新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い致します。さて。今年の干支は、寅ですね!是非とも虎の絵本を読んで聞かせたいものです。たとえばこんな作品……、とその前に、先日こんなことがありました。夕方の6時過ぎだったでしょうか。大きな声で歌を唄いながら、こちらに向かってくる二人乗りの親子がいました。電動自転車なのでしょう。スイスイと進んできます。耳を澄ますと、「ねー、うっしとらうーたっつみー」小さな女の子の可愛い歌声が。それに合わせて、お母さんも「うま、ひっつじー」。ちょうど私の前を通り過ぎる時、「さるとり、いぬいー、ぜんぶでじゅうにしだー」。2人の声はとても大きく、街灯が照らしはじめた住宅街の静かな空気に響き渡りました。『干支の歌』だ。ああ、この感じ、懐かしい。保育園で息子が教わってきて、それで十二支を覚えたんだったっけ。私も息子に教えてもらい、2人で歌ったっけ。そして私の音程が違うと指摘されて、息子に直されたっけ。私たち親子も、日の暮れた保育園帰り道を幾度となく電動自転車に二人乗りで、大きな声を張り上げて歌いながら帰ったものです。多分私のテンションは、今通り過ぎたお母さんと同じ。こういうのを育児ハイと言うのでしょうか。とにかく私も高かった。子どもと過ごす時間の嬉しさや、お母さんをやってるという自信。そんなような感情が混ざって、人目も気にせず、夢中で息子に合わせて、歌っていたのだと思います。その様子を見て呆れた人もいたかもしれないし、ご近所迷惑だったかもしれません。でも楽しかった。それに、テンションの高さは忙しい子育てを乗り切るには必要なことだったのかなとも思います。いずれにしても今でも通るあの保育園帰りの道には、そこここに良い思い出が残っています。そしていまだに、私はその電動自転車に乗ってて、後部には、まだチャイルドシートががっちり括られています。息子が小学校に入り、使わなくなったというのに、かれこれ6年間もずっと。外そう。籠に変えよう。何度も自転車屋さんに持っていこうとしては、明日にしようと先延ばしにし続けて、今に至ります。もうちょっとだけ、思い出の二人乗りの証を残しておきたい。そんな気持ちを引きずって。でも、考えてみれば息子の背丈はほとんど私と変わらなくなったのに、いまだに空席のチャイルドシートをつけて近所を疾走するのは流石に奇妙。このままでは子離れできない親の一途を辿りそうです。思い出はちゃんと心に刻まれているから、大丈夫。新年の事始めに、今度こそ本当に外すことに決めました。それでは、今回おすすめしたい「虎」の作品。『とらたとおおゆき』(なかがわえりこ:ぶん、なかがわそうや:え/福音館書店)かわいい虎の子、とらたは、大雪の日、お父さんと屋根の雪を下ろします。すると雪の山ができました。そこで滑ってみることに。それを見たお父さんは、とらたにソリを作ってくれました。とらたはソリに乗ってどんどん滑ってゆき、お友達たちも次から次へと集まってきます。楽しい冬遊びの作品です。絵も愛嬌があり、絵の具の筆遣いをお手本に、親子で真似して描いて遊べもしそうですよ。2才から。『トラのじゅうたんになりたかったトラ』(ジェラルド•ローズ:作•絵/岩波書店)トラは、宮殿で楽しそうに食事をしたり、お茶をしたりしている王様の一家が羨ましくてたまりません。自分も一員になりたくて、どうしたものか考えていたところ、お庭に干された一枚のトラの絨毯が目に入ります。そうだ、自分もあれになればいい。名案とばかりに絨毯になりすまし……。インパクトのあるタイトルに、発想も展開も絵もとても愉快。幼児から楽しめますが、小学校の読み聞かせでも頻繁に使われ、とても人気の作品です。『ウェン王子とトラ』(チェン•ジャンホン:作•絵/徳間書店)子どもを人間の猟師に殺された母トラ。それからというもの怒りを放出するように、人間の住む村を襲うようになりました。そこで、国の王は、占い師に相談することに。すると、王子を虎に差し出すよう言い使われ、泣く泣く森に置いていきます。王子は虎の元で逞しく成長してゆき……。普遍的な母親の愛や人間と虎と間に生まれる絆が、読み手の心を強く揺さぶります。大型サイズの絵本にふさわしい圧倒的な水墨画で、読み応え満点。6年生のウチの息子も、満足そうでした。小学生には一度は触れてほしい。5歳から。次回は2月25日ごろになります。それでは2022年寅年、素敵な一年になりますよう!(Anne)
2022年01月15日体の芯まで冷えるような夜が続き、お風呂でゆっくり温まりたい季節となりました。先日、浴室の整理をしていたら、未開封のバス用アロマオイルが出てきました。だいぶ前に、忙しい育児の中でもリラックスできたらと友人からプレゼントされたものですが、当時はそんな時間すら取れず、そのまましまい込んでいたのでした。湯船でのんびり体をほぐすなんていう余裕はゼロ。でも今なら使える。これもまた、時が経ったこと、息子が成長したことを噛み締めた一瞬でした。当時は、我が家ではパパの帰宅時間が遅かったので、いわゆる「ワンオペ」。子どもはたった一人なのに、こうも大変なのかと思うほどに手こずっていた私でした。どんなだったかというと、言うなれば、戦。細かいことは忘れてしまいましたが、おすわりできない頃が一番苦労したかもしれません。どうやって子どもの体を支えながら、自分の体を洗うかとか、どうやって子どもの安全を守りながら髪を洗うかとか、どうやって子どもを抱っこしながら、体を拭くかとか。そんなことばかりに頭と手足を使っていたように思います。そしてパパの手の代わりになるようなグッズはないものかと日々、ママ雑誌や赤ちゃん用品店のイチオシ商品を検討して、買っては失敗して……の繰り返し。その果てに、私がやっと一息つけるようになった、お助けグッズがふたつあります(今はもっと優れものが出てるかもしれませんが)。一つ目は、『タミーバズ』。当時のママ友からの助け舟で、この商品名を送ってもらい、何度も失敗を繰り返したので疑心暗鬼でしたが、ものはためしで即購入。ところが、使ってみると、なんとまぁ、今までの苦労はなんだったのか、というくらい楽になったのです。もう、この時ほど赤ちゃんグッズに感動したことはありません。ゆとりを持って自分の体を洗い、髪も洗い、そして慌てることなく拭くという一連の動作がようやくスムーズにできるようになったのです。その『タミーバス』とは、要はバケツです。赤ちゃんの体に負担がかからないよう、足をM字型にした体勢を保ちながら、バケツ型のバスタブに収まる仕組みになっているものです。これなら沐浴中に赤ちゃんからほんの数十秒目を離しても、つるっと滑って溺れるなんて心配はありませんし、コンパクトなので場所も取りません。それに頭は浮いた状態なので、背もたれに押さえつけられるようなこともありません。息子の後頭部の凹みが気になっていた私でも安心して使えました。もうこれ以上このバケツには入らないというくらい、パツンパツンに成長するまで愛用したものです。ただ、もうひとつ問題が残っていました。どうやって息子を拭くか、です。これまたパパの手があれば、どちらかがタオルを持って、どちらかが息子をタミーバスから引き上げる、ということができたと思いますが、なにせワンオペ。折角拭いた自分の体はまた濡らすことになるわ、そこらじゅうビショビショになるわ。それでも、息子を抱き上げ、タオルで包んで一旦床に置き、そして私はもう一度濡れた体を拭き、そこらじゅうも雑巾掛けするという、非常に効率が悪いことをしながら、毎日を乗り越えていたのです。そんなある日、アメリカに住む伯母からプレゼントが届きました。バスエプロンと呼ばれるようなものでした。大きなタオルを、エプロンのように親の首から下げる工夫が施されてあり、そのまま赤ちゃんを抱っこして包めば、洋服も濡れずにストレスフリーの風呂上がりが過ごせるというもの。これには目から鱗で、なんというアイディアだと感心したものです。それからというもの、闘争心を燃やさないとクリアできなかった子どもとのバスタイムがグッと平和になり、さらには、「私、余裕じゃん! 子育てうまくやってる!」という、にわかながら自信にも繋がりました。ええ、息子が一歳をすぎるころまでは。歩けるようになり、お風呂上がりに濡れた体でそこいらじゅうを歩き回り、家中びしょびしょにするまではね。そんな過去もありましたが、それでも、当然、楽しい時間だってたくさんお風呂にはありましたよ。冬ですもの、たっぷりあったまって、ストレスなく気持ちよく寝たいですね。今回はお風呂の絵本。『わにわにのおふろ』(小風さち:文、山口マオ:絵/福音館書店)お風呂場に嬉しそうに入ってきたのは、こわーい、ではなく、仲良くなれそうな大きなワニの「わにわに」です。蛇口を回し、お湯を溜め、シャワーを浴びて、あぶくを飛ばし、とみんなと同じことをやっているのに、なんて楽しそうなんでしょう! 木版画の力強さと温かみも素晴らしく、わにわにの動作のオノマトペもちょっと不気味でかなり可愛い。とにかくギャップが魅力の子どもたちが夢中になる作品です。大人気のシリーズなので、他もぜひ。(2歳から)『ぽっかぽかだいすきおさるさん』(福田幸広:文と写真/ポプラ社)日本には、山のお猿が入ってくるという世界的にも珍しい温泉があります。そこでお猿さんたちはどんな風に過ごして、どんな表情をしているのでしょう。「ああ、いい湯だ~、ああ、気持ちいい~、極楽じゃぁ~」……そんな人間のつぶやきがしっくりくるようなお猿の姿を写真が捉えています。子どもたちも、同じようにじゃれ合ったり、きょとんとしたり。そんな姿がたまらなく可愛い、ほっこりする写真絵本です。(3歳から)『おふろやさん』(西村繁男:作/福音館書店)最近は滅多に見かけない町のお風呂屋さん。一昔前は、高い煙突に立派な瓦屋根の建物が近所に一軒はあったものです。夕方にもなれば、入り口の暖簾をくぐる人たちで賑わっていました。そんな場所を舞台にした作品。下駄箱、男湯と女湯に分かれるところ、脱衣所、洗い場、湯船の中へと場面は進んでいきます。その場その場で、様々な年代の人たちが織りなす小さな物語が切り取られていて、たまらなく愉快。面白シーンを探しながらページをめくるのもの楽しいですし、温泉に行った時と重ねてみてマナーを覚える読み方もあり。時代を超えて親しめる作品です。(4歳から)もう年の瀬です。ゆっくり、じんわり、一年の疲れをお風呂で落としてみてはどうでしょうか。それでは良いお年を!
