《46歳で高齢出産、娘が脳性麻痺に》セーラーズ・三浦静加社長(72) 大ヒットも突然閉店→コロナ禍に復活…語った「空白の20年の真相」
セーラーズの服を身につけた80年代ファッションのリカちゃん人形が話題に(撮影:高野広美)
「来日中のマイケルから、1987年にジャンパーをオファーされたときは『3日間』という短納期でしたが『絶対に完成させる!』と頑張りました。
以来マイケルは、来日のたびにコンサートや、夕食会に招待してくれたりしたんです。私も、お礼に『魔異蹴留』と刺繍した真っ赤なスタジャンを、プレゼントしました」
都内の自宅1階にある応接室兼仕事場を訪ねると、三浦静加さん(72)が満面の笑みで迎え入れてくれた。
人気ブランド「セーラーズ」の社長で、古希を迎えた今日も打ち合わせに始まり、デザイン、サンプルチェック、経理にお礼状書きまで一人でこなす現役バリバリの“ビジネスウーマン”だ。
彼女が「マイケル」と呼ぶのは、あの世界的スーパースター、故・マイケル・ジャクソンさん。日本でセーラーズがブレークしたのは、その2年前のことだ。
おニャン子クラブがバラエティ番組『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)出演時、水兵さんのクールなイラストと、ポップなロゴのセーラーズの衣装を着用したことで、一躍、全国区の知名度を獲得したのだ。
2024年には40周年を迎え、翌2025年8月には「リカちゃん」とのコラボで「レトロリカセーラーズ」シリーズ(タカラトミー)を2パターン発表して話題となった。
さらに今月13日からは、全国のセブン-イレブン、イトーヨーカドー店舗で「リカちゃんくじ×セーラーズ」が展開中。
「リカちゃんがソバージュや1980年代アイドル風ショートヘアになるのは初めてですし、セブン-イレブン、イトーヨーカドーのくじに登場するのも初めて。
これらのコラボも、ジャンパーの風合いからスカートの色模様まで、すべてにこだわっています。妥協できないのは、購入してくださった方々の笑顔が見たいからなんです」
ブレーク以来40年以上、絶えず順風満帆だったように思えるのがセーラーズと静加さんの歩み。だが実際は、トラブルに挫折、そして克服の繰り返しがあった。
「2000年以降、つい5年ほど前まで続いた」という“空白の20年”を静加さんが振り返る。
■「私はまだマシ」と思い、気持ちを切り替えて前を向きました
1953年4月12日、埼玉県生まれ。3人きょうだいの長女として育つ。
「洋裁が得意な母(良子さん、94歳)の見まねで、私は幼いころから裁縫技術が身に付いていました。小学校入学前から、スカートや袖なしシャツを作っていたんです。
家の前の道路にゴザを敷いて、近所の女のコを集めては、ファッションショーをしていました」
元米軍通訳でさまざまな事業を手掛けていた父が、保証人として知人の借金を肩代わりさせられ、戸建ての自宅を出ざるをえなくなったのは、彼女が小2のころ。
「2間の風呂なしアパートでの暮らしに変わりました。母が『こうなったのはお父さんが悪いんじゃないの。お父さんは悪いことをしていないんだから、あなたは太陽の下を、大手を振って歩けるんだからね』と。
その言葉が、後々『絶対に成功してみせる!』という強い気持ちを私に持たせてくれました」
1972年、19歳で江古田にジーンズショップを開店し経営デビュー。
5年後の1977年、下北沢の古道具店に飾られていたプレートに水兵さんと「SAILORS」の文字を見つけ「あっ、かわいい!」。
そのイメージをモチーフにしてセーラーズのキャラクターを誕生させて話題となったが、この直後、不動産詐欺に遭い約5千万円もの負債を抱えてしまう。
「債権者の会議に出てみると、1億円以上持ち逃げされた人もいました。動揺と不安ばかりでしたが『まだ私はマシじゃないか?』と切り替えて前を向きました」
転んでもタダでは起きない静加さんは、多額の負債を抱えたまま1984年、渋谷に9坪のお店を開く。
