私の両親は結婚35年目。父は男尊女卑の考えが強い田舎出身で、男4人兄弟の次男です。わが家では日ごろから母が家事をするのが当たり前。父は母がいつもイライラしながら我慢していることを気にする様子もなく、家事にはノータッチでした。そんなある日、孫から鋭いひと言を浴びせられたことで、生活態度を変えざるを得なくなった父のことをお話しします。★関連記事:義父に娘の誕生日ケーキの変更をお願いしたらいきなり激怒! 自分の思いや価値観を押し付けてきて男は動かないのが当たり前!結婚35年目の私の両親。58歳の父は男尊女卑の考えが強く残る田舎出身で、4人兄弟の次男です。母が嫁いだころから父の実家で集まりがあると、父の兄弟たちはテレビを見て談笑しているだけなのだとか。その様子を見て母は、「妻たちが全員バタバタしているのに、1人くらい手伝ってくれる男はいないのかな」と思っていたそうです。 父の母も、「夫ではなく嫁が動きなさい」という考え。母をはじめとした女性たちは、食事のための買い出し、料理、片付けをするのが当たり前だったのだそう。そんな男尊女卑の考え方が強い家で育った父には「家のことは妻やってもらって当たり前」と思っていて、母を手伝うことはごくまれでした。母はそんな父の姿に「なんで手伝おうという気が起きないんだろう。いつもゴロゴロしているだけ。私は家政婦じゃないし、これが続くならもう離婚したい」と思っていたそうです。何度か手伝ってほしいと父に頼んでみたそうですが、その場だけの対応で継続することはなし。そんな父でも母の体調が良くないときは、さすがにご飯を買ってきたり洗濯をしたりはしたそうです。母は日に日にたまるストレスから何度も離婚を考えたそうですが、仕事はしっかりとしていて収入もそれなりにあった父。私を含めて3人の子どもがいて、母にはシングルマザーになる勇気がなかったため、実際に離婚することはありませんでした。母は「家事をやってくれることを期待しても無駄だし、私が諦めてやればいいだけ」と思っていたそう。孫からの痛い指摘に父は私の息子が3歳になって、お手伝い欲が強い時期に実家へ帰省したときのことです。母が夕食の準備をしているところに、私の息子が台所にお手伝いをしに行きました。サラダを盛りつけたりご飯をよそったり、お箸を並べたり……と息子は忙しそうな様子。母は「お手伝いしてくれるからすごく助かるよ!」と息子を褒めていました。一方で「なんで3歳の子どもでも自主的にお手伝いができるのに、50歳を過ぎたおじさんはできないのだろう。孫がお手伝いしているのに何とも思わないのが、やってもらって当たり前の人の思考なんだろうな」と感じたそう。相変わらず横になってテレビを見ていただけの父は、孫がお手伝いをしている姿を見て、「おー! 頑張っているね。ばあばのお手伝いお願いね!」と言いました。すると私の息子は「えー! 僕は、ばあばのお手伝いを頑張っているのに、なんでいつもじいじは何もしないでゴロンとテレビを見ているの? みんなでお手伝いしたらばぁばもうれしいのにね」とニコニコしながら、鋭い指摘をしたのです!その場しのぎではなくなった父孫を溺愛する父は指摘を受けるなり、バッと起き上がり「そうだよね。じいじもお手伝いしないといけないよね。じいじも一緒にお手伝いしたほうが早くごはんが食べられるね」と言い、台所で配膳の手伝いを始めたのです。母は「言われるまで動けないじいじは変だよね。これからじいじもお手伝い頑張ってくれるかな」と息子に言いました。すると息子は「じいじはお手伝いちゃんとできるよね! ばあばはいつもやることたくさんだから頑張ってね! みんなでやったら早く終わるんだよ」と父に手伝いをするように言ったのでした。母は、私の息子が3歳ながらにして自分が家事をしている姿をしっかり見てくれていたことがとてもうれしかったそう。そして、父にとって孫からの指摘はよっぽど効果があったのか、それからはその場しのぎではなく、少しずつ家事をやるようになったそうです。特に皿洗いは毎回するようになって、父の変わりようにびっくりすると母は笑っていました。母は、「60歳前だけど気付いてくれてよかった。私もいつ動けなくなるかわからないから、今のうちに自分で家事ができるようになってもらわないと困るよ!」と父に言ったそう。すると「今まで30年以上も甘えてごめんね。そしていつも家事をやってくれてありがとう。これから先何があるかわからないし、自分で家事ができなくて困るのは俺だからもう少し頑張ります」と、今までの父からは考えられないような言葉が返ってきて、母はかなり驚いていました。まとめ男尊女卑の思想が強い環境で育った父にとって、家事は女性がすべてやるのが当たり前でした。ただ、育ってきた環境が影響していたとはいえ、もう少し早く母からの要望を聞いてあげて欲しかったと思います。これまで離婚に至らなかったのも、母の我慢があったからこそ。大好きな孫の言葉に反するわけにはいかないので、今後は父も母のことを助けてくれるようになるだろうと期待しています。そして、この先もまだまだ続く夫婦生活、2人で協力して仲良く過ごして欲しいと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。取材・文/MISATOイラスト/きびのあやとら著者/MISATO産後の物忘れの悪化に悩む2人兄妹のママライター。趣味は甘い物を食べること、緩く宅トレをすることです。
2023年08月06日このお話は作者おたんこ助産師さんのご友人のエピソードです。登場人物の名前など、一部脚色を加え漫画化しています。■前回のあらすじ「わからないことがあればいつでも相談に乗りますからね」と言われ、心が軽くなる夫婦。医師の言葉がまるで自分たちを抱きしめてくれているように感じ、自然と前を向こうという気持ちになるのだった。■陣痛が来た!?■一緒に頑張ろう…!ついにやってきた出産の時。夫婦は「生まれるまでも生まれてからも一緒に頑張ろう…!」と、赤ちゃんに語り掛けるのでした。次回に続く「どうして私のおくちは割れてるの?」(全31話)は12時更新!