2021年12月25日先日、ママ友から超簡単ビュッシュ・ド・ノエルの作り方を教わりました。簡単すぎて、フランスのお菓子作りが上手な友人達でさえ、面倒なケーキだと言っていたのは、私の勘違いだったのかと思うほど!なので、クリスマスの日には自家製のビュッシュ・ド・ノエルでお祝いをしようかと思っています。そもそも私はお菓子作りには消極的な方ですが、一方で、メインや前菜作りはわりと好き。昔は、とりわけクリスマスシーズンにもなると、メニューを考えることからワクワクしていたのを思い出します。定番は鶏肉の類の丸焼き。母が住むフランスで年末を過ごすと、お肉屋さんには当然のようにジビエ類がぶら下がっています。その種類の豊富なこと! 七面鳥はもちろん、雉、ホロホロ鳥、鴨、ガチョウ、それにシャポンと呼ばれる去勢鶏……。どれにしようか長い時間吟味することと、お腹に栗のスタッフィングをこしらえて詰めるのが醍醐味でした。過去形なのは、コロナ禍でフランスにここ数年行けていないので、豊富なジビエ類にお目にかかれないからです。それに、忙しくするのはキャパオーバーなので、育児中は、クリスマスメニューにも手間をかけないようになったという理由もあります。最近のクリスマスディナーは、もっぱらローストビーフ。さっと表面を焼いて、アルミホイルとタオルに包み、クッションで挟んで火を通すというやりかたで、横着にもほどがありますが、育児中はこれでいいんですよ! みんなが一番好きな料理ですから。ところが、昨年は、ローストビーフは作らず。というのもシーズン前の宅配便のチラシを見ると、こんがり焼けた丸ごとチキンが載っているのを目にしたからです。ジビエではないけれど、これを電子レンジで温めれば、久しぶりのローストチキンだ。やはりなんといってもクリスマスらしい! と思い、注文したのです。25日に、パパの実家に持って行くんだと意気込んで。ところが、届いた箱を覗くと、ドカンと真ん中に薄桃色の塊があるのです。ああ、よく注意して注文すればよかった。と後悔しても始まりません。こんがり焼けたローストチキンは、イメージ写真であって、売り物はというと、冷凍の、生の、丸ごとの、チキンだったのです。チンすれば済むという話は飛んでしまい、試したこともない電子レンジのオーブンモードにチャレンジする勇気もなく、もっと慣れたレシピにすり替えようと、急遽解体することにしました。せっかくの丸ごとでしたが、罪の意識と共にバリバリと包丁を入れることに。すると、思いのほかいい感じの骨つきチキンのバラが出来上りました。コック•オ•ヴァンをつくろう! 独身時代、幾度も作った十八番。そこからは、料理のモチベーションアップです。まず欠かせないのはブルーゴーニュワインでしょ、と酒屋に走り、それからマッシュルームとイタリアンパセリをわざわざ買い出しに出かけ、手間暇かけた鶏のワイン煮を作りました。勢いに乗って、ついでに野菜のテリーヌも作り、クリスマスらしい品がそろったところで、パパの実家に持っていきました。横着クリスマスメニューからようやく脱出! と胸を張ったはいいのですが……。あんなに頑張って解体した丸鶏。そして丁寧に煮込んだコック•オ•ヴァン。なのに、実家の皆んなは誰ひとり手をつけてくれませんでした。私がすっかり忘れていたのです。彼らは皆、体質的にアルコールが苦手だということを。アルコール分は十分飛ばしたつもりでも、苦手な人にはどうしたって難しいようでした。でも良かったことがふたつ。コック•オ•ヴァンで勢いに乗ったおかげで作れた野菜のテリーヌは、好評で瞬く間になくなったこと。それと、ワイン煮のほうは、唯一食べてくれたのは息子で、そのことによって、彼はアルコールOKな体質だろうと知ったこと。食材とメニュー選びには失敗してしまいましたが、まあ、いいんです。次に生かしてゆけば。というわけで、クリスマスとなれば、あれこれ美味しいもののことを考えたくなる時期でしょう。そんな今、ぴったりの作品を選んでみました。『はらぺこサンタのクリスマス』(はらぺこめがね:作、ほるぷ出版)クリスマスの前夜、サンタさんは子どもたちにプレゼントを配りに出かけます。でも、実はお腹がペコペコ。ソリーから見下ろす山々や家々は、つい美味しそうなお料理に見えてしまうんです! シュトーレン、ミートローフ、そしてローストチキン! それでもサンタさんは頑張ってプレゼントを配り続けます。素敵なメニューが続々登場の、お腹の空く作品です。『ちいさなねずみのクリスマス』(アン•モーティマー作•絵/徳間書店)クリスマスは誰にとってもウキウキする日です。たくさんのプレゼント、華やかな飾りつけ、美しい歌声……。そして美味しそうなお菓子屋デザートがテーブルに並べば、誰だって手を伸ばしたくなりますね。 小さな可愛いネズミだって同じ思いです。繊細な絵で、クリスマスが待ち遠しくなる作品です。『エーミルとクリスマスのごちそう』(アストリッド•リンドグレーン:作/岩波書店)元気一杯のエーミールは、毎日大忙し。あれこれいたずらを思いついては、大惨事を巻き起こし、そして木工小屋に籠らされる、という繰り返しです。でも、本人に悪意はありません。純粋に良かれと思ってしたことが、発想がユニークなあまり、残念なことに周りから見ると「いたずら」に見えてしまうのです。その面白さに読む方はワクワク。どんどん惹きつけられる一方で、どんなことがあっても息子を肯定し続けるお母さんの姿勢に安堵感も覚えます。そして、次から次へと出てくるお料理の魅力的なこと! クリスマス用のメニューも豊富で、たまらなく食欲をそそりますが、その背景に織り込まれた、すべての人々が平等であるべきだという強いメッセージも素晴らしい! 小学2~3年生ぐらいから読めますが、大人も笑っちゃいますよ。
2021年12月15日我が家には、かわいい猫がいます。アメショのタンタンです。先日、この子のお腹が少し爛れていることに気がつきました。私はそのうち良くなるとあまり気にしていませんでしたが、息子とパパはとても心配したのです。早く動物病院につれていくよう嗜めるので、私は猫との鬼ごっことかくれんぼの末になんとか捕まえ、ケージに押し込み、病院へ。受付を済ませると、いつもの先生がにっこり出てきてくれました。にもかかわらず、ウチの可愛い猫はウーウー警戒します。相当機嫌が斜めの状態なので、押さえつけながら無理矢理受診させたところ、薬で様子みましょうということになりました。厄介だな。この子にどうやって薬飲ませよう……。嫌がって、また鬼ごっことかくれんぼかな。爪を立てられ、痛い思いをするのもごめんだわ。気が重いまま家につき、抱っこしようとすると、すでに病院で不快な思いをしたので大人しくしてくれません。ピョンとはねて逃げ、案の定ソファーの下に隠れてしまいました。ここから脱出させることから始めねば。はたまた大奮闘かと覚悟を決めた時、ちょうど餌の時間だということに気づきました。しめしめ。ひとまずご飯で釣ってみよう。「タンタン、ごはんですよー」そう言って、カリカリをシャカシャカ振ってみせると、難なくビューンと飛んでやってきました。そして、さっとお座り(そう、タンタンは「お座り」をするんです)。ムシャムシャと食べ始めた所まで見届けると、祈るように私はそこに、サッと薬を一錠入れてやりました。どさくさに紛れて一緒に飲み込んでくれ!しばらくしてタンタンを見ると、満足げ。目の前のお皿は、きれいになっています。でもたった一粒、残っていました。茶色いカリカリではなく、まっ白なお薬。やられてしまった、と嘆いても仕方がありません。気を取り直して、今度は少し強引に抱き抱えてみました。口の中に薬をポンと入れようという魂胆です。「はい、タンタン、お口、あーん!」ちっとも口を開けてくれません。「お口、あーん! あーん! ほら、あーん!」猫の口をこじ開けようにも獣医さんのように上手くできません。「お口、お・く・ち! ほら、あーん!」あら? この状況何かに似てる。あ、そうだ! 息子が小さかった時と同じだ!チャイルドチェアに座った息子に、なんとかして離乳食をたべさせようと奮闘していた私を思い出しました。「はい、お口、あーん!」何度も繰り返した食事時のセリフです。あの時はどうしたっけ。そうだ、好きなものと混ぜれば上手くいくかも!かつての息子をヒントに、こんどは猫の口を開ける戦略を試みます。小さなスプーンに、タンタンが大好きなリキッドタイプのおやつを出して、そこに白い薬を混ぜ込みました。そしてもう一度。「お口、あーん!あーん!」するとどうでしょう。まったく薬の存在に気づかず、ぺろぺろと嬉しそうに舐め、なんと一緒に飲み込んでくれたのです!そのあとは、あのころ息子にしたと同じように、「まぁ、よくできました!すごい!えらい!よかったね!」とベタ褒めしておきましたよ。早くおなかの皮膚がよくなりますように。さて、みなさんもきっと経験あるでしょう。なかなか食べてくれなくて苦労すること。息子は幸い、自分の手を使って食べれるようになってからは、食事に苦労することは少なくなりましたが、それまでの離乳食期は大変なものでした。嫌な時は口を牡蠣のように閉じて開かない。気に入らないと目の前の食べ物や食器、すべてを投げ飛ばし、白い壁はシミだらけ、という有様。もう、食べさせる方はヘトヘトでしたよ。毎日の食事の時間をすこしでも楽にしたい。そのためには少しでも機嫌良く、楽しく食べてもらわなくては。それでは、絵本の助けを借りましょう!『おさじさん』(松谷みよ子:文、東光寺啓:絵/童心社)あかちゃん向け絵本の代表格、松谷みよ子のシリーズの一冊です。おやまをこえて、のはらをこえて……、姿を現したのはおさじさん。おさじさんは可愛いうさぎさんの「ぼく」のところにやってきます。小さい子がお食事に気持ちが向うように、やさしく、楽しくおはなしが進んでいきます。声掛けのヒントにもなるので、ぜひ一度試してみていかがでしょう。子どもはきっと、自分も同じものをもっている、と誇らしげに見せてくれると思います。ちなみに「おさじ」とはもうあまり言わなくなりましたが、それがスプーンのことだということは、小さい子にもちゃんと伝わりますよ。『ぜったいたべないからね』(ローレン・チャイルド:作/フレーベル館)野菜どころか、お肉もパンも、何にもたべてくれない、という子も中にはいるでしょう。偏食を無理に直そうとするのは、よくないことだと言われていますが、ちょとしたきっかけで食べてくれるようになるのなら、と試してみたい方には是非この作品を。まず主人公の偏食ぶりは半端ありません。お兄さんも呆れるほどに、にんじんも豆も、子どもがすきそうなソーセージもバナナもチーズも、そしてトマトなんてぜったい食べないからね、と言い張るんです。そこで、賢いお兄さんは、とある戦略を思いつきます。さあ、妹は食べてくれるようになるのでしょうか?写真と絵のコラージュがユニークで、ウィットに富んだ素敵な作品です。『あひる』(石川えりこ:作/くもん出版)小学生には、ぜひ、ちょっとドキッとする、この考えさせる作品を! 主人公の「わたし」は、毎朝家の鶏小屋に生みたて卵を取りにいきます。ある日、そこに、鶏に混ざってあひるが一匹羽をバタバタさせていました。初めて間近で見るあひるに、弟と一緒になって夢中になり、川で遊ばせたり草を食べさせたりしました。でも次の日、また鶏小屋へ行ってみるとあひるはもういません。どこへ行ってしまったのでしょう。作者の実体験から作成されたお話。食べ物を大切にすること、食べることへの感謝の思いが育まれるはずです。みんなの食卓が楽しく、お腹も心もいっぱいになりますように。
2021年11月25日「図書室で本借りてきた!」息子が学校から帰るなり、ランドセルをソファーに放り投げるようにそう言い放ちました。突然そう言われたら、反射的に何を借りてきたのか聞きたくなります。でも教えてくれません。「当ててごらん」というのです。なんでそんなクイズをしたがるのか。そもそも億とある書籍の中から、ジャンルは絞れたとしても、作者や題名までは言い当てられる筈もありません。のっけから答える気ゼロで、「わかんない」と即答したら、不服な様子。どうしても当てて欲しいのでしょう。今までに読んだことのないような作品? それとも私が好きな作者? あるいは聞いて驚くような内容のもの?そう考える余地もなく、即座にヒントを出してきました。「やばい系」。やばい系?どう、やばいというのでしょう。内容が怖いのか、際どいのか、それとも作者が風変わりなのか。本とは、概ね「やばい」と感じるスパイスの小包ではないでしょうか。だから面白いのではないでしょうか。そもそも書き手に「やばめ」なところがないと物書きなんて務まらないでしょう。こう考える私相手だものだから、そのヒントでは検討がつきません。面倒くさくなって、「早く言ってよ」と一回催促すると、ウズウズしていたのでしょうね、あっさりと口を割りました。「三島由紀夫だよ」。初めて手にする、息子にとっての「やばい系」作者の本。禁じられた扉を開くような胸の高鳴りは、こちらにも聞こえてくるようで、おやつにも手をつけず、三島由紀夫を片手にダダダッと階段を上り、部屋に籠ってしまいました。私のほうも、追いかけて題名を聞くような野暮はもうしなくなりました。そっとしておくのが一番。そんな年頃になってきたのだなと密かに思ったのと同時に、私が初めてこの作者の作品を手にした15の頃が蘇ってきました。パリのド真ん中で、日本語に飢えていた私は、母の本棚から野良猫が餌を漁るように、日々日本文学を引っ張り出していました。そんな中でもこの作者の漢字五文字は、大人な雰囲気を放っていて、敷居が高いように思えたのは確かです。生涯や影響力はなんとなくは知っていました。だからこそ、手に取ってみたい、未知の世界を知りたい。そんな憧れを抱かせる作者なのでしょう。ついさっきの息子と重なりました。でも、当時の未熟な私にとって、日本語を目で撫でる喜び以外は、文庫本の三島由紀夫は単なる背伸びでした。内容は十分理解できていなかった筈です。高学年向けのダイジェスト版を持ち帰った息子のほうがちゃんと読みそう。それに当時の私よりはるかに読書好きです。やっとお座りやつかまりだちができるころから、本が好きでしたもの。ぎゅうぎゅうに詰まった大人の本棚から本を引っ張り出すことからはじまり、それではと息子用の本を並べると、それからは夢中で開いては閉じ、閉じては開いて……。そして、本を手に持ち、テケテケと大人の方に。