黒柳徹子、ビートたけし、笑福亭鶴瓶も訪れた「谷中の人形劇場」…人気演目を生み出したのは「意外なモノマネ芸人」だった
「人形であることを忘れちゃう」「人形が自分で動いているみたい」という言葉がとてもうれしいと話す露木さん(撮影:吉澤健太)
東京・谷中にたたずむ一軒家には「指人形笑吉」の文字が。店主の露木光明さん(79)は、60歳から、指人形劇と人形作りのみで生計を立てている職人である。
「指人形笑吉」で上演される人気演目のなかには、何げないひと言から生まれたものも多い。
あるイベントの休憩時間。バルーンアートや手品など、さまざまな芸を持つ出演者たちが喫茶店で同じテーブルを囲んでいた。そのなかに、まだテレビにほとんど出ていなかったほいけんたがいた。
「突然ね、明石家さんまのモノマネを始めたんだよ」
あまりのそっくりさに、場がどよめいた。
「すごい、すごいって大喜びしたら、どんどんやるんだ。
あの人、手品もバルーンも何でもできる。本当に器用」
人形劇の話になると、ほいけんたがこう話し始めた。
「人形がすっと入るところが、プールに飛び込むみたいに見えるんだよ。『ウォーターボーイズ』をやったら面白いんじゃないかな」
当時、映画やドラマで話題になっていた、男子高校生たちがシンクロナイズドスイミングに挑戦する青春物語だ。
シンクロを表現するには従来の人形の形では難しい。そう思いながらも、ほいけんたの言葉が頭から離れなかった。
「どうやったらいいのかと、いろいろ試行錯誤して。いま考えると、なんでこれを思いつけたんだろうなあって(笑)」
こうして生まれた『ウォーターボーイズ』は、いまや定番演目の一つになった。
人気演目は増え続け、いまでは20以上のレパートリーを持つ。
そんな露木さんの店には、実にさまざまな人が訪れる。テレビ出演は数えてみれば170回近い。散歩番組がほとんどだが、そのなかで、数々の有名人を人形にしてきた。八代亜紀さんもその一人。
「もともと人形はあったんだけど、ちょっとデフォルメしすぎていてね。これは見せられないなと思って作り直したんです(笑)。せっかく来てくれるんだから、喜んでもらいたいじゃない」
来店した八代亜紀さんは、出来栄えに目を細めた。
「すごい元気だったんですよ」
その1年後、訃報が届いた。八代人形は、いまも店にいる。
スタジオ収録に人形を持参したのは、ビートたけし。『たけしの誰でもピカソ』(テレビ東京系)で披露した。
なかでも印象深いのが、黒柳徹子だ。’11年、『徹子の部屋』(テレビ朝日系)のスペシャル番組のロケで、綾小路きみまろとともに谷中を訪れた。
人形劇を見ながら、曲芸の場面で「おめでとうございます!」とやると、黒柳も客席から声を合わせた。
「一緒になって『おめでとうございます!』って(笑)」
筆を持たせた人形で似顔絵を描くと、
「『あ~すごい満足!』って。
で、『あんたどうですか?』って、きみまろさんに聞くんですよ。『満足です』って(笑)」
帰り際、黒柳が「豚の人形が欲しい」と言った。しかし、在庫がなかったため、後日、番組宛てに送った。すると数回後の放送で、その豚の人形が番組スタジオに登場した。
「最初、豚のアップから始まって」
その日のゲストは豚好きの女性。番組内で人形が手渡された。
「テレビに自分の作った人形が出てるって、不思議な感じでしたね」
顔に特徴があるほうが作りやすい、というわけではない。難しいと思って作り始めると、意外にそっくりになることもある。
「やってみないとわからないんだよね。いちばん難しかったのは、志村けんさん。整っているじゃない、ふだんの顔が」
テレビで何度も見てきた顔ほど、かえって難しい。
笑福亭鶴瓶の来店は、人形劇の上演中だった。戸が開き、一人の男がすっと座った。後ろにはカメラ。『鶴瓶の家族に乾杯』(NHK)の収録だった。オファーなしで突然現れた。
「『少しいい?気にしないでいいよ』とお客さんに声をかけていてね。私が簾の向こうから見ているのは気づいていないようだった」
終演後、店内を見回す鶴瓶に「あそこにいるんですよ」と声をかけると、自分の似顔人形があることに驚き、感嘆の声を上げた。
