「食卓の会話がそのまま名作ドラマに」…娘たちが明かした“巨匠の知られざる家庭の素顔”
山田太一さんは少年時代を神奈川県湯河原市で過ごした(写真:本誌写真部)
【前編】「俺は忘れられた男だ」山田太一さんの書斎が湯河原に再現…次女が明かした“名作ドラマの巨匠”晩年の知られざる本音から続く
執筆中は妥協を許さない凄みを見せる一方、家庭内での山田太一さん(享年89)は実に穏やかで、「家族思いの父親でした」と、長女の宮本理江子さん(63)さんは語る。
「家庭では全然厳しくなく、穏やかな普通の父親でしたね。すごくおしゃべりだし、面白かったです。落語を自分なりにちょっとアレンジして、声も変えながら一席やってくれるんです。これがなかなか上手なんですよ(笑)。私が小さいころは、寝る前にお話をしてくれるのですが、それもお腹を抱えて笑うくらい面白かった記憶があります。
ご飯のときも執筆中の脚本のことで、“今こういう風なシーンでこうなんだけど、この後どうするかな~”とか言いながら、食べてたりしてましたね(笑)」
さらに、普段の家族の会話がそのままドラマのヒントになることも多かったとか。
「夕飯は必ずみんなで食べていました。
父は一日中家にいることが多かったので、いちばん最初に“お腹すいた”とか言って、一階に降りてきましたね。
食卓では“今日学校でこんなことがあった”とか、“今日渋谷でこんな人がいたよ”といった日常会話を、毎晩家族みんなで共有していました。私たちが父に話した学校での出来事や喧嘩のエピソードなどが、そのままドラマのシーンになっていたこともありましたね(笑)」
次女の長谷川佐江子さん(59)も、家族の仲睦まじい思い出を振り返る。
「父は基本的に家にいるのが好きだったので、私たちは父が家にいるのが当たり前の日常で育ちました。思春期になるとお父さん嫌いとかよく聞きますけど、姉、私、弟3人ともそういうことは一度もなかったですね。
でも、父をほっておくとすべて仕事でスケジュールを埋めてしまうので、母が“年に一回は必ずみんなでどこかへ行こう”と決めて、毎年、家族旅行に行っていました」
■名優・小倉蒼蛙氏が明かす巨匠の温かな人柄
『山田太一の仕事部屋』(神奈川県湯河原市)のオープン前日、関係者らが集まったレセプション会場には、山田太一作品に7作出演し、山田さんを“人生の大恩人”と仰ぐ俳優の小倉蒼蛙(旧名・小倉一郎)さん(74)の姿も。登壇した小倉さんは、山田さんの脚本について、「セリフが実に覚えやすく、すっと体に入ってくる。軽やかなセリフの中に、人間に対する深い愛と温かな視点があった」と語っていた。
かつて小倉さんが肺炎で舞台を降板せざるを得なくなった際、山田さんから一通の手紙が届いた。そこには、
《僕には必要な俳優さんです。ゆっくりでいいですから、治してください》
この温かい励ましに涙したという小倉さん。その手紙のコピーは、『山田太一の仕事部屋』内にあるショーケースに飾られている。
偉ぶることを一切嫌い、“先生”と呼ばれると“山田さんでいいです”と笑っていたという巨匠。小倉さんは「山田作品には駄作が1本もない。これからも再放送や上映会などを通じて、山田ドラマの素晴らしさを語り継いでいってほしい」と熱く語っていた。
市井の人々の生き様を温かく、時に鋭く見つめ続けた山田太一さん。
湯河原に再現された『仕事部屋』は、単なる思い出の展示にとどまらず、山田さんが遺した作品に込めた情熱や“人間への愛”を未来の世代へ手渡すための大切な拠点となっている。
「懐かしくて来ていただく方はもちろんですが、若い方にも父の想いをつないでいきたいです」(長谷川さん)
温かな思い出と名作の記憶が詰まった湯河原の仕事部屋。山田太一さんは、きっと訪れる人々を優しく出迎えてくれるはずだ。