宇多田ヒカル“異例の移籍”カギを握る「3人の恩人」の存在
「デビュー以来ずっと宇多田を支えてきた恩人で“チーム宇多田”ともいえるクリエーターたちです。移籍先でこの3人の再結集が可能になったことが、宇多田の決断を後押ししたのです」
その一人が、プロデューサーのM氏。
「メジャーデビューする前、宇多田は、母親で歌手の藤圭子(享年62)と父親の宇多田照實氏(68)と家族バンド『U3』を結成して、英語の楽曲を歌っていたんです。当時、14歳だった彼女の才能を最初に認めたM氏が、「日本語で歌わないの?」と持ちかけ、デビューにつながったのです」(前出・別の音楽関係者)
M氏は別の曲の予定だったデビュー曲を『Automatick』でいくことを強く推して、765万枚の記録的ヒットにつなげた。宇多田をスターダムに押し上げた立役者でもある。
もう一人が制作面を支えたO氏。やはりデビューから関わり、彼女のことを「アーティストとして信じる」と公言して憚らない。宇多田本人からも最も信頼されている。
そして3人目がプロモーション担当のK氏で、母・藤圭子の死をテーマにした「『花束を君に』を、NHK朝ドラ『とと姉ちゃん』の主題歌に採用されるように仕掛けた人物だ。