2011年3月11日の東日本大震災の時に災害救助犬が活躍したのを見ていて、自分達もああいう犬を育てたい——。そう思った川野悌子さん(49)は夫の信哉さん(51)と日本で初の民間の作業犬を育成する一般社団法人日本警備犬協会を設立した。現在、山梨県の山中湖近辺にベルジアン・シェパード・ドッグ・マリノア(通称マリノア)たちと住んでいる。マリノアは日本でも珍しい犬種だ。二人がマリノアを育成し始めたのは。2013年頃。震災の後に災害救助犬の育成を始めたのだが、犬には犬種によって得意な分野や秀でている才能が異なる。マリノアは鼻が利き、身体能力がずば抜けて優秀で、攻撃性が高いが人間の命令(コマンド)もよく聞く。その能力になお子さんが目をつけたのが爆発物探知だった。最初は家庭犬のしつけをする“犬の学校”を運営していたが、やがて作業犬の育成に情熱が傾くようになり、災害救助犬の育成を始めた。ところが、その過程で爆発物探知犬の育成にも関心を持つようになる。「最初は災害救助用にと私たちの元に迎えた一頭のマリノア犬が、実は爆発物探知に向いていることを知ったのです」嗅覚の鋭さと警戒心の強さから、その犬には災害救助よりも爆発物探知の方が、適正が高いと悌子さんは感じとった。爆発物探知犬とは、VIPが参加する催しや劇場やコンサートホール、スポーツ施設や鉄道といった公共施設など、大勢の人が集まったり、行き交う場所で爆弾の有無を探知する訓練された作業犬だ。日本ではあまり知られていないが、海外では頻繁に活躍している。特に、世界でマリノアが注目されたのはIS(イスラム国)のバグダディ容疑者を追い詰めた時だったという。「マリノアは嗅覚が特に優れた犬種です。テロリストたちが爆弾を仕掛ける時は必ず事前に現場チェックを行います。その時、爆発物探知犬が警備の中にいるとわかると、彼らはその地域を避けるというほど、専門家の間では爆発物探知犬の存在は脅威となっているんです。ロボットが一日かけて探知するのに対し、犬は一瞬で嗅ぎ分けることができるからです。つまり、爆発物探知犬が作業をしている地域には抑止力が働くのです」とはいえ、日本で初の民間の爆発物探知犬を育てるには、さまざまな苦労があった。「まず、爆発物には匂いがあって、その匂いを覚えさせるための訓練用のキットをアメリカから輸入する、これだけでも多くの課題をクリアしなければなりませんでした。爆発物ではなくてもその匂いを持つ物は通常、輸入が困難です。それをアメリカのメーカーに何度も頼み込んでなんとか社長さんに首を縦に振ってもらって輸入できたのです」やっとキットを手に入れたものの、トレーニングの仕方もわからない。海外の本や雑誌などの資料を集めたり、アメリカの専門家に聞きながら手探りで始めた。「最初に一番難しい家の中から訓練をスタートして、その犬には苦労をさせました」と笑う。そうやって爆発物探知の出来る犬を一頭、また一頭と増やしていき、海外アーティストのコンサート会場や、海外からのプロスポーツ選手の施設周辺、海外の大統領が参加する食事会の会場など、活躍の場を広げていった。日本はテロの少ない国なので、爆発物探知犬の必要性が実感されにくいかもしれないが、実は2021年夏に開催された東京オリンピック・パラリンピックの施設内でも十数頭の爆発物探知犬が活躍していたという。国際的なイベントになるとテロへの注意が一気に高まる。だから爆発物探知犬が警備するエリアはテロリストにとっては“避けたい区域”となる。「明確な場所は明かせませんが、オリンピック期間中、ハンドラーを従えて都内の施設内をマリノアたちが日夜、作業していました」■次の目標は麻薬探知犬の育成爆発物と同じように施設への持ち込みに抑止力が働く悌子さんたちの生活はマリノア中心だ。どんなに悪天候でも朝6時半から日暮れまで毎日、訓練を行う。人間側も体を張って向き合っている。噛まれ役をすることもある信哉さんは、プロテクターをつけているとはいえ体じゅう痣だらけ。また、ハンドラー役がメインの女性の悌子さんに対しても、犬が反抗的な態度をとって噛むことだってある。それでも、この仕事を辞めたいと思ったことは一度もない。「犬が人を噛むときって、人間側に落ち度があるんです。私が噛まれた時も、その犬にストレスがあったことにちゃんと気づいてあげていなかった。『噛む=犬が悪い』とは思いませんし、噛まれたからもう嫌だと思ったこともありません。私は本当にマリノアのことが大好きで、マリノアのことなら何も苦にならないんです。彼らは私にとって人生のパートナーであり、師匠であり、家族。みんなからは『マリノアに人生を捧げてるね』って言われています(笑)」マリノアと人生を共にする覚悟でいる川野さん夫妻の次の目線は麻薬探知だ。「警察にも麻薬探知犬はいますが、民間ではまだいなかったことに着目しました。というのも、アメリカの同業者の友人に聞いたら、アメリカでは学校や企業などで麻薬探知犬が当たり前のように派遣されるそうなのです」たとえば、アメリカでは、中学校や高校、時には一般家庭の子ども部屋での探知の依頼があるのだそう。「日本でも、警察だと捜査令状がないとロッカーひとつ開けることができないのですが、私たちのような民間企業だと契約ひとつで、犬が反応したらすぐに開けることができます。企業、学校、施設などクリーンなイメージを必要とするところは、犬を入れることで施設内への麻薬持ち込みの防止につながります。爆発物探知の時と同じで抑止力が働くのです」また未開の地を見つけた悌子さん。一歩一歩自分達のペースで新しい分野へ参入していく。
