椎名林檎、全国ホールツアー『椎名林檎 党大会 令和八年列島巡回』のオフィシャルライブレポート到着
Photo:太田好治
椎名林檎が2026年3月17日から5月28日にかけて、全国ホールツアー『椎名林檎党大会令和八年列島巡回』を開催した。
2024年10月から12月にかけて行われた全国ライブツアー『(生)林檎博’24―景気の回復―』は埼玉・さいたまスーパーアリーナでの3公演を含むアリーナクラスの会場が中心となっており、総勢30名を超える演奏家に加え、ふたり組のダンサーSISと中嶋イッキュウ、DAOKO、もも(チャラン・ポ・ランタン)も参加。さらに、ファッションデザイナーの神田恵介による衣装、UFOや巨大な貝をモチーフにしたベッドなどの美術、児玉裕一監督が手がけたSF映画のような映像、その映像とシンクロする照明といった大かがりな演出によって、ドラマと音楽の融合が果たされた総合芸術——いわばクリエイティブの“博覧会”のような様相を見せていた。
一方で、本ツアーに名付けられたタイトルは『党大会』である。前回の『党大会』が開かれたのは2013年11月。『椎名林檎 十五周年 党大会 平成二十五年神山町大会』と題し、デビュー15周年を記念したコンサートとして、東京・渋谷Bunkamuraオーチャードホールで5日間にわたって開催された。クラシックやバレエ、オペラなど、観客が座って観覧することを想定して設計されたホールで、演奏は斎藤ネコ率いる9人編成のアコースティックなアンサンブルとなっていた。ワーグナーで言えば、『林檎博』はオペラの大作「ニーベルングの指環」で、『党大会』は小編成の室内オーケストラ「ジークフリート牧歌」くらいの違いがある。
純粋に音楽そのものをたっぷりと堪能するコンサート。それが、『党大会』である。
東京限定だった2013年以来、13年ぶりにして、日本列島の各地を回ることになった今回も『党大会』に相応しく、音響に定評のある全国のホールが厳選され、東京公演は新日本フィルハーモニー交響楽団の本拠地であり、音楽演奏を主目的に設計された、東京・すみだトリフォニーホールで行われた。舞台と客席が一体となったオープンステージの正面には国内最大級のパイプオルガンが聳え立っており、当然ながらスクリーンは設置されず、セットもなし。開演時間になると、石若駿(ds)、鳥越啓介(ba)、名越由貴夫(g)、林正樹(pf / key)からなるバンドメンバーに続き、村⽥陽⼀(tb)、⻄村浩⼆(tp)、⼭本拓夫(ts、fl)の3管編成のホーンセクション、吉⽥宇宙(vl)、名倉主(vl)、奥⽥瑛⽣(va)、林⽥順平(vc)の弦楽カルテットがステージに上がり、観客は大きな拍手で迎えた。やがてクラシックのコンサートのような静寂が訪れる中、鳥越のコントラバスを加えた弦楽器五重奏がシンフォニックなハーモニーを奏で始めると、王冠のようなヘッドドレスを被り、ブラックのケープを羽織った椎名が登場し、横歩きでゆっくりとステージ中央へと足を進めた。
オープニングを飾ったのは、2003年2月にリリースされた3枚目のアルバム『加爾基 精液 栗ノ花』収録のワルツ「ポルターガイスト」。電車に乗って“君”に会いに行く “僕”の心情を綴った幻視的恋愛譚。
<君だけに是を唄ひます。>とコンサートの始まりに相応しいフレーズに続き、椎名はスライドホイッスルを操って、幽霊の登場をも想起させる、哀愁のある旋律を届けた。両手を広げて深々とお辞儀をすると、続いて、栗山千明に提供した、恋する女の子の気持ちを歌ったバラード「おいしい季節」へ。今度は一転して、エレキギター、エレキベース、エレクトリックピアノにドラムというバンド編成で、スタンドマイクで歌唱した椎名の歌声には部分的にユニゾンの声素材が添えられ、ふんわりとホイップクリームのような印象を醸していた。アウトロでスムーズながらも力強いストリングスが加わり、ギターソロが始まると、椎名は頬に両手を当てた後で<どうして君はひとりしかいないの>と歌いながら黒のケープを脱ぎ、白いブラウスに黒のトラウザーズ姿となった。