2023年08月02日出産の痛みは陣痛以外にも……?今回は、はちこ(@ahaha_ha_ch)さんの『痔獄の出産レポート』からワンシーンをお届けします。出産と同時に痔の痛みが……出産予定日が過ぎたある日、突如“破水”し、急遽出産に臨むことに。出産に備え“浣腸”をした結果、痔の爆発でお尻に激痛が……。再び絶望の淵へ……もう頑張れない……でも頑張るしかない……その甲斐あって……この漫画に読者は『出産は命懸けというのがよく分かる内容だと感じました。耐える以外の選択肢は無いんですもんね……。』『出産は経験がありませんが酷い生理痛は経験がありますが、やっぱりこの漫画を読むと本当にかなりしんどくて痛くて辛い物であるということが分かります。この方の場合はお尻の痛みも組み合わさって本当の地獄を更に味わっているでしょう。』『まったく同じ経験をしていて、当時の事を思い出してしまいました。初めての出産のときに看護師さんから「イキんで」と言われて、加減も知らずにイキんだところ切痔になってしまいました。できればイキむ加減を先に教えてくれていたらいいのにと思ったものです。』など、出産の辛さを身に染みて実感するような声が多く集まりました。出産だけでも辛いのに……ようやく“イキみ”が許可されたはちこさん!これで地獄の苦しみからついに解放される……?出産時の痔と陣痛の痛み……あなたならどうしますか?※この記事は実話を元に作成されていますが、すべての方が当てはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修医:新見正則医院院長、新見正則1985年慶應義塾大学医学部卒業。1998年移植免疫学にて英国オックスフォード大学医学博士取得(Doctor of Philosophy)。2002年より帝京大学医学部博士課程指導教授(外科学、移植免疫学、東洋医学)。2013年イグノーベル医学賞受賞(脳と免疫)。20代は外科医、30代は免疫学者、40代は漢方医として研鑽を積む。現在は、世界初の抗がんエビデンスを獲得した生薬フアイアの啓蒙普及のために自由診療のクリニックでがん、難病・難症の治療を行っている。新見正則医院では世界初の抗がんエビデンスを獲得した生薬「フアイア」を使用。最新刊『フローチャート整形外科漢方薬』はAmazonで三冠(臨床外科、整形外科、東洋医学)。下記も好評発売中。「しあわせの見つけ方 予測不能な時代を生きる愛しき娘に贈る書簡32通」(MOREDOOR編集部)(イラスト/@ahaha_ha_ch)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。
2023年08月01日■前回のあらすじ20年以上も在宅生活を送っていた父は知人はほとんどおらず、お葬式もとても小さなものでした。火葬が終わり、つぶれた父のメガネを見て、すべてなくなってしまったことを実感するのでした。■「まだ泣いてない」と話す母■母の原動力って…?母のすごさにあらためて気付かされた私。でも母のようにはできないけれど、今度は逃げずに向き合えるかもしれない。そんなことを今は考えています。今回で「若年性認知症の父親と私」は最終回を迎えました。ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
2023年07月29日■前回のあらすじ医者からは「もしもの時のことを考えおいてくれ」と告げられたと話す母。延命措置をするのか、自然にまかせるか…。「あなたはどうしたい?」と母にたずねられた私は、自分の意見に責任を持つことが怖くて母に丸投げしてしまいます。■「胃ろう」で命をつなぐ…!?■納得できる答えを探す母「延命措置はしない」と決めた母。母の気持ちを思うと、私は何も言えませんでした…。その後、自宅での介護がスタートすることになり、さらに厳しい現実が待ち受けます。次回に続く「若年性認知症の父親と私」(全21話)は22時更新!
2023年07月24日■前回のあらすじ無事挙式の日を迎え、晴れて夫婦となった私たち。その後、2人の子どもに恵まれ、実家にお世話になりながら仕事と子育ての日々。そんな中、一度だけ物心ついた長女から父について素朴な疑問を投げかけられることに。■自力で歩けなくなった父■自分で答えが出せない…考えることが怖くて、自分の意見に責任を持つことが怖くて、母に丸投げしてしまった私。そして母が下した決断とは…!?次回に続く「若年性認知症の父親と私」(全21話)は22時更新!
2023年07月23日■前回のあらすじD学園とE中学のどちらにも合格した私。E中学はなんと特待生合格でした。そして、第一志望のD学園への入学を決意。こうして、私の長くつらい受験生活が終わりを迎えました。■親子で「受験」に対するベクトルが大きく違った母はよく「申し訳なかった」と私に言うのですが、問題はそこではない気がするのです。頑張る方向がわからなかった私と、いつも全力ですべての方向に頑張っていた母。親子でまったくベクトルが違い、噛み合わなかったのがそもそもの原因だったのでは、と今の私は思っています。そのため、お互いに「なんで!?」と、ずっと感じていたのかもしれません。 ■母との会話で終わりを迎えた中学受験これには、母はとても共感してくれました。次回に続く(全16話)毎日10時更新!
2023年07月20日■前回のあらすじ学校の成績が最下位レベルまで落ちた私。三者面談で先生が教えてくれた絵を学べる学校もレベルが高く、このときの私の学力では到底手が届かず、完全に「詰み」の状態になりました。■母が私に聞いてきたのは!?完全に進路が見えなくなってしまった私でしたが、塾には惰性で通っていました。勉強は正直あまりついていけない状態になっていましたが、帰宅後に母と家にいるのもしんどく、塾を辞めなかったのです。そんな生活が普通になってきた頃、塾のない日に母がそっと私に話しかけてきました。母は以前、見学に行ったD学園の印象を遠慮がちに聞いてきました。 ■少し希望が持てた出来事A女子中がイチオシだった母。D学園は受けさせてもらえないだろうと思っていましたが、ここにきて「本当に自分が良いと思った学校に行けるかもしれない」と希望が持てました。次回に続く(全16話)毎日10時更新!
2023年07月16日■前回のあらすじお酒好きな母は、小6の受験生の私に対し、酔うとちくちくと怒るようになりました。ある日、ついに母の本音が飛び出したのです。それにより、「この受験は自分のためにしているものではなく、母の夢と理想のためにしている」と気づき…。■母が中学受験に熱を入れる本当の理由とは学生時代、優秀でとにかく勉強することが大好、部活でも大活躍という、まさに「優秀」な生徒だった母。大学でもっと勉強したい! と高校卒業後は大学へ進むことを熱望し、学校の先生もそれを応援してくれていたのですが、時代と私の祖父の意見(主に経済的な理由)により、その道は絶たれてしまいました。自分の望んだ進路が絶たれ、悔しい思いをした母。心身に疲れが出始めていたころでもあり、「それでもなんでも受験なんだから前向きに頑張らなきゃ!」と気持ちを奮い立たせられる状態ではありませんでした。 ■私がした、せめてもの反抗今なら「私を使ってお母さんの夢を叶えようとしないで!」と気持ちをむき出しにして怒ることもできますが、あまりの絶望感に、そんな気力も湧いてきませんでした。また、母に直接、何かを言う勇気も度胸もなかった私は、せめてもの反抗心でA女子中の過去問題集を、ゴミ箱に投げ入れてしまいました。次回に続く(全16話)毎日10時更新!
2023年07月11日■前回のあらすじついに受験生である小学6年生に進級。ハードな受験生活で身も心も消耗。12歳にして白髪だらけになるほど頑張っていたものの、なかなか成績が上がらず…。しびれを切らした母に罵倒されながら勉強を続けていました。今回は受験から話が少しズレますが、母の話を聞いてください…。■お酒を飲むと本音が飛び出す母お酒好きといっても、がぶがぶ飲んで暴れて、というタイプではなかったのですが、このころからお酒に酔うとちくちくと私が怒られるのが、定番の流れに。「お願いだからちゃんと勉強して」「ちゃんとやればできるから」「いい学校(A女子中)に行って」と、毎日のように酔った母に言われました。しかし、この日の母は少し違っていて…。お酒を飲むとすべて遠慮なく言葉や感情を出してしまうタイプの母の言葉に、私は嫌な意味で「嘘ではない」と確信しました。 ■母の私の受験に対する目的に気づいた中学受験において勝負時と言われる小学6年生のころ、私は「この受験は自分のためにしているものではなく、母の夢と理想のためにしている」と、気づきました。そこから、どんどん悪い考えが頭をよぎり、「小学校も幼稚園もお受験したのは私ではなく、母がしたかったことだった…?」「この先も母が歩みたかった人生を代わりに歩まされるのか?」など、自分という人間の存在意義と価値が揺らいでいきました。次回に続く(全16話)毎日10時更新!
