私は里帰り出産をしました。実母は私の妊娠がわかってから大変喜んでくれ、出産を心待ちにしてくれていました。しかし、普段から家事を嫌う実母は特に料理が苦手で、私の産後の肥立ちを考え栄養バランスの良い食事を作ることや、頻繁に汚れる孫の肌着の洗濯などが重荷になっていったようでした。 日に日にイライラしていく実母産院から退院して3日を過ぎたころから実母の様子が変化していきました。家事をするたびにため息をつくのです。私は出産時に会陰切開をしていて、座ったときに特に痛みがあり、退院後も続いている状態でした。実母にすべて頼ってしまって申し訳ないと思いましたが、なかなか自分の思うように体を動かすことができなかったのです。 実母は私や孫の世話で疲れてしまったのだろうと思い、その後は自分でできることは自分ですることにしました。しかし、外出はまだ控えていたため、買い物は引き続き実母にお願いしていたのですが、それも負担だったようです。実母から買い物が大変だと毎日のように言われるように……。 今は実母に甘えていいの?生後1カ月を過ぎたころに、保健師さんの新生児訪問が実家でおこなわれることに。わが子は順調に成長していると話があり安心したのですが、保健師さんから「産後を実家で過ごせるのはとても恵まれている。自宅に戻ったら家事・育児で忙しくなるから、今のうちにお母さんにたくさん甘えなさい」と言われ、実母はその会話を笑顔で聞いていました。また、保健師さんは実母に「娘さんとお孫さんのお世話は大変だと思いますが、お任せしますね。お母さんがいれば私たちも安心です!」と言っていました。 早く自宅に帰ってほしいと言われ…保健師さんから言われた「今のうちにお母さんに甘えなさい」という言葉が気になっていました。現状、私は甘えることができないのです。実母が疲れないようにできるだけ家事をしていたので、私もどんどん疲れていきました。そのうちに、わが子も泣く頻度が増え、私は1日中抱っこすることが増えていきました。そして、実父から「母さんがおまえたちの世話でとても疲れている。早く自宅に帰ってほしいと言っている。母さんがおまえに面と向かって言えないから俺から言った」と告げられたです。 果たして実母の本心は?正直ショックを隠し切れませんでした。そして、同時にそれは実父からではなく、実母から直接話してほしかったと思いました。その後、実母と話をすることに。実母は「父さんは母さんを気づかって言ってくれたけど、まだ実家にいていいのよ」と言うのです。 しかし、実母の本心としては、きっとかなりの負担があったのではないかと思います。そのため、私は産後1カ月が過ぎたころ、自宅に戻ることにしたのです。 里帰り出産は、実家で気兼ねなく心身共に休めるものだと思っていました。しかし、私が年齢を重ねた分、実母も年齢を重ねたということ。実家への滞在中、実母の体力が以前よりなくなっていると感じました。今後、子どもの世話などで実家を頼りたくなることもあると思います。そのときは、実家によく相談をして、無理のない範囲でお願いしたいと考えています。 イラストレーター/まっふ 著者:神崎 ハナ2児の母。発達障がい児の育児に奮闘中。育児や健康に関する記事を執筆中のライター。教職員や福祉の資格を持つ。
2023年09月25日私が小学生だったときの話です。わが家は両親と私に加えて弟が2人いる5人家族なのですが、女性は私と母の2人だけなので、なんとなく女性ならではの話をしづらい雰囲気がありました。そのため、当時小学5年生だった私は母にあることをずっと秘密にしていて……。 私は小学5年生のときに初潮を迎えたのですが、思春期だったこともあってなんとなく報告するのが恥ずかしく、生理がきたことを母に半年ほど隠し続けました。母と仲が悪いわけではなく、わが家の家族構成は父・母・私・弟2人と男性が多いので、家で「女性ならではの話」をしづらかったのです。 生理については小学校4年生のときに授業で習っていたので、初潮がきたときには「これが生理か」とすぐにピンときましたし、生理用ナプキンを使えばいいということも理解していました。ただ、「トイレに置いてある生理用ナプキンを使ったら母に生理がきたことがバレてしまう」と思った私は、生理用ナプキンの代わりにトイレットペーパーをぐるぐる巻きにして、下着の上に置いて生理期間をしのぐことに。しかし、経血量が多いときはどうしても下着が汚れてしまうのです。下着が経血で汚れてしまったときは、誰にも見つからないように衣類用洗剤でゴシゴシ洗っていました。 母に生理を隠し続ける生活は半年ほど続きました。が、母は以前から薄々気づいていたらしく、ある日「もう生理きてるんじゃないの? なんで言わないの?」と少し怒りながら問い詰められたのです。私は観念して「うん……ちょっと前に生理きた」と答えるしかありません。母は「もっと早く言ってくれたらよかったのに」と呆れながらも「おめでとう」と言い、生理用ナプキンの使い方を教えてくれました。 大人になった今振り返ってみると、そこまで恥ずかしがる必要はなかったのかなと感じますし、初潮がきてすぐ母に報告していれば、経血が漏れるたびに下着を洗うという面倒な習慣も避けられたのかなと思います。思春期ならではのエピソードでした。 原案/ぴぃさん作画/モリナガアメ監修/助産師 松田玲子 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター モリナガアメ
2023年09月24日今回は、出産を控えている女性のエピソードを紹介します。1年前の春に結婚し、夫との子どもを授かった主人公。出産を控え、現在は里帰り中です。1年前の春に結婚出産を控えて里帰り中休みの日に会いにきてくれる夫昔の夢が叶った夫も同じ気持ちのはず…大好きな人と結婚し、出産を控えて幸せいっぱいの主人公。里帰り中も、夫は会いにきてくれていたようですが…。夫から、なにやら不穏なメッセージが届いたようです。一体、何があったのでしょうか。作画:わかまつまい子原案:愛カツ読者編集:愛カツ編集部
2023年09月24日不仲で疎遠だった妹がシングルマザーになって戻ってきた…!?主人公のさえは、大手印刷会社に勤めるキャリアウーマン。母子家庭育ちで妹が1人。幼い頃は仲が良かったが、次第に不仲になり、25歳のときに消息不明に。今では母と2人、静かに暮らしています。妹とはお互い別々の人生を歩むのだろう、と思っていたさえですが、突然母の元に妹のりなから電話が。その電話の内容は、妹が「出産した」という衝撃の内容だったのです。このお話は作者もちさんに寄せられたエピソードをもとに再構成しています。身バレ防止のため、脚色を加えてあります。■前回のあらすじ母とふたりで平和に暮らしていたバリキャリのさえ。ある日、母のもとに一本の電話が。ずっと疎遠だった妹から突然「出産した」と連絡があったのでした。■状況がつかめず焦る母■本来なら嬉しい報告なのに、嫌な予感…「出産した」という妹からの連絡に、混乱する母とさえ。相手は? 結婚は? 状況もつかめず混乱したまま、母は急いで病院へ向かいます。本来なら幸せな出来事であるはずの「出産」。しかし、さえは嫌な予感がし、不安になるのでした。次回に続く「妹は量産型シングルマザー」(全51話)は17時更新!
