「ペダルに足が届くのか?」との偏見を一蹴!日本初女性機長が示した「女性こそパイロットに向いている理由」
柔らかな表情と穏やかな口ぶりで語るが、話す内容は「頑固な女子が夢を諦めないド根性物語」。芯の強さが伝わる(撮影:水野竜也)
【前編】「女性のパイロットは前例がない」155cmの日本初女性機長身長制限で壁に直面も…人生を変えた“決断”から続く
日本の主要航空会社におけるパイロットの数は約7千人。そのうち女性はわずか142人だ(’24年時点。国土交通省調べ)。長らく男性の仕事とされてきた世界に風穴を開けた、日本航空の藤明里さんは、今も操縦桿を握り続けている。日本初の女性定期旅客機機長として道なき場所に航路を描き16年。「特別なことはしていない」と言い切るその背中に宿るのは、揺るがぬ覚悟と、空への尽きない憧れだった。
「女性がなんで?」
藤さんには、入社当初からさまざまな先入観や視線と向き合う場面があった。思えば面接試験でも「女性」を意識させられたという。
「『子どもができたらどうしますか?』と面接官に聞かれたときは『結婚もしていないのに子どもの話ですか?』と思わず聞き返しました。『子どもができてももちろん仕事をします』とハッキリと答えました」
副操縦士として働き始めても、珍しい生き物のように注目されることもあった。それでも粛々と目の前のフライトをこなした。機長になるためには、副操縦士として飛行経験を積まなければならない。
32歳のときには、同じパイロットの晶秀さんと結婚した。
「私の中では、パートナーを得たという感覚でした。先のことはさほど考えずに同じ価値観で一緒にいたかったから。夫は、私が機長になりたいということを理解してくれていたし、もし子どもができたら、そのときに考えればいいと。
自然な流れに任せていました」
彼女にとって結婚は大きな障壁ではなかった。
「それでも『副操縦士になれたんだし、結婚もしたんだから、もう辞めたら』と、ある機長に言われたことがあります。でも『え~、まだ、この仕事やりたいです』と受け流していました。
また、『ラダーペダルに足が届くのか?』と言われたことも。ただ、そういった言葉をかける人は自分の気持ちが収まらなかったり、面白くないと思ったりしてのこと。単に感情の問題で、彼らの発言で一瞬傷つくことはあっても、私の人生には何の影響もないことを知っていたので」
偏見に対して、反論することも、自分を強く見せる必要もない。藤さんにとって「空を飛ぶ」という夢の前では、それらはささいな問題に過ぎなかったのかもしれない。自分らしさをモットーにフライトをこなしていくうちに彼女はこう確信した。
「パイロットとして、女性だからできないことは何ひとつありませんでした。たとえば、昔の女性像として、失敗したら『わー、どうしよう』と泣いてしまうイメージを持つ人もいると思います。でも失敗は誰でもします。それをリカバリーする力があればなにも問題はない。しっかり仕事をしているところを見せればいいだけです。
私がパイロットという仕事をしていることに違和感を持っている人たちに唯一私ができることは、機長になることだと思っていました」
6200時間の飛行経験を積み、10年かけて、女性として本邦エアライン初の機長に昇格。その辞令交付式で藤さんはこう語っている。
「誰も実現できるとは思っていなかった。
私も含めて……。実際、この道を目指して何万回とくじけそうになった。でも負けずに諦めないでやれば実現できます」
■現場で見せる藤さんの素顔と真価。冷静な判断と人を束ねる力で道を拓く
「人生で、自慢できることが1つあるんです」と、藤さんが語りだしたので、身を乗り出した。
「身長が8cm足りずに応募できなかった航空大学校ですが、機長になってからその経験をさまざまな場面でお話ししてきました。すると、その翌年には身長の基準が見直され、そして今年度の入試からは撤廃されることになったのです」
人懐っこい笑みがはじけた。彼女が仕事ぶりを誇らしげに語ることはほとんどない。「特別なことはしていない」という言葉が目立つ。
だが、彼女の隣に座ったことがある人たちの思いは違う。藤さんの後輩で、現在、副操縦士として5年目になるカーペンター貴南さんはこう語る。
「副操縦士になる前に、教官だった藤さんの隣でフライトしたことがあります。当日は、天気がすごく悪くて、コックピットから、青白いセントエルモの火(雷雲が近づいた際に強い電場によって発光する自然現象)が前方の窓を這はっているのが見えました。
私は動揺して思うように対応できずにいましたが、隣の藤さんが冷静に、機首を向ける方向や角度を的確に指示してくれました。とても緊張する場面で『大丈夫』と言われたわけではないけど、横にいるだけで、『この人についていけば問題ない』と自然に思えました」
