元ドロンズ大島「借金、糞尿まみれ…」地獄の介護生活を告白
そんなさなかの今年4月、母の容体が急変する。
「5月に、“余命3カ月”と宣告されて覚悟しました。でも、それでやさしくなれたというか、一緒にいる時間を大切にしようと、2日に1回は施設まで会いに行っていました。会話もだんだんできなくなり、寝ている母の手を握っていました。どうしたら喜んでもらえるかと、おふくろの誕生日に僕の子どもを連れていったり。まだ、元気なころの母は介護士さんに『知ってる?うちの息子』と自慢してたらしい。それを聞いて、うれしかったですね。亡くなる間際も、『買い物に行かなきゃ。
直也のご飯作らなきゃ』って。こんな状態でもまだ僕のことを心配している……切なかったです」
7月に入り、母は水も飲めない状態に。大島は「葬儀屋さんを探してください」と施設から言われてしまう。
「めちゃくちゃつらかったですね。精神的におかしくなりました。葬式の準備をしながら、母の面倒を見ている矛盾。まるで2人の自分がいるようで、引き裂かれる思いでした」
7月8日、危篤の知らせが来た大島は、遠くから駆けつけた姉と共に施設の母の元へ。