2023年09月19日■前回のあらすじ悠斗から渡されたお金が少ないと奈々は言うが、どうやら渡されたお金は自分用に散財していたようだった。このままでは母としてやっていけるのか心配になっていたところ、父が「そろそろ帰ってくれないか」と奈々に言う。弟が連れてきた可愛らしくて良い子そうな婚約者。しかし後に彼女は、綾香さん一家を苦しめることにー!?足の悪い母を心配して、夫の幸太郎さんとともに両親と実家で同居することにした綾香さん。そんなある日、弟が結婚することになり、奥さんである奈々さんを連れて実家にへやってきます。最初は可愛くて良い子そうだと思っていた奈々さんでしたが、結婚してすぐにどんどん本性が露わに! 義実家への突然のアポ無し訪問や、ごはん泥棒、両親や綾香さんへ平気で指図するなどやりたい放題で、綾香さんも義母もストレスがたまりだした!? しかし、綾香さんも母も、義妹にモヤモヤしストレスをためながらも、このことを弟に言えずにいました。今まで奈々さんに激甘だったお父さんがついに「帰ってくれ」と一言! これまでやりたい放題だった義妹・奈々さんの行く末はー!? 奈々ちゃんのあまりの横暴ぶりに、父も母も私も耐えられなくなっていました。だけど生まれたばかりのゆめちゃんは、この家を出て行ったらどうなるのでしょう?奈々ちゃんが自分の家に帰り、きちんと育児ができるのか…不安で仕方ありませんでした。それに両親は孫であるゆめちゃんに、もうこの先会えないかもしれないのです…。次回に続く(全20話) ※この漫画は実話を元に編集しています原案・ウーマンエキサイト編集部/脚本・せりママ/イラスト・ まりお
2023年09月18日1枚でサマになるクルーネックTシャツをお探しではありませんか? プチプラアイテムが揃う【ユニクロ】にて、着回しの利く超絶おしゃかわな「クルーネックT」を発見しました! まだまだ続く暑い毎日をTシャツ1枚で快適に過ごしましょう♩1枚でキマるボーダーT出典:Instagramボーダー柄が可愛い「リブボーダークルーネックT」は、コーデの主役になってくれるおしゃかわアイテム。綺麗めスタイルからカジュアルスタイルまで幅広くマッチしてくれる万能Tシャツになっています。クルーネックTはインナー、アウター問わずレイヤードしやすいので、秋口のコーデにも取り入れやすいですね。黒系のレザーアイテムとシルバーアクセサリーを合わせると、綺麗めコーデが完成します◎コーデに取り入れやすいシンプルクルーネックT出典:Instagramホワイト単色でシンプルなデザインの「リブクルーネックT」は、どんなコーデにも合わせやすい便利なアイテムです。凹凸のある生地で肌ざわりもよく、袖丈長めなので肩から腕のラインを綺麗に見せてくれますよ。@kanaripo216さんは、サテンロングスカートとカゴバッグを合わせた夏らしいコーデをご紹介されています。メッシュ編みのカゴバッグはまだまだ暑い毎日にぴったりなアイテムですね♩着回しの利く万能T出典:Instagram毎年大人気商品となりつつある「クルーネックT」。カラーバリエーション豊富かつ、ガシガシ着てもヨレにくいしっかりとした生地なので、多くの人に愛されているのも納得できます。ただ、シンプルTシャツはコーデがマンネリしがち。そんなときは綺麗めアイテムでコーデに変化をつけてみて◎ ストレートシルエットのアンクルパンツやレザー調のサンダルと合わせれば、上品さ満載のコーデが楽しめますよ。お出かけコーデにもぴったり出典:Instagram先ほどの「クルーネックT」は、さっとお出かけしたいときにラフに着られるTシャツです。ツヤのあるサテン生地のロングスカートと組み合わせれば、カジュアルになりすぎず上品さもプラスされたコーデに。袖を折り返して着るとこなれ感が出るのでおすすめです!※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※こちらの記事では@kanaripo216様、@__sua.175様のInstagram投稿をご紹介しております。※記事内の情報は執筆時のものになります。価格変更や、販売終了の可能性もございます。最新の商品情報は各お店・ブランドなどにご確認くださいませ。writer:Sho
2023年09月16日皆さんは、家族の健康に気を配っていますか? 今回は、母が入院することになってしまったエピソードを紹介します。母の異変ある日、実家の母の体調が悪いと、叔父から電話がかかってきました。母は認知症の疑いもあるとのことで、飛行機で私の住んでいる所に来てもらい、一緒に病院に行くことにしました。久しぶりに会う母は元気がなく、疲れた様子。一晩私の家に泊まってもらったのですが、そこで事件が起きました。夜中にトイレの場所がわからなくなり、お漏らしをしてしまったのです。どんどん悪化する母…次の日病院に行き、母は入院して経過観察することに。1ヶ月ほど入院した後、認知症だと診断されました。退院した日に、母に「入院長かったでしょ?」と聞くと「えっ、私はどのくらい入院してたの?」と言ってきたのです。本人は2、3日程度にしか思っていなかったそう。改めて病気の恐ろしさがわかりました。(40代/女性)家族の入院は家族が入院することになると心配ですよね。突然のことに慌ててしまうかもしれませんが、家族が過ごしやすいようにしてあげられたらいいですね。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。(lamire編集部)
2023年09月13日■前回のあらすじ「夫婦でしっかり義母と向き合うべき」と話す実母に反論する菜々子。そこに帰宅した夫が、泣いている妻を見て勘違い。物凄い剣幕で妻のスマホを取り上げ…!?■娘の夫の態度に、母親の反応は?■夫の切実なお願い勘違いとはいえ、しっかり娘を守ろうとしてくれた夫に安堵した様子の菜々子の母。夫は「義母が本当に里帰りしているかどうかを確かめにくる」ことを報告した上で、実家に菜々子と愛菜を泊まらせて欲しいとお願いしてくれて…。唯一の頼みの綱である実家に、泊まらせてもらうことはできるのでしょうか!?次回に続く「私の家に入らないで」(全83話)は21時更新!
