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【スピードスケート】小平奈緒が遺した五輪レガシー 平昌の金メダルと友情の物語

2018年平昌五輪のスピードスケート女子500mで、小平奈緒は日本女子スピードスケート史上初の金メダルを獲得した。しかし彼女が世界に示したのは、記録や勝敗を超えた、スポーツの本質的な価値だった。韓国のイ・サンファとの抱擁は、国境を越えた友情の象徴として、今も多くの人々の心に刻まれている。

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4大会連続出場の軌跡
小平のオリンピック挑戦は、2010年バンクーバー大会から始まった。この大会では女子団体パシュートで銀メダルを獲得。個人種目では500mで12位に終わったが、世界の頂点を目指す覚悟を固めた。
2014年ソチ大会では500mで5位入賞。メダルには届かず。
しかしこの挫折が転機となった。ソチ後、オランダに2年間のスケート留学を決断。勝負への執着心を磨き直し、技術を徹底的に見直した。
その集大成が、平昌2018だった。500mで36秒94のオリンピック新記録を樹立し、31歳での金メダル獲得だった。1000mでも銀メダルを獲得し、日本女子スピードスケート界に新たな歴史を刻んだ。
最後の舞台となった北京2022。大会直前の負傷の影響で本来の力を発揮できず、500mで17位、1000mで10位に終わった。
4大会連続出場の最後は涙を飲む結果となったが、挑戦を続ける姿勢は多くの人々に勇気を与えた。

イ・サンファとの国境を越えた友情
平昌五輪女子500m。地元韓国のイ・サンファが3連覇を目指す舞台だった。しかし小平が金メダルを獲得し、イの夢は叶わなかった。
レース後、涙を流すイに小平が寄り添い、肩を抱いてウィニングランを共にした。この光景は、世界中に感動を与えた。2人は10年以上リンクで競い合い、互いに尊敬し合うライバルであり、親友だった。
小平は記者会見で、W杯ソウル大会で初優勝した際、連勝を止められたイが、急いで帰国する小平のためにタクシーを呼んでくれたエピソードを明かした。
勝敗を超えた絆が、平昌の抱擁を生み出していた。
IOC会長のトーマス・バッハは閉会式で、フェアプレーと友好を体現した選手として小平に言及。2019年には、平昌記念財団から2人に「韓日友情賞」が授与された。

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引退後の活動と次世代への継承
2022年10月22日、小平は全日本距離別選手権大会の女子500mを優勝で飾り、現役を引退した。引退後は母校の信州大学で特任教授に就任。キャリア形成や健康科学に関する授業を担当し、自身の経験を学生たちに伝えている。
同時に相澤病院のブランドアンバサダーとして、地域と人をつなぐ役割を担い、スポーツを通じた社会貢献に取り組んでいる。引退会見では「スポーツはいつ始めても、いつやっても、いつやめてもいいもの」と語り、競技だけでなく、スポーツの本質的な価値を伝え続けている。

国内外の大会で37連勝を記録するなど、第一線で活躍し続けた小平。その競技人生で培った経験と、フェアプレー精神は、次世代のアスリートたちに確実に受け継がれている。

記録や勝敗を超えた、スポーツの価値を世界に示した小平奈緒。彼女が遺したレガシーは、これからも多くの人々の心を照らし続ける。

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