報道写真家・石川文洋さん死去、88歳 『戦場のボヘミアン』河邑厚徳監督が追悼「巨木を失った悲しみ」
報道写真家・石川文洋さんと河邑厚徳監督
ベトナム戦争などを取材した報道写真家の石川文洋さんが8月23日、悪性リンパ腫のため長野県茅野市の病院で死去した。88歳だった。石川さんの生涯を追ったドキュメンタリー映画『戦場のボヘミアンカメラマン 石川文洋』(11月28日公開)を手がけた河邑厚徳監督が、追悼コメントを寄せた。
河邑監督は「石川文洋さんが亡くなられて、巨木を失った悲しみに言葉を失った。戦場では何度も死にかけて、そのたびによみがえった不死身の戦場カメラマンが世界から喪われた」と悼んだ。
石川さんは、太平洋戦争が始まった1941年に一家で沖縄から本土へ移住。1964年、わずか27ドルを手に日本を出て、香港を経由して南ベトナムのサイゴン(現ホーチミン)へ渡った。27歳になる前日に撮影した、銃撃された米軍少佐の写真がAP通信を通じて世界に配信され、国際報道カメラマンとして歩み始めた。
1968年の一時帰国後には、ベトナムで取得した米軍プレスカードを生かして沖縄の米軍基地を取材。ベトナム戦争の後方基地としての沖縄を記録した。1979年にはポル・ポト政権崩壊後のカンボジアに入り、大虐殺の実態を伝えた。
68歳の時に心筋梗塞を発症し、第一種身体障害者となった後も活動を継続。約10ヶ月をかけ、3500キロに及ぶ日本縦断の旅を踏破したほか、沖縄・辺野古で10年以上にわたって撮影を続けた。
ロバート・キャパ、沢田教一、一ノ瀬泰造ら多くの報道写真家が戦地で命を落とす中、幾度も死線をくぐり抜けて生還した“神話的存在”として知られた。日本写真協会年度賞、日本雑誌写真記者協会賞、日本ジャーナリスト会議(JCJ)特別賞などを受賞したほか、ベトナム政府から文化通信事業功労賞を贈られている。
石川さんについて河邑監督は「戦争の真実を全エネルギーをかけて記録した伝説のジャーナリスト」と表現。
「世界は戦争を続けて、終わることがない。その愚かさを文洋さんの渾身の写真が告発している。平和のバトンを残された私たちが受け継がなくてはとの覚悟がある」とつづった。
映画の取材は、2018年7月の北海道・宗谷岬から始まり、2025年4月30日のベトナム・ホーチミンまで約7年に及んだ。ベトナム戦争終結50年にあたる2025年、石川さんは同国政府から式典に招かれ、最後の海外旅行となったホーチミン再訪を果たしている。
河邑監督は「改めて2025年のベトナム戦争の終結の日に、ホーチミンで飲んだビールを思い出している」と回想。「映画が完成した。どのように見て下さるだろう。
文洋さんの墓前に掲げ、やさしい笑顔をもう一度見たい。旅立たれた文洋さんに感謝しても感謝しても足りない。ありがとうございました。世界が平和になる日まで見守ってください」と呼びかけた。
『戦場のボヘミアンカメラマン 石川文洋』は、9度にわたって死の危機に直面しながらも撮影を続けた石川さんの生涯と、戦争の目撃者としての使命に迫る作品。俳優の滝藤賢一がモノローグ、元NHKアナウンサーの山根基世がナレーション、声優の竹本英史が朗読を担当する。
■河邑厚徳監督のコメント(全文)
石川文洋さんが亡くなられて、巨木を失った悲しみに言葉を失った。戦場では何度も死にかけてそのたびによみがえった不死身の戦場カメラマンが世界から喪われた。
私は50年以上もドキュメンタリーを作ってきたが、文洋さんの誠実で優しい人格に魅了され続けた。改めて2025年のベトナム戦争の終結の日に、ホーチミンで飲んだビールを思い出している。
世界無銭旅行からサイゴンに行って、文洋さんは生涯のテーマを見つけた。戦争の真実を全エネルギーをかけて記録した伝説のジャーナリストだ。世界は戦争を続けて、終わることがない。その愚かさを文洋さんの渾身の写真が告発している。
平和のバトンを残された私たちが受け継がなくてはとの覚悟がある。本作の取材は2018年7月の北海道宗谷岬から始まり、2025年の4月30日のホーチミンまで7年に及んだ。
映画が完成した。どのように見て下さるだろう。文洋さんの墓前に掲げ、やさしい笑顔をもう一度見たい。旅立たれた文洋さんに感謝しても感謝しても足りない。ありがとうございました。世界が平和になる日まで見守ってください。