2023年09月09日このお話は作者ようみんさんに寄せられたエピソードです。登場人物の名前など、一部脚色を加え漫画化しています。■前回のあらすじNICU(新生児集中治療室)に入っていた赤ちゃんと再会し、生まれてきてくれたことに感謝する。数日後、無事に母子ともに退院。夫が何度も市役所に足を運んでくれて、約2ヶ月後に出生届が受理されたのでした。■産院と陣痛タクシーに感謝■出産は予想通りにはいかないコロナ禍の出産ということもあり、先生や看護師さんには1ヶ月検診のときにお礼を渡しました。陣痛タクシーの方には会うことができずにいたのですが…、お礼のメールを送ると返信が!自宅出産で頭が真っ白になっていた私。陣痛タクシーの方が救急車をすぐ呼んでくれて…、感謝しかありません。娘も無事1歳を迎えることができました。たくさんの方たちが出産に関わって助けてくれたおかげです。妊娠中「あれ?」と思うことがあれば産婦人科へ行ってください。赤ちゃんを守れるのはお母さんだけだと思うのです。長い間読んでくださり、ありがとうございました。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2023年09月08日私の父は冷蔵庫や食品が入っている棚を開けてお菓子を勝手に食べるため、母にいつも怒られています。母がいいかげん何か対策をしなくては……と考えていたところ、またしても父がお菓子を食べてしまいました。しかし、そのお菓子は母にとって特別なお菓子だったようで……。その後、母が父におこなった思いも寄らぬ行動をお話しします。★関連記事:「妻にこうあって欲しい」夫の勝手な思いで夫婦関係が悪化!大喧嘩の末、たどり着いた夫婦のカタチとは勝手にお菓子を食べる父私の父は冷蔵庫や食品が入っている棚を開けて、中においしそうなお菓子を発見すると、誰の許可も取らずに勝手に食べてしまいます。母は自分専用のお菓子を購入して冷蔵庫や食品を入れる棚に保管していますが、事あるごとに父に勝手に食べられていることがあるそうです。その出来事があるたびに母は「なんで勝手に食べたの!?」と父に怒りますが、父は「あったから食べた」と何食わぬ顔でケロッとしているのが日常茶飯事。勝手にお菓子を食べた上に謝ることをしない父に、母はさらに怒る始末……。言っても聞かないのであれば、何か別のいい対策を取らないといけないなと母は思い始めていました。もらい物のお菓子を父に食べられ母大激怒ある日、父がまたしても母が棚に入れていたお菓子を勝手に食べました。しかし、そのお菓子は母が自ら買ってきたお菓子ではなかったのです。そのお菓子は、県外に住む母の姉が母のためにわざわざ送ってくれた老舗のえびせんべいで、母はそれを食べるのをとても楽しみにしていたそう。またしても父に勝手に食べられた上に、自分の姉が送ってくれたえびせんべいを食べられたことで母は大激怒。「私が買ったお菓子ならまだしも、お姉ちゃんが送ってくれたせんべいを食べるなんて許さない!! 絶対に買って返してよ!!」と父に猛抗議したそうです。母の激しい怒りにさすがの父もたじろぎ、今回ばかりは返さなくてはいけないかなと思ったそう。しかし、そのえびせんべいのお店は他県にあるので、県外の人が購入するにはネットショッピングで購入しなければなりません。父は結局ネットショッピングでの購入の仕方がわからず、母にえびせんべいを返すことができませんでした。母の激辛せんべい反撃作戦えびせんべいを勝手に食べられた事件から数日。ネットショッピングでの買い方がわからないからとえびせんべいを弁償してもらえなかった母はとてもイライラしていました。しかもそんな母に追い打ちをかけるように、先日のことをすっかりと忘れた父が、またしても冷蔵庫や棚の中にお菓子がないかと扉を開けるようになったのです。その様子に母は怒りが頂点に達し、とある計画を行動に移します。あくる日、母が用意したものは唐辛子たっぷりの激辛せんべいでした。それも見た目が普通の醤油せんべいとさほど変わらない色をしていているので、初めて見る人は激辛せんべいとは思わずに食べてしまうのではないかと思うようなものです。母はそれを別の袋に移して棚の中にしまうと、何事もなかったかのように洗濯かごを持って洗濯物を取り込み始めました。しばらくして、母の企みに誘われるかのように父が帰宅してきます。父は母が洗濯物を取り込んでいて部屋にいないことをいいことに、冷蔵庫や棚の中をのぞき始めました。そして棚の中に、母が仕掛けた激辛せんべいを見つけ「おっ!なんかおいしそうなのがある~」と言いながら手に取ります。母の企てを見ていた私が「また勝手に棚あさってる。どうなっても知らないよ~」と忠告の意味を含めて言いますが、父は「何が~?」と何食わぬ顔でその激辛せんべいを口にしてしまいました。食べた直後は何ともなさそうに食べていた父ですが、少しして「ん!?うわ~~!! 辛い~~~!!」と叫び始めます。「ほらね」とぼやく私をよそに、父は麦茶を大量に飲み始めましたが激辛せんべいの辛さはそれでも和らぐことはできなかったようです。父はしばらくの間、辛さのあまり「辛い~!!」と言いながら家の中をうろうろしていました。その事のてんまつを母はドア越しから聞いていたようで、外から笑いを必死に抑え込んでいる母の声が聞こえてきます。洗濯物を取り込み部屋に戻ってきた母は、父の情けない様子に大爆笑。その様子を見た父が「何笑ってるんだよ~!!」と辛さに苦しみながら逆ギレしますが、「許可も取らずに人の食べ物を勝手に食べるからこんなことになるんだよ、身から出たさびじゃん。反省したらこういうこと二度としないように!」ときっぱりと言い返しました。まとめその後、自分の行動を反省した父は私の協力を得てえびせんべいを取り寄せ、母に弁償しました。仕返しでスッキリできたのと、一応えびせんべいを弁償してもらったことで、母は怒りを鎮めることができたようです。母は「激辛せんべい騒動」の後、自分のお菓子の袋に「母の名前」と「食べるな」の文字をびっしり書いて対策を取るようにしています。今回痛い仕打ちを受けたこともあって、父はさすがに勝手に袋を開けて食べるようなことはなくなりました。ですが、父はこれまでの習慣で冷蔵庫を開けて食べ物を探す癖が相変わらず残っているため、母は父が冷蔵庫を開けるたびに勝手に人の食べ物を食べないか引き続き監視しているようです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。マンガ/へそ著者/サクラアニメ、イラスト、ゴルフが好きなのんびり屋。自閉症スペクトラムとADHDを持っており人間関係に苦労しがちだが、克服しようと奮闘中。
2023年09月06日私は、2023年の夏に母の初盆を迎えます。大切な人を亡くした悲しみをかき消すように、今日まで葬儀や忌明けなどの法事をバタバタとおこなってきました。初盆を控え、遺品整理やお墓の問題も浮上。年を重ねて自分が残された家族の立場となったことで、私なりの「終活」を具体的に考え始めました。今後のために、できる限り身の回りの整理をしておかなければならないと感じた、私の終活についてお話しします。★関連記事:遺品やお墓、遺産について…もうすぐ70歳の両親が始めた「終活」のリアル遺品整理と掃除の日々10年ほど前だったかと思います。私が子どものころに習い事で着ていた着物を、母が京都の知人に譲ったことがありました。「着物を必要とし、喜んで引き取ってくれるところに着物を渡せてよかった」と笑顔で私に話していました。家族の本や洋服、そして私が桃の節句で親戚からいただいた博多人形なども、ひとまとめに整理していたのを覚えています。そのときは、「何で思い出の品を整理整頓しているのだろう」と思いました。今思うと、母なりに身の回りの整理をしていたのだと思います。しかし、母は体調がすぐれなくなるにつれて、物を捨てることが難しくなっていきました。私は、今年に入ってから現在に至るまで毎週のように実家に通い、母の遺品整理と掃除をしています。片付けても、片付けても、次から次へと家族の思い出の品が出てきます。思いが詰まった遺品の整理は涙が出てきて手が止まることもあり、心身共に大きな負担となっています。私は今回、遺品整理の大変さを実感したことで、身の回りの物について生前整理をする「終活」を始めました。