リビングにいるパパやママに膝の上にストンと座り、「読んで」とねだってくる毎日が長く続いていたものです。ああ、懐かしい。先日読んだ漫画に、そうだった、そうだった、と共感し、思い出に浸ったのでした。その漫画とは、『おとうさん、いっしょに遊ぼ~わんぱく日仏ファミリー!~』(じゃんぽ~る西:作/祥伝社)。ウチの子然り、本好きの子どもの姿を、ありありと描いたものです。奥さんは冷静でポジティブなフランス人。元気な長男は小学生。そんな2人に見守られ、絵本と乗り物好きのパワフル2歳児と、そのパパがリアルでユニークなやりとりを炸裂させます。どうしてこんなに絵本に夢中になるのか。その謎を明かそうと脳内で苦戦するパパ。読んでいる私たち親も一緒になって、子どもの「夢中」を追いかけ、発達にはなぜ絵本という栄養が必要なのかを理解してゆきます。子どもが本を選んできて、ストンと膝の上にすわる。我が家のデジャビュに、おもわず「あはは」と声をあげて笑ってしまいました。ぜひ保護者のみなさんに。そもそも子どもは絵本が好きです。絵本に触れる量や頻度にこそ差はあると思いますが、どの子もお気に入りの1冊や2冊はおうち、あるいは保育施設にあるはずです。何度も読んで聞かせると、どんどん子どもがハマる。そんな絵本の代表格は、たとえば『きんぎょがにげた』(五味太郎:作/福音館書店)でしょう。上記の漫画でも、「ごみたろー」と親しまれ、子どもあるある、次男の機嫌がなおる魔法の作者として挙げられています。この作品では、鉢から逃げ出した金魚はどこへいったかと探す、シンプルなもの。でも、隠れているものが見つかる・見つけるは、「いないいないばあ」の感覚と同じで、子どもの「好き」の基本です。金魚はどこ? と探し、開いたページの中に真っ赤な金魚をみつけるときの喜び。そして安心感。「あった!」「あった!」と指差す歓喜の声は、回を重ねるたびに大きくなるでしょう! 繰り返し読んであげることが、どんなに大切かが子どもの反応から伝わってくる作品です。(2才~4才むき)ちなみに、『おとうさん、いっしょに遊ぼ~』では、西さんの奥さん、カレンさんの「同じ本を何度も読み聞かせすることは子供の発達に良いことだとフランスでは言われています」という台詞が載っていました。そしてこんな作品を見つけました。『ハンダのびっくりプレゼント』(アイリーン•ブラウン:作/光村教育図書)。ハンダは、頭に乗せた籠に、果物を7つ入れました。お友達のアケヨに持っていくのです。どの果物が一番好きかな、とウキウキしながら歩いて行くと、草むらから次々に動物たちが顔を出し……。シンプルな繰り返しが楽しい上に、サプライズがあり、ご褒美もあり。果物と動物の名前に親しめるし、数の感覚の導入にもなって、絵も構成も、素晴らしい。子どもが何度も読んでもらいたくなるような仕上がりで、完璧だと思いました。モデルはケニアに住むルオ族の子どもたち。アフリカの熱い空気にも包まれるようです。子どもには絵本に触れる機会をたくさん作って、たくさんの心の旅をして欲しい。そう強く思います。(Anne)
2021年11月16日三度目の正直とはこのこと。息子が5年生の時、期待されていた初の宿泊行事がコロナ蔓延で中止となりました。6年生になり行き先が変わっても、予定された夏には実施されず。もはやこのまま卒業かと思われていました。けれども、やっと、行くことがでたのです。日光へ。行く前は、すったもんだでした。まず、緊急事態宣言明けの10月に決行だなんて、強気だなと正直思いました。修学旅行は集団行動です。もし感染してしまったら……。そんな心配から、参加の可否の権限はこちらにあるので、息子とパパと私の3人で膝を突き合わせて話し合いました。行く行かないだけでなく、1日だけ参加という中途半端な案も過り。意見が二転三転したのちに、結局、最終的には息子が判断しました。参加するんだと。そうと決まれば、支度があります。これまた一苦労でした。普段の家族旅行の場合、万が一なにか足りなくても現地で調達すれば良いし、親と一緒だから子どもが困っても解決してあげられる、と思っているのでパッキングも楽。あれこれ悩まずに済んでいました。けれども、今回ばかりは忘れ物があっては大変。親としての責任重大で、結局、出発前の数日は準備以外のことにあまり頭が回りませんでした。それに恒例の準備に加えて、健康管理カードに1週間前から体温やら睡眠時間やら何やらかやら記入せねばならず、さらには家で実施する事前のPCR検査もありました。もちろん検査をする前に、やり方が記されたお手紙も読まねばならず、はてさてそのお手紙はどこへやっただろうかなどと探し回ることから始まる……。そんなありさまで、私はかなりテンパってました。そして、ボストンバックの中身をどう整えようかという悩みもありました。宿泊施設に着いてから、やれ「靴下がない」「上着がない」、その他マスク、体温計、洗濯バサミなどが「ない、ない」と騒ぐことのないようにせねば。サイトで検索すると、1日ごとの洋服をセットにして袋に入れておくと良いとありました。でもママ友に聞くと、「幼稚園生じゃないんだから」という意見も。悩んだ末、1日ごとではなく種類ごとにまとめ、袋の中身が見えやすいよう透明ジップロックにまとめていれることにしました。そして出発前夜に息子と中身を確認。「はい、この袋は下着」「このセットは細かいもの。ね、わかった?」「これは、レク用のトランプ類。なくさないでよ」……。行った先で自分で必要なものが取り出せさえできれば、それでいいわ。戻ってきてからのことは諦めよう。私はそう自分に言い聞かせ、2泊3日後の中の状態に覚悟をしました。きっとボストンバックの中は、ぐちゃぐちゃのどろどろで帰ってくるでしょう。着たものもきれいなものも、一緒くた。しぶしぶ私が洗濯機に全部を放り込むのが関の山。さて、訪れた帰りの日。やはりとても楽しかったようで、息子のお土産話しも一入。ああ、行かせて良かったと心から思いました。そして、どっこいしょと重い腰をあげるように、思い切って聞いてみました。「それで? 中身は? どうせぐちゃぐちゃなんでしょう?」すると思わぬ返事が。「いや? そうでもないと思うけど?」どれどれ、と私はボストンバックのファスナーを開けると、なんと、すごい!私が準備した状態とほとんど変わらず。綺麗にジップロックの袋が並んでおり、汚れた衣類はレジ袋に、それと分かるようにまとめてありました。さらに、そのレジ袋のまとまりを洗濯カゴにいれようとしたら、なんとなんと汚れた衣類まできれいに畳んであるではないですか!ありえないわ。女子に手伝ってもらうなんてことはないだろうから、きっと先生の指導がよかったんだわ。それとも、モンテッソーリ教育かしら。あの保育園時代に散々衣類を畳んだから、その経験が親不在の「危機的な」時に生かされたということのなのかも?あれこれ考えてみましたが、わかりません。ともあれ、うちの子も大きくなったなぁと思ったひとときでした。大きくなるということは、単純に背が伸びるということではないですよね。そんな「成長」を描いた作品を選んでみました。『おおきくなるっていうことは』(中川ひろたか:文、村上康成:絵/童心社)私が小さかった頃、久しぶりに親戚に会うたびに「大きくなったね」と言われて、なんて大人はあたりまえのことを言うのだろうと思っていました。でも、単純に背が伸びたねと言いたかっただけではなかったのでしょうね。一言に言っても、「大きくなるっていうことは」どんなことでしょう? 洋服が小さくなること、新しい歯が生えてくること、あんまり泣かなくなったり、大丈夫かどうか考えられるようになったりすることなど、いろいろあります。子どもと一緒にゆっくり、じっくり読んでみてください。一歩一歩成長してゆく過程を噛み締めながら、未来へと羽ばたかせてあげたくなる作品。入園・入学の際にも、読み聞かせで人気です(3歳から)。『おとなになる日』(シャーロット・ゾロトウ:文、ルース・ロビンス:絵/童話屋)ティモシーは、お兄さんのジョンのあとをくっついて離れません。でもお兄さんにしてみれば、ちっとも遊び相手にならず、足でまといなだけです。本を読んでいれば邪魔をしにくるし、洋服を着るにもご飯を食べるにも「ぼくもぼくも」とうるさいのです。そんなある日、ジョンが学校から帰ってみてみるといつものようにティモシーが飛び出して来るかと思えば……。いったいどうしたのでしょう。そしてジョンがお兄さんとして取った行動とは。大きな成長には、なにも一大イベントが必要なわけではありません。成長のための養分は、日々の積み重ねの中に、じつに多く含まれているものです。シンプルながら子どもの成長を見事にとらえた展開に、心温まらないではいられません。幼児から楽しめます。『おおきな木』(シェル•シルヴァスタイン:文/あすなろ書房)世界各地で読み継がれたロングセラーの、村上春樹さんによる新訳です。少年と、大好きな「おおきな木」との一生に渡る深い友情物語。少年は木によじ登ったり隠れんぼをして遊び、実がなれば頬張り、木陰で休みもします。やがて恋人ができるとその2人でもたれかかったり、旅がしたくなったら材木をわけてもらったりもします。たくさんのものを与えてくれる木は、親のような存在ともとれるかもしれません。考え深い詩のような作品ですが、シンプルな言葉と絵は、小さな子どももとりこになるようです。すべての世代に、歳を重ねることの意味を心にきざんでくれるでしょう。(Anne)
2021年10月25日我が家では、もうずいぶん前から子どもと一緒にお風呂には入っていません。これはおそらく、長期休暇を利用してフランスとの行き来をしていたためだと思います。向こうでは、大概、いくら子どもが小さくても同じバスタブに浸かることはなく、親は洋服を着たまま傍にいながら、子どもの体を洗ってあげるのが通常です。息子も、フランスに行けばバスルームには洗い場がないので、小さいうちからバスタブに1人で入っていました。私は脇でシャンプーを泡だてたり、シャワーの温度調整をしたり、背中を流してあげたりという役です。そして日本に帰ると、今度は日本流に一緒に湯船に入る。そうこうしているうちに、日本でも早々に、一緒には入らなくなったのです。体を洗ってあげたら、あとは私は脱衣所でタオル片手に待機。5歳ぐらいでしょうか。まだ保育園では先生方から「お風呂の時間は大切なスキンシップの時間です」「たっぷりと時間をかけるように」と言われている頃でした。なんとなくお風呂の時間がフランス流になってしまった我が家です。保育士さんの指示通りにはできない代わりに、潔白を証明するかのように、「寝る前には膝に乗せて読み聞かせをしているので、大丈夫です」とアピールしたのを覚えています。スキンシップやコミュニケーションの時間をちゃんと補っていると。果たしてそれが正しかったかどうかは分かりませんが。もっとも、ドア越しとはいえ全くコミュニケーションがなかったわけでもありません。湯船に浸かるとリラックスするので、急に心の奥にあったことが出てきて、立板に水のように話すのは子どもあるあるではないでしょうか。我が家も然りで、私は脱衣所の腰掛けに座り、お風呂場のドアの隙間から、湯気とともに聞こえてくる「ねえ、ママ~」に「なあに?」と答えて、息子がする話に耳を傾けたものでした。今でも、入浴の手伝いこそしませんが相変わらずドア越しにいろいろな話をしています。そんな中、ふと私の幼少期のお風呂時間を思い出しました。そういえば母と一緒に湯船に浸かると、必ずと言っていいほど、クラゲが骨を抜かれる話をしてくれたな。決して「語り」が上手い母ではありませんでしたが、その話の温かみや昔話そのものが持つ味わい深さやおかしみが十分伝わったことは印象に残っています。そこで、早速図書館に言って昔話全集を漁ってみるとありました、ありました!地方によってはバージョンが異なりますが、『くらげ骨なし』とか『猿の生肝』というタイトルのお話が見つかりました。竜宮のお姫様が、あるとき病気にかかってしまいます。特効薬として猿の生肝が欲しいと言い、そこで使いのものを陸に向かわせます。猿が竜宮に連れられてくる途中、クラゲがうっかり、「肝を抜かれるため」と訳をバラしてしまいます。猿はもちろん逃げてしまい、クラゲは罰として骨を抜かれるという展開です。この猿の逃げ方がとても知恵があって面白いんです。どうかな、これをひとつ息子に読んで聞かせてみよう。というわけで、借りてきた昔話全集を脱衣所で開いてみました。読んでみるとあっという間でしたが、「ふーん」とドアの向こうで噛み締めている様子。こんなに短いならいくらでもなどと思っていると、「他にもない?」とリクエストが。そういうわけで、この頃は入浴のたびに「昔話、読んで~」と息子に言われ、毎晩3つ4つ選んで読んで聞かせています。聞く側のみならず話す側にとっても、昔話は、なんて心を落ち着かせてくれるものでしょう!その理由は、どうやらこういうことのようです。「こうした昔話を聞くとき、人は、主人公に自分を重ね、主人公と一緒に成功して幸せになる体験をすることができます。だから、あなたも今のままで大丈夫、と、昔話はいつも、昔話を聞く人を肯定し、祝福してくれます」『ちゃあちゃんのむかしばなし』(福音館書店)の中で、再話著者の中脇初枝さんがこのように言っています。もう、読み聞かせの時期は終わったと思っていたのに、まだまだ、まだまだ。いくつになってもそういう時間があってもいい。人は、肯定され、祝福されることが必要ですから。というわけで、まずは『ちゃあちゃんの昔話』(中脇初枝:再話、奈路道程:絵/福音館書店)。主に現在の高知県で伝承されてきたお話を集めたものですが、バージョン違いでだれもが知っているようなお話も載っています。『舌切りすずめ』や『かちかち山』はもとより、馴染みのある構成や繰り返しに安堵感を覚える類話や、ときには聞いたこともないような珍しいお話も語られています。1話1話が短く、ものの2~3分で読めてしまうものばかりです。おやすみ前でも、起床時でも、もちろん我が家のようなお風呂のときでも、いつでも、いくつの子相手でも、ほんのちょっとだけ時間を割いて読んでみてはいかがでしょうか。小学校で高学年に昔話を聞かせると、難しい年ごろに差し掛かっているのに、みんなよく聞いてくれます。やはり強い吸引力を感じないではいられません。では数年後、息子が本格的な反抗期になったときはどうなるだろう。ぜひ試してみたい。楽しみにその時を待っています。絵本では、例えばフレーベル館の『さるかに』。お母さんがにが猿に騙され柿の種とにぎりめしを交換します。ところが柿の種をまいて、せっせと世話をすると、立派な木になり実がわんさか成りました。そこへ猿がやってきて、熟れた実は自分で食ってしまい、青い実はかににたたきつけて殺してしまいます。そこで出てきた子がにたちの復讐劇が始まる、というお馴染みのお話。絵本でもさまざまな描き方があるので、それぞれお好みがあるでしょう。今回は、このフレーベル館のバージョンで。松谷みよ子さんのリズミカルで読みやすい文と、瀬川康男さんの躍動感とおかしみがある和風画は根強いファンも多い筈。なかなか手に入らなければ、ぜひ図書館で一度手にしてみてください。昔話の魅力がいっぱいに広がります。柿が美味しい秋にはやっぱりこれでしょう!(幼児から)。『したきりすずめ』(石井桃子:再話、赤羽末吉:画/福音館書店)。心優しいおじいさんが怪我をした雀を助けます。おじいさんに懐いた雀は、可愛がってもらうことに。しかしそれを面白く思わないお婆さんは、うっかり糊を食べてしまった雀の舌をちょん切って、逃がしてしまいます。悲しんだお爺さんは雀を探しに山へ入ると……。代表的な昔話ですが、まずはこちらのバージョンがお勧め。美しい日本語とアニメ版にはない味わい深い絵で、昔話の世界にどっぷり浸って(4歳から)。(Anne)
