「自分がやるしかない、まあ宿命でしょう」熊本地震で被災した島の99歳現役医師 震災3日目に診療再開を決めた“覚悟”
佐藤先生「人間は強い。無理をせず、命を大切に、どうか希望を捨てずにいきましょう」
7月28日に発生した「令和8年熊本地震」で最大震度7を観測した熊本県宇城市。その南西の八代海に浮かぶ戸馳島で、99歳の現役医師がいまも診察室で島民たちの健康を守っている。佐藤医院院長、佐藤立行医師だ。
白寿を迎え、耳は遠くなったが、毎日、白衣を着て、かつては車で通っていた自宅から医院までの坂道を、いまはシニアカーで通っている。
「大きな揺れで水が2、3日、止まりましたが、停電もなく、建物の被害もなかったので、3日目から診療を再開しました。ほら、血圧のお薬とか、生活習慣のお薬とか、欠かせない人が多いですからね」(佐藤医師)
昭和25年に熊本医科大(現・熊本大学医学部)を卒業し、国立戸馳結核療養所で内科医として働き始めた佐藤医師。当時、結核は「亡国病」「国民病」と恐れられ、不治の病と考えられていた。佐藤医師は診察、手術、当直をこなしながら、周囲の住民に正しい知識を伝える役割も担った。
昭和57年に、戸馳結核療養所は国立療養所三角病院(現・済生会みすみ病院)となり、対岸の三角町に移転し、佐藤医師も副院長に。しかし、佐藤医師は、無医地区となった戸馳島の島民のために昭和60年に副院長の職を辞し、佐藤医院を開いた。59歳のときだった。
「かかりつけ医がいる病院が島にあるだけで、この地区の人たちは安心できるはず。自分がやるしかないと思ったわけです。まあ宿命でしょう」(佐藤医師)
以来、40年以上、島民の健康を守ってきた。今年2月までは、島での診療のほか、特別養護老人ホームの嘱託医として週2回通い、入所者の診療も行っていたという。
現在は、住民の半数近くが65歳以上という高齢化の進む戸馳島。
医院の待合室には長椅子が並び、華美な装飾はない。病院というより、島の人たちの寄り合い所のような空気がある。
佐藤医院の受付スタッフの尾方洋子氏がこう語る。
「先生は症状や数値だけでなく、患者さんの家がどこにあり、どんな仕事をして、どんな食事をしているかまで知っています。血圧が高ければ薬を出すだけでなく、塩分を控えるようにぼそりと伝える。『先生の顔を見たら血圧が下がる』と話したり、寝たきりの人が、先生の声を聞いただけで『よかです』と落ち着くこともあります。今も、患者さん1人ひとりの健康状態は変わらず把握しているし、熱中症への注意が必要なこの夏、患者さんの血圧や体調を見ながら声をかけています」
かかりつけ医とは、近くにいるだけではない。その人の病歴も生活も過去も知っているからこそ、総合的に体を見られる存在なのだろう。
医院の玄関脇にはモチの木が立つ。花言葉は「時の流れ」。その木のそばを、島民は何十年も通い続けてきた。
令和8年熊本地震は、家屋や道路、避難所の課題をあらわにした。同時に、災害時に人の命を支えるのは、救急医療や大病院だけではないことも。薬が切れないようにすること。暑さで体調を崩さないように声をかけること。普段からその人を知る医師がそばにいること。
佐藤医師が戸馳島で続けてきた地域医療は、非常時にこそ力を持つ──。
佐藤医師がこう語る。
「私たちのところよりも被害が大きかったところもあり大変です。でも、人間は強い。新型コロナウイルスも乗り越えてきました。無理をせず、命を大切に、どうか希望を捨てずにいきましょう」
酷暑が続くなか、熊本県内の避難所では6794人(8月7日時点)が避難している。99歳でも医療の現場に立つ佐藤医師の言葉が届いてほしい。