山尾議員 歩んできた勝ち組人生「すごい美少女」と評判だった
披露宴に出席した司法関係者は、こう語る。
「夫が元ライブドアという肩書きでは、検察で出世は望めなかったと思います。それが政界転身のきっかけとなったのではないでしょうか」
07年、山尾議員は退官し政治家の道を歩み始める。選挙資金を手助けしたのも夫のA氏だった。09年、縁もゆかりもない愛知7区から出馬するが、“小沢ガールズ”の一人として旧・民主党の追い風に乗って初当選を果たした。前出の司法関係者が明かす。
「ところがまったくの落下傘候補のため、山尾さんは次の選挙では落選しています。そんな彼女を金銭面、精神面で支えてきたのがAさんです。
長く資金管理団体の会計責任者でもありました」
そして16年に山尾議員は国会で、個人ブログに書かれた『保育園落ちた日本死ね』という言葉を取り上げ、待機児童問題について安倍首相に鋭く切り込み、一躍時の人となる。そして民主党の幹事長へ……という矢先に、自らのスキャンダルで失脚をしてしまった。A氏の支えもあって、順調にステップアップしてきた山尾議員。彼女のサクセスストーリーは「誤解を生じさせるような行動」(会見でのコメント)で終わろうとしている。