がんで逝った母の言葉胸に…演歌歌手・丘みどり臨む初の紅白
と呼ばれるように。
地元の高校を卒業後、アイドルグループ「HOP CLUB」のメンバーとして芸能界デビューするが、「演歌を歌いたい」との思いからアイドル活動をやめ、音楽の専門学校で基礎から勉強し直すことに。その後、カラオケ番組に出演したことがきっかけでスカウトされ、’05年、20歳のときに再デビュー。だがデビュー翌年、実家の父から電話が……。
「母が大腸がんで、余命半年だというのです。ほかの場所にも転移していて、手術してもどうにもならないと……。母は私には元気そうにふるまっていたので、信じられませんでした。お仕事をお休みして、実家に戻り、つきっきりで母の看護をすることにしました」
そんな状態なのに、母は最後まで厳しかった。
「特に『お世話になった方々には、きちんと挨拶しなさい』とか、礼儀に関することはいろいろ教えてもらいました。少しでも長く母に生きてもらいたかったので、『私、絶対に紅白に出られるような歌手になるから。それまでちょっと待っていて』と母に言いました。