都内で74年続く助産院 直面する出産数減少に「AIに相談して悩んでしまう夫婦が増えている」
助産院で生まれた赤ちゃんを囲んで。前列左が森田玲子さん、前列右が今村理恵子さん(撮影:高野広美)
【前編】都内最古の助産院で、産前産後のママたちが“安心感”を得られる理由から続く
東京都福生市にある、緑色の外壁が特徴的な森田助産院。都内でいちばん古い74年の歴史を持ち、2代目院長の森田玲子さん(84)はこれまで3千人以上の赤ちゃんを取り上げてきた。出産や育児のサポート受けた人たちからは。「森田助産院には、100年続いてほしい」という声が上がる。
今年4月には、「玲子先生に取り上げてほしい」と、森田助産院での出産を希望し、遠くハワイからやってきた日本人ファミリーがいた。
「玲子先生は、いつもは穏やかな笑顔ですが、いざ赤ちゃんが生まれるというときにスイッチが入ると、目が変わるんです。本当に助産師のなかの助産師だと思い、安心して産むことができました」
4月半ば、森田助産院2階の和室にて、2日前にこの部屋で生まれたばかりの次女・百ちゃんを抱っこしながら語るのは、青梅市出身の三枝瞳さん(36)。その傍らには夫の富一・カールさん(37)、長女の真名ちゃん(3)と瞳さんの両親も。
富一さんは、ハワイで活躍するウエディング・フォトグラファー。
「妻の地元の知人の紹介で、長女のときから森田先生にお世話になっています。ここを選んだいちばんの理由は、麻酔などを使う無痛分娩ではなく、自然分娩に立ち会えること。
ずっと妻の体に触れていましたが、彼女も出産の瞬間には大自然の鳥のような声を上げたりして。そんな命懸けの姿を目の当たりにするなかで、僕自身も『父親として頑張ろう』と、改めて自覚ができました。もちろん、写真も撮影しました」
瞳さんにとっては、海を越えての里帰り出産となった。
「なんといっても、何千人も取り上げている実績の安心感。それと産む前から畳の間の布団で過ごせて、先生たちも常に声かけしてくれますし、親たちの面会も自由。
そんな日本的な温かさのなかで、産んで終わりじゃなくて、ここからが新しい家族のスタートなんだと改めて思えました。
この取材も、正直まだ疲れてますし、スッピンで恥ずかしかったけど(笑)、今は情報社会と言われながら若い女性たちには助産院の存在すら知らないという人も多いと思うんです。だから少しでも知ってほしかった。あと、ご飯がとてもおいしいってことも」
その言葉に、勤続28年でスーパー調理師と呼ばれる西村さん(59)と「ありがたいね」と言い合いながら、当の玲子さん。
「出産は、母親だけが頑張るものじゃない。狭い産道を通ってくる赤ちゃんもまた頑張り、生まれるべき時を選んで発信している。それを感じ取ってほしい。
うちは24時間母子同室で、若いママからは『赤ちゃんを別に預かってもらえないんですか』との声も多い。
でも三枝さんも言うとおり、呼ばれなくても、こっちから『どう?』って声をかけますから」
しかし、初代院長・森田かね子さんの時代から3代にわたり、全員が受賞歴を有する森田助産院でさえ、出産数の減少は深刻な問題だ。具体的な数値はショッキングなものだった。玲子さんの長女で、森田助産院の3代目にあたる、今村理恵子さん(57)が語る。
「母の代から現在までの当院での出産数の累計は3千614件。年間の数値では、2000年前後は130件以上の年もありましたが、東日本大震災で約80件となり、さらにコロナ禍で激減し、昨年は13件にとどまりました。正直、スタッフ同士で寂しいねという話もします。
たしかに近年、ご夫婦との会話でも、AIなどの影響が大きいのも事実。現実に『チャッピー(ChatGPT)もそう言ってました』という返事も多いし、私たちと回答が異なる場合には余計に不安を感じている様子も。
だからこそ、出産と同時に産後ケアにもより力を入れているんです。とはいえ、正直、AIに負けるとは思っていませんが」
出生数を増やす妙案について、玲子さんはこう話す。
「私は数年前から、理恵子たちも出た地元の中学校で、卒業前の“命の授業”を行っています。そこでは、これから社会の一員としてやっていく以上は自分の与えられた命を伝えていくこと、命をつなぐことも大切で、『10代のころから考えてほしい』と話しています」
同じく理恵子さんは、
「若い世代からは『自分に人を育てるなんてできない』という声をよく耳にします。でも、完璧な親なんているでしょうか。今は選択肢も多いだけに、選ぶなら完璧でなきゃと考えがちなのでは。私たち町の助産院としては、まずは子供を産み育てることに興味を持ってもらうことから始めたい。
妊娠期間中に『不安です』と訴えていたご夫婦が、出産から半年ほどして、『こんなに子供好きになるなんて思いませんでした』と言うのを聞くと、ああ、一緒に歩んできてよかった、と心から思います」
70年以上前から、地域の母子たちと、幾多の産声と共に積み重ねてきた森田助産院の歩みは、創設100年に向けてこれからも続く。
「昨年10月に夫が亡くなって、ずっと一人暮らしです。この春、次男の娘、つまり私の孫が看護師として働き始めたのも、うれしい出来事でした。お産は、女性にとって生涯に数回しかない貴重な体験。私も元気なうちは、一人でも森田助産院で産みたいという人がいる限り、現場でお手伝いしたいと思います。
ただ、私の助言は今の若い人には厳しすぎる面もあるようで、娘からは『ちょっと黙ってて』と言われることも(笑)。でも、大切なことは遠慮せず伝えていきますよ」
玲子さんが、助産院に隣接する自宅キッチンで語る。現在、玲子さん、理恵子さん母子と一緒に3人目の助産師として働くのが、高橋江梨子さん(46)。
「私自身が4人目の子を玲子先生に取り上げてもらったのですが、初対面のときから妊婦としてだけではなく、一人の人間として自分を見抜かれたことに感動し、まるで魔女のような人だと思って(笑)。
自分もいつか助産師になりたいと思い、40歳で資格を取りました。
今は理恵子さんが、なんとか助産院をこの地に残そうと寝る間も惜しんで奮闘しているので、一緒に頑張りたいという気持ちです」
その理恵子さんは現在、日本助産師会の副会長の要職にもある。
「助産院を100年続けるには、高橋さんのさらに次の世代の助産師を育成する必要がありますが、今は助産師学校自体が減っている現状もあります。嘆いてばかりもいられませんから、助産師を目指す学生の研修も受け入れています」
森田助産院は東京都助産師会の研修を受け入れる8つの協力機関の1つでもあり、母親と赤ちゃんを対象にしたボランティアイベント「もりっこサンクスデイ」でも助産師志望の大学院生が母親たちをサポートしていた。
最後に理恵子さんは、
「子供が育つ喜び、人が親として成長していく過程を近くで見せていただけることに幸せを感じられるので、ここまで助産師として続けられたと思います。
こんな時代に、うちの助産院に来ようと思う時点で、お母さん、お父さんたちは、既に一歩を踏み出しているんですよね。その思いに、今後も応えていきたい」
一人ひとりの出産の悩みに徹底的に寄り添い、元気な産声とぬくもりに触れてきたからこそできるケアが、今こそ求められている。“命のバトン”を100年つなぐ森田助産院の奮闘を見守りたい。