2021年10月15日子育てを始めてまもなく、私は世界はこんなにも広いものかと知り、目から鱗が落ちるような日々を過ごしました。それは、遠出をしたり、あるいはそれなりの出費をしたりして知り得た新世界ではありません。足元であったり、手を伸ばした先であったりと、今までは目も向けなかった身近なところに見つけた広がりです。そこに何かが息づいていたり、蠢いていたりするのだという気づきは、想像もし得なかった感動を呼び覚ましてくれました。道端の小さなスミレにも種類があること、三角の顔をしたカマキリはキッと睨んでいるように見えるということ、頬を撫でる風がふと冷える瞬間があるということ……。バタバタと仕事のバックを抱えて駅へと急いでいた時には見過ごしていたか、意味のないものと無視していたかのどちらかだったでしょう。息子が生まれ、抱っこしてゆっくり歩き、語りかけながら散歩に出かけることがなければ、きっと私の視界は狭いままだったと思います。またある日は、こんなこともありました。代々木公園でのことです。公園という場所に、子供が生まれた途端に足繁く通い、入り浸るようになったのは、私だけではないでしょう。近所はもとより、パパがお休みの日には少し遠くの代々木公園に出かけるのもお決まりコースとなりました。そこでいつものように息子を抱えてゆっくりと歩いていた時、サッと脇を通り過ぎるものがありました。何かと思って振り返ってみると、ランナー2人。力強く、確かな足取りで、しかもものすごいスピードで走っています。どうやらマラソンの練習のようでした。1人のゼッケンが目に留まりました。文字が書いてあります。『伴走』ばんそう? ピアノの伴奏なら知っているけど、伴走ってなんだろう?その横には双子のように寄り添って走るランナー。2人は1本のロープを握って走っています。同じ色のゼッケンには、違う文字が記されていました。『視障』視覚障がいのことだ!走るには、サポーターが要る。それが伴走なんだと、そういう役割があるのだと、その時初めて知ったのです。私が見ている世界のスケールがグッと広がった瞬間でした。そして私も負けずに、子どもの成長の伴走をしている。頑張る2人にだけでなく、自分にもエールを送って、晴れやかな気持ちになったひと時でした。「ブラインドマラソン」という言葉を知ったのはもっとずっと後のことです。代々木公園での2人組ランナーを記憶しているかどうかは当然あやしいですが、息子の世界は、最初から開けているように思います。きっと時代の影響もあるでしょう。保育園に義足のランナーのポスターが貼ってあっても、当たり前の姿のひとつとして捉えているようでしたし、この夏のパラリンピック観戦でも、視点のフォーカスは私よりずっと遠くに合わせているようでした。少なくとも、パラスポーツに対しての驚きは私ほど大きくないようなのです。選手の功績も然りですが、パラ特有の技術的な側面や競技ルールの工夫が解説されると、いちいち感心して騒がしいのは私で、息子の方は淡々としています。陸上競技で、義足の進化に「すごい!」と私が言えば、「え! 知らなかったの?」と。競泳視覚障がいの部では、長いタッチ棒を見て「操るの難しそう。 知らせる方も責任重大だね!」と相槌を求めても「そりゃそうでしょ!」上から目線。パラ競泳の選手たちの活躍ぶりに、手足の長さに差があると、水中でバランスを取るのは容易ではないと知って、そう伝えても、冷静です。「浮力ってそういうものだよ。選手たちはすごいけどさ」と。なんだか肩透かしを食らったような気分でまごついていると、「そもそもね」と話し始めました。「パラリンピックが開催されている時だけ、いろんな番組にパラアスリートが登場したり、『パラ』当事者のコメンテーターを起用したりするのはおかしい。もっと普段から普通に、自然に、いろいろなところで活躍を見たいのに」息子たちの世代が見ている世界は、もうすでに相当なバリアフリーなのかもしれません。幸いなことに。今回は、視覚が不自由だと、どんな風に世界が「見える」のだろうということから、「音」に関心を寄せた絵本を選んでみました。絵本は目で見るものだけではない。そんな体験も貴重です。『おいしいおと』(三宮麻由子:ぶん、ふくしまあきえ:え/福音館書店)「いただきまーす」と言って春巻きを食べたら、サクッサクッと音がすると思うでしょう? 実は違うんです。本当の美味しい音は、もっと複雑です。目を閉じて、よーく聞いてみて。ふわふわのご飯、ぷっくりしたウィンナー、パリッとしたレタス。瞼の裏に浮かぶ食べ物はもっともっと美味しくなるはず。食欲をそそられる作品です。全盲の作者による一音一音は、小さい子に未知の、広い世界への扉を開いてくれるでしょう(3才~5才むき)。『なく虫ずかん』(松岡達英:え、篠原榮太:もじ、佐藤聰明:おと、大野正男:ぶん/福音館書店)夜、我が家で、ふとテレビを消して、耳をすませてみると、こんな音が聞こえてきました。リーリリィー、チンチロリン、ジリリリッ。ご近所が飼っている鈴虫は聞き分けられましたが、あとはどんな虫なのだろう。そんな疑問に答えてくれる本作品。子どもと、静かに音を比べてみながら、松虫かな? コオロギかな? などと当てっこしても楽しそうです。虫は口ではなく、足や羽を使って鳴くんですね。そんな発見もあり、且つ、松岡達英さんの超リアルな絵も見どころです。虫の声が賑やかなこの季節に、ぜひ!高学年、特に中高生には、『朔と新』(いとうみく:作/講談社)高校に入学した新が家に戻ると、暫くぶりに兄がいました。盲学校から帰ってきたのです。突然の事故で光を奪われた兄。その原因は自分にあるのではと葛藤し、有望だったランナーとしての未来を諦めてしまっていた新。新しい未来を切り開こうとする兄は、そんな弟に切実な願いを伝えます。「伴走者になってもらいたいんだ、オレの」。2021年の難関中学の入試で、あそこも、ここも、と出題されたのが本作品。そうと知って早速読んでみましたが、「6年生諸君、よくぞ泣かずに読み解いたな、すごい」というのが率直の感想です。登場人物それぞれが、意図せず人を傷つけているという苦しさを抱え、また、そのことで自分も傷ついてるという悲しさが、初っ端から伝わってきます。思春期の子どもやその親の複雑な気持ちが織り込まれた実に奥深い作品なので、中高生の保護者の方々にもおすすめ。あの代々木公園も舞台になっています。(Anne)
2021年09月25日2学期が始まりました。分散登校とオンライン授業が日替わりで、なかなか面白い新スタイルの学校生活。オンラインでは、私が目を光らせてなくても、さほど気を散らすことなく授業に参加できているようで、さすが6年生だと思うところです。その横で、タブレット端末の接続の乱れに対応できず、次から次に増えるパスワードの管理にめまいを起こしそうになっている私。それをママ友に呟いたら、「私も、私も!」と共感してもらえ、胸を撫で下ろしたところです。そんなこんなで、あまり外出ができない状況が続いていますが、夏休み中を振り返ってみても、良いことも案外あるので前向きに捉えています。なにせこの夏はオリパラニュースが華やかでしたから、ステイホームでも十分。じっくりテレビ観戦することも、ゆっくり新聞を読むこともできたので、日々ニュースに関心を持っている息子との会話もよく弾みました。息子には3~4歳の頃から、私が世の中のことに関心を持つようになってほしいと願って、小学生新聞の記事を読んで聞かせてきました。もちろん最初は、子どもが関心を持ちそうな記事です。ライオンのかわいい赤ちゃんがどこそこ動物園に誕生したとか、どこそこでロケットが打ち上げられたとか、新しい新幹線が登場したとか。それを毎朝続けているうちに、ある日突然、「もう、ママ、読んでくれなくて良い、自分で読む」と言い出したので、それからは朝食の脇にそっと添えるだけにしました。でもちゃんと日課になっているんですね。そして数年後には、小学生新聞では飽き足らず、大人が読む大きい新聞にも自然に目を通すようになったのです。そんな経緯があるので、今では、その辺に見出しが目立つように置いておくと、気づけば読んでいる。世の中の情勢は、かなりざっくりではありますが、そこそこ網羅しているようです。もちろんニュースはオリパラのように楽しいものだけではありません。晩夏、ひときわ息子の関心をそそったのは、アフガニスタンの近況です。アフガンから退避する人々でいっぱいの米軍輸送機内の写真を、食卓の上に置いてみると飛びつくように読み始めました。「うわ! マジで!?」アメリカ軍が撤退した直後、あっという間に首都カブールを制圧したタリバンに驚いたのと、それに危機感を感じたアフガン国民たちの状況を知って、色々と思うところがあったのでしょう。読み終えると、ああだこうだコメントを呟いていました。私は、イスラム教徒とイスラム原理主義、それにタリバンと国際テロ組織のアルカイダが、息子の頭の中でごちゃごちゃになっていないかが気がかりで、その点に注意しながらじっと聞いていました。でもどうやら大丈夫。長年、それなりに新聞を通してニュースに触れてきた甲斐あって、その辺もざっくりではありますが、区別できているようでした。アフガンを去る人々のこれからはどうなるのでしょう。「難民」または「亡命者」となり、多くの苦難が待ち受けている筈です。「祖国に留まれない苦しみは、筆舌に尽くし難い」。私がパリの高校に通っていたときの哲学の先生の言葉です。ハンガリーにルーツを持つ彼女自身、あるいはご家族が、フランスに亡命してきたのだろうということは、未熟な17歳の私でも分かりました。同じパリ在住の外国人でも、日本と往復できる私とは立場が違う。経験したことのない思いを想像して、亡命者の気持ちに添わせてみた、印象深い授業の一コマが忘れられません。今のアフガニスタンに、私たちがこの遠い日本からできることは、少なくとも「無関心でいない」、ではないでしょうか。ロシア軍の撤退、内戦から米軍の介入、長すぎたアフガン戦争。一連の歴史がもたらした結果は、人々をどのような状況や気持ちにさせたのか、子どもと一緒に想像してみたい。そう強く思います。そこで私は、暫くぶりに本棚から一冊の絵本を引っ張り出しました。『せかいいちうつくしいぼくの村』。息子は、「ああ、これね」と。昔読んだことを覚えていたようですが、今また読み返すときっと解釈は違うでしょう。9月11日からは、映画『ミッドナイトトラベラー』も公開されます。というわけで、ぜひアフガニスタンのお話を手に取っていただきたいので、選書しました。『せかいいちうつくしいぼくの村』(小林豊:作/ポプラ社)20年以上前のアフガニスタンが舞台。まだ内戦が続いていた頃のお話です。ほとんど雨の降らない国ですが、周囲の高山からの雪解け水で、大地が潤い、森が繁り、果樹園や畑の作物も豊に育っていました。ある日、主人公のヤモはとうさんに連れられて市場に出かけることになります。村で取れたたくさんのスモモやサクランボを売りに行くのです。いつもはお兄さんが付き添っていましたが、今は戦いに行っていていません。ヤモは色々な人々が行き交う中で、時に不安になったり時に興奮したりしながらお兄さんの代わりを果たします。辛い状況の中でも人々の生き生きとした暮らしぶりが伝わってきます。ラストのサプライズには、どうしたって胸が熱くなります。(6歳~小2)『学校が大好きアクバルくん』(長倉洋海:文・写真/アリス館)紛争地の人々を長年取材してきたカメラマンによる写真絵本。アフガニスタン北東部の山中にある小学校に通うアクバルくんの一日を追ったものです。一本の鉛筆を握りしめ、一生懸命字を書こうとし、先生の話を聞こうとし、もっと学びたいという思いが強く伝わってきます。長い戦争下でも、友達と喧嘩をしたり遊んだりする姿があり、日本の子どもたちと同じような気持ちでいる姿に親しみを感じないではいられません。そしてこちらとはちょっと違う授業風景も魅力的。(5歳から)児童文学は『11番目の取引』(アリッサ・ホリングスワース:作/鈴木出版)トルコ、ギリシャ、イギリス……、とヨーロッパを転々とし、ようやく辿り着いたボストンで、アフガン難民のサミと祖父は暮らしています。祖父が演奏するルバーブという民族弦楽器は、彼らの生活費を稼ぐ道具でもあり、祖国の思いが詰まった宝物でもあります。ところが突然、その大切なルバーブが盗まれてしまいます。必死で取り戻そうと取引に奮闘するサミ。息もつかせぬ展開の合間合間に、文化的なことがらや祖国での楽しいひとときの回想、そして悲しい出来事のフラッシュバックが盛り込まれていて、読み手はぐいぐい主人公の心情に入り込んで行きます。難民の気持ちとはどんなものか。知恵あるおじいさんの言葉の数々も心に沁みる、中高生におすすめの作品です。(高学年から)。(Anne)