2021年12月28日サラリーマンから独立し、夫婦で作業犬の育成、派遣を行っている一般社団法人日本警備犬協会の創設者である川野悌子さん(49)。「人生を犬に捧げている」というほど犬中心の彼女の今の道のりは、意外にも「犬が苦手」だったところからスタートしている。「私は子どもの頃に犬に追いかけられた経験から、犬は苦手。一方、夫は子どもの頃からずっと犬と暮らしてきた人。そんな夫が『独立して犬に関する事業をしたい』と言い出したときも“他人事”だと思っていました」今から20年ほど前、ゼネコンに勤務していた夫の川野信哉さん(51)から、「会社を辞めて独立したい」と言われたとき、悌子さんはインテリアコーディネーターとしてキャリアを積んでいた。ところが、休暇で夫の両親の住むアメリカのカリフォルニア州に行った時に、信哉さんと義父母が犬のトレーナーの事業について話しているのを聞いているうちに、「私もやりたい!」と言い出した。「今でもその理由がよくわかっていないんですけれども、帰国するときは、もうやる気でいましたね(笑)」実はこの時、信哉さんは内心、喜んでいたという。「僕は妻にも一緒にやってもらいたくて、『この仕事は楽しいんだよ』というアピールをさり気なくしているつもりだったんです。だから、悌子が『やる』と言ってくれたときは嬉しかったですよ」数か月後、アメリカで軍用犬の訓練をする学校でトレーニングを受けるため、悌子さんは渡米。最初に事業を起こしたいと言った夫は資金を貯めるため、日本に残り仕事を続けた。アメリカでトレーニングを始めた悌子さんは必死だったと振り返る。「自分の好きなことではなかったわけですから、本当は辛いはずだったのですが、不思議と辛いも努力していると感じたこともなかったですね。犬嫌いですか?一旦トレーニングに入ったら、そんな感情は消えていて、むしろ『よし、学ぶぞ!』って感じで夢中でした」渡米時は英語もほとんど喋れなかった悌子さんだったが、犬のことならスポンジが水を吸収するが如くどんどん学んでいった。その様子を時々アメリカで見ていた信哉さんはこう振り返る。「彼女の順応性に驚くばかりでした。とにかく限られた環境に順応するのがすごく上手い。それにコミュニケーション能力も抜群で、どこにいてもすぐに誰とでも友達になるし、場に馴染む。152センチのちっさい体なのに、存在感は大きかったですね(笑)」数年後、信哉さんも会社を辞めて、アメリカのトレーニングに参加。先をゆく悌子さんの成長ぶりに驚かされる一方で、頼もしくも感じていた。「男の僕ができることと女性の彼女ができることの分野が違います。僕は噛まれ役とか力を使ったトレーニングができますけれども、彼女はコミュニケーション能力を生かしてハンドラーとしてだけじゃなく、会社の“顔”にもなれると思ったのです」2004年、2人は東京で家庭犬用のスクールビジネスを始めた。当時、犬のしつけの学校は日本では未開の試みだった。そのうちにこの事業への投資をしてくれる有力者も現れ、事業は順調に拡大していくかに思われた。ところが事業経験のない悌子さんにとって初めての試練が訪れる。■事業が暗礁に乗り上げて店舗を閉める日、残ったのは家族だった「犬の総合トレーニング施設を作ってほしいという計画が私のところに来て、数千万円単位の出資がもらえたんですね。今振り返ると、経営の経験ゼロで知識もない私が社長業なんてできるわけがなかった。でも、あの時は自分には何でもできると勘違いして、調子に乗っていましたね」隣にいる信哉さんも、「あの時はひどかったよね」とうなづく。出資者が有名な実力者だったこともあり、いろんな人が近寄って持ち上げられた。ところが、事業がうまくいかなくなると分かった途端、お金をむしり取るように押し寄せてきた人達もいて、その豹変ぶりに驚かされたという。いよいよ店舗を閉めるという日、手伝いに来てくれたのは信哉さんだけだった。「最後は社員も誰も来なくて、夫だけ。やっぱり最後に残ったのは家族でしたね。でも、それをきっかけに、『これからは自分達がやりたいことをやろうよ』って話し合ったんです」それが後に訓練犬を育てることにつながる。2011年3月11日の東日本大震災後、被災地で災害救助犬の活躍を目の当たりにし、川野さん夫婦は災害救助犬の育成を始める。当時、民間で災害救助犬を育て、派遣する民間企業は少なかった。その後、広島や熊本の災害で災害救助犬を派遣した。川野さんたちの好む犬種は、ベルジアン・シェパード・ドッグ・マリノア(通称マリノア)といって、ベルギー出身のシェパードグループに属する。「マリノアの作業犬としての優秀さは群を抜いています。嗅覚もすごいし、身体能力もコマンドも良く能力も犬の中で群を抜いています」そのうちに悌子さんは、育成中の犬の嗅覚の鋭さを警戒心の強い性格から、爆発物探知に向いているのではないかと気づき、爆発物探知のトレーニングを始める。そして、2014年、民間企業としては初の警備犬の事業を立ち上げた。爆発物探知犬はこれまで、海外のVIPの来日時や、コンサート、スポーツイベントの会場などの公共施設、東京オリンピックの施設内などで活躍してきた。悌子さんたちは、作業犬の民間事業におけるパイオニアだ。しかし、信哉さんはこう打ち明ける。「僕1人ではここまで来れていないと思っています。だからなお子には感謝しかないっていったら当たり前に聞こえますが、それだけではない、お互いに足りない所を補い合える、ソウルメイトともいえるパートナーだと思っています」そんな言葉を照れながら笑顔で聞いているなお子さん。これからも夫婦二人三脚で未知の世界を開拓していく——。
