紅白歌手宮城まり子、芥川賞作家の夫と建てた療護施設の思い
’68年に、日本で始めての肢体不自由児のための療護施設として設立された「ねむの木学園」。学園の“おとうさん”だった、作家・吉行淳之介さんが亡くなってすでに13年がたつ。だが、90歳になった宮城まり子さんの情熱をいまも支え続けているのは、「淳ちゃんとの子供である『ねむの木』を守りたい」という、いちずな思いだった−−。
「宮城先生!なんだか若返りましたね」と、思わず記者はそう口走っていた。3月21日に90歳の誕生日を迎えたばかりの宮城まり子さん。だが、記者が3年前に「ねむの木村」を訪問したときよりも、顔色も肌艶も格段によく、美しかったのだ。
「お世辞じゃないの?ありがとう。でも先生はやめて。
子供たちだって、誰も先生なんて言わないわ。お母さんか、まり子さんよ」
くすぐったそうに笑みを浮かべるまり子さんの黒いタートルネックの胸元には、シルバーのチェーンに大粒の真珠をあしらったペンダントが輝いていた。
記者が「ペンダント、素敵ですね」と言うと、まり子さんは真珠のトップを慈しむように手に取った。