2021年09月15日夏休みの宿題。これに頭を悩ませているご家庭は多いのではないでしょうか。計算ドリルと漢字ドリル、それに自由研究。さらに読書もあります。自由研究に関しては、我が家は親の手が必要。毎年、コピーを取ったり、ファイルを用意したり、実験のお手伝いをしたりと、サポート役としてパパか私が出動します。本当は一人で一から十までやらせるべきかと迷います。でも、一方で作業することの楽しさや喜びを一緒に経験するのも貴重だと、前向きに捉えている部分もあり、結局手を貸してしまっているんです。そのうち子どもは親の手を煩わしく思って自然に離れて行くでしょう。今のうちですもの、と。今年はまだ取り組み始めてもいませんが、どの程度関われるのでしょう……。実際、毎年夏休み明けの各学年の作品を見比べてみると、1年生と6年生ではずいぶん差がありました。高学年になるにつれて、綺麗にレイアウトされた親との共同制作ではなく、子どもらしい粗が残っていて自力で仕上げたのが見て取れます。それに段々と、お稽古事、スポーツの合宿や遠征、塾の勉強などそれぞれに忙しくなり、自由研究の力の入れようにも差が出てくるようにも感じました。それも微笑ましい。特に印象的だったのは、とあるスポーツに本格的に専念しているお子さんの作品です。その力の抜きように、どんなに合宿で忙しかったのか、どれほど気合を入れていたのかが伝わり、胸が熱くなったこともあります。力の入れようはそれぞれで全く構わない。完璧でなくて勿論いいですし、仕上がってなくたっていい、とも私は思うのです。大切なのは、こうした機会を与えられて、自分の「好き」を立ち止まって考えたり、それを親が知って、我が子への理解を深めたりすることではないでしょうか。今年はどんな作品が並ぶのでしょう。今から9月が楽しみです。我が家の場合、親の出番が少なくなったと感じるのは、特に「夏休みの読書」です。低学年の頃は、私の最大の趣味である「選書」を存分に堪能させてもらいました。7月早々に図書館や本屋を駆け巡り、ひとまずガッツリ10冊揃えて持ち帰ります。そして、本棚の一番目立つところへ、ボン!絵本やページ数の少ないものが多いこともあり、読書習慣がついてきた息子は、あっという間に10冊読んでしまっていました。そこでまた、8月初旬に10冊選書してきて、ボン! それも読み終えたお盆の頃に、はたまた10冊、ボン!夏休みに計30冊ほど、私が選んだ本を読んでくれていたのです。でも、もうこの頃は、私がいくら「この本面白そう」と手渡しても、「そのうちね」で、そっけない。大概、本棚で眠ったままになっています。読みたい本は、図書室や本屋で自分で決めます。私が差し出さなくても、家にある本の中から、そそられるものを勝手に引っ張り出していることもあれば、すでに読んだものを繰り返し開いたりしていることもあります。もう「選書人」という私の立場は消えつつあるのです。毎度のことながら、こうした成長は嬉しいけれど、ちょっと寂しくもなります。この夏の読書に関しては、もう全く関与していません。と、言い切ろうと思っていたら……。夏休みも終盤になった今、私の出番がまた来たのです。慌ただしさのあまり、好きな歴史ものや推理もの、図鑑や『ざんねんな~』シリーズ(高橋書店)のようなものではなく、宿題のための読書、つまり感想文用のものを、後回しにしていた息子が慌てふためきました。その様子を見兼ねて、選んできてしまいましたよ。「青少年読書感想文全国コンクール」のシールが貼ってある課題図書です。これはもう、こんな風に困った時の駆け込み寺、ならぬ駆け込み本です。どれも年齢に相応しい読みやすくて心に響き、時代に見合ったテーマのものばかりで、感想文の書きやすさは補償付き。その中から一冊、息子に手渡しました。息子が、素直に開き、すぐ夢中になり、あっという間に読み終えたのも、私が、作品を喜んでもらえたことに幸せを感じたのも、久しぶりでした。というわけで、今回は、「青少年読書感想文全国コンクール」の課題図書の中から、始業式も間近で今ちょうど焦っている高学年以上のお子さん向けに、3冊。共通しているのは、構成はどれも、一人の視点から描かれていない点です。ある環境、ある出来事、ある人物をさまざまな方向から見てみると、こんなにも違う。自分とは違う他者の気持ちを理解するのは、多様な世界へと心を開いていくのに必要不可欠です。ぜひ手にとって欲しい。『おいで、アラスカ!』(アンナ・ウォルツ:作/フレーベル館)息子に手渡したのはこれです。中学一年生になったばかりのふたりが交差する物語。一人は家庭に複雑な事情を抱える女の子パーケル。もう一人は一つ年上の、ちょっと偏屈なスフェン。「てんかん」の発症で一年遅れての入学に、彼もまた一言では言い表せない思いを抱えている。何よりも、発作がいつ起こるかわからないという不安。そんなふたりを繋いだのが、介助犬となったゴールデンレトリバーのアラスカです。短くてやさしい文体とさほど長くないページ数で、とても読みやすい。一方で、思いがけない展開が次々と起こり、犯罪心理やSNSなどの問題にも触れていて、読み応えのある作品です。『Wonderワンダー』(R・J・パラシオ:作/ほるぷ出版)2016年の課題図書に選ばれ、映画化もされた作品。主人公のオーガストは、どこにでもいるような普通の男の子。顔以外は。という、インパクトのある出だしから、グイッと引き込まれます。度重なる顔の手術を乗り切り、9歳になって初めて学校に通い出しますが、「見た目」が与える問題が次々と彼を襲います。そんなことをものともしないオーガストのユーモア、周囲の愛情、心に深く刻まれる先生の言葉に心震えないではいられません。さまざまな人の気持ちを疑似体験できる意味でもおすすめです。高校生以上には『水を縫う』(寺地はるな:著/集英社)手芸好きの高校生男子、清澄と、その家族の物語。可愛いものが苦手な姉の水青。「良い母」になれないさつ子。「女なのに」自由に生きたいと思っていた祖母の文枝。よそで暮らす父の全は、「父親らしさ」も「男らしさ」もない。それぞれの思いは、それぞれの視点からつぶやきのように語られています。彼らの、思いやりはあるのに、通じ合えないもどかしさや苛立ちに共感すると同時に、こうあるべきという家族や性別の固定観念から解き放たれ、優しさに包まれる作品です。名言のように響く言葉も多く、とりわけ何度も繰り返される「失敗する権利」は、子育て中の私たち親の心を揺さぶるに違いありません。それでは、読書と共に素敵な晩夏を!(Anne)
2021年08月25日育児を経験する前の私は、子どもと見るとこんな風でした。かわいいけれど、そんなに興味がない。大人同士でおしゃべりする方がずっと楽しいし、電車やバスで隣り合わせても気にかけることもありません。黙々と本を読んだり、携帯をいじったり、考え事をしてばかりでした。ところがどうでしょう。子どもができた途端に、よその赤ちゃんが気になり始め、息子が3歳ぐらいになると、それより下の子を見かけては「ああいう時期もあったなぁ」と懐かしむようになり、今では小さい子を見かけるとバイバイごっこをするまでになりました。一方で、後悔の念が押し寄せてくることもしばしばあります。「もっとこうしてあげれば良かった」「もっともっと、うんと可愛がれば良かった」と。どうやらこれは、私とママ友同士の共通した思いのようです。そんな心残りのひとつに、おばけの話があります。もっとおばけの話をして楽しめば良かったと、私は夏になると思うのです。息子が小さかった時のことですが、暗闇を酷く怖がった時期が長く続いたことがありました。寝る前の真っ暗な部屋。薄暗がりのトイレ。それから下から見上げる夜の階段。恐ろしい何かががそこに居そう。そんな風に感じていたのでしょう。夏休みには、山荘の窓から見える暗い森や、月明かりにぼんやりと浮かび上がる山のシルエットを不気味がったりしました。それに、柱の木目がこちらを睨んでいる目のようだと言って騒いだ時もありました。きっと、多くの子どもたちが体験したことと同じでしょう。こんな時こそと思い、即興でオリジナルのお話をしてみました。山から降りてくる鬼の話だったり、森の中でダンスパーティーをしているおばけの話だったり。そして木目には「目隠し」のガムテープを貼って、おやすみなさい。そうすると、息子のなかには次第に、好奇心や安堵感が生まれているのがわかりました。落ち着きを戻し、じっと私の話に耳を傾けると、時折笑みを浮かべながらさまざまな思いを巡らせている様子でした。時には一緒にお布団に潜ってキャアキャアはしゃいだこともありました。そうこうしていると、夜は寝るものだというモードに切り替わるんですね。怖さも忘れ、気がつくとスースーと寝息を立てていたものです。その音が私に与えてくれた幸福感は、母親にならないと知り得なかった感覚です。お化けが与えてくれた幸せのひとときでした。私自身も、幼少期にはたくさんの怖いお話を読んでもらったり、聞かせてもらったりしました。日本の怪談話はもとより、マザーグースやグリム童話のちょっと怖いお話。それに『ドラキュラ伯爵』の恐ろしさは強烈でしたが、不思議と惹かれる雰囲気もありました。ルーマニアの厚い雲に覆われた低い空ってどんなに薄気味悪いのかしら、と思いを馳せてみたものです。さまざまな感覚を覚まさせてくれた貴重な時期だったことには違いありません。私は、子どもが見聞きするお話は、美しく楽しいお話ばかりでなくていいと思っています。より楽しむ心、より美しさを愛でる感覚を育むためには、対極的なお話も必要ではないでしょうか。人の傷みを共感できるように育ってほしければ、悲しいお話も心の栄養です。危機を察知する直感力も、ある程度の怖いお話でイメージして研ぎ澄ませて欲しい。ただこうした悲しさや怖さが含まれるお話も、家族の誰かと一緒に共有することはとても大切だと思います。絶対的な安心感の元で擬似体験をすること。それが心の傷になるような、致命的なことはないはずです。少なくとも感覚の土壌を豊かにすることは決して悪いことのように思えません。ただ、私もいっときは迷いました。最近ではグリム童話や一部の昔話は恐ろしいと言って懸念される方もいて、実際、私はとある保育者から読み聞かせの選書について指導されたことがありました。怖いお話は避けるように、もう少し大きくなってからにしましょうと。息子が暗闇を怖がっていたころのことでしたから、私の選書や即興話のせいで心に傷を追ってしまったのではないかと自信を失いました。その機を境に、私は山から降りてくる鬼や、おばけのダンスパーティーの話もするのをやめ、絵本は明るいお話ばかり選ぶようにしました。少しでも暗い要素が描かれていれば、パスしてしまっていたのです。補償付きのロングセラーでさえ!でも、母親が即興でした話は、どんなにヘンテコでも、親子に貴重なひと時をもたらしてくれましたし、絵本や昔話に関してもその年齢に見合った怖いお話だってあるものです。そうと気づいてからは、絵本の勉強不足を補うよう努め、少しづつ選書のセンサーを外し、再び「こわーいお話」を親子で楽しむようになりました。というわけで、お盆も近づくこの時期向けの選書です。ちょっとヒヤッとするお話を、ぜひ、親子でキャアキャア騒いで堪能して欲しいですね。『ねないこだれだ』(せなけいこ:作・絵/福音館書店)1歳から読んであげられる「こわーい」お話です。寝ない子はおばけの世界に連れていかれちゃうなんて、とんでもなく恐ろしいですよね。でも、大丈夫。小さい子がちゃーんと楽しめるようにできているロングセラーです。こんな時間に起きてるのは、いったいだれだ? フクロウ、くろねこ、ドロボウ?いえいえおばけの時間ですよと、身近な人の優しい声で聞き、安心感の元で、夜は寝る時なんだな、という感覚を覚えていくようです。3~5歳向けにぴったりなのは、『おばけかぞくのいちにち』(西平あかね:作/福音館書店)人気の『おばけかぞく』シリーズの一冊です。特におばけをとっても怖がる子には、ぜひ読んであげてください。姉弟のさくぴーとたろぽうは、夜になると起きて、ご飯を食べて保育園に行くという、人間と昼夜逆転生活をしています。少し自分の生活とは違うけれど、同じところもあって……。怖いと思っていたお化けと仲良しになれそうですよ。蜘蛛の巣や毒キノコを使ったお料理などもユニークで、不気味ではなく、楽しいお話です。高学年にはぜひこんな怖いお話を。『いるのいないの』(京極夏彦:作、町田尚子:絵/岩崎書店)古い日本家屋には至る所に薄暗い場所がありますよね。そこはなんとも薄気味悪い。大人だってそう思います。では子どもだったら? 見ると怖くなるから、見ないように。でもやっぱり気になるから、ちょっと見てみようか。でもやはり怖い。そんな感覚を引き出してくれる素晴らしい作品です。読んでいくうちに、これこそ、ヒヤッとしますよ。真夏の夜を、お楽しみあれ!(Anne)