1999年にともさかりえに提供した「カプチーノ」では心の鐘を鳴らすかのようにチューブラーベルをチャイムマレットで叩きながらホーンセクションと合奏。コケティッシュでチャーミングな歌唱で観客の心も弾ませると、同年リリースの1stアルバム『無罪モラトリアム』収録の「茜さす 帰路照らされど…」では一転して、アーバンソウルのようなムードの中で、恋に落ちた喜びではなく、切なさを表現。そして、石若によるドラムソロから、再び、ともさかりえ「少女ロボット」のセルフカバーは、アップテンポのジャズへとアレンジし、椎名は扇で口元を隠しながら囁くように歌唱。
ハードバップ時代のジャズメンのような熱い演奏からアフロキューバンのリズムを挟み、東京事変「化粧直し」は、アコギとオルガン、コントラバス、ブラシ奏法のドラムがボサ・ノヴァのリズムを奏で、スタンダードナンバー「cry me a river」では、孤独感の際立つピアノの独奏に哀しく唸るようなヴォーカルを重ねると、ストリングスとホーンも加って、サウンドのスケール感はダイナミックに拡大。椎名は床にペタンと座り込んで歌い切ると、一旦ステージを後にした。川ができるくらい泣き明かした失恋ソングをもって第一幕は終了した事になる。
ここで、ナレーションによって本公演が「前回とは打って変わって、苦味に焦点を当ててお送りしております。苦いといっても様々です。今回は思い切って、いわゆるラブソングのみに絞りました」とテーマが明かされ、「作詞の上で私が苦手としているモティーフでもありますけれど、15歳からつい先ごろまで、都度、一所懸命に書いた作品たちです。今、生身の私なりにお届けしたいところ」と意気込みが語られ、演奏家の紹介に続き、「11名と私、林檎による、苦味の大人の党大会」であることが告げられた。
そして、他アーティスト作品への客演や他プロデューサーとの共作楽曲のみを収録した最新アルバム『禁じ手』に収録されたBIGYUKIとのコラボ曲「秘め初め」ではエレクトリックなアップライトベースによるイントロから、椎名の歌声をオケで流した上で、ピアノとドラムが凄まじいインタープレイを繰り広げ、サイケデリックでカオティックな雰囲気で場内を染め上げた。
向井秀徳との「SI・GE・KI」ではドラが鳴り響く暗闇の中から、月桂樹の葉をモチーフにしたヘッドドレスとウエディングを想起させるスパゲッティストラップのグリーンのドレスを身に纏った椎名が再登壇。ミュートトランペットによるリフレインが空間を切り裂き、赤・白・黄のライトがせわしく明滅するステージで合掌すると、観客からは拍手が沸き起こった。そして、艶やかなジャズバラードにリアレンジされた「おこのみで」から、スキャットのような速いパッセージのヴォーカルとテナーサックスのソロによって観客の熱量がグッと引き上げられた「迷彩」へ。さらに、英語歌詞のジャズナンバーとなった「錯乱(TERRA ver.)」、林原めぐみに提供したラテン歌謡「薄ら氷心中」と、やりきれない出来事に心が引き裂かれていく楽曲を立て続けにプレイ。自由自在にテンポを変化させたスタンダードナンバー「take five」のアウトロの5拍子から、続く次曲のイントロの5拍子をシームレスで繋いだ「TOKYO」で<ああしんどいわ>と嘆くと、16cmヒールのパンプスのレッドソールが見えるほどふらつき、頭を抱えながら歌いあげた椎名は、最後にマイクを床に落として、狂乱に満ちたひとつの恋を締めくくった。