2021年12月28日チョコレートアワードで優勝に輝いたパティシエ 川野圭一の優勝作品が味わえる新作「Art de Printemps」(限定5個、10800円)ほか焼菓子の詰め合わせなど、合計4商品のラインアップです。3月1日(日)~3月14日(土)は「ペストリーショップ」(LBF)にて店頭販売いたします。「ホワイトデーコレクション2020」は、チョコレートアワード日本大会優勝作品を味わえる限定5個の新作「Art de Printemps」をはじめとしたホテルならではの技術と本物の味わいが楽しめるスイーツギフトです。新作「Art de Printemps」はパティシエ 川野圭一が「第8回 ジャパン・ベルコラーデ・アワード2019」(※1)にて優勝した際のボンボンショコラ(※2)のレシピを再現。チョコレートとオレンジの王道の組み合わせに、和山椒とほうじ茶の香りで個性を加えた複雑で深みのある味に仕上げたボンボンショコラを、そのテイストから着想を得た、春の花々が開花したかのようなチョコレート製の工芸菓子の中に納めました。「スプリング アソート」は通年商品「セルリアン アソート」が春仕様になった焼菓子の詰め合わせです。「スプリング パウンド」は桜・チェリー・かのこ豆を混ぜ込んだ春色のパウンドケーキ。しっとりと柔らかく、ほのかに和の香りが感じられます。毎年好評をいただいているデザインチョコレート「セルリアン スイート ボックス」は、人気の高いピンク色をご用意いたします。バレンタインデーのお返しだけではなく、オフィスへの手土産やお祝いごとへのギフトにもおすすめのコレクションです。【新作】「Art de Printemps」 (アール ドゥ プランタン)10000円(10800円)※限定5個「Art de Printemps」※1名さま1点まで、電話および店頭でのみご予約を承ります。高さ:約40cm 幅:約25cm「第8回 ジャパン・ベルコラーデ・アワード2019」優勝時のレシピを再現したボンボンショコラ(※2) 16粒入り。1粒の中にオレンジ・和山椒・ほうじ茶の3つの味わいが表現されています。器となっている、花々の開花をイメージさせるアーティスティックな工芸菓子もすべてがチョコレート製です。チョコレートの味わい、精巧な見た目の華やかさ、いずれをとってもその名にふさわしい春の芸術(Art de Printemps)です。「スプリング アソート」1600円(1728円)スプリング アソート内容:(写真より)パート ド フリュイ、オランジェット、スプリング パウンド、マドレーヌ2種(抹茶・レモン)、クランベリーフィナンシェ計6種。通年商品「セルリアン アソート」の春季限定バージョンです。人気の焼菓子のラインアップはそのままに、味わいを春仕様にアレンジいたしました。パウンドケーキのスライスは今回からの新商品です。さまざまな味わいが入った詰め合わせは、オフィスやホームパーティーの手土産にもおススメです。「スプリング パウンド」1900円(2052円)スプリング パウンド桜のペースト、キルシュ漬けチェリー、かのこ豆を混ぜ込んで焼き上げたパウンドケーキ。ホテル住所の地名を冠したパウンドケーキ「桜丘」の春仕様です。しっとりと柔らかい生地に、桜とかのこ豆の風味が和のテイストを感じさせます。表面はラズベリーのコンフィチュール(※3)でコーティングし、かのこ豆と桜風味のホワイトチョコレートを飾り付けました。お好きな厚さに切り分けて、皆さまでお楽しみください。「セルリアン スイート ボックス」4000円 (4320円)ホワイトデー限定のスイート ボックスを、今年は人気の高いピンク色でご用意いたします。春の草原を思わせるチョコレートボックスを開けるとバラのブーケをイメージした中蓋が現れ、その中にはカラフルなマカロンと恋心を表す「ハート」と「心の鍵」を表すチョコレートが現れる手の込んだ一品です。・外蓋、中蓋をはじめ、デコレーションであしらった花や蝶、中蓋のバラの花もすべてチョコレート製・マカロン3種類(ピスタチオ、フランボワーズ、レモン)・チョコレート3種(ハート型:フランボワーズ鍵:ホワイトチョコレート緑色丸形:ベルガモット)■ホワイトデーコレクション2020商品概要※1第8回 ジャパン・ベルコラーデ・アワード2019 = ピュラトスジャパン株式会社が主催するパティシエ、ショコラティエに技術向上の機会を提供することを目的に柔軟な発想でチョコレートの新しいおいしさや技術、独創性、芸術性を表現するアワード。審査員長を務めるステファン・ルルー(ピュラトス本社、M.O.F.)をはじめ日本代表クラスのシェフによる味覚、技術、芸術性審査の上、各賞を決定。※2ボンボンショコラ(Bonbon Chocolat・仏語)= ガナッシュやプラリネなどをチョコレートでコーティングしたひと口サイズのチョコレート。※3コンフィチュール(Confiture・仏語)=果実の砂糖漬け。ジャム。