2023年07月10日私が海外で結婚し、出産・育児をしていく中で、心と体の支えになってくれていたのは母でした。その母が他界したのは、私が2人目の子を産んで2カ月後のことだったのです。※コロナ禍前の体験談です。 産後のお世話にきてくれた母海外に住んでいることもあり、2人目出産後は母が日本から来て1カ月間滞在し、生まれた子どものお風呂や食事作り、洗濯、上の子のお世話までしてくれました。 中でも1番うれしかったのは、上の子が短期間でもおばあちゃんと一緒に過ごせたことです。また、私自身も母親と久しぶりにゆっくり過ごせて、いろいろな話もでき、とても良い時間でした。 突然の他界母が日本に帰国して1カ月、突然その時は訪れました。母はくも膜下出血で倒れて病院に運ばれ、1日もたずにそのまま他界してしまったのです。 突然の訃報を受け入れられずボロボロと泣いている私を見て、上の子が不思議そうにしていました。母の葬儀のために帰国するにも、まだ生まれたばかりの2人目はパスポート申請も間に合わず、夫の実家に預けることに。落ち込んで泣いている時間もなく飛行機のチケットの手続きをし、慌てて日本に帰国し母と最期の別れをしました。上の子は亡くなった母に触れて「おばあちゃん冷たい……」と寂しそうにつぶやいていました。 母の存在の大きさ2人目の子どもが生後100日になるころ、49日法要のために2人の子どもを連れてまた帰国。夫は仕事で都合がつかず私ひとりでの帰国だったため、2人目をおんぶして上の子と手をつないでの飛行機や電車の乗り換え移動となり、緊張し過ぎて、実家に到着したら体調を崩してしまうほどでした。 近所に兄夫婦が住んでいるものの、実家には父ひとりなので、滞在中は食事作り、掃除洗濯、買い物まで私がひとりでしました。子どもを見ながらだったので、いなくなった母の存在がいかに大きかったかをより実感しました。 母への想いは時が過ぎても…3年過ぎて上の子が6歳になったとき、幼稚園で「おばあちゃん、家にきてほしい」と手紙を書いてきました。おばあちゃんを覚えていることにも驚きましたが、何よりも「家にきてほしい」とおばあちゃんを慕っている子どもの想いに切なくなり、「おばあちゃんはこられないんだよ」と言いながら、成長した子どもを母に見せてあげたかった……と泣きました。 そして母にしてあげられなかったこと、もっとしてあげたかったこと、いろいろな想いが数年経ってもまだあるのだとわかりました。 1人目、2人目が男の子だったため、母は「3人目が女の子だったら良いね」と話していました。不思議とその言葉どおりに3人目に女の子が誕生しました。子どもたちが元気に成長しているのも、母が見守ってくれているからのように感じます。母に感謝をしながら、家族をもっと大切にしていきたいと思います。 監修/助産師 松田玲子著者:鈴木そうこ6歳3歳0歳の兄妹を育児中。韓国人の夫と結婚し、韓国の田舎で専業主婦をしている。韓国語と日本語の二重言語教育や妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2023年07月07日■前回のあらすじゆいの発達検査結果について母と妹に報告すると、妹が自分がかつて0点を取ったときの話をする。そのとき母は何も気にしなかったそうで、「あのとき大切に守られてたら、今の私はいないかも」と妹は言うのだった。■守るだけじゃダメ!?■母の言葉に…悩む私に母が掛けてくれたのは、「絶対に大丈夫」という言葉。私はなんだか肩の力が抜けた気がして…、心が軽くなったのでした。次回に続く「療育手帳を取得した話」(全38話)は12時更新!
2023年07月01日先輩ママがたとえる「出産の痛み」にビックリ この投稿をInstagramで見る 凛(@rin27_official)がシェアした投稿 凛さんは元プロレスラーでタレントの北斗晶・佐々木健介夫妻の長男・健之介さんと昨年結婚し、現在は第一子を妊娠中です。カナダで映像作家をしている健之介さんと一緒に暮らすために渡加し、出産に向けて過ごす日々をブログで公開しています。妊娠後期に入り、出産まで残すところあとわずかの凛さん。このところお腹の膨らみがいっそう目立つようになってきたそうで、「お腹が急激にまた突き出てきて大きく丸々してきた気がするんだけど気のせいかな」「そんなことある?」と不思議に思う気持ちもあるよう。出産方法については、「ぶっちゃけ自分は(普通分娩と無痛分娩の)どっち選んでも産まれてくる事には変わりないからどっちでも良いと思う派」で、「今回普通分娩の予定」だと説明。「産んだママさん達の痛みの例えを聞いたら未知な世界すぎて正直ビビっちゃうけど…」と率直な気持ちも吐露しています。里帰りなどはせず、このままカナダで出産するつもりだそうですが、「海外出産に不安はないの?」という質問には、「海外で産むことに対しては全然不安とかなくて」「日本に居ても海外にいても出産は変わらないから場所とか環境とかは全然関係ないかな」と、考えを明かしました。「そもそもの出産自体が初めましてで海外生活も初めましてで全部が初めましてだらけだからなんだか不安よりも不思議な感じです」と、凛さん。慣れない環境で、不安になることも少なくないはずではありますが、「英語も喋れないんだけどなんとか生きていけるし頑張れば通じるから大丈夫っていらない自信を持って生きてます」と、ポジティブマインドで日々過ごしているようです。産まれてくる子どもには「海外産まれになる子だから日本の名前+ミドルネーム」をつける予定だそう。ちなみに、義母である北斗晶さんは先日、仕事で韓国を訪れた際に「まさに今、凛ちゃんがお腹が大きいから直ぐに目に飛び込んできた絵でした」と、お腹の大きい妊婦さんのような女性を描いた神秘的な絵を購入。「夏に生まれる私の孫にプレゼント」だそうで、初孫の誕生を心待ちにしているようです。(※画像は北斗晶さんオフィシャルブログより)(※画像は北斗晶さんオフィシャルブログより)出産の流れって?臨月になると、お産が近づくにつれて身体が変化します。たとえば、胎児の頭が骨盤の中に入り身体が下降することで、それまで圧迫されていた胃がスッキリして感じたり、卵膜がはがれて出血が起きて「おしるし」がみられたり、不規則な陣痛(前駆陣痛)が起きたり…その他にも、恥骨が痛む、おりものが増加するなど、さまざまな症状がみられます。陣痛がきたらいよいよ出産です。陣痛が起こる間隔が少しずつ短くなると子宮口が開き、胎児が降りてきます。初産婦の場合は分娩開始(陣痛が10分間隔になる)から子宮口が全開し、赤ちゃんが生まれて胎盤が娩出されるまで、合計で12~16時間ほどかかるのが一般的です(経産婦の場合5~8時間)。この所要時間はあくまで平均的なもので、人によっては30時間近くかかることもあります。子宮口が全開すると陣痛はさらに激しく間隔も短くなります。破水は通常、子宮口が全開してから起こりますが、全開前に起こることも。子宮口全開大から赤ちゃんが生まれるまで、初産婦では1~3時間かかります(経産婦では0.5~1.5時間)。赤ちゃんが生まれた後にも軽い陣痛が起きて、胎盤が剥がれて娩出されます。上記は一般的な流れではありますが、お産の前兆がはっきりしない人もいますし、所要時間にも大きな個人差があります。