2021年08月15日7月になると、学校は短縮授業となり、ギラギラと照りつける太陽の下で、プールからは水しぶきが飛ぶ。私の子どもの頃はそんなイメージでしたが、今は成績表が配られるころになってやっと空が晴れるのです。気候がずいぶん変わりましたね。梅雨と呼ばれる時期は7月中旬にまでずれ込むのですもの。しとしとと降り続く雨の中、アジサイにカタツムリが這う、というのんびりとした景色は、少なくとも私はここ近年見ていません。代わりに空から時々ドカンと落ちてくるのはゲリラ豪雨。河川氾濫、土砂災害、住宅浸水、などの被害は、台風の時期を待たずに通年発生し、死者や行方不明者が出るような危機感のある時期になったように思います。こんな水害は数十年に一度ほどだと思われていたのに。被害に遭われた方々のお気持ちを思うといたたまれません。一方で、雨は自然の恵みであることも確かです。地面を潤し、作物を育て、豊かな水を与えてくれます。私たちの気持ちもしっとりと落ち着きますし、子どもにとっては遊び場でもあります。長靴で水溜りを蹴ったり、大きく口を開いて味わってみたり、雫がレインコートを伝うのをじっと眺めてみたり。誰もがそんな体験をしたと思います。息子には自然の変化に合わせてどう暮らすべきかを考えられるようになって欲しい。それには、やっぱり雨と戯れる時間も大切だと思っています。だから息子が傘を壊して帰ってきても、文句は言ったことはありません。もちろん、物を大切にするだとか、人に迷惑をかけないだとか、そんなような注意はしましたけれど。雨の日だからこそ、傘を持っているからこそ、やってみたいこともあります。たとえば、くるくると回してしぶきを飛ばしたことだってありますし、閉じた傘をズルズルと引きずったこともあります。あるいは、お友達と傘をひっくり返して遊んだのは数知れないでしょうし、逆さにして雨を貯めてみたりもしたでしょう。先の部分がすり減ったり、肢が折れたり、ジャンプシステムがばかになったり、持ち手が曲がってしまったり。傘を一人でさせるようになった3歳ごろから今までの10年弱の間に、いったい何本買い直したことでしょう!でも気づけば、ここしばらく新調していません。6年生にもなれば、なんと傘が壊れない!もう十分雨と遊んだのでしょうね。つい最近のこと、豪雨注意報が出ていた日ですが、いつものように息子の塾のお迎えに行きました。門から出てきた息子と肩を並べて歩き、随分と背が伸びたなぁと思っていると、途端に雨が降ってきました。まさにバケツをひっくり返したような。息子を見ると、55センチの傘が、ベトナムの園主型藁帽のように、頭の上にかぶさっています。雨に濡れないように、その下にまるまるように入っていて、気の毒なくらいでした。もう小学生用では小さいのね。壊れたからではなく、成長したから傘を新調するのはこれが初めてです。10センチ大きくした65センチの新しい傘が新しく玄関に並び、これを、雨の日息子は真っ直ぐにさして出かけるこの頃です。今回は、シトシトではなく、ざっと降る雨がテーマの作品を選んでみました。『雨、あめ』(ピーター・スピアー/評論社)二人のきょうだいがお外で遊んでいると、急に雨が降ってきました。ああ、今日は外では遊べないなどとがっかりなんてしません。こんな時ならではです。傘をさし、レインコートに長靴姿で二人は出かけて行きます。蜘蛛の巣についた水滴。大きな水溜り。車が跳ね返す水飛沫。どんなものでも遊びに変わってしまうとっておきのひととき。家に戻って、温まる様子もほっとします。繊細な描写が素晴らしい、文のない絵だけを楽しむロングセラー絵です(2歳ぐらいから、大人まで)。『たいふうがくる』(みやこしあきこ:作・絵/BL出版)明日は海に行くんだと約束していたのに、台風が来るなんて。がっかりするぼくが迎えた夜。風や雨が吹きつける大きな音にドキドキしながら、心の大冒険へと飛び立ちます。木炭で描かれたモノトーンの絵は、子どもの緊張感や願望がダイナミックに表されていて、共感しないではいられません。ものすごい画力です。唯一カラーの水色に心も晴れ晴れしますよ(3歳ぐらいから)。『雨やどりはすべり台の下で』(岡田淳:作/偕成社)もしかして魔法使い? 雨森さんが通ると不思議なことが次から次に起こる。そんなエピソードを、夕立の雨やどりで駆け込んだ滑り台の下で子どもたちが語らいます。さまざまな年齢の子たちの視点から描かれる、どこか物悲しさや懐かしい雰囲気が素敵。オムニバスのように仕上がっているなんとも心温まる作品です。小さい子には1話ずつ読んであげても(中学年から)。
2021年07月26日6月はプライド月間でしたね。特に海外では大規模な「LGBT+」のデモとパレードが混ざったような祭典が行われます。シンボルはレインボーカラーの旗。LGBTはレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの略だということは、かなり世間に知られるようになりました。さらに最近では、LGBTにQや+を加えて、性趣向や性的アイデンティティーのマイノリティーは4つに限らないことを伝えるように。自分の性的趣向または性認識がわからない、あるいははっきりさせようと思わない、それがQ(クエスチョニング)。性についてカテゴライズしない、という選択があってもいいということです。+は、最近も話題になった、ノンバイナリーやアセクシュアル、その他など。なんだかたくさん名前がついて覚えにくいという方もいますが、要するに性的趣向やアイデンティティーは多様であるということです。多数派のヘテロセクシュアル(異性が好き)でシスジェンダー(生まれ持った性と性認識が一致)でなければ、LかGかBかTの四分割されるというわけではなく、まるで虹のように、さまざまなカラーがあり、交わり合って、グラデーションを成している。そんなイメージではないでしょうか。今までの歴史を振り返ると、性的少数派の立場はだいぶ受け入れられるようになりましたが、私は「受け入れ」という言葉が使われなくなるのが理想だと思っています。そこに「居て」当たり前、という認識になれば良いなと。でも、この「プライド月間」が存在するということは、LGBT、それからそのほか、プラスアルファを含んだ人たちの人権保護がまだまだ必要だということを教えてくれます。みんながお互いの違いを自然だと思える日が早く来ると良いですね。そこで毎回驚くのは、子どもたちの世代の認識です。私たち大人より遥かにボーダーレスで、息子なんかは、どこかの議員の差別的な発言を聞けば、呆れていますし、LGBTはもとより「ノンバイナリー」「アセクシャル」と聞いても、考え込む様子はないのです。「それがどうしたの? 良いんじゃね?」という感覚です。多様性を受け入れるというより、もうすでに当たり前のこととして、息子を取り巻く世界に存在している。そんな若い世代は頼もしいなと思う母の私です。話は飛んで、息子と国語の問題を競い合っていた時のことです。歴代作家と作品を結び合わせる問題で『よだかの星』とくれば「それは宮沢賢治!」、「『小公子』は?」に「バーネット!」などとやりとりをしていました。「じゃあ『トロッコ』は?」と息子に聞かれ、私は「ええっと、ん? 宮沢賢治じゃないの?」。「ブッブッー」とNGを出され、答えを教えてくれました。「芥川龍之介!」好きな作家なだけに、有名とされる短編も知らなかったことが恥ずかしくて、こんな返事で誤魔化しました。「ママね、芥川龍之介といえば『奉教人の死』が好きなのよ」。パリの高校生だった頃、日本語補習校の先生が見事なお話をしてくれたことがありました。「『奉教人の死』(新潮社)っていう話があってね」と先生が語り始めたその物語は、「ろおれんぞ」という名の美しい少年が主人公で、その信仰心の深さを綴ったものでした。思春期だった私にとって圧倒的な吸引力があり、胸の高鳴りとともに迎えた衝撃の結末に打ちのめされたのは忘れもしません。息子にこの話はすごいんだと力説して、ふと気付きました。これ、ちょっと、レインボー?ネタバレしてしまったら勿体無いので、これ以上はとても書けませんが、短いのでぜひ手にとって、中・高校生ぐらいのお子さんに読んで差し上げて欲しい。最初は読みづらい安土桃山時代の口語文体も、慣れれば美しい。かつての私が感動を共有したいと呟いています。ということで、今回は、多様性が当たり前と小さいうちから感じられるような絵本を選んでみました。『王さまと王さま』(リンダ・ハーン、スターン・ナイランド:絵と文/ポット出版)世界中どこでも昔話では、王子様とお姫様が出会うお話ばかりです。でも、本当は異性を好きになる人ばかりではありません。王子様と王子様が一緒になるお話だってあってもいい。むしろあるべきです。そんな思いから生まれたこの作品は、話の流れこそシンプルですが、実はそこがとても良い。王さまが別の王さまに一目惚れしたって、取り立ててびっくりするような、衝撃的なことではありませんよ、ということです。恋に落ちた二人がとても愛おしく思えるだけ。絵の具や色鉛筆、和紙や封蝋まで用いたグラフィックはとてもユニークでおしゃれ。見入ってしまいますよ。(4歳ぐらいから)。『マチルダとふたりのパパ』(メル・エリオット:さく/岩崎書店)パールは学校に新しいお友達がやってくることを知ってワクワク。会ってみるとなかなか気が合いそう。名前はマチルダ。ある日、パールはマチルダのお家に招待されます。きっと楽しいことが待っているに違いない。そう期待したのですが……。思っていたのと違う、という展開がさりげなく素敵な作品です。見返しの部分もお見逃しなく。さまざまな家族構成の絵が可愛いんです。(幼児から)『いろいろいろんなかぞくのほん』(メアリ・ホフマン:ぶん、ロス・アスクィス:え/少年写真新聞社)今まで絵本の中で目にした家族の形は、お父さんがひとり、お母さんがひとり、男の子と女の子が一人ずつ、それに犬と猫が一匹ずつ。でも実際にはいろいろな家族がいます。お父さんだけの家、お母さんが二人の家、おじいちゃんおばあちゃんと暮らす子も……。また、住む家の形もさまざまですし、家で勉強や仕事をする人もいます。休みの過ごし方だって、みんなそれぞれ。食べ物も服装も。さまざまな違いをユーモアたっぷりに映し出した、一家に一冊欲しい作品です。違いがあって当たり前、ということに心が和み、ほろりとしてしまいました。(低学年以上向けですが、小さい子でも)。たくさんの違いに出会って、お互い心が通じ合えますように。(Anne)
2021年07月15日最近話題になっているSDGs。とはいえ一時の流行ネタにはできません。持続可能な(サステナブル)達成目標という意味ですから、当然継続すべき取り組みです。私たち大人が一人一人目指すべきですし、子どもたちにもこうした大人になっていくための意識づけが必要でしょう。こうしたことから、息子の通う学校では、昨年から、家庭で取り組んでいるSDGsについて日々記録しようということになりました。家庭科の宿題として持ち帰りますが、課題としてはスケールが大きく、子ども一人ではそうそうこなせません。そこで、私も息子と一緒になって考えてみることにしました。これまでどんな取り組みをしてきたか、今どんな努力をしているか。エコバックやマイボトルは当然使っています。プラごみ削減の努力はしている方の我が家です。有機野菜やお米を購入して環境保護にも努めていますし、物はなるべくリサイクルに回すようにしています。そのほかもろもろ……。だからSDGsは、得意、得意!課題も楽勝!最初のうちはそんな風に、いい気になっていました。ところが早々に、我が家の取り組みは底を尽きました。これは常時意識して私たちに何ができるかを考え出さないといけない。まずはそのことに気付いて、ようやく真剣に親子SDGsの第一歩を踏み出しました。そんな矢先のとある夕方、「雨が降ってきたよー」と声が聞こえてきました。洗濯物を取り込むよう教えてくれたのは、日頃から声をかけてくれる「近所のおばさん」です。私の無精な生活ぶりを見かねて、洗濯物はもとより、門前の木々の扱いや子どもの接し方のアドバイスなんかもしてくれるのです。いまどき珍しい、昭和風のお付き合いです。こと植物には詳しいのか、我が家の金木犀に蔦のようなものが絡まっていたら、「これはヤブガラシと言ってね……」と教えてくれたこともありました。放っておくと木が痛むのだとかで、除去もしてくれたのです。しばらくすると木は見違えるように元気になり、その年の秋には、豊穣な香りを漂わせてくれました。またある日は、出し放しの空の植木鉢を見兼ねて、トマトの苗を抱えて来てくれたこともありました。「植えてあげるから育ててごらん」「オタクの坊やも観察できていいよ」と。その日も雨の知らせがあって危機一髪。慌てて洗濯物を取り込むと、おばさんにお礼を言おうと道端に出て行きました。そしていつものように何気ない天気の話や草花の話をしていると、「ほら、これ」と見せてくれたものがあります。おばさんのお宅の花壇の中に、一本すぅーっと伸びた茎。アブラナのような花が咲きそうではありますが、だいぶ地味です。それに茎の部分は葉が枯れ落ちたのか、禿げています。わずかに残っている葉はヒラヒラした形をしていて、色合いは赤茶色。おばさんが見せてくれても、とても「きれいですね」とは言えません。押し黙っていると、「だいぶ食べたの。これ、サニーレタス」と教えてくれました。買ってきたサニーレタスの残った部分を水に浸してみたら、葉がまた出てきたとのこと。それを植木鉢に移し替えてみたのだそうです。そうしたら、みるみるうちに伸びて、毎日葉を3~4枚摘んではサラダにしていたのだとか。「だいぶ食べたからね、これは、もう終わり。お宅もやってごらん。実験だと思って。坊やも面白がるでしょう」と。もはや坊やと呼べる可愛い年ではないような気がしつつも、いつも息子を気にかけてくれてありがたいことです。家に戻り冷蔵庫の野菜室をみると、丁度良いリーフレタスが。葉をその日のうちに平らげて、残った茎の部分を浸してみました。すると翌日には少し。そのまた次の日にはもう少し。小さなレタスの葉が出てくるではありませんか。そして例にならって土に植え替えてみました。大根や人参の頭の部分でトライしたことはありますが、観賞用止まり。でも今回のレタスは、伸びれば食べれます。それに食材再利用。おお!SDGsではないか?おばさんの思いがけない案に、やれることは無限にあると息子と頷き、茎が伸びるのを楽しみにしている今日このごろです。というわけで、今回は、SDGsについて思いを巡らすきっかけになればと、以下の作品を選んでみました。自分が欲しい物は自分で必要なだけ作る! そんな無駄のない世界に向けて。『タンポポたいへん!』(シャーロット・ミドルソン作・絵/すずき出版)クリストファーくんとその家族は「モルモットが丘」が大好きです。なぜって、そこでは大好物のタンポポの葉っぱをたくさんかじれるから。ところが、いつの間にかタンポポの葉っぱが少なくなり、ついにはなくなってしまいました。クリストファーくんがやっとの思いで生き残りのタンポポを見つけると、かじりたい気持ちを堪えて、どうしたら良いか考えます。本も読み漁ります。そして名案が!みんなを幸せにする解決策は?健気なクリストファーくんの姿が微笑ましい一方で、私たちが抱える食料危機の問題にもさりげなく触れています。4~5歳から。6年生の息子もなぜか面白がって読んでいました。このくらいの歳になると、絵の技法にも関心が向くようです。「これ、どうやって描いたんだ?コラージュっていう方法かな?」と。『ウエズレーの国』(ポール・フライシュマン作、ケビン・ホークス/あすなろ書房)みんなと同じは嫌というウエズレー。コカコーラも飲まないし、サッカーだってやらない。流行りの髪型だってヘンテコだと言っています。だからちょっと浮いていて、みんなの標的に。でもなんのその。大好きな書物に囲まれ、楽しい思いを巡らして過ごしているのだから。とある日、ウエズレーは閃きます。自分だけの文明を作ること。タイミングよく風に乗ってきた不思議な種が庭に根を宿すと、ぐんぐんと育ち……。植物を観察して、試行錯誤し、自分の世界を一から全て手作りしてしまいます。そのプロセスは実にワクワクしますし、憧れるような世界に吸い込まれて行きますよ。なんでも自分で作る。これこそSDGsが目指すところでは?私がとても気に入っている作品です。小学生向き。『ナマケモノのいる森で』(アヌック・ポワロベールとルイ・リゴー しかけ、ソフィー・ストラディ ぶん/アノニマ・スタジオ)ナマケモノが暮らす豊かな森。でも突然の開発によって破壊され、動物や鳥たちは居場所を失ってしまいます。全てが失われたと思ったころ、一人の自然を思うヒトが現れ、森の再生へと向かってゆく物語。繊細なしかけ絵本で、あらゆる角度から、折り重なる森を間近にのぞいてみると、様々な生き物たちの様子が見えてきます。子どもたちはナマケモノ探しに夢中になりそうですし、美しい作りは大人も魅了するでしょう。私たちは、経済的な発展や領土の拡大に明け暮れず、立ち止まってみるべきではないでしょうか。ナマケモノのように「ゆっくりのんびりおっとりと」でいい。そんな過ごし方が必要なのではないかと。先日亡くなったエリック・カールへのオマージュのようにも感じる作品です(参照:『ゆっくりがいっぱい!』偕成社)。(Anne)
