「お前を殺してやる!」美輪明宏さんの迫力に震え上がって…小説家・平野啓一郎が明かす交流秘話

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「お前を殺してやる!」美輪明宏さんの迫力に震え上がって…小説家・平野啓一郎が明かす交流秘話

2008年に平野さんは美輪さんと瀬戸内寂聴さん(故人)との共著も出した(写真:御堂義乘)



【前編】逝去から1カ月…“ボーイフレンド未満”小説家・平野啓一郎が明かす美輪明宏さんの思い出「初対面で30分遅刻しても穏やかに迎えてくれて」から続く

6月20日に老衰のために亡くなった美輪明宏さん(享年91)。多くの人に愛された美輪さんだが、『マチネの終わりに』、『ある男』などの作品でも知られる小説家の平野啓一郎さん(51)も親交のあった一人だ。平野さんに美輪さんの思い出と感謝の思いを聞いた。

■「最初は戸惑いもあった」美輪さんの舞台に魅了されて

2002年ごろ、対談の企画で美輪さんと知り合った平野さん。その後、美輪さんからたびたび舞台へ招待されるようになる。

『黒蜥蜴』、『双頭の鷲』、『エディット・ピアフ物語』……。平野さんは、何度も劇場へ足を運んだ。

ところが、平野さんは意外にもこう振り返る。


「最初はちょっと戸惑いもありました。あまりにも独自の世界なので」

豪華絢爛な舞台。銀色の星が吊るされ、クラシカルでどこか懐かしい舞台装置。現代演劇とはまったく違う世界だった。

だが、不思議なことに、何度も観るうちに印象が変わっていく。

「これはやっぱりすごい世界なんだと思うようになりました」

観終わったあとに残るのは、「演劇を観た」という確かな手応えだったという。

「必ずしも、“美しいもの”だけでできているわけではないんですね。庶民的なもの、懐かしいものが、色々と舞台に取り込まれている。
“洗練”だけでは切り捨てられてしまうものまで、丸ごと抱きしめるようなおおらかさがありました。美輪さんは本当に、大きな器という印象でした。いろいろな人を受け止める世界を作ってらっしゃいましたね」

その世界が、圧倒的な歌唱力と一体になり、客席を包み込んでいく。

「だから人を虜にしてしまう力があったのでしょう。僕は招待状をいただくから、というのではなくて、毎回楽しみにしていました。」

平野さんは、そう振り返る。

■「ドイツ人ね」。美輪さんが見た“前世”

美輪さんと親しくなるにつれ、平野さんも少しずつ肩の力が抜けていった。「今だったら、とても聞けませんけどね(笑)」

そう笑いながら切り出したのは、若い頃に何気なく尋ねた“ある質問”のことだった。


「僕の前世って、何でしょうか?」

まだ美輪さんが、人気番組『オーラの泉』に出演する前のことだった。“スピリチュアルな人”として一世を風靡する以前にも、三島由紀夫との関係で、美輪さんの「霊的能力」のことは知っていた。

軽い気持ちで尋ねた平野さんに対し、「最近は、あまり見えなくなっているのよ」と前置きしたうえで、美輪さんは静かに目を閉じたという。

そして突然、ぱっと目を開き、一言こう告げた。

「ドイツ人ね」
「えっ、ドイツ人?」

侍でも農民でもなく、まさかの“ドイツ人”だった。しかも「三十年戦争の頃、南へ逃げていった人」と、具体的な情景まで語ったという。

さらに、「今はピンとこないかもしれないけれど、人生の折々で『ああ、そういうことか』と思うことがありますよ」とも言われた。

「そう言われると、サッカーを見ていて、なんとなくドイツ代表を応援している自分にハッとしたり。
ドイツのソーセージを食べても、『もしかして』と思ったり(笑)。ただ、僕自身はまったくそういうスピリチュアルなものがない人間なのですが」

■「今度はお前を殺してやる!」

美輪さんの話術はもちろん、その迫力もまた圧巻だった。平野さんが今も忘れられないというのが、美輪さん本人から聞いた、故・石原慎太郎氏との逸話だ。

「美輪さんがある式典に招かれたとき、控室に石原慎太郎さんがいたそうなんです。そこで美輪さんと犬猿の仲だった彼が、『今日ここに招かれている人の中に、一人だけ納得できない人間が混じっている』と、美輪さんを当てこするようなことを言ったらしいんですね」

それに対し、少しもひるむことなく美輪さんはこう言い返したという。

「あんたなんか、お父さんへのコンプレックスだけを肥大化させて生きてきただけで、自分自身には何もないじゃない」

石原氏は怒って控室を出て行った。その後、美輪さんが廊下に出ると、石原氏は廊下に仁王立ちで待ち構えていて、「三島を殺したのは、お前だ!」と怒鳴ったという。

その話をしていた美輪さんは、不意にその場面を実演してみせた。


「『私は、こう言ってあげたのよ』とおっしゃって、『そうよ。私が殺したのよ。今度は、お前を殺してやる!』と。その場面を実演してくださったのですが、それは大変な迫力で、その眼力に見ている僕の方が恐くなるほどでした。」

その迫真の演技は、平野さんを震え上がらせた。

「あの迫力はすごかった。目も、声も、全部ですね。石原慎太郎さんは無言のままその場から立ち去ったそうですが、やはり恐くなったんでしょう」

■戦争を知る世代が見ていたもの

最後に、平野さんは「いまでも失敗したと思っている」という出来事を語ってくれた。

「あるとき美輪さんと対談した際に、僕はジョン・ガリアーノがデザインしたスカルの柄が入ったTシャツを着て行ったんです。
当時、ああいうのが流行っていて、僕も深い意味はなかったのですが、美輪さんはとても嫌がられました」

対談後に撮影したツーショット写真では、そのスカルの柄だけがきれいに修正され、消されていたという。

「あとで担当の方から、『美輪さんは、ああいうモチーフを本当に好まれないのです。平野さんのためを思ってのことですが、今後は身につけられないほうがいいとおっしゃってました』と、メッセージをいただきました」

その出来事は、平野さんに忘れられない気づきを残したという。

「僕はけっこう呑気にファッションとしてスカルのモチーフを身につけたりしていましたが、美輪さんの世代は実際に戦争を経験されています。死というものに対する受け止め方が、全然違うのだということを、そのとき改めて強く感じました。僕は、それは反省しましたね」

戦争と死を実体験として知る世代だからこそ、人の命に対する感覚は誰よりも鋭敏だった美輪さん。

「世界はいまおかしな方向に進んでいます。それを乗り越えるためには『愛が必要なんだ』という美輪さんの最期の言葉も、ご自身の人生を通して培われた信念から出てきた言葉だったのではないでしょうか。
とても共感しますし、尊敬しています」

美輪さんが遺した思いは、これからも受け継がれていく。

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