2023年06月30日皆さんは普段、お弁当を手作りしますか? 学生時代、親にお弁当を作ってもらっていたという方も多いでしょう。 今回は、そんなお弁当にまつわるエピソードを紹介します!母のお弁当をバカにされ…私が小学校の頃、母が毎日丹精込めてお弁当を作ってくれていました。しかしある日、お弁当を食べていたとき、クラスメイトから「それ、マズいよね?」と言われてしまい、私は傷ついて泣いてしまいました。その日以降、私はお弁当を食べることができなくなりました。母は私がお弁当を食べていないことを知り、心配して私に「どうして食べないの?」と聞きました。母の優しさに…私はクラスメイトに言われたことを話し、涙が止まらなくなってしまいました。すると母は、私を抱きしめて「ママの作ったお弁当は、とってもおいしいんだよ。クラスメイトたちがマズいと言うのは、ただの意地悪だよ」と優しく言ってくれたのです。それからは、母の作るお弁当を食べることができるようになりました。母の温かい言葉と優しさに涙が止まり、心が癒されました。(40代/女性)お弁当の時間はみんなで楽しくどのようなお弁当を用意するかはそれぞれの自由ですが、人が作ったものを見下すような態度は良くないですよね。優劣を争うことなく、ごはんはみんなで楽しく食べたいものです。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。
2023年06月26日■前回のあらすじ義姉のブラコンぶりは、結婚が決まってさらにヒートアップ。式場見学についてきたり、新婚旅行先は義姉が決めようとしたり。しかも結婚式前日に体調崩した義姉の元に彼は行ってしまう。結婚式の写真にも義姉が堂々とふたりの間に写り込んでいて落ち込む優梨だった…。 >>1話目を見る 甥の誕生を喜んでくれるのは嬉しいけれど、義理の家族が出産に立ち会いたいなんてそんな非常識なことを言ってくるとは思っていませんでした。しかも出産中に大騒ぎしている義姉の声まで聞こえてきて…。このまま息子が産まれたらお義姉さんの距離感はどうなってしまうのか…。次回に続く(全15話)毎日更新!この話のイラストは、一部下記クレジットの写真を使用しています。©s_fukumura - stock.adobe.com,©PONPON - stock.adobe.com※この漫画は実話を元に編集しています脚本・高尾/イラスト・ のばら
2023年06月25日3回目の出産をする私に、何を贈ったらいいかと悩んでいたやさしい友人。そして選んでくれたのは、私のための洋服でした。「出産祝い」と聞くと赤ちゃんに向けたプレゼントが多いですが、初めて自分のための贈り物をいただいたので、とてもうれしかったです。 何が欲しい?と何度も聞かれた臨月私が3人目を妊娠中、親族や友人から出産祝いに何が欲しいかと聞かれました。今までは、ベビー服、ベビー用品、おむつケーキなど、赤ちゃん向けの物をもらうことが多く、私自身に「何が欲しい?」と聞かれるとは思っていなかったので、返答に困っていました。 さらに3人目の出産ともなると、すでに持っている物も多く、周囲も本当に必要な物をあげようと気づかってくれたり、他の人と被らないように配慮したりしてくれていました。 3度目の出産祝い、友人からの贈り物は…妊娠中はおなかが出ているほか、苦しくなると気持ち悪くなってしまいます。そのため、私はずっと妊婦服を着ていました。また、たまに友人に会ったときも、いつもリラックスできるゆったりとした服装だったので、洋服を贈ろうと思いついてくれたようです。 それは、サイドにホックがついているフリルスカートと、バラの刺しゅうがあしらわれた薄手のブラウスでした。友人曰く、出産祝いは赤ちゃんの物をもらうことが多いだろうということで、私のための洋服を選ぼうと思ってくれたそうです。 友人のおかげで体型を戻せた!しかし、友人にもらった洋服は妊娠中は着ることができないようなタイトなものだったため、産後に着ようと大切にしまっておきました。そして産後直後に着てみたら、その洋服はきつくてとても着ることができなかったのです。 でも、それを機に体型を気にするようになり、無理のない範囲でストレッチや産褥体操をおこなっていたらホックがきつかった洋服も着られるようになり、体重も妊娠前より軽くなりました。 妊娠中、おしゃれにまったく気をつかっていなかったのと、今までは出産祝いに赤ちゃんの物をもらうことが多かったので、友人が出産祝いとして私の洋服をくれたときは正直驚きました。自分のことはあと回しにしてしまいがちだったので、産後体型を戻すことができたのは友人のおかげだなと感謝しています。 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/まっふ 著者:永田真結4歳の長女、2歳の長男、0歳の次女を持つ母。自身の妊娠、出産、育児に関する体験談を中心に記事を執筆している。
2023年06月24日私たち家族はオーストラリア在住です。2人目出産時、頼れる身内は夫だけという状況のなか、夫婦で育児ノイローゼのようになってしまいました。ここでは、2人目で育児経験があってもうまくいかないと実感したことや、精神的に不安定な状態になってから復活までの体験をお伝えします。オーストラリアでの出産を決意!2人目の妊娠判明後、オーストラリアでの出産を決意。理由は、長女のときは日本に戻って出産したため、夫が初めて長女に会ったのが生後3日目で、貴重な新生児期を一緒に過ごせたのはたったの1週間程でした。仕事があるので仕方のないことですが、私は夫と子どもを引き離してしまっていたことずっと後悔していたのです。日々変化する子どもの成長を夫にも見せたい!と思ってオーストラリアでの出産を決断しましたが、普段あまり娘のお世話をしていない夫と2歳イヤイヤ期真っ最中の娘を抱えての出産には正直なところ不安もありました。 ついに出産!そして…その後、妊娠38週3日の深夜に次女を出産しました。妊娠中の苦しさや、出産での疲労でくたくたでした。「これでやっと数日入院して休める」と思っていた矢先、看護師さんから「少し休んだら帰ってね」とひと言。これには驚愕しました。私は疲労困ぱいでしたし、長女と一緒に帰ったら絶対に休めないと思い、一泊だけでも入院したいと食い下がりましたが答えはNO。沐浴もまだで胎脂をつけたままの次女を連れ、出産から約8時間後に泣く泣く退院することになったのです。 空回る夫、疲れ果てた私。その結果…夫は張り切って家事・育児をしましたが、慣れない家事や2歳イヤイヤ期の娘のお世話は簡単ではなく、次第に夫の様子に異変が。表情には覇気がなく食事をしなくなり、靴を履かないだけで長女を怒鳴ったり、ぼーっとしたりしている時間も増えていき……。それを見た友人が冗談ぽく「育児ノイローゼじゃない?」とひと言。それだ!と心の中で叫びました。私のほうも夫のフォローにまわり、家事も育児も頑張った結果、心身を病み育児ノイローゼのような状態に……。めまい、食欲不振、倦怠感、突然出る涙、娘たちがかわいく思えないという事態にまでなってしまったのです。 一家の危機に救世主現れる!そして出産から2カ月後、わが家へ義母が手伝いにきてくれました。家の空気は一変! 明るくて子どもの面倒もよく見てくれる義母。バランスの良い食事を作ってくれて、家事もテキパキとおこなってくれて助かりました。私は十分に休息でき、仕事に復帰した夫も次第に育児ノイローゼのような症状が治ってよかったです。約3週間滞在してくれた義母と一緒に、私も娘たちを連れて日本に帰国しました。久しぶりの母国、実家、すぐに助けてくれる人たちがいる環境に安堵し、心から娘たちをかわいいと思える余裕が生まれました。 この経験で学んだことは、・誰でも育児ノイローゼのような状態になる・自分の力量を知り、対策する・育児や家事に完璧を求めない・産後は無理してでも休む以上4つです。まさか夫婦で精神的に不安定な状態になるとは思いませんでした。経験者でも育児を甘く見てはいけないと身をもって感じたのでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:藤原 にじ二児の姉妹の母。兵庫県出身、オーストラリア在住。自身の経験と感性をもとに執筆活動中。趣味はイラスト、漫画を描くこと。旅行も大好き!妄想の中でも旅行に行く。