2021年06月25日梅雨入りしましたね。鬱陶しい日々が続くと、人間の方は活動が鈍り、起き上がるのが億劫になります。朝が苦手なお子さんなら、なおさらです。もうグダグダではないでしょうか。私が聞く子供の困りごとでダントツ多いのは、この起床問題。友人たちは口を揃えて「ウチの子、朝、起きてくれないのよ~」というのです。どうしたら起きてくれるか、あれこれ試行錯誤を繰り返しているけれど、得策が浮かばないと。なので今日はどうやって目覚めてもらうか、かつて寝坊助だった息子を思い出しながら綴ってみたいと思います。大体、皆さんがトライしているのはこんな感じ。きょうだいも手伝って一家総出、あるいは入れ替わり立ち替わりで「寝坊助」を起こしに行き、何度も声をかける。時間をかけた末にやっと、どうにかこうにか起きてくれる、などという話には、「うちも」「うちも」という相槌が飛び交います。みんな同じなんですね。詳しく聞いてみると、声のかけ方も工夫しているとか。30分ぐらい前に小声で声をかけ、それから10分間隔で。だんだんと5分おきに、徐々に声量を上げてゆきタイムリミットを感じさせるのだとか。いきなり大声で起こすと子どもの機嫌が悪くなる。それにギリギリの時間になって初めて声をかけようものなら「なんでもっと早く起こしてくれないのー!」と大惨事が巻き起こる。だからそうしているのだそうです。細かい調整までしてお疲れさまです。あるご家庭では、とうとうリビングのソファーにシーツをかけて寝かすことにしたとのこと。朝の家族の動きやテレビの音で起きるかもしれないという試みです。その後、友人からは何も聞かないので成果があったのかもしれませんね。そのほかにも、時計を何個もセットするとか、冬なら布団を取っ払って寒さで起こすとか、濡れタオルで顔を拭いてあげるだとか。昭和の頃からの目覚まし作戦は「寝坊助」を持つ家庭の登竜門でしょう。中には、完全に本人任せにしているというママも。「もう、知らんぷりよ!」と。その肝っ玉ぶりには頭が下がります。慌てようが遅れようが、それは本人の責任だから、遠目に見守るしかないと言うんですね。確かに子どもが成長してきて、反抗期も影響してくると、本人に任せる方がずっと効果的なのかもしれません。当の本人は、ギリギリにせよ、学校には間に合っているようなので、この方法も成功してるのでしょう。我が家も然り。ちゃんと経験しましたよ。小さい頃から得意なことといえば「早起き」だという私からすると、不思議で仕方がありませんでした。でも不思議がってばかりいても、息子の寝起きの悪さが改善するわけでもないので、考えました。あれこれ試行錯誤もしました。そして手を尽くした甲斐あって、なんと6年生の今、平日はほぼ息子に声をかけることもなく、自分ですっくと起きます。早起きがしたい。なぜなら、やりたいことがたくさんある。だからなのだそうです。昔を思い起こしながら、その姿に感心しているこのごろです。では、ここに至るまでに我が家でどんなことをしたかというと、こんな風です。ふにゃふにゃ泣いて自分で目覚めていた乳児期を経て、1歳近くなったころです。保育園に通い始めると、親の仕事の時間と登園時刻の都合があるので、無理やり起こさないといけなくなりました。ここからが我が家の戦国時代。冒頭の友人たち同様、「起きてくれない」「機嫌が悪い」「無理やり起こせば大惨事」の悩みと毎朝戦いました。でも、やがて戦いにも疲れます。もっと楽しく起こしたい。そこで考えついたのが、目を覚ますと良いことがある、という雰囲気を作ってみようという案でした。そうすれば、きっともう少し早く目を覚ましてくれるだろう、少なくとも機嫌は良いはず、と。フランスで買い集めた童謡やわらべ歌集の一部。CD付きの美しい絵本で、言葉はわからないけれども擦り込むように息子に聴かせまました。寝かしつけにも寝起きにもとても効果的でしたよ。左から、ポルトガルとブラジルの童謡、アルメニア、ギリシャ、クルド、トルコのわらべ歌(どちらもDidier Jeunesse )。右はフランス語のわらべ歌集(Gallimard Jeunesse 社)。そこで持ち出したのは、擦り込むように効かせてきたモーツアルトや、世界の童謡、わらべ唄。フランス語、ロシア語、アルメニア語のものなど。異国の言葉だろうと、童謡やわらべ唄というものは、メロディーなのか、周波数なのかわかりませんが小さい子の心を癒す作用があるものだと身にしみて感じました。起床時間の少し前から小さめの音量でかけはじめ、それから息子を起こしてみると、泣き出してもすぐに止むので、毎朝この方法を取り始めました。きっと、起きてみると楽しい音が聞こえる、そんな風に感じたのかもしれません。やれやれと、肩をなでおろしましたが、子どもは成長します。やがてこの目覚ましも通じなくなりました。幼児期ごろになると、はたまた寝起きが難しくなったのです。そこで、今度は音楽の代わりに本を持ち出しました。朝の読み聞かせをトライ。読み聞かせは寝る前にというイメージを払拭して、目覚ましにも使ってみようと思ったのです。やはり目的は、起きてみると楽しいことがある、と思わせることです。この年代の子には面白い話を聞かせるに限ると。もちろん「はい、読みますよ」と声をかければパキッと起きれるわけもなく、まだ目も開かなければ、意識も半分夢の中という状態です。まどろんでいても、少しずつ音楽の時と同じようにお話が耳から入れば良いわけです。絵が少ない昔話や児童文学のようなものは、ここにぴったりでした。起床時刻の10分ほど前に声をかけ、昔話を読み始めると、なんと想像以上に早く目をこすりながら耳を澄ませ、文字を追おうとしました。日本の昔話はもちろん、世界のさまざまな童話集は1話ずつ。長い長いお話は数日にまたがって読み進めました。するとどうでしょう。クズったり、腹を立てたりすることもなく、お話を読み終える頃にはすっかり目が覚めていましたよ。朝の慌ただしい時を削ってでも作ったこの10分は、今となっては掛け替えのない思い出です。使ったのは例えば、こんなお話集。『こどものに聞かせる世界の民話』(矢崎源九郎:編/実業之日本社)。世界のありとあらゆる国の民話がたっぷり集録されている、お話の宝箱のような本です。どこから読んでも良いので、私は偶然パッと開いたところをその日の朝の読み聞かせにしました。はじめに、今日はどこどこのお話ですと伝えると、フランスやロシアといえばなんとなくイメージが湧く息子も、ウルグアイ、セルビア、ガーナなど、聞き慣れない国名に、まず興味津々。もう、その時点からワクワク。早く起きたいという気持ちが高まるようです。ついでに地球儀で場所も確認してみたりもして楽しませました。当然お話自体も多種多様で、子供部屋にいながら世界の裏側までも旅できる素晴らしさがあります。一方でどこか日本の昔話にも通じるようなくだりもあり、そうした相違点や共通点を見つけるのも面白い。「読み聞かせる」とだけあってとても読みやすく、どのお話もすっと心に入ってきます。『世界のむかしばなし』(瀬田貞二:訳、太田大八:絵/のら書店)。どのページにも挿絵があり、文字も大きめ。小学生なら一人読みにもオススメですが、もちろん読み聞かせても。北ヨーロッパで語り継がれた14話のみですが、5分ぐらいで読める短くて愉快なものばかりです。時間のない朝でも、親子の間にすぐ笑いが生まれるでしょう。思い出せば、集録されているロシアの民話『だれがいちばん大きいか』の、常識をはるかに超えた展開に、「ええ!」「ええ!!」と驚きながら息子と大笑いしましたよ。小さいお子さんには『おねぼうさんはだあれ?』(片山令子:文、あずみ虫:絵/学研プラス)。春の訪れに心を躍らせたウサギのミミナちゃんは、お寝坊のともだち達を起こしに出かけます。「もうはるよ」。そう声をかけ、シロツメクサやスミレの花を順々に置いていきます。ポカポカと柔らかなお日様の光に、優しい春の香りが漂い、動物のともだち達は目を覚ましていきます。一番のお寝坊は一体誰だったでしょう?何度見ても可愛い作品で、心が浮き立ちます。小さい子の朝に、是非(3歳から)。目覚めると、この世の中はたくさんの喜びで溢れている。そんな風に感じてくれたら。大人の貴重な朝の時間を少しだけ削ってみてはどうでしょう。もっと貴重なものが子供に届くはず、と思っています。(Anne)
2021年06月15日ビスポークランジェリーを展開する「チヨノ・アン(Chiyono Anne)」が、フォーシーズンズホテル東京大手町内のコンセプトストア「ザ スパ ブティック バイ アデライデ(THE SPA boutique by ADELAIDE)」とコラボレーションしたスイムウェアを、2021年6月11日(金)より限定発売。「ザ スパ ブティック バイ アデライデ」と南青山「アデライデ」にて展開される。「チヨノ アン」とは?2014年に創業した「チヨノ・アン」は、一人一人の女性に合わせた、ハイエンドなビスポークランジェリーを展開する日本ブランド。その繊細な素材と、洗練されたデザインを組み合わせたランジェリーは、著名人のファンが多いことでも知られている。「ザ スパ ブティック バイ アデライデ」別注カラーのスイムウェア今回はそんな「チヨノ・アン」で人気を集めるスイムウェアシリーズから、「ザ スパ ブティック バイ アデライデ」とコラボレーションした別注カラー第2弾が登場。「ビキニトップ&ハイレグボトムセット」は夏の太陽に似合う“ライムカラー”で、「タンクトップ&ハイウエストボトムセット」は“ライムカラー×チョコレート”のコンビネーションで登場する。こだわりのディテールをプラスいずれのモデルも無数のストリングスや、結び目(ノット)のディテールがアクセントになるデザイン。また「ハイウエストボトムス」とセットになった「タンクトップ」は、ウエスト周りの露出が少ないデザインのため、カジュアルなトップスとして夏コーデに取り入れるのもオススメだ。【詳細】チヨノ・アン×ザ スパ ブティック バイ アデライデの水着発売日:2021年6月11日(金)展開店舗:ザ スパ ブティック バイ アデライデ、アデライデアイテム:・別注カラービキニトップ&ハイレグボトムセット 30,800円カラー: ライム×ライム・別注カラータンクトップ&ハイウエストボトムセット 36,300円カラー: ライム×チョコレート<店舗情報>・ザ スパ ブティック バイ アデライデ住所:東京都千代田区大手町 1-2-1フォーシーズンズホテル東京大手町 39階営業時間:10:00~22:00TEL:03-6810-0660・アデライデ住所:東京都港区南青山 3-6-7 B-Town 1/2F営業時間: 12:00~20:00TEL:03-5474-0157
2021年06月12日今年は梅雨入りが早そうですね。こうも空気が湿って重たいと、何をやるのも億劫になってしまいます。ことあるごとに腰を痛めている私は、整形外科の先生からこういう時期は要注意と忠告され、小まめに足腰動かすよう促されました。怠けていてはばちが当たる。気をつけなければ。子どもだって、のんびり過ごす時間も大事ですが、怠けてばかりもいられません。やるべき事は自分でやるしかないんですもの。つい先日の話です。息子が何やらニヤニヤしているので、気になって見てみると『コロコロコミック』を読んでいました。もう6年生。この類のコミックはすっかり卒業したのかと思ったら、そうでもないんですね。ソファーに寝そべって、絵に描いたような怠けようです。ニヤニヤの原因は「ドラえもん」。てんとう虫コミックスの7巻から抜粋した『小人ロボット』の巻でした。得意なことといえば昼寝という、怠け者の代名詞のようなのび太と、未来からやってきた愛嬌ある猫型ロボットとのやりとりは、大人の私にさえ夢を与えてくれます。時代を超えて愛されている「ドラえもん」。息子が読んでいるページに出てきたのは、「小人箱」と言うまさに夢のような道具でした。靴屋のおじいさんの話で、寝ている間に小人が仕事をしてくれるというグリム童話がありますが、それが羨ましいと言うのび太の願いを叶えるためのものです。箱に向かって用事を頼み、「グウ」と寝さえすれば、その間に靴磨きだって、草むしりだって小人たちがやってのけてしまうのですから、のび太としては、願ってもない!真っ先に思いついたのはもちろん、宿題を片付けてもらうことです。そんな魂胆でいたのだが……、と言う展開。私だってそんな箱があったら欲しい。湿気で面倒なこの時期の洗濯や食器洗いを、ごっそりお願いしたいところです。きっと息子も羨ましい筈。あんなに楽しそうにしているのですから、さぼりたい事柄をあれこれ思い巡らせているに違いありません。階段の掃除。出した本の片付け。学校からのプリントをランドセルから出す……。でも我が家には天地がひっくり返っても小人はやってくる筈もなく、怠けていてもどうにもなりません。自分でやるしかないんですよ。そう戒めたいところですが、ガミガミ言うまい。コロコロコミックの「ドラえもん」から教訓を受け、私が黙っていても、自ら掃除機を取り、本を戻し、プリントを私に手渡すのよと目に物言わせてみます。