2020年02月13日9月3日(日)今夜放送の「情熱大陸」に2013年に発刊した「伝え方が9割」が115万部の大ベストセラーとなったコピーライターの佐々木圭一が登場。番組は3年前に独立し活躍の場を広げている佐々木さんの仕事とプライベートに密着する。1972年神奈川県生まれ、現在44歳の佐々木さんは、父の仕事の影響もあり子ども時代から転校を繰り返し、転校先の土地の方言が喋れなかったことなどから人とのコミュニケーションが苦手になったという。学生時代の唯一の友だちは「初代ファミコン」で人と話すよりも機械を触る方が楽という理由から、上智大学理工学部機械工学科に進学。大学では機械工学を専攻しロボットの研究に打ち込み同大学院を修了後、そんな自分を変えたいと一念発起して広告代理店・博報堂に入社。コピーライターとなるものの中々芽が出ずコピーを書いてもボツばかり。ボツにされ続けた事から当時は紙がムダという意味で「もっともエコでないコピーライター」というあだ名を付けられたほど。しかし、そんな膨大な時間と試行錯誤のなかである時ふと「伝え方の法則性」に行き着いたそう。そして2013年、著書「伝え方が9割」を発刊。“上手なデートの誘い方”や“相手の胸に刺さるコトバの作り方”といった日々の生活で役立つ「伝え方のコツ」を満載し、家庭や職場ですぐに使える実用性が大きな反響を呼んだ同書は大ベストセラーになった。2014年に独立、自身が代表を務める「ウゴカス」の代表となり広告制作の枠を超えTV出演や講演など活躍の場を広げた佐々木さんは、プライベートではトライアスロンが趣味で、5歳と2歳の娘が言うことを聞いてくれないと悩む姿も見せる。番組ではコピーライターの仕事の裏側に密着。“苦手な上司との付き合い方”や“子どもに嫌いな食べ物を食べてもらう方法”など、日々を効率よく進めるため“ライフハック”のヒントを紡ぎ出していく佐々木さんの姿を追うなかで、佐々木さんが本当に伝えたい“コミュニケーションのレシピ”ともいえる“伝え方が9割”の“残りの1割”に隠されたものに迫っていく。「情熱大陸」は9月3日(日)23時~TBS系にて放送。(笠緒)
2017年09月03日手塚治虫タッチのパロディー漫画『神罰』で知られ、著名作家の絵柄をまねたシモネタギャグを得意とする漫画家の田中圭一氏。デビュー当時からサラリーマンを兼業する"二足のわらじ漫画家"としても有名で、現在はBookLiveに勤務する一方で、京都精華大学の講師も務める。そのほか、「田中圭一のペンと箸-漫画家の好物-」(ぐるなび)、「うつヌケ~うつトンネルを抜けた人たち~」(文芸カドカワ/note)、「ハピラジ!」(ニコニコ生放送)など、インターネットを中心に幅広く活動している田中氏。今回、紙からインターネットへ移行した経緯や、インターネットの魅力、漫画家としての今後の展開などをインタビューした。――田中先生はインターネットを積極的に活用されていて、2013年に漫画発表の場を紙媒体からインターネットに移されたとのことですが、どういった経緯だったのでしょうか。ちょうどその少し前から僕の紙の本が売れなくなってきていて、世間でも、雑誌も売れない単行本も売れないという傾向が顕著になってきてますよね。だから、これから先、漫画家で食べていくのに希望的な状況じゃないなと思ったんです。そんな時に、電車で周りを見渡すとみんなスマホをいじっていたんですね。新聞や漫画雑誌を読んでる人はずいぶん減ったけどスマホは見ている。だったらスマホの中で自分の存在感を大きくすることが生き残りの1つの手だなと感じたんです。当初は、特にマネタイズは考えていなかったんですが、Twitterで面白いネタをつぶやいたり面白い画像を載せるとフォロワーが増えるし、これから先スマホやインターネットでみんなもっと情報を得るようになっていくだろうから、その中で生き残るための第1歩と考えたんです。――編集者で漫画原作者の竹熊健太郎さんにも後押しされたとか。竹熊さんが2010年くらいから、これからは「街のパン屋さんのような漫画家を目指せ」とおっしゃっていて。彼が紙の本からの仕事がなくなってスランプになっていた時期に、周りから勧められて『たけくまメモ』というブログを立ち上げたんですよ。そうしたら一気に固定ファンが数万人できて。これからの漫画家は、大手のメジャー雑誌に載ってミリオンセラーを出して豪邸を建ててというのが年々難しくなってくるから、数万人でもいいから固定ファンを捕まえてその人たちが欲しいもの、望むものを提供することでマネタイズをしていくのが良いと。それはすごく正しいなぁと思っていて。それを見ていたから、最初は自分も興味本位でおもしろ画像などを上げている内に、リツイートが増えて、フォロワーが増えて、「あー、これはメディアなんだ」とわかったです。――実際にSNSを始められて実感したんですね。当時、前の会社で「コミPo!」という漫画制作ソフトを発表する際に、プロモーションムービーを作って発売前に一部の関係者用にWEBにアップしたんですよ。