捨てるかどうかを迷う物は、写真を撮り「ありがとう」と言って‟さよなら”しています。できるうちにしておかないと、体が思うように動かせなくなったときには物を捨てられなくなってしまうかもしれません。生前の母の姿を思い出し、そう思ったのです。お墓の管理と今後の不安も…今後のお墓の管理も、私の悩みの一つです。実家のお墓には先祖代々の親族が埋葬されています。しかし、私以降はお墓を継ぐ者がいないので、先々のことを考えると、永代供養(遺族の方に代わって、霊園や寺院が遺骨を管理・供養してくれる埋葬方法)についても検討しなければなりません。また、実家のお墓は山の中腹にあり、歩いて坂を上り下りします。年齢のことを考えると、「いつまでお墓に足を向けることができるのだろうか」と不安を感じます。ゆくゆくは墓じまい(墓石を撤去し、墓所の使用権を返還すること)をして、永代供養にするかもしれませんが、それに伴う費用の問題も浮上します。また私自身、自分の葬儀にかかる費用だけは、残される家族の負担にならないように、できるだけやりくりしておきたいと思っています。母の葬儀後に親族で集合写真を撮影したのですが、全員、生気のない表情で写っていました。大切な人を亡くして、心身共に疲れ果てています。そんなときに、葬儀やお墓にかかる多額の費用の悩みも出てきてしまうと、想像もできないほどの大きなダメージになると感じたからです。私の代で、できる範囲でお墓の供養を済ませておき、残された家族に心身的・金銭的負担のかからない葬儀をおこなってほしいと思っています。お墓に関する「終活」もしておきたいと思いました。いざというときの「終活ノート」も私の暮らす街には、初盆にお墓へ提灯(ちょうちん)を供え、花火や爆竹を鳴らして精霊船を流す伝統行事(死者の魂を弔う行事)があります。初盆に用意する物などを私が教えてもらう前に、母は病に倒れてしまいました。私は姑や親戚、そしてご近所の方にいろいろと教えてもらいながら、どうにか初盆の準備をしました。初盆に用意する提灯だけでも、お迎え提灯・仏壇の前に置く行灯・送り提灯・お墓の提灯があります。また、精霊船を用意し、お盆に海に流しに行き、翌日、後始末までします。その他にも、初盆に向けてお坊さんと連絡を取ったり食事の手配をしたり、準備しなければならないことがたくさんあります。私は、残された家族が、故人を送るためにどうしたら良いのかわからなくて困らないように、初盆では何を準備すれば良いのか、どういうふうに親族などに連絡をしたら良いのかなど、「終活ノート」のようなものを作って少しでも書き留めて残しておこうと思いました。今回、わが子と一緒に初盆の提灯の組み立てをおこないました。いつか「こうするんだったな」と初盆の風景を思い出してくれると良いなと思いながら。まとめ母の初盆を機に、身の回りを整理する「終活」を始めました。また、お墓や仏事など、手間や準備の大変な行事に関して、どのようにしたら残された家族に負担をかけないで済むか、「終活ノート」にまとめておこうと思っています。私ひとりでは解決できない問題でもあります。もうすぐ迎える初盆で、家族そろって故人を懐かしみながら、今後についていろいろな話ができるといいなと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/ちびむす(52歳)マスコミで働いていた両親に似て、仕事に真っ黒になるきらいがある。衛生管理者の資格所持者。仕事と健康の両立を図ろうと奮闘する一児の母。
2023年09月05日小学6年生のある日、生理で水泳の授業を見学するために母に水泳カードへの記入をお願いした私。しかし、母からは「男性の先生の前で生理だと言わないほうがいいよね」と言われてしまいました。その翌日、学校で目撃したの驚きの物で……!? 担任の先生は男性私は小学6年生のときに初潮を迎えました。何度目か生理がきたある日のこと、その日は水泳の授業があったのですが、生理中だった私は水泳の授業を見学することに。 母に「生理で水泳の授業を見学するって書いてほしい」と伝えました。 母の反応は?すると、母が「担任の先生は男性だから、生理が理由で見学しますとは書けないよね」と言うのです。 母は「腹痛のため見学します」とカードに記入しました。そのときの私は、男の先生だと生理が理由だと書けないものなのか、となんとなく腑に落ちない思いでした。 友だちのカードを見てびっくり!翌日、水泳の授業が終わったあと、先生に頼まれた私は、配布物の手伝いをすることに。 水泳の授業前に集めた水泳カードを1人ひとりに配ることになったのですが、自分と同じく水泳の授業を生理で見学していたクラスメイトのカードには「生理のため見学します」と書かれていたのです! てっきり「生理だと男性に伝えてはいけない」と思っていた私はびっくり。 帰宅後、母に伝えようかと思いましたが、結局伝えることはできませんでした。もともと母は「人前で生理の話はするものではない」という考えだったからです。そして、そんな母に育てられた私も、この出来事があってから、人前で生理の話をすることをはばかられるように……。 それでも、あのとき「生理で見学します」と堂々と公言したクラスメイトがいたことは、私にとって忘れられない出来事となりました。 私自身、大人になった今でも、男性の前で生理の話をしてもよいのか迷うことがあります。しかし、生理は性別関係なく知っておくことが大切だと思うので、「隠さなくていいのかもしれない」と思うときもあります。 著者/nanoka22イラスト/まっふ監修/助産師 松田玲子 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように!
2023年08月26日私の母は、3人兄弟の末っ子。ひとり地元に残り結婚し、3人の子どもを出産して育ててきました。しかし、同じ町に住む祖母が認知症を患い始めたことで、急きょ介護問題が母に訪れて生活は一変。老老介護の祖父を助けるためにも、働きながら祖父母宅に通い夕食を届ける日々。そして、どんどん進行する祖母の症状に翻弄(ほんろう)されながら感じた、前もって知っておきたかったこととは……。★関連記事:育児に仕事、それに介護まで…思うように働けなくなった私を襲った仕事復帰の難しさ変わり始めた母の生活3人兄弟の末っ子である私の母は、地元で父と結婚。兄、姉、私の3人の子どもの母となり、家族5人、マイホームで穏やかに暮らしていました。やがて兄が巣立ち、母が52歳のころ、姉と私と父の4人は仕事や学校、部活でそれぞれ慌ただしくも楽しい生活を送っていました。 そんな中、祖母が認知症を患い始めたことで、母に突然介護問題が訪れました。母の兄弟である叔父と叔母は、高校卒業後に田舎を出てからはずっと都会で暮らしているため、祖父母を近くで支えられるのは母だけ。これまで家事を一切してこなかった祖父を助けるためにも、仕事終わりに実家へ通っては掃除や夕食の準備を手伝う、母の慌ただしい日々が始まりました。認知症になった祖母は…男尊女卑が当たり前だった田舎で結婚した祖母は、結婚を機に、祖父の両親や兄弟と一緒に祖父の実家で生活するようになりました。祖母自身も働きながら、大人数の食事作りや洗濯などの家事をこなし、自分の趣味も楽しみつつ休む暇なくあれこれ活動していました。多忙な生活を送ってきた祖母のてきぱきとした身のこなしは、子育てを終え、祖父と2人暮らしになってからも相変わらず。家事や畑仕事に加えて、日本舞踊や和太鼓、グラウンド・ゴルフなどの趣味にも打ち込み、自宅を訪れる友人や孫、親戚をいつも温かく迎え入れていました。しかし、認知症を患い始めるとこれまでの活力が急減。あれほど動いていた祖母は立ち上がる気力すらなくなり、日中も寝てばかりいるようになりました。怒りっぽくなってささいなことにもいら立っているといった症状にも悩まされ、隣でサポートする祖父は困り果てていました。そして、祖母の認知症の症状はどんどん悪化し、生活が困難と認められて施設へ入所することになりました。介護が始まる前に知っておきたかったこと介護について右も左もわからずひとりで苦労した母は、介護が必要になる前に知っておきたかったと悔やまれることがいくつかあったそうです。