2023年06月23日実家を離れて暮らしている私は、出産のとき里帰りをしました。安心できる実家で産前、産後を穏やかに過ごすつもりだったのですが、さまざまな祖父の言動に悲しい思いや悔しい思いをして傷心。苦い思い出が残る里帰りでした。長い里帰り、祖父への不満続出切迫早産の兆候があったので、里帰り出産を予定していた私は、大事をとって妊娠7カ月のときに早めの帰省をしました。平日の日中、父と母は仕事に出ており、在宅している祖父母と過ごす時間が長くなったのです。 祖父は亭主関白な性格で、自分の身の回りのことはほとんど祖母に整えてもらっていたり、上からものを言うことも多かったりして、長い里帰りの期間で祖父への抵抗や苛立ちが私のなかで出てくることが多々ありました。 私は炊事係!?実家とは言え、家事などは進んでする気持ちでいた私は、家の農業の手伝いや食事作りをできる範囲でおこなっていました。しかし、妊娠初期から眠気が強く出ていて睡魔が襲ってくることが多く、家事ができないことがたびたびあったのです。 ある日、お昼になってテレビを観ていた祖父が「まだごはんの用意ができないのか」と怒ってきました。当時、祖母は昼過ぎまで農業に出ていたため、私が昼食を作ることが多くなっていたのです。 食事の時間はわかっていたけれども眠気とだるさで動く気がしなかった私は、祖父の言葉にため息。しかも祖父はただテレビを観ていただけ! 自分本位な言葉に「私はあなたの炊事係なの!?」と悲しい気持ちになりました。 母を悪く言わないで!祖父は嫁である私の母に、厳しいところが昔からありました。里帰り中もたびたび喧嘩をして、母がグチをこぼしていました。普段はあまり深入りしない私ですが、1度だけ祖父の言動にひどく気持ちを揺さぶられて、「お母さんは悪くない!」と抵抗し、祖父と大喧嘩したことがありました。 そのときは、母が祖父のことを思って忠告した言葉に祖父が怒って暴言を吐いたので、私は許せなかったのです。今思うと、産後1カ月経たないころで気持ちが不安定になっていたのかもしれませんが、祖父と喧嘩をしたことが里帰り中何よりつらい体験でした。 祖父にこんな感情持ちたくない!祖父に不快な感情を持つということ自体、娘を産んだばかりの私にとっては悲しいことでした。というのも、娘の祖父となった私の父が、娘をとてもかわいがってくれている姿を目の前にして、将来娘も私と同じように「じいちゃんが憎たらしい」という感情を持つことがあるのかもしれないと考えると複雑な気持ちだったのです。 しばらくして冷静になった私は、否定的な感情に折り合いをつけて、なんとか祖父と和解しました。 7年経った今となっては、久しぶりの長い実家生活で、家族の嫌な部分が見えてきてしまったのかなと思います。祖父に苛立ち立っていたのは少し感情的になっていたのかもしれません。悲しかったり悔しかったりして苦い思い出が残る里帰りでしたが、実家で家族とゆっくり過ごせた貴重な時間でした。 著者:田島さき自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2023年06月19日皆さんは、出産したときのことを覚えていますか?今回は、自分勝手な義母のエピソードを漫画で紹介します。出産について私の意見は無視?陣痛がくると…何のためについてきたの?いざ頼るとなにもやってくれない義母…。自分勝手な義母に振り回されたイラッとエピソードでした。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています
2023年05月27日次女・むっちゃんを妊娠23週・500g台で出産したはさみさん。そんなはなみさんは、むっちゃんを妊娠中、大変な苦労や心配があったそう。これは、はさみさんがむっちゃんをおなかに授かってから、出産するまでの物語です。むっちゃんを妊娠中、かかりつけの産婦人科で羊水過少症を指摘されたはさみさん。出血も続いていることから、妊娠22週のときに大きな病院へ入院することになりました。そこで、詳しい原因はわからないものの、早産になる可能性が高いことを知らされました。そして、入院中の夫と長女・まーちゃんとのビデオ通話中に、体調不良を感じたはさみさん。出血と腹痛が治まらず、急いで内診台へ。突如あわただしく動き回るスタッフに、はさみさんもただ事ではないと感じますが……?妊娠23週で生まれたわが子突然「これから産むことになります」と医師からの説明を受け、手術室へ移動することに。 目が覚めたときには、出産は終わっていました。 NICU(新生児集中治療室)にいる赤ちゃんに会いに行ったはさみさん。むっちゃんに対する第一印象は「小さい……。かわいい……」でした。 しかし、入院中はよく涙を流していたというはさみさん。そんな様子を見た看護師さんが親身に話を聞いてくれ、心が救われたそう。その後、はさみさんは自身の診療やむっちゃんの病状の説明を受け、退院。むっちゃんをひとりで病院に残してきたことには、なんとも言えない寂しさがあったそうですが、無事に長女のまーちゃんと再会でき涙を流したはさみさんでした。 医師からは「これからたくさんの山場がある」と説明されたはさみさん。「不安は当然ありましたが、目の前にいる次女は元気そう。不思議と山場を乗り越えられる気がした」と言います。 とはいえ小さな娘のために、親としてできることが限られているのも事実。そのため、入院中は涙してしまうことも多かったようです……。ですが、むっちゃんが無事この世に誕生できたのは、はさみさんが命がけでむっちゃんを守ってきたからに違いありません。 これから先、むっちゃんにはたくさんの山場が訪れるのかもしれませんが、はさみさんをはじめ、家族の支えがあればきっと大丈夫でしょう。愛情をたっぷりと受けて、すくすくと育っていってほしいですね! 著者:マンガ家・イラストレーター はさみ