その時にアルファブロガーの小飼弾さんにも見てもらったんだけど、「発表会が来週ありますよ」という告知をした時に、「ようやく発表ですね」と一部の関係者しか公開していなかったムービーのURLをうっかりTwitterに載せてしまって…。そしたら一気にダーッとリツイートされてサーバーもパンクして、その時にツイートをエゴサーチするとドンドン話題が増えていくのがリアルタイムで見れて、「バズられるってこういうことなんだ」とわかったんです。それまでもバズるとかバイラルっていう言葉は知っていたんだけど、1秒に何十人もリツイートされるという経験を初めてしたんですよ。――個人がすごい影響力を持つ、と。「コミPo!」でコンテストをした時、中に1人すごく面白い漫画を作ってくる人がいて、それがダ・ヴィンチ・恐山さんでした。彼は芸能人でもない普通の人なんだけど、彼のツイートはものすごく面白くて、それがドンドンとバズられて多くのフォロワーが付いたんです。その時、「Twitterって、有名人でなくてもバズられればフォロワーが集められるんだ」とあらためて思ったんですよ。僕も初めは、なにげなくおもしろ画像を投稿していたら、ついっぷるの人気画像ランキングに入って、僕のフォロワーじゃない人の目にも触れてドンドンとリツイートされて、フォロワーも増えたので、「これは面白いな」と思いました。ツイートや画像を何時ごろに上げればバズられやすいかとか、どんなネタが受けるのかとか、Twitterを使って、個人でのマーケティングリサーチをできることに気付いたんですね。――ご自身でマーケティングリサーチまでされているなんて驚きです。私はこれまで雑誌のアンケート結果ってあまり教えてもらえなかったんですよ。ギャグ漫画でページが少ないとアンケート上位に行くことは難しくて、編集さんも気を遣ってくれて「一部では好評みたいですよ」くらいしか教えてくれなかった。ただ、個人的には、今回こういうネタだからこういう反響があった、というデータが欲しかったんですね。この時間にこのタイミングでこのネタを上げたらリツイートされた、勝因は何だろう、自信満々のネタが全然ウケなかった、敗因は何だろう、みたいな。こんなことを繰り返し、ずーっと自分のデータとして蓄積していったんです。そこから、もちろんマネタイズは無視して、「ウケたいという気持ちだけで、いかに多くの人を笑わせられるか?」ということをやり始めたんです。――ファンの方と直接的な交流が生まれたんですね。そんなことをしているうちに、僕のネタ画像を見た編集者からWEBでの連載依頼が来て、そこに載った作品をTwitterやFacebookで情報発信してバズられて…という良いスパイラルになった。紙の雑誌に固執していたら、世の中に作品を発表できなかったかもしれない。これによって、「田中圭一をフォローしておくと面白いものが色々とくるぞ」というフォロワーとの信頼関係ができたっていうのは、これから電子化が進むという時期に、うまくSNSの波に乗れたなと思いますね。――そうしてインターネットの影響力を実感される中で、電子書籍の可能性と課題についてもお聞かせください。日本の家電メーカーにぜひ言いたいのは、日本って世界的に珍しく国民がすごく本を読む国だということ。日本人は知識欲が旺盛で、本を読むことが好きですよね。にもかかわらず、なんで電子書籍デバイスを日本人に合う形で作らないのかと思うんですよ。スマホはアメリカ製か韓国製で、手帳サイズで、さすがに漫画を読むにはきついですよね。タブレットは、サイズはちょうどいいですけど重い。だったら、もっと薄くて軽くてペラペラで、筒から巻物のように液晶画面がひゅっと出せて、雑誌の見開きサイズで読めるような端末ができるといいですよね。日本のメーカーが本気出せば簡単にできそうなもんじゃないですか。それによって電子書籍の市場ってもっと広がりそうなのに、やらないでしょ、どこも。電子書籍の漫画が読みづらいという人もいますが、新しいデバイスなら解決できる。ガラパゴスでもいい。日本市場って本に関しては大きいはずなので。――デバイスの進化には期待ですね。コンテンツ側で電子書籍に期待することはありますか。たくさん言いたいことはありますね。昔、ケータイコミックなどで音が出るものがありましたが、あまり流行らなかった。デジタルならではの面白い仕組みはあったんですが、それを最大限に使う作品・キラーコンテンツがなかった。やはりこういったものを普及させるのはキラーコンテンツありきですよ。例えば、デジタルデータなんだから、1ページ目からラストまで1本道である必要はないですよね。ゲームが得意としているストーリーの分岐とか、最初に自分の名前を登録すると、漫画の主人公の名前が自分の名前になるとか。分岐に関しても、アドベンチャーのように選ばせるのもあれば、ランダムに変わるというのもあるとか。そういった仕様も技術的には難しくない。問題は、そういう面白い仕組みを活かしたキラーコンテンツがあるかどうか。器を作ったら、器に見合う料理を考えなきゃいけなくて、漫画家さんなりクリエイターさんが、新しい仕組みに見合う作品を作って、1作品でもヒットが出れば、「この手法があるなら俺ならこう活用するぜ」という人が続々と出てくる。それが電子デバイスで本を読む新しい形にならないかなと思っています。――田中先生もそういう作品を作ってみたいですか。作りたいですね。