定がその10分後。
救急車到着は16時47分で、私が同乗して東京医科大学病院に入ったのが17時15分。迅速に救命救急していただきました」
侑夕さんが、時刻を正確に記憶しているのは、自身が中学時代に自律神経失調症で倒れた経験があり、医療に関心が高かったからだ。
その後、東京医科大で「右脳の脳出血」と診断され、緊急手術に。
「21時に開頭手術が始まり、内視鏡で血種を除去していただきました。およそ3時間で手術が終了。先生からは『手術は成功しました。命に別条はありません』と」
ただし主治医は「後遺症は残ると考えたほうがいいと思います」と付け加えたのだった。
2025年11月下旬の午後。
都内の自宅を訪れると、彼女は理学療法士によるリハビリとトレーニングの真っ最中だった。
東京医科大からリハビリ病院に転院し、帰宅したのは2024年2月。約半年ぶりのわが家だった。
そこから長い経過観察となり、脳機能と体力を回復させるための日々が始まったのだ。
「あずみには短期記憶の低下が見られ、直近で起きたことの記憶を保持するのが難しい状態です。
早い話が、前に話したのと同じことを、何度も言ってしまうことがあるんです」(今尾さん)
そして右脳のダメージによって左側の情報認識に支障が出る「左半側空間無視」の症状も出ていた。
「左側にある活字を目で追うのが難しい状態です。もともとあずみはステージでのセリフ回しが得意でしたが、倒れてからは本を読むのさえ棒読みになってしまって」
今尾さんは、活字を読む訓練をさせようとしたが、なかなかうまくいかなかったため、発声トレーニング主体に切り替えたという。
「歌が歌えるようになれば、ほかの脳機能も回復していくんじゃないかと思いました。あずみの強みの歌唱力が戻れば、本人が生きる支えになるはずだと」
左手のリハビリも、本人、家族ともに「根気のいる作業」だった。「手は神経が通わないと丸まって固まってしまいます。伸ばさないとどんどん動かなくなってしまうので、ゆっくりほぐして、伸ばすリハビリをしました」
そのマッサージもストレッチも、今尾さんがつきっきりで施した。
「肩関節も、脇の下の筋肉もほぐします。最近は、寝転がって右手を添えて左手を上げる練習をしていて、真上まで左腕が上がるようになってきたんですよ」
かいがいしくリハビリや身の回りの世話をしてきたことで、
「退院直後に比べて動かせる領域が20%もアップしました!」
今尾さんの声が弾む。
そして、いよいよ歩行訓練だ。まず右手で赤い杖を握り、ベッドから起き上がるところから。
次に右足を一歩、前に踏み出すと、今度はまひが残る左足だ。
装具で左足をサポートしてはいるものの、左半身に力が入らないため、どうにも踏み出せない。
理学療法士が補助していても、不安なのだろう。あずみさんは唇をすぼめ、顔をしかめている。
それでも、先に出した右足に追いつくように、左半身もゆっくり、わずかだが一歩ずつ、前に進んでいるではないか。
「歩いてる、歩いてる!」
侑夕さんが瞳を輝かせて激励。
今尾さんは、妻がつまずかないように、進行方向のチェアなどをどかして露払い。
歩行訓練後のストレッチを終えたあずみさんが、しみじみ語る。
「今尾くんには、感謝しかありません。こういう状態になって、特にそう思うようになりました。
これまでの人生は運のよさだけで生きてきたようなものでしたが、今尾くんのおかげで人に感謝することを覚えたんです」
侑夕さんが話したように、3年前まで夫婦は「殺伐としていた」。
それが妻の脳出血というアクシデントによって、お互いを慈しみ、感謝する気持ちが芽生えた。
夫婦の絆は、一大事を乗り越えることで固くなったのだ。
クリスマスを控えた昨年12月8日、あずみさんは家族とともに、東京都庁大会議場の控室にいた。
障害者の自立支援イベント「第45回ふれあいフェスティバル」のステージに、母娘で出演するのだ。
この日、彼女の出番前の「トークショー」に出演したのは、旧知のタレントで“ひろみちお兄さん”こと佐藤弘道さん(57)だ。
じつは2024年に脊髄梗塞を発症し、いまもまひが残るものの、ハードなリハビリで歩けるまでに回復。その佐藤さんから「とにかく頑張り続けることが大事。歌い続けるのが、いちばんのリハビリですよ!」とあずみさんは助言された。
ややあって、今尾さんがすこし遠くを見るようにしてつぶやく。
「立って歌えたら……乾杯だね」
あずみさんは表情を引き締め、自分に言い聞かせるように、
「私自身、大した人間とは思っていませんが、何度壁にぶち当たっても、あきらめずに今日まで生き続けてきました。
だから私は“あきらめが悪い人”代表になりたい!」
車いすに乗り、スポットライトを浴びて登壇したあずみさんは、聖母マリアが描かれたおそろいのワンピースで、愛娘とともにヒット曲を次々披露して喝采を浴びた。
そして最後に胸を張った。
「私はまだ歩けませんが、この曲を歌います。一緒に歌ってください、『さんぽ』です!」
アニメのスクリーンを飛び出し、トトロが、サツキとメイが世界中に夢を与えてきたように──。
あずみさんはいま、一歩を踏み出そうと努力する。
世の中で、なにかの困難に立ち向かっている人たちと、希望の光を分かち合うために。
(取材・文:鈴木利宗)
【後編】歩こう!舞台の上を“さんぽ”しよう『となりのトトロ』の主題歌で脚光を浴びた歌手・井上あずみさん(60)へ続く