2023年05月25日もちこさんは5人家族。もちこさんには、3歳上の兄と1歳上の姉がいます。父と母は物心ついたころから不仲で、家庭内別居状態。真面目で昔ながらの考え方をする母はノイローゼになり、子どもたちを虐待するようになったのです……。普段は愛情深くてやさしい母。しかしもちこさんたちが気に入らないことをすると、しつけといって虐待を繰り返していました。そして、直接的な暴力は日常茶飯事だったというのです。部屋を散らかしていたことで母に怒られたもちこさん。しかし怒鳴られただけでは済まず……。怒った母がいつも私たちにする「しつけ」とは… 部屋を散らかしていたもちこさんは、おしりを母に布団たたきで叩かれました。母に振るわれた暴力の中で、これが一番痛いものでした……。 叩かれたときはもちろん、そのあともジンジンと痛みは続きます。子どもたちの中では「布団たたきの刑」と呼ばれ、恐れられており、入浴時に姉に確かめてもらうと、もちこさんのおしりと太ももは真っ赤に腫れあがっていました……。 母による直接的な暴力は日常茶飯事。子どもたちは母親の恐怖支配からは逃れられませんでした。しかし、兄姉がいたことで打ち明けられる環境があったのはよかったのかもしれません。 しかし、何があっても子どもに手を上げるのはやめて欲しいです。恐怖で支配された子どもたちは親からの愛情を感じられないと思うかもしれません。育児に必要なものは恐怖ではなく、愛情です。 もちこさんの母にはまず自身がノイローゼになっていることを認識して、専門的なカウンセリングを受けるなどし、暴力や恐怖ではなにも解決できないことを自覚してほしいですね。 ▼児童相談所全国共通ダイヤル育児や子育てに悩んだときなどの相談窓口です。全国共通ダイヤル「189」に電話をかけると、発信した電話の市内局番等から当該地域を特定し、管轄する児童相談所に電話が転送されます。子どもが虐待されているかもと思ったとき、自分の子育てがつらくて子どもにあたってしまうときなどに、専門家に相談することができます。電話番号:189(いちはやく) ▼24時間子供SOSダイヤル いじめやその他の子どものSOS全てにおいて、子どもや保護者などが夜間・休日を含めて24時間、相談を受け付けている全国共通のダイヤル。都道府県及び指定都市教育委員会などにより運営されています。電話番号:0120-0-78310(なやみいおう)著者:マンガ家・イラストレーター もちこ再構築中のサレ妻。2歳差男児たちの母。ブログやインスタグラムで再構築の日常、育児漫画、実母から虐待されていた話、結婚詐欺にあった話、豊胸&脂肪吸引レポ等、自身の体験漫画を描いている。コミック『結婚生活の半分以上不倫サレてました 夫と不倫相手を地獄に堕とす』(KADOKAWA)発売中。
2023年05月19日私は50歳のころ、75歳になる母と小学生の息子と暮らしていました。昔からしっかり者でやさしい母のことが、私は大好きでした。しかし、母はある日を境に急に物忘れが激しくなり病院へ。生活は一変し、私はストレスを感じ始めるようになってしまいました。認知症だと診断された母と私のことをお話しします。★関連記事:突然始まった介護生活! 義母が腰椎圧迫骨折をして入院後、自宅介護に【体験談】母の介護は私の役目だと思い母の言動に違和感を覚え病院へ昔からしっかり者で、愛情深い私の母。私が離婚して息子を抱えて帰ってきたときも温かく迎えてくれ、母のやさしさに何度も救われてきました。母の異変に気付き始めたのは、父が亡くなってから1年たったくらいからでした。ある日、「今日はいい天気だからみんなで出かけようか」と母からの提案がありました。私と息子と母の3人で出かけようと準備していると、「ピンポーン」とインターホンが鳴りました。私が出ると、母の友人が立っていました。どうやら母は友人と出かける約束をしていたようでした。母は、予定が入るとすぐにカレンダーへ書き込む習慣があったので、私は「お母さんが約束を忘れるなんて珍しい……」と思いましたが、母も人間です。忘れることは誰にでもあると思い、そのときは気にしませんでした。しかし、その日を境に、こういったことが多くなったのです。友人と出かけることが大好きだった母ですが、約束しても忘れてしまうことが増え、友人に何度も謝り、覚えていられない自分を責めてつらそうでした。母は料理が好きだったので、毎日料理を作ってくれていたのですが、料理にも変化が表れ始めます。毎日のように作っていた料理の作り方や材料が、だんだんとわからなくなっていったのです。約1年の間にどんどん記憶力が低下していく母。これは見ていられないと思い、「病院へ行こう」と母に提案。母もすんなり快諾してくれたので、一緒に病院へ向かいました。「認知症」と診断された母病院を受診し、母は「認知症」と診断されました。もしかして……とは思っていましたが、いざ診断されるとショックでした。医師から母と接するときのアドバイスや、デイサービスの利用などの説明を受け、家に帰りました。私は週に2日のみ生け花講師の仕事をしていたこともあり、母のことは自宅で様子を見ることになりました。ある日、母は転んで足をけがしてしまいました。筋を痛めたようで足が悪くなり、あっという間にほとんど寝たきり状態に……。介護施設へ入れることも考えましたが、「今まで母に助けてもらってきた恩を、今度は私が返す番だ」と思い、仕事を辞めて自宅介護に踏み切ります。日中は息子も小学校へ行っていることもあり、母との時間に集中できていました。介護の本を買い、素人ながらに勉強して母の介護に努めました。しかし、寝たきり状態になったことで、母の認知症の症状はさらに進んでしまいます。約束していないのに「今日は友人とランチに行くから、準備させてくれる?」と、笑顔で頼む母に、私は胸が痛くなりました。自宅介護に限界を感じた私時々幻覚も見え始めた母は、パニックになって叫ぶことも。「母に恩返ししたい」という一心で介護していましたが、息子との時間を十分に取ってあげられないようになってしまいました。そのことが、自宅介護を選択した唯一の後悔です。息子と話をしていても母がパニックになり叫びだすと、どうしても母を優先しなければなりませんでした。自分の時間は一切なく、息子にも罪悪感を覚えながら介護する日々。しかし、このときの私は1日を無事に終えることに精一杯で、誰かに頼るという選択肢はありませんでした。母は認知症が進んでも、私と息子のことは覚えていましたが、友人がお見舞いに家へ訪れても「どなたでしたっけ?」と言うようになりました。友人は母に見えないところで涙を流し、「また来るからね。頑張り過ぎないでね」と私に声をかけてくれて、その後何度も母の顔を見に来てくれました。時がたつにつれて、母は夜に徘徊するように。母がどこかへ出て行ってしまわないように、私は睡眠時間も削り、寝ていても休んだ気がしない日々が続きました。そんなとき、家へ訪れた母の友人が私の様子を見て、「自分の母親だからって全部抱え込まなくていいのよ」と言ってくれたのです。母の友人と話をしたことがきっかけで、施設に入れるのではなくデイサービスなどを利用してみることにしました。利用を始めてから、自分が母の介護をできないという罪悪感はありましたが、ヘルパーさんにその日の母の様子を聞いたり声をかけたりしていただいたおかげで、安心してデイサービスに頼れるように。息子との時間もでき、自分の心にも余裕ができたように感じました。まとめ母が認知症と診断されてから約6年。最後は自宅で母を看取りました。母が亡くなってもちろん悲しかったですが、母と向き合える時間を過ごせてよかったと感じました約6年間の自宅介護生活、どんどん物忘れが激しくなっていく母の世話がしんどいと感じるときもありました。しかし、母とゆっくり向き合えるいい時間だったな、と今は感じています。そして、「自分の親だから」とひとりで抱え込まずに、誰かに頼ることも大切だと母に教えてもらった気がします。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。取材・文/もちだひのっしーマンガ/☆まかりな☆著者/もちだひのっしー元保育士のママライター。2歳のイヤイヤ期真っ只中の息子と毎日奮闘中。伝わりやすく執筆できるように頑張ってます!