まずは、介護が必要になったときの相談先について。誰を頼ったらいいのか、どのような状況であれば介護施設を利用できるのかなど考えることが山積みで、何をどうしたらいいのかもわからず、不安で孤独な思いをしたようです。しかし、市役所の相談窓口を訪れてからは、必要な情報をどんどん得ることができ、つらい気持ちや悩みを少しずつ解決していけたのだそう。そのため、介護について不安なことがある場合の相談窓口について、事前に知っておくべきだったと言っていました。次に、祖母の貴重品やお薬手帳などの保管場所を把握しておくこと。祖母の介護認定や施設入所のための申請には、多くの手続きが必要でした。各種手続きには、通帳や印鑑、身分証明書などが必要になります。そんなときに、祖母の貴重品類がどこにあるのかもわからず苦労したといいます。そのため、貴重品の保管場所だけでも、祖母が元気な内から共有してもらっておくべきだったと悔やんでいました。最後は認知症になる前に、掃除や荷物の整理を一緒に進めておくべきだということです。家の片付けは、母ひとりで苦労した大きな要因でもありました。認知症の症状が進むにつれて、祖母は部屋の片付けや掃除に手が回らなくなっていたのです。母が夕飯を届けたときのわずかな時間の中で片付けや掃除を進めようとするも、症状の影響で怒りっぽくなっている祖母は、部屋の中のものを触られることを嫌がり、ただの片付けなのに作業は難航しました。さらに、祖母宅はお盆やお正月には親戚中が集った場所でした。大量にある食器類や布団、未開封の贈答品など、とにかく品数が多いため、整理するのもひと苦労だったそう。だからこそ母は、「自分の母親が元気な内から実家の荷物の整理を手伝っておいたほうがいいと知っていたら、こんなに苦労しなかったのに」と後悔していました。まとめいざ母親を介護するとなったとき、症状が進む悲しみと恐怖を抱えながら、誰にどう相談したらいいのかもわからず不安に感じ、とても苦しい思いをした母。もっと早く知っていたら、母だけでなく、祖母や祖父、私たち子どもも、必要以上に心細い思いや大変な思いをせずに過ごせたはずだといいます。母が身を持って体感したことをしっかりと聞かせてもらったからこそ、両親が元気な内からできることがあるのだと私自身も気付かされました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。イラスト/山口がたこ著者/RIka.航空業界に勤めた後、3人の子どもをのびのび育てるべく田舎にUターン。子どもたちと一緒に、実家の採れたて野菜でピザを作ることに夢中なライターです。
2023年08月14日2023年9月12日(火)より、三井記念美術館では『特別展 超絶技巧、未来へ!明治工芸とそのDNA』展が開催される。同館を皮切りに全国を巡回して人気を博した「超絶技巧」シリーズの第三弾で、金属、木、陶器、ガラスなど、さまざまな素材を用いて、驚くべき超絶技巧の作品をつくる現代作家17名と、彼らのルーツでもある七宝、漆工、木調、刺繍絵画などの明治の工芸家たちの作品を紹介する展覧会だ。幕末から明治にかけて頂点に達した日本工芸における「超絶技巧」。本物とみまがうリアリティを持ち、数ミリ単位の細かい細工や華麗な彩色をほどこした日本の美術工芸品は、当時欧米諸国に広く紹介され世界中の人々を驚愕させた。そのDNAを継ぐ令和の作家たちの作品は、単に技巧を駆使するだけでなく、「超絶技巧プラスα」の美意識と並外れたインテリジェンスに満ちている。たとえば大竹亮峯(おおたけ・りょうほう)の《月光》(2020年)は、1年に1度、夜に咲く月下美人を模した彫刻作品だが、鹿角でつくられたその白い花びらは、花器に水を注ぐとゆっくりと開く。また福田亨の《吸水》(2022年)は、着色せずに、自然の素材の色を組み合わせて制作する作者オリジナルの「立体木象嵌」による揚羽蝶や、表面の水滴まで一木で彫り出した台座など、驚異的な仕事に目を奪われる。その他、鉄鍛金の技法で造形した羽を1枚ずつ重ねてつくった本郷真也の烏の立体作品《Visible01境界》(2021年)や、銀という素材で梱包材のプチプチを見事に表現した長谷川清吉の《銀製梱包材》(2023年)など、あっ!と驚く超絶技巧が満載だ。同展では、野菜や果物を牙彫で本物そっくりに再現した安藤緑山(1885-1959)や、細かくも艶やかな七宝作品で世界を魅了した並河靖之(1845-1927)ら明治工芸の匠たちの作品も紹介。明治から令和へ、日本人作家たちの、手仕事への飽くなき探求と挑戦、完璧なものを創り出すことへのこだわりが、どのように受け継がれ、新たな作品を生み出してきたのか?ぜひあなた自身の目でご確認あれ。<開催情報>『特別展 超絶技巧、未来へ!明治工芸とそのDNA』会期:2023 年 9 月12 日(火)〜11月26日(日)※会期中展示替えあり会場:三井記念美術館時間:10:00~17:00(入場は16:30まで)休館日:月曜 (9月18日、10月9日は開館)、9月19日(火)、10月10日(火)料金:一般1,500円、大高1,000円公式サイト:
2023年08月14日皆さんは、ゾッとする怖い経験をしたことはありますか? 今回は「自宅で起きた恐怖体験」を紹介します! イラスト:kichano8実家での話トイレへの道は真っ暗トイレでぼーっとしているとドアの向こうから母の声が母に返答してトイレから出ると姿は見えない一気に恐怖を感じて…いまだ謎に包まれている深夜に起きた恐怖体験夜中に起きた出来事、しかも廊下は真っ暗…想像するだけでも背筋がゾッとしますね。今後、夜中にトイレへ起きることがトラウマになってしまいそうです。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。
2023年08月09日私の両親は結婚35年目。父は男尊女卑の考えが強い田舎出身で、男4人兄弟の次男です。わが家では日ごろから母が家事をするのが当たり前。父は母がいつもイライラしながら我慢していることを気にする様子もなく、家事にはノータッチでした。そんなある日、孫から鋭いひと言を浴びせられたことで、生活態度を変えざるを得なくなった父のことをお話しします。★関連記事:義父に娘の誕生日ケーキの変更をお願いしたらいきなり激怒! 自分の思いや価値観を押し付けてきて男は動かないのが当たり前!結婚35年目の私の両親。58歳の父は男尊女卑の考えが強く残る田舎出身で、4人兄弟の次男です。母が嫁いだころから父の実家で集まりがあると、父の兄弟たちはテレビを見て談笑しているだけなのだとか。その様子を見て母は、「妻たちが全員バタバタしているのに、1人くらい手伝ってくれる男はいないのかな」と思っていたそうです。 父の母も、「夫ではなく嫁が動きなさい」という考え。母をはじめとした女性たちは、食事のための買い出し、料理、片付けをするのが当たり前だったのだそう。そんな男尊女卑の考え方が強い家で育った父には「家のことは妻やってもらって当たり前」と思っていて、母を手伝うことはごくまれでした。母はそんな父の姿に「なんで手伝おうという気が起きないんだろう。いつもゴロゴロしているだけ。私は家政婦じゃないし、これが続くならもう離婚したい」と思っていたそうです。何度か手伝ってほしいと父に頼んでみたそうですが、その場だけの対応で継続することはなし。そんな父でも母の体調が良くないときは、さすがにご飯を買ってきたり洗濯をしたりはしたそうです。母は日に日にたまるストレスから何度も離婚を考えたそうですが、仕事はしっかりとしていて収入もそれなりにあった父。私を含めて3人の子どもがいて、母にはシングルマザーになる勇気がなかったため、実際に離婚することはありませんでした。母は「家事をやってくれることを期待しても無駄だし、私が諦めてやればいいだけ」と思っていたそう。孫からの痛い指摘に父は私の息子が3歳になって、お手伝い欲が強い時期に実家へ帰省したときのことです。母が夕食の準備をしているところに、私の息子が台所にお手伝いをしに行きました。サラダを盛りつけたりご飯をよそったり、お箸を並べたり……と息子は忙しそうな様子。母は「お手伝いしてくれるからすごく助かるよ!」と息子を褒めていました。一方で「なんで3歳の子どもでも自主的にお手伝いができるのに、50歳を過ぎたおじさんはできないのだろう。