たとえば、(主人公が複数存在し物語が並行して進む)ザッピングの作品ができないか、とか。とある夫婦が登場する作品で、奥さん目線では幸せなストーリーなんだけど、旦那さん目線では悲劇だとか。他には、最初のページで「あなたはどの漫画家が好きですか」というアンケートがついていて、手塚治虫とか松本零士とか選択肢を選んでもらって、ストーリーは同じでも、選んだ作家の絵柄に変わるとか。手塚治虫の絵で読んだ後に松本零士の絵に切り替えると微妙に違っていて、「こう違うんだ」というようなところを楽しむとか。デジタルの時代の表現方法の1つだと思います。――いろんな可能性がまだまだあるんですね。あるんですよ。誰かがキラーコンテンツを出して、そればブレイクした時こそ、新時代が来ると思います。僕も実験的に、なにかやってみたいと思うんですよね。ホラー漫画は僕の絵じゃ合わないかもしれないけど、じつはやりたいんですよ。例えば作品の中に、"読んだら死んじゃう漫画"というものが登場して、登場人物がその漫画を読んで次々に死んでいくというストーリー。これは、当然フィクションなので、実際にこのデジタル漫画を読んだ読者が死ぬわけじゃない。でも、ストーリーを読み進めていくと、最後に「この漫画は絶対に読み返してはいけない」と書いてあるページが開かれて、作品は終わる。それを、たまたま2回目に読んだ読者がいたとしたら、冒頭に「なぜ読み返すなと言ったのに読んだのか!」と書いてあって、つまり1回目に読んだときと中身が変わってしまっている。この恐怖ってハンパないと思います。これで読者が作品の中にイッキに引き込まれていくとか。――田中先生は現在、電子書籍の「BookLive!」にお勤めですが、最近話題の漫画家さんへのインタビューコーナー「わが生涯に一片のコマあり」についても教えてください。どういった経緯で始まった企画なんですか。BookLiveの社員の方から、以前に私が実施した藤田和日郎先生のインタビューがすごく好評だったので、ああいうものを定期的にできないかという依頼があったんです。コーナー化するにあたっては、ネットで読ませるための文字数の上限やテーマ設定など、いろいろと改良が必要な点がありました。そうした時にある方から、「"作者の渾身の1コマ"に絞ってはどうですか」というアイデアが出た。それならワンテーマだし文章も短くて済むし、焦点もはっきりする。他でもやっていないと。そして別の方が「わが生涯に一片のコマあり」というぴったりのタイトルを考えてくれた。そうしてこのインタビュー企画が始まりました。第1回ゲストの新條まゆ先生が、こちらが望んでいたとおりのお話をしてくれましてね。新條先生の連載が打ち切りになりそうだった時期に、「渾身の1コマ」を描くことで盛り返して人気が回復して行った、というような。そこで弾みがついてコーナーが続いています。――このコーナーはTwitterなどでもすごく評判なのですが、インタビュー時にこういうことを聞こうというのは何かあるのでしょうか。そうですね。僕も漫画家なので、この作品のここはすごく苦労して描いててるなっていうのがわかるんです。例えば東村アキコさんの場合は、『マカロニほうれん荘』(鴨川つばめ/秋田書店)や岡田あーみんさんの漫画が大好きで、それが引き出しになっていて今の作品を描いているとおっしゃっていて。自分もギャグ漫画家として、小さい頃好きだった漫画はあれとこれとこれで、それが組み合わさって今の漫画になっているというのがあるので、すごくわかるというか、お互い「そうだよね」というのがあるのは作家同士ならではだと思いますね。――なるほど。漫画家同士だからこそわかる世界観が、あのインタビューを生んでいるんですね。そうした幅広い活動をされている田中先生ですが、今年から京都精華大学で「ギャグマンガコース」の講師もされています。そのお話もぜひ聞かせてください。本当は竹熊健太郎さんの助手で入る予定だったんだけど、急きょ竹熊さんが休学されるということになって、あとは任せたと(笑)。経験もないし、忙しくて準備もできてないしで、バタバタとしたスタートでした。始めてみて思ったのは、生徒に教えるためにはロジックを自分で整理して伝えなきゃいけないということ。今まで直感で、つまり右脳でやっていたものをロジカルに整理することで自分にも気づきがあったんです。例えば、読者に「こっちだよ」とわざと思考をミスリードさせておいて、実はこっちだったみたいな意外性というかギャップが笑いを生むんだ…とかね。――教えることを通じて、田中先生ご自身も表現の理論を改めて整理できたんですね。どうしてこれは面白いんだろう、と常に分析しながら見るという視点も持つようになって、他の仕事にも良い効果が生まれましたね。先ほどのインタビューコーナーも、この作品はどうして泣けるんだろう、とか分析しながら作品を読んでいますし、今ぐるなびで連載している『ペンと箸』も、事実をそのままの順番で漫画にするのではなく、話の順番を入れ替えることでより感動が伝わるな、とか。いろいろと並行してやっている仕事がそれぞれ役に立っているんです。――これまで若い漫画家志望の方に教える機会はあったのでしょうか。今まで何人か、漫画家志望の若いアシスタントが来たことはあったけど、あまりギャグ漫画家になりたいという人はいなかったから、教えられることがあまりなかったですね。