そこで展開した「セーラーズ」のアイテムが一躍、全国区の人気を獲得。店は連日、朝から「入店待ち」の大行列ができたのだ。
「セーラーズの商品は、生地の染め方も縫製もすべて国内で、こだわり抜いて少数だけ製作するので、単価は安くありません。それでも1万円ほどのTシャツやトレーナー、10万円以上のジャンパーが、すぐに売り切れてしまいました」
お客さんの入店は1回15分、上限15万円と制限して営業したが、「1日の売り上げが3800万円という日もあったんです!」
当時から、とんねるずや元大関の小錦さん(62)など各界の著名人に愛され、マイケルさんのほかにもシルベスター・スタローン(79)、ジャッキー・チェン(71)など世界的スターに求められた。生みの親で経営者の静加さんはビジネス的に大成功をおさめたのだが、2000年に突如として閉店し、彼女自身もパッタリ、表舞台に出なくなってしまった……。
じつは、静加さんは1999年5月15日、当時のパートナーとのあいだに授かった長女・静良(セーラー)エミーさん(26)を、46歳で出産していたのだ。
「体重1733g、身長42cm、妊娠8カ月で生まれた早産で、すぐに肺の手術が必要という状況でした。そして1歳のとき脳性麻痺という診断を告げられました」
脳性麻痺とは、妊娠中から生後間もないあいだに脳に受けた損傷で、脳機能の障害や、体が不自由になる後遺症のことだ。
「2000年に、セーラーの介護とリハビリに専念するためにお店を閉店したんです。母である私が落ち込んでいても、セーラーにも、周りの方にもいいことはひとつもありません。だから、つねに笑顔で過ごすことを心掛けました」
静加さんの笑みに春花のような若々しさと、生命力が感じられるのは、そんな芯の強さのうえに、人への慈しみがあふれているからなのかもしれない。
以来、セーラーズは期間限定のポップアップショップ開催などに限って販売されてきたのだが、再び脚光を浴びたのは2020年のコロナ禍でのこと。
■頑張っている人に夢と希望とパワーを与えたい
「17年前に母が脳梗塞で倒れて以後は、母と娘のダブル介護状態になっていました。
そんな状況でコロナ禍になり、『命を守るために、感染させてはいけない』という思いで身内用にセーラーズのマスクを作ったんですね。そうしたら……」
それをテレビ番組が取り上げ、フェイスブックに500件もの問い合わせが。
「全国に根強いファンがいてくれた」と思い知らされた静加さんは、オンラインショップを開設した。
その後、2024年にドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS系)でセーラーズのパロディ商品「セイヤーズ」が登場すると、これも話題沸騰に。
昨年には、おニャン子クラブ40周年イベントやレトロリカなど、コラボにも積極的に乗り出して、今日を迎える。
「要介護4の母と身体障害者1級の娘のためにも、私が倒れるわけにはいかない。だから何事にも、よりポジティブに取り組もうと」
今日も静加さんの頭の中には、いろんなアイデアが次々に浮かび、ひとつは具体化もしている。「不景気なのに物価高騰のいま、全国の町工場(中小企業)経営者さんと一緒に商品を開発したいんです。
スポーツタオルやハンカチでもいい。最初に預かり金10万円を納めてもらって、『セーラーズ』の商品を開発してヒット商品を作ってほしい。そして年間500万円の売り上げが出れば、次年度も契約更新するというシステムを考えています」
そこにあるのは、
「頑張っている人に、夢と希望とパワーを受け取ってもらいたい」
という利他の精神だ。
「人生100年といいますが、私には、あと27年しかないですからね(笑)。人生は100歳でピタッと終わりになるわけではありません。『3ケタでも現役』を多くの人が続けられるように、まずは私が実践したい!」
三浦静加さんは、今日も太陽の下、大手を振って歩いていく。するとセーラーズを身につけるすべての人が、笑顔になる。
(取材・文:鈴木利宗)