孫がお手伝いしているのに何とも思わないのが、やってもらって当たり前の人の思考なんだろうな」と感じたそう。相変わらず横になってテレビを見ていただけの父は、孫がお手伝いをしている姿を見て、「おー! 頑張っているね。ばあばのお手伝いお願いね!」と言いました。すると私の息子は「えー! 僕は、ばあばのお手伝いを頑張っているのに、なんでいつもじいじは何もしないでゴロンとテレビを見ているの? みんなでお手伝いしたらばぁばもうれしいのにね」とニコニコしながら、鋭い指摘をしたのです!その場しのぎではなくなった父孫を溺愛する父は指摘を受けるなり、バッと起き上がり「そうだよね。じいじもお手伝いしないといけないよね。じいじも一緒にお手伝いしたほうが早くごはんが食べられるね」と言い、台所で配膳の手伝いを始めたのです。母は「言われるまで動けないじいじは変だよね。これからじいじもお手伝い頑張ってくれるかな」と息子に言いました。すると息子は「じいじはお手伝いちゃんとできるよね! ばあばはいつもやることたくさんだから頑張ってね! みんなでやったら早く終わるんだよ」と父に手伝いをするように言ったのでした。母は、私の息子が3歳ながらにして自分が家事をしている姿をしっかり見てくれていたことがとてもうれしかったそう。そして、父にとって孫からの指摘はよっぽど効果があったのか、それからはその場しのぎではなく、少しずつ家事をやるようになったそうです。特に皿洗いは毎回するようになって、父の変わりようにびっくりすると母は笑っていました。母は、「60歳前だけど気付いてくれてよかった。私もいつ動けなくなるかわからないから、今のうちに自分で家事ができるようになってもらわないと困るよ!」と父に言ったそう。すると「今まで30年以上も甘えてごめんね。そしていつも家事をやってくれてありがとう。これから先何があるかわからないし、自分で家事ができなくて困るのは俺だからもう少し頑張ります」と、今までの父からは考えられないような言葉が返ってきて、母はかなり驚いていました。まとめ男尊女卑の思想が強い環境で育った父にとって、家事は女性がすべてやるのが当たり前でした。ただ、育ってきた環境が影響していたとはいえ、もう少し早く母からの要望を聞いてあげて欲しかったと思います。これまで離婚に至らなかったのも、母の我慢があったからこそ。大好きな孫の言葉に反するわけにはいかないので、今後は父も母のことを助けてくれるようになるだろうと期待しています。そして、この先もまだまだ続く夫婦生活、2人で協力して仲良く過ごして欲しいと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。取材・文/MISATOイラスト/きびのあやとら著者/MISATO産後の物忘れの悪化に悩む2人兄妹のママライター。趣味は甘い物を食べること、緩く宅トレをすることです。
2023年08月06日出産の痛みは陣痛以外にも……?今回は、はちこ(@ahaha_ha_ch)さんの『痔獄の出産レポート』からワンシーンをお届けします。出産と同時に痔の痛みが……出産予定日が過ぎたある日、突如“破水”し、急遽出産に臨むことに。出産に備え“浣腸”をした結果、痔の爆発でお尻に激痛が……。再び絶望の淵へ……もう頑張れない……でも頑張るしかない……その甲斐あって……この漫画に読者は『出産は命懸けというのがよく分かる内容だと感じました。耐える以外の選択肢は無いんですもんね……。』『出産は経験がありませんが酷い生理痛は経験がありますが、やっぱりこの漫画を読むと本当にかなりしんどくて痛くて辛い物であるということが分かります。この方の場合はお尻の痛みも組み合わさって本当の地獄を更に味わっているでしょう。』『まったく同じ経験をしていて、当時の事を思い出してしまいました。初めての出産のときに看護師さんから「イキんで」と言われて、加減も知らずにイキんだところ切痔になってしまいました。できればイキむ加減を先に教えてくれていたらいいのにと思ったものです。』など、出産の辛さを身に染みて実感するような声が多く集まりました。出産だけでも辛いのに……ようやく“イキみ”が許可されたはちこさん!これで地獄の苦しみからついに解放される……?出産時の痔と陣痛の痛み……あなたならどうしますか?※この記事は実話を元に作成されていますが、すべての方が当てはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修医:新見正則医院院長、新見正則1985年慶應義塾大学医学部卒業。1998年移植免疫学にて英国オックスフォード大学医学博士取得(Doctor of Philosophy)。2002年より帝京大学医学部博士課程指導教授(外科学、移植免疫学、東洋医学)。2013年イグノーベル医学賞受賞(脳と免疫)。20代は外科医、30代は免疫学者、40代は漢方医として研鑽を積む。現在は、世界初の抗がんエビデンスを獲得した生薬フアイアの啓蒙普及のために自由診療のクリニックでがん、難病・難症の治療を行っている。新見正則医院では世界初の抗がんエビデンスを獲得した生薬「フアイア」を使用。最新刊『フローチャート整形外科漢方薬』はAmazonで三冠(臨床外科、整形外科、東洋医学)。下記も好評発売中。「しあわせの見つけ方 予測不能な時代を生きる愛しき娘に贈る書簡32通」(MOREDOOR編集部)(イラスト/@ahaha_ha_ch)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。
2023年08月01日■前回のあらすじ20年以上も在宅生活を送っていた父は知人はほとんどおらず、お葬式もとても小さなものでした。火葬が終わり、つぶれた父のメガネを見て、すべてなくなってしまったことを実感するのでした。■「まだ泣いてない」と話す母■母の原動力って…?母のすごさにあらためて気付かされた私。でも母のようにはできないけれど、今度は逃げずに向き合えるかもしれない。そんなことを今は考えています。今回で「若年性認知症の父親と私」は最終回を迎えました。ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
2023年07月29日■前回のあらすじ医者からは「もしもの時のことを考えおいてくれ」と告げられたと話す母。延命措置をするのか、自然にまかせるか…。「あなたはどうしたい?」と母にたずねられた私は、自分の意見に責任を持つことが怖くて母に丸投げしてしまいます。■「胃ろう」で命をつなぐ…!?■納得できる答えを探す母「延命措置はしない」と決めた母。母の気持ちを思うと、私は何も言えませんでした…。その後、自宅での介護がスタートすることになり、さらに厳しい現実が待ち受けます。次回に続く「若年性認知症の父親と私」(全21話)は22時更新!
2023年07月24日■前回のあらすじ無事挙式の日を迎え、晴れて夫婦となった私たち。その後、2人の子どもに恵まれ、実家にお世話になりながら仕事と子育ての日々。そんな中、一度だけ物心ついた長女から父について素朴な疑問を投げかけられることに。■自力で歩けなくなった父■自分で答えが出せない…考えることが怖くて、自分の意見に責任を持つことが怖くて、母に丸投げしてしまった私。そして母が下した決断とは…!?次回に続く「若年性認知症の父親と私」(全21話)は22時更新!
2023年07月23日■前回のあらすじD学園とE中学のどちらにも合格した私。E中学はなんと特待生合格でした。そして、第一志望のD学園への入学を決意。こうして、私の長くつらい受験生活が終わりを迎えました。■親子で「受験」に対するベクトルが大きく違った母はよく「申し訳なかった」と私に言うのですが、問題はそこではない気がするのです。頑張る方向がわからなかった私と、いつも全力ですべての方向に頑張っていた母。親子でまったくベクトルが違い、噛み合わなかったのがそもそもの原因だったのでは、と今の私は思っています。そのため、お互いに「なんで!?」と、ずっと感じていたのかもしれません。 ■母との会話で終わりを迎えた中学受験これには、母はとても共感してくれました。次回に続く(全16話)毎日10時更新!
