2017年3月3日 11:00
7年の不登校の末、娘が言った「勉強したい。」その言葉の真相は
日記を書くのも最初は筆圧が弱すぎるのを矯正するため筆ペンを使っていました。漢字がほとんど書けない娘は、スマホで漢字辞典のサイトを見ながら「3の段の『段』って漢字は何でこんなに難しいの!」とキーッとなったりもしつつ、自分の出来るペースで(1ヶ月に2日程度のこともありましたが)日記を書きました。
そして九九は、本人の希望で、「ママがいないところ(風呂)で声に出して読んで覚える」ことになりました。
小2のときに通信教材の付録でついていた、お風呂の壁に貼る九九のポスターを、娘はずっと「はがさないで」と言っていました。この言葉が生きるときが来たのです。
娘がお風呂に入っているとき、「にさんがろく、にしがはち…」という声を聞くとかわいくってたまらない気持ちになりました。
自信がついたら「ママ聞いてくれる?」とその段を暗唱します。
勉強を始めて10カ月たった先日、ついに九の段を暗唱。
中2にして九九を制覇したのでした。
それでも浮かない顔の娘。どうして勉強しようと思ったのか聞いてみた
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10132112376
だけどせっかく覚えたのに、なんだか娘は浮かない顔をしています。どうしてなんでしょう?
思い切って娘に聞いてみました。
私「九九、覚えることができてどう?」
娘「うれしい」
私「そっか。ところでどうして勉強しようと思ったの?」
娘「(きっぱりと)困るから。困るやろ?」
私「まぁ、それは困るだろうけど…」
私はこのとき気づきました。まだ娘は、心の底から「勉強したい」という気持ちが湧いているわけではないのかもしれないと。
私は娘に、「小学生程度の勉強ができないと働くのは難しい」と以前から伝えていました。
娘は、おそらく中2という学年から逆算して「将来自分はどうなるのか」「そろそろ勉強を始めないと人並みに高校に行けない」と、おびえていたのではないでしょうか。
つまり娘の「勉強したい」という言葉は、「○○ができるようになりたい!」という希望の気持ちに基づくものではなく、「勉強できないと人並みに生きていけない」という悲痛な気持ちの表れだったと思うのです。
「勉強したい」という気持ちに嘘はなく、だからこそゆっくりなペースながらも九九もやり遂げたのだと思います。