2023年05月16日私は現在、小学生と中学生の男の子の母をしています。長男がまだ小さかったころ、夫は仕事で家におらず、私には頼れる親がいなかったため、ひとりで試行錯誤しながら子育てをしていました。孤育てなので、休む暇がなく心に余裕がありませんでした。しかし、時が過ぎて2人目を出産すると、状況は変わっていったのです。 赤ちゃんとの生活は休む暇なし!?長男を出産してまず感じたことは、「休む暇がない……」でした。赤ちゃんとの生活はミルク、おむつ、寝た隙に家事の繰り返し。睡眠不足が続き、心に余裕がありませんでした。 そんな私が変わったのは、2人目が生まれてから。「子育ては体力勝負。自分の体を休めることを大事にしていこう」。そう心に決めたのです。子どもがお昼寝する時間は子どもと一緒に横になる。これだけで体がとてもラクになったことを覚えています。 家事をやってみたいと言い出した長男2人目を出産したとき、長男は幼稚園の年中さんでした。赤ちゃん返りもあり、私に甘えたい時期。子どもの世話をしながら家事を進めていくことの難しさを痛感していました。 そんなある日、長男が私がおこなっている家事を「やってみたい」と言い出すように。完璧を求めずできたことを褒めると、子どもはとてもうれしそうでした。家事と並行して子どもと関わることができるので時間の効率化になり、とてもいい方法だと気が付いたのです。 私の子育てを支えた強い味方は…さらに、家事によっては家電に頼って効率よくこなすことも大切だと感じました。たとえば野菜スープを作りたいときは、切った野菜を電気圧力鍋に入れて、味を整えるだけで完成です。野菜の大きさや固さなどを変えれば月齢に合わせた栄養豊富な離乳食ができます。 他にも、食洗器や乾燥機付きの洗濯機は、ボタンを押すだけで洗浄から乾燥まで全自動。家事にかかる時間を減らし、子どもとの時間を増やしてくれる家電は子育てを応援してくれる強い味方でした。 今は子どもたちも大きくなり、手のかかる時期は過ぎましたが、家事に終わりはありません。いかに効率よく、家事を時短で終わらせるかを今も考えています。時間のゆとりは心のゆとり! 頑張りすぎずに家族みんなが笑顔でいられるように過ごしていきたいと思っています。 イラスト/さくら監修/助産師 松田玲子著者:岡本 美香2児の母で元ナース。 発達障害の子育て経験をもとに、「読者の気持ちに寄り添った」記事作りを意識して執筆している。
2023年05月13日皆さんは、結婚式での思い出はありますか?今回は、身勝手な母のエピソードを漫画で紹介します。結婚式はあげないつもり…母の強い要望準備は順調?意見を全否定自分の結婚式なのに意見を通してもらえなかったなんて…。娘の意見を聞かない身勝手な母に幻滅したエピソードでした。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています
2023年05月13日皆さんは、学生時代に食べていたお弁当の思い出はありますか?今回は、母の仰天エピソードを漫画で紹介します。母の手作り弁当私の好きなもの?あの有名なお菓子がお弁当に!?偽ポテトサラダ…?有名なお菓子に似ている偽ポテトサラダ…。母の意味深なお弁当の具に謎が残るエピソードでした。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています
2023年05月13日母の日には日ごろの感謝の気持ちを伝えたいですよね。 今回は、結婚したら義母にも贈り物をと考えていたのに、義母のまさかの行動に驚いてしまったエピソードを紹介します。結婚して初めての母の日私が結婚して1年目、初めての母の日が迫ってきたときのことでした。結婚したらもちろん母の日には義母にも気持ちばかりのものを贈ろうと考えていて、何がよいかと悩んでいたのですが…。義母からLINEがそんなある日、義母からLINEが届きました。その内容が母の日のプレゼントの催促だったのです。「自分からプレゼントを催促するのか?」と、その時点で身構えたのですが…。催促してきた内容がなんと30万程もするマッサージチェアのおねだりだったのです。正直、母の日プレゼントの常識的な金額を越えているような気がしてゾッとしました。(30代/女性)感謝の気持ちはあっても…。さすがに30万円は高いですよね…。いくら感謝しているからと言っても、気軽にプレゼントできる金額ではありません。高価でなくても心のこもった贈り物で感謝の気持ちが伝えられるとよいですね。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。
2023年05月10日私は第1子を里帰り出産することにしました。初めての出産で不安なことと、母の希望もあって決めた里帰り出産。出産予定日の前後3カ月間を実家で過ごしたのですが、快適である反面ストレスが溜まることもあったのです……。快適な実家生活だったけど…産院を転院する関係で、私は出産予定日の2カ月前から実家へ帰ることにしました。実家で長く生活するのは、高校を卒業して以来約10年ぶりのこと。夫を家にひとり残すのはちょっぴり心配でしたが、久しぶりの実家生活をとても楽しみにしていました。 実家からは産院へも近く、何かあったらすぐに駆けつけてくれる親戚も近くにいました。また、何よりもごはんを作らなくていい実家生活は、妊娠後期で体が重かった私にとってとても快適なものでした。 「水道光熱費が増えた」と言われた無事に長男を出産した私は、退院して実家へと戻りました。慣れない育児、眠気と闘いながら頭ボサボサのまま長男のお世話をしていた私にとって、ごはんを作ってくれる母や長男の面倒を見てくれる父の存在は、ありがたいものでした。しかしあるとき、母に「水道代が高い! 先月からすごく増えた!」と言われたのです。 確かに、里帰り中の私はずっと実家にいました。父と母の2人のときよりも、水道の使用量は増えると思います。トイレも膀胱が圧迫されるせいか1日10回以上は行っていたし、「水道代が上がるのは仕方ないんじゃないか」と思います。しかし母は納得がいかなかったようで、「節約するように」と念を押されてしまいました。 電話しただけで激怒された検針票を見て、私が里帰りをしてからの水道光熱費が跳ね上がっていることを知った母は、いろいろなことに対して過敏に反応するようになりました。私のスマホが不調だったので実家の電話を使っていたら「いつまで電話してるの! 電気代がかかる!」と激怒されたこともあります。 産後1カ月は湯船につかれないため、毎日シャワーを15分程度使っていたら「シャワー使いすぎじゃない?」と言われたこともあります。私はそんな母の小言に産後の疲れも加わり、とてもストレスを感じるようになってしまいました。おそらく母も同じようにストレスを感じていたと思います。 里帰り前から決めていた謝礼を渡すと…そして長男の生後1カ健診が終わった日、実家を後にして自宅に帰ることになりました。その日に私が里帰りしたことで増えてしまった水道光熱費と食費として、10万円を渡しました。この10万は最初から渡そうと思っていたお金でしたが、里帰り中の母の小言を聞いて「絶対渡さなきゃ!」と思った10万でもあります。このお金を渡したことで母も納得してくれたように思えます。 今回の里帰り出産で、親子間であってもお金の取り決めはきちんとして、あらかじめ伝えておかなければ、ということを学びました。そうすることで、私だけでなく、母のストレスも減らすことができたのではないかと感じています。 監修/助産師 松田玲子著者:小山田ちよえ2男1女の母、アラフォー主婦。夫の仕事が忙しく平日はワンオペ育児に奮闘中。チョコレートとパンが大好き。復職に向けて資格取得を目指している。