2023年07月20日■前回のあらすじ学校の成績が最下位レベルまで落ちた私。三者面談で先生が教えてくれた絵を学べる学校もレベルが高く、このときの私の学力では到底手が届かず、完全に「詰み」の状態になりました。■母が私に聞いてきたのは!?完全に進路が見えなくなってしまった私でしたが、塾には惰性で通っていました。勉強は正直あまりついていけない状態になっていましたが、帰宅後に母と家にいるのもしんどく、塾を辞めなかったのです。そんな生活が普通になってきた頃、塾のない日に母がそっと私に話しかけてきました。母は以前、見学に行ったD学園の印象を遠慮がちに聞いてきました。 ■少し希望が持てた出来事A女子中がイチオシだった母。D学園は受けさせてもらえないだろうと思っていましたが、ここにきて「本当に自分が良いと思った学校に行けるかもしれない」と希望が持てました。次回に続く(全16話)毎日10時更新!
2023年07月16日■前回のあらすじお酒好きな母は、小6の受験生の私に対し、酔うとちくちくと怒るようになりました。ある日、ついに母の本音が飛び出したのです。それにより、「この受験は自分のためにしているものではなく、母の夢と理想のためにしている」と気づき…。■母が中学受験に熱を入れる本当の理由とは学生時代、優秀でとにかく勉強することが大好、部活でも大活躍という、まさに「優秀」な生徒だった母。大学でもっと勉強したい! と高校卒業後は大学へ進むことを熱望し、学校の先生もそれを応援してくれていたのですが、時代と私の祖父の意見(主に経済的な理由)により、その道は絶たれてしまいました。自分の望んだ進路が絶たれ、悔しい思いをした母。心身に疲れが出始めていたころでもあり、「それでもなんでも受験なんだから前向きに頑張らなきゃ!」と気持ちを奮い立たせられる状態ではありませんでした。 ■私がした、せめてもの反抗今なら「私を使ってお母さんの夢を叶えようとしないで!」と気持ちをむき出しにして怒ることもできますが、あまりの絶望感に、そんな気力も湧いてきませんでした。また、母に直接、何かを言う勇気も度胸もなかった私は、せめてもの反抗心でA女子中の過去問題集を、ゴミ箱に投げ入れてしまいました。次回に続く(全16話)毎日10時更新!
2023年07月11日■前回のあらすじついに受験生である小学6年生に進級。ハードな受験生活で身も心も消耗。12歳にして白髪だらけになるほど頑張っていたものの、なかなか成績が上がらず…。しびれを切らした母に罵倒されながら勉強を続けていました。今回は受験から話が少しズレますが、母の話を聞いてください…。■お酒を飲むと本音が飛び出す母お酒好きといっても、がぶがぶ飲んで暴れて、というタイプではなかったのですが、このころからお酒に酔うとちくちくと私が怒られるのが、定番の流れに。「お願いだからちゃんと勉強して」「ちゃんとやればできるから」「いい学校(A女子中)に行って」と、毎日のように酔った母に言われました。しかし、この日の母は少し違っていて…。お酒を飲むとすべて遠慮なく言葉や感情を出してしまうタイプの母の言葉に、私は嫌な意味で「嘘ではない」と確信しました。 ■母の私の受験に対する目的に気づいた中学受験において勝負時と言われる小学6年生のころ、私は「この受験は自分のためにしているものではなく、母の夢と理想のためにしている」と、気づきました。そこから、どんどん悪い考えが頭をよぎり、「小学校も幼稚園もお受験したのは私ではなく、母がしたかったことだった…?」「この先も母が歩みたかった人生を代わりに歩まされるのか?」など、自分という人間の存在意義と価値が揺らいでいきました。次回に続く(全16話)毎日10時更新!
2023年07月10日私が海外で結婚し、出産・育児をしていく中で、心と体の支えになってくれていたのは母でした。その母が他界したのは、私が2人目の子を産んで2カ月後のことだったのです。※コロナ禍前の体験談です。 産後のお世話にきてくれた母海外に住んでいることもあり、2人目出産後は母が日本から来て1カ月間滞在し、生まれた子どものお風呂や食事作り、洗濯、上の子のお世話までしてくれました。 中でも1番うれしかったのは、上の子が短期間でもおばあちゃんと一緒に過ごせたことです。また、私自身も母親と久しぶりにゆっくり過ごせて、いろいろな話もでき、とても良い時間でした。 突然の他界母が日本に帰国して1カ月、突然その時は訪れました。母はくも膜下出血で倒れて病院に運ばれ、1日もたずにそのまま他界してしまったのです。 突然の訃報を受け入れられずボロボロと泣いている私を見て、上の子が不思議そうにしていました。母の葬儀のために帰国するにも、まだ生まれたばかりの2人目はパスポート申請も間に合わず、夫の実家に預けることに。落ち込んで泣いている時間もなく飛行機のチケットの手続きをし、慌てて日本に帰国し母と最期の別れをしました。上の子は亡くなった母に触れて「おばあちゃん冷たい……」と寂しそうにつぶやいていました。 母の存在の大きさ2人目の子どもが生後100日になるころ、49日法要のために2人の子どもを連れてまた帰国。夫は仕事で都合がつかず私ひとりでの帰国だったため、2人目をおんぶして上の子と手をつないでの飛行機や電車の乗り換え移動となり、緊張し過ぎて、実家に到着したら体調を崩してしまうほどでした。 近所に兄夫婦が住んでいるものの、実家には父ひとりなので、滞在中は食事作り、掃除洗濯、買い物まで私がひとりでしました。子どもを見ながらだったので、いなくなった母の存在がいかに大きかったかをより実感しました。 母への想いは時が過ぎても…3年過ぎて上の子が6歳になったとき、幼稚園で「おばあちゃん、家にきてほしい」と手紙を書いてきました。おばあちゃんを覚えていることにも驚きましたが、何よりも「家にきてほしい」とおばあちゃんを慕っている子どもの想いに切なくなり、「おばあちゃんはこられないんだよ」と言いながら、成長した子どもを母に見せてあげたかった……と泣きました。 そして母にしてあげられなかったこと、もっとしてあげたかったこと、いろいろな想いが数年経ってもまだあるのだとわかりました。 1人目、2人目が男の子だったため、母は「3人目が女の子だったら良いね」と話していました。不思議とその言葉どおりに3人目に女の子が誕生しました。子どもたちが元気に成長しているのも、母が見守ってくれているからのように感じます。母に感謝をしながら、家族をもっと大切にしていきたいと思います。 監修/助産師 松田玲子著者:鈴木そうこ6歳3歳0歳の兄妹を育児中。韓国人の夫と結婚し、韓国の田舎で専業主婦をしている。韓国語と日本語の二重言語教育や妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2023年07月07日■前回のあらすじゆいの発達検査結果について母と妹に報告すると、妹が自分がかつて0点を取ったときの話をする。そのとき母は何も気にしなかったそうで、「あのとき大切に守られてたら、今の私はいないかも」と妹は言うのだった。■守るだけじゃダメ!?■母の言葉に…悩む私に母が掛けてくれたのは、「絶対に大丈夫」という言葉。私はなんだか肩の力が抜けた気がして…、心が軽くなったのでした。次回に続く「療育手帳を取得した話」(全38話)は12時更新!