「ああ、うれしい、うれしい!寅さんの隣だ!」
棚には歴代総理の人形も並ぶ。最近、高市早苗の人形も加わった。
「最初は小泉純一郎。人気絶頂のころね」
落語家の三遊亭好楽は同級生だ。真打になる前の勉強会に通った。
「落語好きだったからね」
後年、『あいつ今何してる?』(テレビ朝日系)で再会する。
「宣伝してもらって、ありがたかった」
売れる前から知る顔がテレビの向こうで活躍している。
人形をきっかけに、縁はまた縁を呼んでいく。
■こんなじいさんになりたいと思い作る。「老人が笑ってる国は、平和な国」
オーダーメイドで最も多いのは、「亡くなった人を作ってほしい」という依頼で、半分以上を占める。
亡くなった奥さんや旦那さん、おじいちゃん、おばあちゃん。写真がたった1枚しかないこともある。証明写真だけや、帽子をかぶり横顔もわからないことも。
「立体で作るっていうのは、絵みたいにそのまま写せばいいってもんじゃないんだよね」
正面、左右、斜めの写真がそろわないときは想像で補うしかない。だが、客の思い入れが強いほど、わずかな違いが大きくなる。
「『似てない』って言われることもありますよ。自分ではこれ以上ないところまでやっても、無理なときは無理」
それでも依頼は続く。なぜなら、それは単なる人形ではなく、“再会”だからだ。
忘れられない出来事がある。若くして亡くなった大学生の女の子。吹奏楽サークルの友人たちが、彼女の両親に内緒で人形を贈りたいとやってきた。写真を見ながら、「ここにほくろがあった」と言われれば、その場で付け加えた。
両親には「人形劇を見ませんか」とだけ伝え、友人たちが集まった。いつもどおり、人形劇が進む。笑いが起きる。
そして劇の最後。露木さんは、亡くなった娘の人形を簾からそっと差し出し、こう呼びかける。
「お母さん」
その瞬間、母親が崩れた。
「あんた、どこにいたの?」
父親は無表情のままだったが、やがて人形を渡すと、それを手にはめた。ぎこちなく動かし、そして笑った。
「作者冥利に尽きるよね。よかったなって」
1体あたり、完成まで約1週間。月に10体ほど制作し、これまでに1千700体以上の注文を受けた。
露木さんは言う。
「60からの人生が、いちばん楽しい」
好きなことで生活できている。儲かるわけではないが、暮らしは安定している。そして何より、来た人がみんな笑って帰る。
「こんな楽しい仕事ないよ。いまだにいちばん好きな趣味がこれなの。だから、休みの日もやりたい」
人生の後半。最後がよければそれでいい。
「これやらなきゃ、ほかにできることないと思って必死だった。でもね、たった一つ見つかれば、それでいいんだよ」
改めて、店に並ぶ人形がすべて笑っている理由を聞いた。
「老人が笑ってる国は、平和な国だと思うからね」
昔の写真を見ると、父親世代の男たちはほとんど笑っていない。
カメラを向けられても、むすっとしている。
「唯一笑ってるのは、孫を抱いてるとき」
その風景が好きだ。
「こんなじいさんになりたい、って思いながら作ってる」
笑いは必要だ。
「絶対いちばん大事。健康にもいいし、自分も元気になる」
もともとは人見知りで引っ込み思案だった。
「いまでもそうだよ」
けれど、人形のことなら自信をもって話せる。舞台に立つのは人形だからいい。
「隠れてるから、ばかばかしいこともできるんだよ」
この仕事に後継ぎはいない。
「たぶん、教えても難しい」
人形を作ること、人形劇を演じること、その両方を一人でこなす。
「人形を作るだけなら、もっと上手な人はたくさんいると思う。でも、人形劇はその人の感性だからね。同じにはならない」
似顔の感覚と人形の造形、舞台の間合い。それがうまい具合に重なり商売になった、と露木さん。
親の家があり、谷根千ブームがあり、テレビがあり、そして人が来てくれた。
「人に恵まれたよね」
亡くなった人をよみがえらせ、笑わなかった父親を笑わせ、老人を笑顔にし、自分もまた笑っている。
「最後は笑顔がいい」と笑いながら、また1体、笑う老人を作る。「指人形笑吉」の棚には、今日も笑顔が増えていく。
(取材・文:服部広子)