つんくを救った愛娘の言葉「パパが歌えないなら私が歌う」
音楽に乗って、目いっぱいオシャレをした親子が思い思いにダンスフロアを舞い踊る。『LOVEマシーン』や『ズルい女』が流れると、ひときわ大きい歓声がフロアに響き渡った。
14年10月、つんくは喉頭がんのために声を失った。
「健康であることにこしたことはないでしょう。でも、がんを受け入れて生きることで、学んだこともありました」
真っ先に思い浮かぶのは、家族の顔だ。
「ちょっとした一言に救われました。声帯摘出後に、思うように妻に気持ちを伝えられなくて、イラっとすることもありました。でも、そんなときに子どもが『パパがやりたいこと、今、わかるよー』って“通訳”してくれるんです。
娘が『パパが歌えないなら、私が代わりに歌えばいいでしょ』って言ってくれたときも、うれしかったなあ」
昨年から、つんくと家族はハワイに生活の拠点を移した。ハワイでの生活で、音楽に対する考え方も変わったという。
「子どもの誕生会なんでしょうか。休日のビーチなんかでは子どもたちとその両親やなんかが集まって、BBQを楽しみながら結構な音量で音楽やダンスを楽しんでいるのをよくみかけます。