2023年07月01日先輩ママがたとえる「出産の痛み」にビックリ この投稿をInstagramで見る 凛(@rin27_official)がシェアした投稿 凛さんは元プロレスラーでタレントの北斗晶・佐々木健介夫妻の長男・健之介さんと昨年結婚し、現在は第一子を妊娠中です。カナダで映像作家をしている健之介さんと一緒に暮らすために渡加し、出産に向けて過ごす日々をブログで公開しています。妊娠後期に入り、出産まで残すところあとわずかの凛さん。このところお腹の膨らみがいっそう目立つようになってきたそうで、「お腹が急激にまた突き出てきて大きく丸々してきた気がするんだけど気のせいかな」「そんなことある?」と不思議に思う気持ちもあるよう。出産方法については、「ぶっちゃけ自分は(普通分娩と無痛分娩の)どっち選んでも産まれてくる事には変わりないからどっちでも良いと思う派」で、「今回普通分娩の予定」だと説明。「産んだママさん達の痛みの例えを聞いたら未知な世界すぎて正直ビビっちゃうけど…」と率直な気持ちも吐露しています。里帰りなどはせず、このままカナダで出産するつもりだそうですが、「海外出産に不安はないの?」という質問には、「海外で産むことに対しては全然不安とかなくて」「日本に居ても海外にいても出産は変わらないから場所とか環境とかは全然関係ないかな」と、考えを明かしました。「そもそもの出産自体が初めましてで海外生活も初めましてで全部が初めましてだらけだからなんだか不安よりも不思議な感じです」と、凛さん。慣れない環境で、不安になることも少なくないはずではありますが、「英語も喋れないんだけどなんとか生きていけるし頑張れば通じるから大丈夫っていらない自信を持って生きてます」と、ポジティブマインドで日々過ごしているようです。産まれてくる子どもには「海外産まれになる子だから日本の名前+ミドルネーム」をつける予定だそう。ちなみに、義母である北斗晶さんは先日、仕事で韓国を訪れた際に「まさに今、凛ちゃんがお腹が大きいから直ぐに目に飛び込んできた絵でした」と、お腹の大きい妊婦さんのような女性を描いた神秘的な絵を購入。「夏に生まれる私の孫にプレゼント」だそうで、初孫の誕生を心待ちにしているようです。(※画像は北斗晶さんオフィシャルブログより)(※画像は北斗晶さんオフィシャルブログより)出産の流れって?臨月になると、お産が近づくにつれて身体が変化します。たとえば、胎児の頭が骨盤の中に入り身体が下降することで、それまで圧迫されていた胃がスッキリして感じたり、卵膜がはがれて出血が起きて「おしるし」がみられたり、不規則な陣痛(前駆陣痛)が起きたり…その他にも、恥骨が痛む、おりものが増加するなど、さまざまな症状がみられます。陣痛がきたらいよいよ出産です。陣痛が起こる間隔が少しずつ短くなると子宮口が開き、胎児が降りてきます。初産婦の場合は分娩開始(陣痛が10分間隔になる)から子宮口が全開し、赤ちゃんが生まれて胎盤が娩出されるまで、合計で12~16時間ほどかかるのが一般的です(経産婦の場合5~8時間)。この所要時間はあくまで平均的なもので、人によっては30時間近くかかることもあります。子宮口が全開すると陣痛はさらに激しく間隔も短くなります。破水は通常、子宮口が全開してから起こりますが、全開前に起こることも。子宮口全開大から赤ちゃんが生まれるまで、初産婦では1~3時間かかります(経産婦では0.5~1.5時間)。赤ちゃんが生まれた後にも軽い陣痛が起きて、胎盤が剥がれて娩出されます。上記は一般的な流れではありますが、お産の前兆がはっきりしない人もいますし、所要時間にも大きな個人差があります。
2023年06月30日皆さんは普段、お弁当を手作りしますか? 学生時代、親にお弁当を作ってもらっていたという方も多いでしょう。 今回は、そんなお弁当にまつわるエピソードを紹介します!母のお弁当をバカにされ…私が小学校の頃、母が毎日丹精込めてお弁当を作ってくれていました。しかしある日、お弁当を食べていたとき、クラスメイトから「それ、マズいよね?」と言われてしまい、私は傷ついて泣いてしまいました。その日以降、私はお弁当を食べることができなくなりました。母は私がお弁当を食べていないことを知り、心配して私に「どうして食べないの?」と聞きました。母の優しさに…私はクラスメイトに言われたことを話し、涙が止まらなくなってしまいました。すると母は、私を抱きしめて「ママの作ったお弁当は、とってもおいしいんだよ。クラスメイトたちがマズいと言うのは、ただの意地悪だよ」と優しく言ってくれたのです。それからは、母の作るお弁当を食べることができるようになりました。母の温かい言葉と優しさに涙が止まり、心が癒されました。(40代/女性)お弁当の時間はみんなで楽しくどのようなお弁当を用意するかはそれぞれの自由ですが、人が作ったものを見下すような態度は良くないですよね。優劣を争うことなく、ごはんはみんなで楽しく食べたいものです。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。
2023年06月26日■前回のあらすじ義姉のブラコンぶりは、結婚が決まってさらにヒートアップ。式場見学についてきたり、新婚旅行先は義姉が決めようとしたり。しかも結婚式前日に体調崩した義姉の元に彼は行ってしまう。結婚式の写真にも義姉が堂々とふたりの間に写り込んでいて落ち込む優梨だった…。 >>1話目を見る 甥の誕生を喜んでくれるのは嬉しいけれど、義理の家族が出産に立ち会いたいなんてそんな非常識なことを言ってくるとは思っていませんでした。しかも出産中に大騒ぎしている義姉の声まで聞こえてきて…。このまま息子が産まれたらお義姉さんの距離感はどうなってしまうのか…。次回に続く(全15話)毎日更新!この話のイラストは、一部下記クレジットの写真を使用しています。©s_fukumura - stock.adobe.com,©PONPON - stock.adobe.com※この漫画は実話を元に編集しています脚本・高尾/イラスト・ のばら
2023年06月25日3回目の出産をする私に、何を贈ったらいいかと悩んでいたやさしい友人。そして選んでくれたのは、私のための洋服でした。「出産祝い」と聞くと赤ちゃんに向けたプレゼントが多いですが、初めて自分のための贈り物をいただいたので、とてもうれしかったです。 何が欲しい?と何度も聞かれた臨月私が3人目を妊娠中、親族や友人から出産祝いに何が欲しいかと聞かれました。今までは、ベビー服、ベビー用品、おむつケーキなど、赤ちゃん向けの物をもらうことが多く、私自身に「何が欲しい?」と聞かれるとは思っていなかったので、返答に困っていました。 さらに3人目の出産ともなると、すでに持っている物も多く、周囲も本当に必要な物をあげようと気づかってくれたり、他の人と被らないように配慮したりしてくれていました。 3度目の出産祝い、友人からの贈り物は…妊娠中はおなかが出ているほか、苦しくなると気持ち悪くなってしまいます。そのため、私はずっと妊婦服を着ていました。また、たまに友人に会ったときも、いつもリラックスできるゆったりとした服装だったので、洋服を贈ろうと思いついてくれたようです。 それは、サイドにホックがついているフリルスカートと、バラの刺しゅうがあしらわれた薄手のブラウスでした。友人曰く、出産祝いは赤ちゃんの物をもらうことが多いだろうということで、私のための洋服を選ぼうと思ってくれたそうです。 友人のおかげで体型を戻せた!しかし、友人にもらった洋服は妊娠中は着ることができないようなタイトなものだったため、産後に着ようと大切にしまっておきました。そして産後直後に着てみたら、その洋服はきつくてとても着ることができなかったのです。 でも、それを機に体型を気にするようになり、無理のない範囲でストレッチや産褥体操をおこなっていたらホックがきつかった洋服も着られるようになり、体重も妊娠前より軽くなりました。 妊娠中、おしゃれにまったく気をつかっていなかったのと、今までは出産祝いに赤ちゃんの物をもらうことが多かったので、友人が出産祝いとして私の洋服をくれたときは正直驚きました。自分のことはあと回しにしてしまいがちだったので、産後体型を戻すことができたのは友人のおかげだなと感謝しています。 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/まっふ 著者:永田真結4歳の長女、2歳の長男、0歳の次女を持つ母。自身の妊娠、出産、育児に関する体験談を中心に記事を執筆している。
2023年06月24日