三田佳子 有名になっても「あのころは毎日泣いていたんです」
「孫たちが生まれたときに、私は『自分の命をつなぐことができた』としみじみ思ったんです。自分は2人の子どもを産んだけれど、次につないでくれた。私の血だけではないけれど、次へ受け継がれていったことがうれしくて」
そう語るのは、隔週連載『中山秀征の語り合いたい人』第75回のゲスト・女優の三田佳子さん(75)。明るく朗らかな笑顔で「今日はよろしくねー!」と颯爽とスタジオ入りした三田さん。革ジャンにロングスカート、高めのヒールのブーティーという若々しいファッションもとってもお似合い。エイジレスな魅力たっぷりの三田さんと中山が語り合いました。
中山「三田さんは’84年の映画『Wの悲劇』で各映画賞を受賞し、’86年にはNHK大河ドラマ『いのち』主演、’89〜’90年には『紅白歌合戦』の司会も務められます。多数のコマーシャルに出演し『CMの女王』になり、高額納税者番付4年連続1位(俳優・タレント部門‘91〜’94年)。
日本を代表する女優に上り詰めていきますよね」
三田「でもね、あのころは『どうしてこうなっちゃうんだろう』と毎日泣いていたんです。私は自分なりに試行錯誤したり、本を読んで勉強したり、先輩たちから教えてもらったりしながら、ただ目の前のことを一生懸命やっていただけだったんです。『もっと有名になりたい。天下を取ってやろう』なんて思ってもいなかった。そのあともいろいろ苦労しましたね」
中山「いっときご家族のことで、ご苦労されていますよね」
三田「当時、私は会見で受けたフラッシュは色が違ったし、それまでとは全然違うものに感じました。それはすごかったですね……。私は女優として、虚構の世界の他人の人生を、自分の感性や肉体を絵筆にして描いてきましたが、今度は現実。もちろん泣きたいようなつらさもありました。
けれど一方では、これもまた人生。すべてが血となり肉となり、もう20年以上過ぎて……。今は大丈夫ですよ」
中山「三田さんはいつも客観的にご自身を見つめていらっしゃるんですね」
三田「そうかもしれません。’94年の大河ドラマ『花の乱』で、2回目の主演を務めました。ただ、そのオファーをされたときは、息子たちもまだ中学生と大学生で思春期真っ最中、母の体調もあまりよくなかったので、家を空けたくなかったんです。1年間ほとんど休みはありません。でも、どうしてもと懇願されて、やらざるをえなかった。やるからにはと、必死でやりました。
そうしたら、大河主演の2年後、’96年には子宮がんに……」
中山「災難が降りかかりますね……」
三田「『50代になったら、ちゃんと検診を受けたほうがいい』と知人の医師に説得されて、渋々検査に行ったら、見つかったんです。すぐに治療に入りました。『入院するなら、おいしい物も食べられないから』と、友人たちがおすしを取ってくれたのですが、みんなは胸がいっぱいなのか、全然箸が進まない。それなのに私ったら全部食べたんですよ(笑)」
中山「精神力がハンパないですね(笑)」
三田「私は神がかってポジティブなのね(笑)。『私の人生も捨てたもんじゃない。がんという病気にも出合い、経験できるんだと思った。私の人生はドラマチックに盛り上がった』と病室で書いて。マネージャーの口から伝えるより、自分できちんと伝えたくて手紙を託しました。
これっぽっちも死ぬなんて思ってなかったんですけど、本当は危険な状態だったのにね〜」
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