そして、カーペンターさんは、今の職場環境についてこう続ける。
「たしかに機長や副操縦士は男性が多いですが、これまで女性だからといって、なにかしらの圧を感じたこともなければ、会社の制度として困ったこともありませんでした。これは藤さんが道を切り拓ひらいてくれたから。
それまでの厳しさは相当だったと思います。
それでも、女性パイロットの女子会で、藤さんが愚痴をこぼしたり、自分がやってきたことを得意げに話したりする姿を見たことがありません」
藤さんの夫で、現在は海外のエアラインでボーイング747型機の機長をしている晶秀さんはこう話す。
「私と妻は、子どもがいないこともありますが、結婚当初とあまり関係性が変わっていません。海外に住んでいる私が、妻の休みに合わせても月に10日会えるかどうか。そこで話すことは、この日のフライトはどうだった、こんな天候のときはどうすればいいかなど飛行機の話が比較的多いです。妻はパイロットという職業が楽しくてたまらないだけで、女性初とか、すごいことをしている、とは思っていないはずです」
藤さんは、遠回りをしたが、自分の魅力と気質を失うことなく、前を向いて道を歩んできた。そう、エレガントに。
晶秀さんは、そんな藤さんのような女性機長が、これからの空の世界では求められると確信しているという。
「昔の飛行機の操縦桿はすごく重かったこともあり、パイロットは男性だけでした。しかし、機体が進化した今、飛行機の操縦に力はいりません。操縦に関して男女の差がなくなった今、機長に求められるのは技術や知識以上にチーム作り。副操縦士、キャビンアテンダント、整備士、地上スタッフと連携するマネジメント能力が不可欠です。
たとえば、天候悪化や機材トラブルなどが生じたとき、最終的判断は機長がしますが、そのトラブルに対して、チーム内で情報を共有して、知恵を出し合って解決していくことが重要です。その点、上下関係を作らずに、誰とでも和やかな雰囲気を作れるのが彼女の強み。とくに女性が多い客室乗務員も意見を言いやすくなります。
妻は、家でもちょっとした一言でいつも僕を笑わせてくれます。職場でも、適度な緊張感を保ちながらも、ぼそっと面白いことを言って、全員の気持ちをほぐして、いいチームを作っていると思います」
男性の仕事と思われていたパイロットの世界で、これからはコミュニケーション能力が高く、周囲に細かく気を配れる女性の利点が生きてくる。日本で女性機長が当たり前になる日もそう遠くはないのかもしれない。
■水上飛行機のライセンスを取得し次の夢へ。「60歳を過ぎたら“遊覧ばあちゃん”に」
これまで、不可能を可能にしてきた藤さんでも、まだ達成できていないと思うことがある。それは女性パイロットを増やすこと。現在、日本人パイロット約7000人のうち女性は142人に過ぎない。後輩の育成にも携わってきた藤さんがこう語る。
「客席からの景色も素敵ですが、コックピットからは格別です。それにこれほどやりがいのある仕事はないと思っています。そもそも女性でもパイロットになれるということがあまり知られていません。
女性だと育児や出産、さらには介護との両立が難しいと思う人も多いでしょう。でも、女性の客室乗務員も、みなさん産休・育休後も復帰してしっかり仕事をしています。私たちパイロットもそういう制度を活用できるので問題はありません」
これからも、藤さんはパイロットという仕事の魅力を子どもたちに伝えていくという。
’24年、日本航空では、同社初の女性社長が誕生。社長となった鳥取三津子さんが客室乗務員出身ということで大きく注目された。もしかしたら、藤さんにも役員にという誘いがあるのでは?
「うーん……、私はあくまでも現場の人間であり、地上での仕事より空の仕事にこだわっていきたいですね。以前は定年の60歳まで飛び続けたいと思っていましたが、定年が延びて、もう少し長く飛行機に乗れるようになりました。
その分、加齢とともに衰える部分を自身で認識していかなければなりませんが、できる限り空を飛び続けたいと思います」
2歳半で空に魅了され、高校生のときに空を飛ぶ職業に憧れ、迷いなく夢を追ってきた。7年前に水上飛行機のライセンスを取得したのもそのひとつ。
「60歳を過ぎたら“遊覧ばあちゃん”をやろうと思って、水上飛行機のライセンスを取得しました。アメリカ・シアトル郊外では湖から飛び立つ水上飛行機による遊覧が盛んで、いつか飛行機を操りながら『ばあちゃんは昔、旅客機に乗っていたんだ』と観光客に自慢したいんです」
大空へ向かう、彼女の夢のフライトは続く。
(取材・文:山内太)