「生業を返せ!」最大の原発訴訟、原告たちの訴え(前編)
「放射能汚染について、いまも心配はあります。でも、魚屋が魚を売らないと生活できない。だから、店で地元の魚を売るときは、不安を心に封じ込める習性が身についた。自分が魚を食べるときも同じ。心配していたら、辛くてここで生きていけない。けど、そんな自分のことを、ズルいと責めることもあるんです」
そう、心情を吐露するのは、「『生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!』福島原発訴訟」(以下、生業訴訟・※)の原告団長の中島孝さん(61)だ。
生業訴訟とは、福島第一原発事故の被害者が、国と東電を相手どって起こしている全国最大の集団訴訟。原告数は、福島県と近隣県への避難者を合わせて、3,824人(結審時)にのぼる。
10月10日に福島地裁で判決がでる。
原告団長の中島さんは、原発から北へ約44kmに位置する相馬市で家族や親戚とともに、地元に密着した『ナカジマストア』を営む。
「1984年に両親が創業しました。両親は、相馬港から水揚げされた魚をトラックいっぱいに積んで、30年間、福島市まで行商していたんですけど、行商は天候に左右されるからと、店を構えたんです」