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漫画家・鹿子さん死去 37歳 脈絡膜悪性黒色腫で闘病 ヤングマガジン『満州アヘンスクワッド』連載中

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漫画家・鹿子さん死去 37歳 脈絡膜悪性黒色腫で闘病 ヤングマガジン『満州アヘンスクワッド』連載中

漫画『満州アヘンスクワッド』コミックス第1巻


漫画『満州アヘンスクワッド』(原作:門馬司)の作画担当で知られる鹿子さんが、11月8日に脈絡膜悪性黒色腫のため亡くなった。37歳だった。連載誌『ヤングマガジン』編集部が22日に発表した。

鹿子さんは以前から闘病中で、今年10月27日に同作の連載について「昨年末、他臓器への転移が確認され、これまでなんとか治療と連載を両立してきましたが今回治療に専念するため不定期連載にさせて頂くという判断に至りました」と伝えていた。

そんな中で今回、編集部は「『満州アヘンスクワッド』の漫画担当である鹿子先生が2025年11月8日に脈絡膜悪性黒色腫のためご逝去されました。37歳でした。鹿子先生の素晴らしいご活躍に感謝と敬意を表すると共に、心よりご冥福をお祈りいたします」と報告した。

今後の掲載については「鹿子先生からは生前に『自分の身に何かあった場合は代筆の方を立てて物語を完結させてほしい』という言葉を預かっておりました。
代筆をお願いする方については未定ですが、編集部として鹿子先生の想いを継ぎ『満州アヘンスクワッド』を完結まで導いていく所存です。今後の『満州アヘンスクワッド』につきましては、ヤングマガジン本誌ならびに作品公式Xにて告知させていただきます」と伝えた。

『満州アヘンスクワッド』は、「満州で一番軽いものは、人の命だ」。昭和12年を舞台に関東軍の兵士として満州にやってきた日方勇が、戦地で右目の視力を失ってしまう。「使えない兵隊」として軍の食糧を作る農業義勇軍に回され、上官に虐げられる日々を送るも、ある日農場の片隅でアヘンの原料であるケシが栽培されていることに気づく。病気の母を救うためアヘンの密造に手を染める勇だったが、その決断が自身の、そして満州の運命を狂わせていく…というストーリー。

『コミックDAYS』(講談社)にて2020年4月から連載がスタートし、2021年9月より『週刊ヤングマガジン』に移籍して連載を再開させていた。

脈絡膜悪性黒色腫は、ぶどう膜(脈絡膜、毛様体、虹彩)悪性黒色腫に含まれ、成人の眼球内に生じる悪性腫瘍です。
国内の発症は年間50名程度と推定されている希少ながん。初期ではあまり症状がないが、進行すると視界が欠ける・ぼやける・歪むなどを自覚するようになる。腫瘍の大きさにより治療方法が異なり、進行して腫瘍が大きい場合は眼球摘出となるが、そうでなければ小線源治療や粒子線治療など放射線治療による眼球温存治療も選択が可能、(国立がん研究センター希少がんセンターの公式サイトより引用)。

■編集部よりコメント全文
2025年11月8日10時38分、漫画家の鹿子先生が脈絡膜悪性黒色腫のためご逝去されました。37歳でした。

鹿子先生は原作者の門馬司先生と共にタッグを組み、『満州アヘンスクワッド』を2020年4月よりコミックDAYSにて連載開始、2021年9月よりヤングマガジンに掲載誌を移し、その卓越した画力と丁寧な描写力で素晴らしい作品を世に送り出してきました。

編集部一同、心より鹿子先生のご冥福をお祈り申し上げます。また、ご遺族の皆様には心よりお悔やみを申し上げます。
なお、葬儀は関係者のみで執り行わせていただいたことをご報告いたします。

鹿子先生からは生前に「自分の身に何かあった場合は代筆の方を立てて物語を完結させてほしい」という言葉を預かっておりました。代筆をお願いする方については未定ですが、編集部として鹿子先生の想いを継ぎ『満州アヘンスクワッド』を完結まで導いていく所存です。今後の『満州アヘンスクワッド』につきましては、ヤングマガジン本誌ならびに作品公式Xにて告知させていただきます。これまでの読者の皆様のご愛顧に深く感謝いたしますと共に、謹んで逝去のご報告をお知らせ申し上げます。