でも今は、大学でギャグ漫画家になりたいという人に教える訳だからやりがいもあります。京都精華大には「ストーリーマンガコース」と「ギャグマンガコース」があって、ストーリーマンガコースに落ちたからギャグマンガコースに来た人もいるんだけど、そうした中にもすごくギャグセンスのある学生もいる。プロになろうと思ってなくてもポテンシャルがあったり、センスを秘めている人はいっぱいいて、そういう人には「君はギャグに向いているから磨いていこうよ」という話もできますよね。――違う道を目指そうとしていた人が、ギャグ漫画家になって良い作品を生み出して、読者を楽しませていくというのは素晴らしいですね。本人もたぶん、ストーリーマンガコースに行ってたら生徒数も多くて競争率が高かったりで挫折してしまったかもしれないけど、ギャグマンガコースは人数も少ないから、その中で「イケてるぞ」となれば、自信もつくんじゃないでしょうか。竹熊健太郎さんが「電脳マヴォ」っていう無料の漫画サイトをやってるんですが、ギャグマンガコースで才能を持った人はそこでも紹介していきたいと言っていて、生徒さんが納得してくれればそこに作品をアップして世の中の多くの人に見てもらう機会を持つというのも、ありかなと思っています。そこで編集者の目に止まって商業誌デビューを果たす、という道もあるかもしれないですし。――インターネットならではの作品の見せ方ですよね。「note」っていうSNSで人気の『岡崎に捧ぐ』という漫画がものすごく読まれていて、作者の山本さほさんは、現在いろんなところから引っ張りになっているんですよ。内容は「ちびまる子ちゃん」的な作品なんですが、「ちびまる子ちゃん」よりももう20才くらい下の世代にすごくささっていて。ちびまる子って10年ごとに、つまり年代ごとに作ればいいんじゃないかと思ったりね(笑)。とにかくその漫画、面白いんですよ。ネットで人気を博して商業誌に行くっていうのもあるんですよね。こういう言い方はよくないんだけど、漫画家志望って編集さんとそりが合わなくて、デビューはしたものの連載を取れないまま何年かの時間をすり減らしてしまうこともある。でもネットに上げると、支持してくれる人が何人いるかが数字でわかるので、結果が悪ければすべて自分の責任です。冷酷ではあるものの非常に平等な発表の仕方ですよね。そういう方法でのデビューもあると思ってまして、竹熊さんの「電脳マヴォ」などからデビューするというのもあると思うんですね。――このようにファンの方と直接つながれる時代に、出版社の役割とは何だとお考えでしょうか。やっぱり大手の出版社の編集さんって、すごく特殊なノウハウを貯めている方がいて、新人が持ち込みしてきてから一人前にして世に送り出すまでのトレーナーとして一流な人もたくさんいるんですよ。それを分っていない人は編集者を軽視する発言をしがちですよね。WEBとかブログで人気になった漫画家さんが10年、20年と食べていけるかというのは、トレーナーの力量も大きいと思います。あとはアシスタントに入ってそこの先生に学ぶとかね。そういう道のメリットもたくさんあると思いますよ。ネットはそういう工程をすっとばせるから便利だと言われがちですけど、最初はビギナーズラックでヒットを打てても、2打席目から打てない人もいて、とにかく編集者や師匠から教えや、漫画家としての基礎体力作りを軽視してはいけないと思いますね。――ある作家エージェントの方がおっしゃっていたんですが、「0を1まで売るのはエージェントの役割だけど、1を100にするのはやはり出版社さんが強い」と。どちらが良いではなくて、それぞれ役割があるということでしょうか。大手の出版社さんって編集者が優秀だからミリオンセラーが出ると思われていますが、それに加えて営業の方のスキルも高いからだと思いますよ。僕も営業やっていたからわかるんですが、良いものを良いと伝えて書店さんを説得するのは営業さんの力なんですよね。だから1万部を100万部にするのは、販促やキャンペーンも含めた営業力だと思うんですよ。ネットで作品を出した人がそこまで行けるかというと、営業さんが後押ししてくれないとなかなか難しいですよね。ネットでヒットした『きょうの猫村さん』(ほしよりこ/マガジンハウス)とか、『となりの801ちゃん』(小鳥アジコ/宙出版)とかは、紙の本になって初めて大きくマネタイズができたわけじゃないですか。ネットだとただの人気者で終わってたかもしれない。だから、出版社が今も作家さんにお金をもたらす重要な役割を担っているのは確かですよね。今後は電子書籍ストアとか先ほどの「note」とかで作家が直接売るというの時代が来るかもしれませんが、それはそれで作家自身の営業力が必要だと思いますよ。ネット上には様々なコンテンツがものすごくたくさんあるので。――田中先生が先日から参加されている「ハピラジ!」についても教えてください。ニコ生(ニコニコ生放送)で「ハピラジ!」というWEBラジオを始めることになりまして。この番組というかシリーズは、声優さんを中心にやってきて、漫画家は僕が初かもしれません。番組としては、企画の担当者が面白いコーナーとかを考えてくれていて、ニコ生を使うので、音だけじゃなくて時々絵を描いたり大喜利のようなこともやっていきます。