バンドメンバーとホーン隊がステージを去ったあと、椎名はパウダーピンクのガウンを羽織ってピアノの前に座り、バレエダンサーの首藤康之に密着したドキュメンタリー映画のテーマソングとして書き下ろしたインストナンバー「Between Today and Tomorrow」を演奏。ストリングスとの会話を楽しむかのようにピアノを弾くと、「はぁ……」というため息とガウンを残してステージから姿を消した。赤いジャージに着替えたバンドメンバーによる「覚め醒め」を挟み、ライブは第2幕から第3幕へと突入していく。
ハートのようなチェリーケーキをモチーフにしたヘッドドレスを被った椎名は、三宅純とのコラボ曲でフランス語歌詞の「至宝」でベージュのコートを脱ぐと、赤いドレスに赤いパンプス、赤いグローブという全身を赤一色のルックでお目見え。前述の『禁じ手』のジャケット中央にも赤い正方形が描かれていたが、大人の苦いラブソング群における“赤”とはどんな感情を象徴する色なのだろうか(筆者は恋人に会いたい一心で放火して火刑に処された八百屋お七を想起していた)。さらに、「至宝」で手にしていた赤いパラソルは、ローズマリー・クルーニーの歌唱で知られるスタンダードナンバーをタンゴ調にした「パパイヤマンゴー」で赤い扇子に持ち替えられると、観客も一体となって旗を振り、その様子を見た椎名は「お美しい!」と声を上げた。椎名がサンバホイッスルを鳴り響かせ、投げキッスを送った「松に鶴」、再びチャイムを鳴らした「公然の秘密」とラテンナンバーを続けると、ジャズアレンジした唱歌のような「色恋沙汰」では、軽やかなサウンドながらも最後の<あなた>というフレーズで観客の視線とグッと引き寄せる、なんとも言い難い表情を見せた。
<赤い朝>を迎える「赤道を越えたら」、赤い扇子で顔を隠して歌ったフランス語歌詞の「マ・シェリ」とトロンボーンソロと椎名の悦びに満ちた笑顔も際立ったラテンナンバーを立て続けに披露し、ライブはいよいよクライマックスへ。本編のラストは2009年に発売された4枚目のアルバム『三文ゴシップ』収録のピアノバラード「旬」。「お目にかかれて嬉しかったです。」との感慨を伝えた彼女は、<生きて/生きて/活きて居よう>というメッセージを観客に送ると、今度はマイクをステージにそっと置き、静かで穏やかな足取りでステージを去っていった。
アンコールの拍手に導かれた椎名は、グッズTシャツにオレンジとグレーのバイカラーのスカートを合わせ、スカーフを真知子巻きにした姿で再びステージに登場。
「あと少し、ご一緒させてください」と語りかけ、英語歌詞の「茎(STEM)」を久々に歌唱した。激しく恋焦がれるような、それでいて誰にも依らない自由さも感じるアンニュイな音像を描くと、「ジユーダム」ではステージが、この日のLIVEにおいて、最も明るい状態となり、まさに舞台と客席が一体となった空間で、椎名は鐘を鳴らし、踊ったり回ったりしながら<愛し愛されて食べて飲んで/生きていりゃもう御の字>というフレーズを観客と共有した。会場全体が明るく楽しく幸せな空気で満たされる中で椎名は華麗に走り去り、ピアノがドラムが一度ではなく、二度に渡って激しく締めると、場内からは万雷の拍手喝采があがった。椎名林檎名義、東京事変名義、他アーティストへの提供曲と様々な作品から選曲された楽曲で構成されたライブとなっていたが、どの曲もスタンダードナンバーのように時を経ても色褪せない普遍的な魅力を湛えていた。苦味を知っている大人の演奏家たちは、キャリアを重ねた今、現在の自分がスタンダードナンバーをカバーするなら?このメンバーで演奏するなら?という感覚でいたのではないかと思う。良い楽曲と良い演奏。それだけがあれば十分だと再確認させられたライブであったが、オペラやバレエ音楽のような楽劇もまた椎名の一面であり、その両面が循環していくことで、スタンダードナンバーとしての強度を上げていくのだろうと想像している。
Text:永堀アツオPhoto:太田好治
<公演概要>
『椎名林檎党大会令和八年列島巡回』
2026年4月30日・5月1日 東京・すみだトリフォニーホール