「上田紬」女性工芸士が海外で気づいた民族衣装の素晴らしさ
「祖母が私の大胆な紬を見たら、びっくりしちゃうかもしれませんね。でも祖母も、昔は使わなかった鮮やかな朱や青の糸を取り入れて革新的な紬を作った人で、きっと応援してくれていると思いますよ」
山々に囲まれ、千曲川の流れる長野県上田市の塩尻地区。蚕室造りの家々の並ぶ旧北国街道沿いに立つ織元「小岩井紬工房」。小岩井カリナさん(45)は、32歳から機織りに向かいはじめ、現在は伝統工芸士として活躍している。
およそ400年の伝統を誇る上田紬は、江戸時代には大島紬や結城紬と並ぶ日本三大紬として、「上田縞」の通り名で人気を博していた。その後、機械織りなどに押されて下火に。そんな上田紬の復興とブランド化に尽力した一人が、カリナさんの亡き祖母、小岩井雅代さんだった。昭和30〜40年代、ふたたび上田紬は全国的なブームとなった。
「当時の私には、着物はただただ疎ましい存在でしたね」(カリナさん)
つねに人の目のある紬工房のお嬢さんという狭い現実から、もっと広い世界に飛び出したかったのである。
「家族や工房の皆さんに大切に育ててもらったと感謝しているんです。