くらし情報『浅野忠信の母 不良少女から母、そして画家に』

浅野忠信の母 不良少女から母、そして画家に

の長女として神奈川県横浜市に生まれた。

順子さんが4歳のとき、父に祖国への転属命令が下る。オバリングさんは妻子を連れての帰国を望んだが、イチ子さんは悩み抜いた末、それを拒んだ。のちに、母は娘に「お母さん、あのとき意気地がなかった」と頭を下げたという。オバリングさんが帰国してしまって数年後。母娘は三重県の親戚を頼り、身を寄せた。

「いなかの小学校に転校したら、周りの子は素足にちびたげただった。そこへ、革靴履いた茶髪の子が来ちゃったら目立つよねぇ。
ハーフの多い横浜ではほとんどなかったいじめに遭った。『アイノコ!』なんて呼ばれて、石投げられたりもしたな」(順子さん)

でも、順子さんはそんなことでは負けなかった。

「私、こんな性格だからさ。いじめられて泣いた記憶がないんだよね。どっちかっていうと、石を投げ返してたと思う。ごめんね~、お涙ちょうだいのいい話がなくて(笑)」(順子さん)

その後、横浜に戻り、順子さんは地元・神奈川の私立高校に進学。そのころから、夜遊びざんまいの生活を送るようになる。米兵が持ち込む最先端の音楽とファッション……’60年代の横浜は、多感な少女が飛びつきたくなる刺激に満ちあふれていた。

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