2023年05月09日超絶イケメンの彼氏と付き合えた主人公。なぜかこれまで彼女がいなかったらしい彼氏ですが、付き合い始めて彼の秘密が露わになっていき…。今回はイケメン彼氏の秘密のエピソードについて紹介します。彼氏の家に訪問!?なぜか彼氏指定の服を着ることに快諾ママ呼びをする彼氏お別れに…彼氏に懇願され、彼氏の実家を訪ねることになりましたが、そこで彼の秘密が明らかになってしまうことに。彼氏は全ての決定を母親にしてもらう、マザコン男だったのです。結婚する前に気づけたのは不幸中の幸いです。
2023年05月06日娘が2歳になる春、私たち夫婦は家の購入を考え始めました。義父母にその報告をすると、信じられない申し出があったのです。義父母との距離感を考え直した体験談です。マイホームの購入を検討家の購入を考え始めたのは、娘が2歳になるころのこと。結婚して5年目、2人暮らしなら問題なく暮らしていた2DKのアパートも、娘が成長するにつれどんどん手狭になってきていました。「そろそろ一戸建ての購入を考えよう!」と夫婦の意見は一致しました。 私の両親は隣の市に住んでいて、将来的には通いで老後をサポートするつもりでした。私たちが家の購入を考えていることを伝えると、「○○(娘)のために、頑張れ!」と喜んでくれました。 そこまではよかったのですが、問題は県外に住む夫の両親です。夫は長男でしたが、私の地元に進学して就職、結婚し、拠点を移したのです。こちらで家を購入するとなると、「家やお墓はどうなる?」、「老後はどうするの?」という話も出ないとは限りません。 義父母のどちらかがひとりになったら、わが家に呼び寄せることもあるかもしれない。そんなことも考えてはいましたが、まだ2人は若いのでそこまで切羽詰まった問題ではないはず。義父母に「こちらで家を建てようと思っている」と伝えると、拍子抜けするほどあっさり賛成してくれました。 新居の計画を進めるなか、義父母が訪ねてきて…それからは、土地探し、住宅メーカー、展示場めぐりなど忙しい日々が続きました。ようやく住宅メーカーが決まり、家の設計相談にかかるころ、アパートに義父母が訪ねてきました。 「楽しみねぇ。素敵な家になるでしょうね。○○ちゃん、いいわねー。大きなおうちに住めるのねぇ」。 娘に猫なで声で語りかける義母。嫌な予感しかしませんでした。「まさか、今さら同居の申し出か!?」と内心、身構えた私。しかし、続く彼らの言葉は私の予想をはるかに超えたものだったのです。 「私たちは、いずれ今の家を二世帯にリフォームするつもりだった。君たちは、そのうちこちらに戻ってくると思っていたからね。しかし、君たちがこの地に家を建てるのなら、その意思を尊重するつもりだ」。 ゴクリと唾をのみ、続きを待ちます。 「実は今、義妹の結婚話が進んでいる。義妹は私たちと一緒に住んでもいいと言っている。だから、義妹夫婦のために二世帯住宅を準備するつもりだ」。 ずいぶん急展開だなと思いましたが、私たちに口を出す権利はありません。とうに家を出て独立しているわけだし……。そう思った直後、ついに信じられないひと言が。 「そこでだが、大おばあちゃんを君たちの家で同居させるわけにはいかないだろうか」。 「……はい?」。理解がなかなか追いつかない私に、話を続ける義父。 「祖母と同居というのは、義妹たちにとって重荷だろう。幸い、大おばあちゃんは君たちのことを気に入っている。そうしてくれれば、君たちの家の資金援助もできる限りのことをするよ」。 ちょっと待ってほしい。この人は何を言っているのだろう? どうして新居に祖母を引き取らないといけないの? すると、大きく頷く義母の顔が見えました。そこで私は悟ったのです。 義父母の思惑義母は大好きな娘と(その夫と)同居できるから、そりの合わない姑をこの機会に追い出したいのです。でもそれはあんまりというもの。決して義祖母が嫌いというわけではありませんが、私たちにお世話を頼むというのは筋違いです。 あまりに唐突な申し出に鼻白んだものの、かえって冷静になり、「無理です」「私には大おばあちゃんのお世話はできません」「別に援助はいりませんから」を繰り返し、お引き取り願いました。夫があまり驚いていないことも私には驚きでした。 夫は「ダメ元で言いだしただけだよ。あんまり気にするな」と言いましたが、「いや、気になるわ!」と内心思っていました。結局、新築したわが家には夫と私と娘で入居。義父母の二世帯住宅には、両親と若夫婦が入りました。義祖母は古いかつての家にそのままいます。 それ以来、私にとって義父母は怖い存在です。夫の嫁になら何を頼んでもいい。義祖母のお世話もしてもらおう。そんなふうに考えていることを知って本当に衝撃でした。夫の両親とはいえ、引き受けられることとそうでないことがあります。今後はその境界線を守りながら接していこうと思ったのでした。 著者:青山 桜中学生女子と小学生男子、2児の母。ひっそりと在宅ワークをしながら、育児、介護、日常エッセイを執筆。
2023年05月01日見知らぬ人と、気持ちがつながったように感じたことはありますか? 袖振り合うも多生の縁というように、ちょっとした出会いのなかにも印象に残る出来事があるかもしれません。 今回は「立ち会い出産で遭遇したエピソード」を紹介します!夫にとっても試練の立ち会い出産妻の出産に立ち会った私。陣痛から8時間が経ち、赤ちゃんが生まれたのは朝になってからでした。妻はもちろん大変でしたが、ずっと手を握り、背中をさすっていたため、私も疲労困憊に…。隣の部屋から出てきた人と思わず…そのとき、隣の分娩室からも産声が聞こえ、疲れ果てた様子の旦那さんが出てきました。顔を合わせた瞬間、私たちは言葉は交わさずともがっちり握手をして、互いをたたえ合いました。言葉がなくても、お互いの感じていたことは伝わったと思います。お互いが支え合い、その場にいることで力を与え合えたことが嬉しく、感慨深かった瞬間でした。(匿名)まるで戦友のような気持ちに!?大変な状況でこそ、同じ思いをした相手との共感性は強まるもの。言葉を交わさなくても思いが伝わり、立ち会いの疲れも吹き飛んだかもしれませんね。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。
2023年04月29日