僕が描いた絵に声優さんが声を当てたり、4コマ漫画の3コマまでを僕が描いて4コマ目を募集とか。ラジオなんだけど、ところどころ絵も入っている感じで今の時代ならではの番組ですね。――田中先生はTwitterやFacebookも活用されていますが、ニコ生をやろうと思ったのはなぜですか。もともとニコ生は個人でもやりたかったんですが忙しくて手をつけられていなかったところに、ハピラジ!のお話をいただいてぜひやらせてくださいと。一人で全部やるのは大変ですからね。FacebookとTwitterとニコ生は個人で出来るプロモーションとして、3つでセットと考えています。Twitterは瞬発力、バイラル力はあるけど、すぐタイムラインが流れてしまう。Facebookはもう少し滞留しますし、もう少しお友達限定というクローズドな部分がある。音声は生放送でリアルタイム性がある。この3つを組み合わせるのが1番効果的だと思っていたんです。だから、ニコ生を始めたのはちょうどいいタイミングでした。今後、以前に勤めていたソフト会社で企画していた『ライブアニメ』という、音声に反応してアニメのキャラが操作できるソフトを使った放送などもやってみたいなと思っています。アニメキャラによる生放送です。――次々と新しい取り組みをされている田中先生ですが、最後に、漫画家・田中圭一としての今後の展開について教えてください。僕が今52歳だから、健康にペンが握れるのはあと20年なんですよね。土日しか描いてないから、計算するとあと単行本15冊しか死ぬまでに出せないな、と最近考えています。つまり、残された時間と描ける作品数は限られています。なので、山のようにある「やりたい企画や作品」の中から「何を諦めて、何をやるか」を考えなきゃいけない歳なんですよね、52歳って。これまで温めて実現できていない企画の中で早めに着手しないとダメなものを、優先的にやっていきたいと思っています。ここ2、3年はそこに力を注ぎたいなと。さっき言ったインタラクティブな漫画もその1つなのでぜひ実現したいですね。
2014年12月26日「自分の考えていることが思ったとおりに相手に伝わらない」。この悩みに頭を抱えている人は数多く存在します。あなただけではないのです! では、この問題をどうしたら解消できるのでしょうか。45万部を超えた大ベストセラー『伝え方が9割』の著者、佐々木圭一さんに話を伺いました。■2013年は日本人にとって“伝え方元年”「2020年大会のオリンピック東京招致決定は、日本人が国際舞台において伝え方で勝利した、歴史的な瞬間でした。滝川クリステルさんの『お・も・て・な・し』という言葉も印象的でしたが、安部首相のプレゼンにも、私自身は心を惹かれました。なぜかと言うと、人が票を入れたくなるような技術が盛り込まれていたからです。安部首相のプレゼンでのコトバを要約すると、以下になります。『東京を選ぶということは、スポーツで世界をより良くしようとする国を選ぶことです』IOCの実現したいことは、スポーツを通して世の中を良くすることです。つまり、相手の好きなこと=IOCが実現したいことを、そのまま表現していたのです。これまで“伝え下手”だと言われてきた日本人がプレゼンで勝利したことで、国全体が明るい雰囲気になったと思います」DJポリスの活躍やドラマから名セリフが生まれるなど、2013年はまさに「伝え方」が鍵を握る1年でしたね。「DJポリスは人が動きたくなる『チームワーク化』という技術を使って、やんちゃな若者達の心を動かしたのです。お願いをする時に相手対自分と対立するのではなく、『一緒にやりましょう』と同じ方向を向くと、思わず聞いてしまうという本能を人は持っているんです。ドラマの名セリフにも、伝える技巧がきちんと組み込まれています。例えば『半沢直樹』では、正反対のコトバを使うとセリフが強くなる『ギャップ法』が用いられていました。流行語大賞に選ばれた『倍返しだ!』というコトバの前に、『やられたら、やり返す』というギャップを前に持ってくることで、あのセリフが強烈に浸透したのです。2013年ほど名言が生まれた年は珍しいですよね。人々がいかに伝え方が重要か、という事実に気づいた1年でもありました。日本人は“学ぶモード”に入ると一気にレベルを上げられる特長を持っているので、なるべく早い時点で伝える技術を身につけることをオススメします」■伝え方は「センス」ではなく「技術」ですが、自分の気持ちや意思を思いどおりに伝えることに、苦手意識を持つ人も多いかと。「それは、伝え方にはセンスが必須という先入観があるからです。伝え方に必要なことは、センスではなく技術。料理を例に挙げてみましょう。キャベツの千切り初心者の小学生が知識もないままにトライしても、上手く切ることができませんが、母親に教えてもらうだけで格段にレベルが上がります。この例でもわかるとおり、技術もないままに上手く伝えようとするのは、初めて千切りをする小学生と同じ状況なのです。技術は、先に技術を身につけた人から教えてもらえば、誰にでも習得できる、ということです」技術はプロから学ぶのが近道! ということで、次回からは伝え方の第一人者・佐々木さんに、読者からの質問に答えていただきます。 ・「伝え方」のお悩みにアドバイスしてほしい方募集! ・『伝え方が9割』の佐々木圭一氏に聞く、心に響く伝え方
2014年01月30日