■原作:門馬司コメント全文
「もう鹿子先生の描く世界を見られない」
頭にあるのはずっとその悲しみです。毎週ネームと原稿で語り合っていた大切なパートナーを失ったつらさは、言葉では表現出来ません。鹿子先生とは年齢も近く作家として歩んできた苦労の道も似ていたので、お互い相手をとても信頼して作品に向き合っていたと思っています。
「満州アヘンスクワッド」は鹿子先生の作品だと感じているぐらい、僕は感謝しています。

最後にお会いした時、病状が深刻な状態でありながらも作品のこの先のことを考え、心配して下さっていたお姿をよく覚えています。生涯共にタッグを組み、色んな作品を作りたかった。もっともっと、鹿子先生の描くキャラを、世界を見たかった。それを思うと本当に無念です。しばらく茫然自失とした時を過ごしていましたが、今は鹿子先生と作り上げた「満州アヘンスクワッド」という作品を何としても完成させなければという強い気持ちを持っています。それが鹿子先生への追悼であり、天国の先生が喜んで下さると信じて。

鹿子先生、出会って下さり、『満州アヘンスクワッド』を作って下さり、本当にありがとうございました。
共に制作に向き合った強い絆を永遠に忘れることなく、歩んでいきたいと思います。

■作品担当者コメント全文
心の底から尊敬できる、偉大な作家でした。はじめて鹿子先生にお会いしたのは、2019年12月。『満州アヘンスクワッド』の原作ネームを手に、新宿のルノアールで緊張しながらお話しした日の空気を、今も鮮明に覚えています。

あれから6年間担当として作品に伴走させていただき、多くの喜びを共にしました。連載開始前、キャラクターデザインを何度も練り直して、素晴らしいものにしてくださったこと。第2話の見開きでネームから大胆に構図を変え、読者の度肝を抜く最高のシーンを描いてくださったこと。第1巻が発売直後に重版となり、電話で喜び合ったこと。
ときにお互いの家族の話をしたこと。本誌へ移籍した際、記念にすてきなイラストを描いてくださったこと。9巻で100万部を突破し、満州チームでステーキを囲んで喜び合ったこと。インタビューで作画の仕事を「天職」と言ってくださったこと。そして累計300万部に到達し、大ヒット作となったこと…どれもかけがえのない思い出です。

鹿子先生にはお茶目な一面もあり、「今回、白木さんと森さんを原稿に描いておきましたよ」と、担当編集をアヘン中毒者の1人として登場させてくださったこともありました。その遊び心も忘れられません。どれほど作品が大きくなっても、鹿子先生は変わらず朗らかで、音楽やお笑いの話を気さくにしてくださる優しい方でした。
打ち上げで一緒した際、歴代担当のアオリ文で印象に残ったものを尋ねたら、少し呆れたように笑われたことも懐かしい記憶です。

アシスタントさんへの気配りも深く、週に一度は外で遊ぶ時間を設けたり、麻雀がしたいスタッフのために雀卓を購入したりと、その面倒見の良さは誰もが知るところでした。

ご病気が見つかってからも『描いていた方が楽なんです』とおっしゃり、休載を挟みながらも作品と向き合い続けてくださいました。先生の原稿は、まるでその土地の匂いや湿度まで感じられるほどの臨場感があり、感想を送ろうとすると自然と長文になってしまうほどでした。どのキャラクターにも命が宿り、モブキャラでさえ個性が際立つ、鹿子先生の筆が生む圧倒的なリアリティに、何度も震えました。これから先、鹿子先生のいない世界をすぐに受け入れることはできません。『満州アヘンスクワッド』の文字や鹿子先生の絵を見るたびに、きっと先生の姿を思い出すでしょう。偉大な作家のあまりに早い旅立ちに、深い悲しみを覚えています。

『満州アヘンスクワッド』を最後まで描き続けてくださったこと。そして6年間、ともに歩ませていただいたことに、心より感謝申し上げます。どうか安らかにお眠りください。鹿子先生、本当にありがとうございました。

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