ところが、どうでしょう。ふと私の視線に気づいた息子は「ママ、どうしたの?気持ち悪い」でした。私のいわんとする事は伝わってないようです。しばらくして、ミシミシと聞こえてきました。パパがリビングにやってくる足音です。この音には敏感な息子。「さてと、掃除しよっと!」すっくと起き上がり、掃除機を取りに行きましたよ。コロコロコミックの後の「ミシミシ」は、怠け癖退治に説得力を発揮したのかもしれません。当然、私にだって小人は来ません。自分で動かなければ、流し台の食器は片付きませんし、腰痛だってぶり返すかもしれません。幾度も読んで聞かせた『おさらをあらわなかったおじさん』(フィリス・クラジラフスキー:分、バーバラ・クーニー:絵/岩波書店)を思い出しました。一人暮らしのおじさんは、料理をして食べることがとても好き。ある日のこと、いつもよりうんと多めにご飯を作ったら、お腹が膨れて動きたくなくなってしまいました。食後の食器洗いは明日にしようと、そのまま寝てしまったのです。翌日も倍の量を作って、また同じように疲れてそのままにしてしまいます。同じように日を重ねていくと、なんと新しい食器が一枚もなくなって、見渡す限り汚れたお皿だらけになってしまいます。とうとう、植木鉢やら灰皿などにも食事を盛るように。このままではどうなってしまうのでしょうか。そこでおじさんは名案を思いつきます。長い間読み継がれている愉快なお話。これを読んだら怠けていると大変なことになる、と分かること間違いなし。光吉夏弥さんの日本語も美しくて読みやすいですし、レトロな絵も素敵です(4・5歳から)。『おとなしいめんどり』(ボール・ガルドン:作/童話館出版)。とある小さな家に、猫と犬と鼠と、おとなしい赤いめんどりが一緒に暮らしています。最初の三匹は一日中寝てばかりの怠け者。家の中の仕事は全てめんどりが引き受けています。時々、手伝いを頼みますが三匹はこぞって知らんぷり。おとなしいめんどりはそれでも文句を言わず、せっせと働き、ケーキ作りに励みます。さて、美味しい思いをしたのはいったい誰でしょう!谷川俊太郎さんの訳が耳に心地いい、私がとても好きな作品の一つです(5・6歳から)。『なまけものの王さまとかしこい王女のお話』(ミラ・Rオーベ:作、ズージ・ヴァイゲル:絵/徳間書店)。ある国に、ナニモセン5世というその名の通り怠け者の王様がいました。一日中ふかふかのベッドで寝て、おいしいご馳走をたんまり食べ、そのほかの事はなんでも家来にやってもらう生活でした。そんな風なので、王様は丸々太って動かなくなる一方です。とうとう、王様は病気になってしまいます。そこで活躍するのがパパを思いやる王女さま。持ち前の活発で利発な性格を生かして、この難病を治そうとあれこれ作戦を練ります。たくさんのユニークなアイディアが出てきて、なるほど納得の愉快な物語です。さて、いったいどうやって王様の病気を治すのでしょうか。ヒントは「なんでも自分ですること」!この徳間書店の児童書BFCには、絵本から読み物に移行する低・中学年にぴったりの、面白い作品がずらり。息子もたくさん読んだのが、今懐かしいおすすめシリーズです。梅雨のだるい時期でも、なんとか動いて乗り切りましょうね!(Anne)
2021年05月25日親の役目は、子どもが自分で伸びようとするのを待ち、そして見守る。そんなアドバイスをよく見聞きします。その通りだ、そうしようと思いつつも、私は未だかつて誇れるほど待てた記憶はありません。やはり我が子ですもの。どうしたって「期待」はしてしまいます。そのこと自体は悪いことではないと思いますが、そのせいでつい先回りして口を出してしまったり、結果を急いでしまったりするのは気をつけないといけないところでしょう。私の場合、息子が自分から「さあ歯磨きをしよう」「さあお風呂に入ろう」「さあ宿題をやろう」と自主的に動き出す前に、つい「やったの?」と聞いてしまいます。少しの間黙って見てればいいものを。案の定、息子の返事は「ちょっと待ってよ!」ですもの。やはり待って欲しいんですよね。こと、我が家のタンタンに関して言えば、猫だからでしょう、そもそも期待なんてしていません。だから、マイペースだろうが、気まぐれだろうが、先回りはせずしっかり待って暮らせています。そういう意味では私は、猫の「良い親」です。それで、例えばトイレの後に「にゃー」と初めて訴えてきた時には「まあ!お掃除してって言えるようになったのね」と褒めちぎったりします。息子にもこういう風に接すればベストなのでしょうけれど……。実は、ここで猫の話を持ち出すのは、どうしても紹介したい猫の絵本が溜まってきたからでもあります。にゃんにゃんにゃんに因んだ2月22日の猫の日も、3月22日のさくらニャーニャーの日も過ぎ、もう5月。今の時期は猫達の繁殖期です。私が小さかった頃は、暖かい外の空気を取り入れようと窓を開けると、近所で盛りを迎えた猫の大きな鳴き声が、ナオナオ聞こえていました。でもこの頃は、見かけるのは「さくら猫」ばかり……。「さくら猫」とは、耳がV字にカットされた飼い主のいない地域猫のことです。V字カットがさくらの花びらのように見えることからこのような呼び名になっていますが、これは不妊去勢手術済みという大切な目印なのです。そもそも、猫は一匹あたり、年間3度ほど5~7匹の子を産めるのだとか。さらに子猫は6ヶ月も経つと、子どもを産めるようになるため、猫の繁殖力はかなりのものです。放っておけば、地域で猫の被害を訴える人も多くなるでしょうし、また殺処分の悲劇だって待っています。耳のさくらカット活動は、そうならないための、つまり繁殖をコントロールする目的があるんですね。ちなみに、雄が右、雌が左の耳が桜になってるんです。私の暮す地域ではこのような活動が活発なので、それはもちろん幸いですが、一方で春になってもナオナオは聞こえないし、軒下で子猫が生まれたなんていう素敵なサプライズもありません。そんな中、ある日息子が学校から帰るなり、息急き切ってこう言いました。近くの学校の敷地内に子猫がいる!と。そんなこともあるものかと驚いて話を聞いてみると、カップルらしき親の元で数匹の子猫がチョロチョロしていて、どうやら家族のようだと。一匹はキジ、一匹は白黒。そのほか数匹。その中に一匹とても美しいのがいるんだそうです。毛並みは金色に輝いていて、雌なのかはわからないが、お姫様みたいな顔つきをしているんだとか。「もう一匹飼えない?」と上目使いの息子に「いや、無理だから」と断りましたが、飽きもせず息子は翌日も「今日もあの家族がいた」と言って帰ってきました。それから3~4日は見かけなかったようですが、子猫の話が聞けなくなると今度は私が少し寂しい気持ちになりました。それからまた数日経った頃「やっぱりいたよ。あの家族。子猫達は少し大きくなっていた」と、息子が帰宅。聞けば学校の帰りに、猫達を見つけると小学生達がワイワイ集まって「可愛い」と言ってみたり、撫でようとしてみたりしているようです。なんだか楽しそう。だんだん私も無視できなくなり、見るだけならと子ども達の下校時間を見計らって敷地の方に出向いてみました。すると、いましたいました。これだろうという金色の子猫に遭遇したのです。確かに輝くような毛並み。端麗な顔立ち。ほっそりとしなやかな胴体。我慢できなくなり、いよいよ引き取ろうかと決心したころ、風の噂で、あの一家は捕獲されたと。一瞬ドキッとしましたが、聞けば「さくら猫」になるためだそうなので、安心しましたよ。そういうわけで、どの猫もすぐにさくら耳になるため、うちのあたりでは、地域猫は滅多に子どもを産まないんだと思います。6年前に我が家に猫を迎え入れる際も、待てど暮らせど子猫に遭遇しないし、里親のチャンスも逃してしまったので、止む無くペットショップへ行ったのです。でも、命は命。可愛いアメリカンショートヘアをタンタンと名付け、今ではもうオッサンの年になりかけています。何も口出ししなくても、知らぬ間に成長してくれました。タンタンと呼ぶと「にゃ」と返事をしてこちらを見る。「ご飯?」と聞くと「にゃー」とYes。「おすわり!」と指示するとしっかり座れますし、ブラッシングをするかと聞けば、ちゃんとすり寄ってきます。ドアを開けてほしい時は「ニャア、ニャア」。何か特別な要求がある時は、なんと「ママァー」と私を呼ぶんですよ。時々「テメェ、コノヤロウ」と言わんばかりにパンチするのが玉に瑕ですが、この通りだいぶ賢くなりました。ちゃんと待って見守っていれば、こんなに成長するものだと、ちらりと息子に目をやって、黙る決心をする私です。さて、上記のどうしても紹介したい猫の絵本です。『ねこはるすばん』(町田尚子:さく/ほるぷ出版)飼い主の留守中、ねこは何をしているんでしょうね。おとなしく昼寝?いやいや、そんなわけはありません。タンスの奥へ入り込み、ちょいとお出かけ。カフェで一息ついたら、床屋へ向かい、思いっきり運動。銭湯にだって立ち寄ります。いやはや、忙しいのなんの。そんなに動き回って、主人が戻ってきたら、一体どんな顔で迎えるんでしょうか。作者の描く猫らしい表情と、ずっこけていて愛らしい動作に、何度もニヤニヤしてしまう作品です(3歳から)。『みんなのおすし』(はらぺこめがね:さく/ポプラ社)食と人をテーマに創作活動をしているユニットによる、おすし屋さんの風景。大将とやってくるお客さんの手元を描いた、しかけ絵本です。大将が「へい、らっしゃい」と威勢良く迎え入れるのは、仕事帰りのおじさん。笑顔のお母さんと男の子。それから、あらあら、オドロキの生き物たちも。もちろん猫も登場します!ページをめくるごとに、とっておきのサプライズが用意されていて、何度でも盛り上がれそうですよ。最後に美味しい思いをするのは?あんまり面白いので私は甥っ子のプレゼントにしました(3歳から)。『吾輩は猫である』(夏目漱石:著/佐野洋子:絵/講談社青い鳥文庫)誰でも知ってるタイトルですが、私はこの歳になってようやく完読しました。猫の視点から、主人である教師の家を訪問する愉快な人々との絡みを描いている、言わずもがなの内容ですが、驚きました。けっさくです!まるでボケツッコミの漫才をコント舞台に据えた長い長いお笑い劇場のよう。膨大な知識と猛烈な語彙力と圧倒的なユーモア。その間を自由に行き来しながら、人の本質を暴く夏目漱石の本作品は、究極の娯楽でしょう。全ての漢字にふりがながついていて、且つ全ページに注釈ありで読みやすいです。偕成社版は、字が少し大きめ。昔の小学生はこのくらい読めたといいますが、中学生ぐらいからでしょうか。独特の漢字の使い方や文章に一旦慣れてしまえば、あとは一気に読み倒してしまいます。小学生には『吾輩は猫である』(夏目漱石:著、齋藤考:編集、武田美穂:絵/ほるぷ出版)を。斎藤考氏による、「声にだすことばえほん」シリーズの一つ。日本の名作の名文を引用して、作品の魅力を伝えています。親子で一緒に読んで、面白さをつまみ食いして見ると、のちに、原作に入りやすいかもしれません。是非、是非、名作を!(Anne)
2021年05月15日ワクワク、ドキドキ、メソメソ、ブーブー。4月に入るとそんなオノマトペが聞こえてきそうです。なにせ新年度スタートに伴って、入学、進級、クラス替え、引越し、転校などがあり、子どもを取り巻く環境は大なり小なり変わる季節なわけですから。期待や不安、寂しさや不満が、入り乱れて当然でしょう。息子はというと、なんと!とうとう、6年生です。今までは2年おきだったクラス替えも、今年からは毎年行われることになり、従って、息子の学年もまたシャッフルされることになりました。ということで、今年も、始業式、息子が学校に行くと、新しいクラス編成表が待ち受けていたわけです。自分がどのクラスになって、誰と一緒なのかを、まるで死活問題のように真剣に確認する息子の姿が目に浮かびます。どの子もきっと似たり寄ったりの心地だったでしょう。ワクワク、ドキドキ、メソメソ、ブーブー。当日は親の私だって、子どもがうまくやっていけるメンバーなのかどうか、気になりました。息子が「ただいま!」と帰ってくるや否や、私は玄関に飛んで行ってしまいましたよ。「どうだった?どうだった?」息子は手に持った編成表を机に広げ、しばらくだんまり。それから、一気にしゃべり始めました。仲良しと一緒で喜んでみたかと思ったら、よく知らない子がいると文句を言ってみたり。別のクラスのメンバーを羨ましがったかと思えば、やっぱり自分のクラスが落ち着いて過ごせそうだと思い直してみたり。挙げ句の果てには、「この人とこの人を入れ替えて……」などと、自分で再編成してみたり。それはそれは長くて騒々しいものでした。いずれにしても、手放しで喜んでいるというふうではありません。新しい環境ですから仕方がありませんよね。でも、思えば、3年生に上がった時のクラス替えでは、様子は全く違っていました。新しいクラスにあっという間に溶け込み、初っ端からとても元気でワクワクしている様子だったのです。それが、5年生に進級した去年のクラス替え時点から、急にクラス編成にああだこうだ言い始め、不貞腐れたような日が続いてしまったのです。このギャップに私の方もうろたえて、当初はあれこれ理由を考えては不安になっていました。どうして?コロナ禍で休校中だったから?それともよほど新メンバーとの相性が悪いのかしら?悩んだ末に、私は先生に相談を持ちかけました。すると、こんなお話が。低~中学年ぐらいまでは、もちろん個人差はありますが、余計な心配をする間も無くクラスに溶け込んで行ける。けれども、高学年になってくると、事情は変わってくるのだそうです。物事を分析したり広い目で見れるようになってくる。それはすなわち、だんだんと周囲の目が気になるようになることでもあるのだとか。自分がどう他人に映るか、どう立ち振る舞うべきかが、純粋に仲良くなりたいという気持ちよりも勝ってしまう。だからなのだと。うちの息子に限らず、みんな大体は、サッとクラスに溶け込むわけでもなく、周りの様子を探っている状態だとも。あるいは前のクラスのお友達とだけ遊ぶといった、傾向が見られているんだとか。そして少しづつ距離を縮めてゆくので……と。そんな風に説明してくださいました。どうりで3年生とは違うわけです。それからしばらく経った頃には、息子も何事もなかったように自分のクラスが1番だとか言って、元気を取り戻していましたからね。このような経緯があっての今回。おかげさまで私は少し落ち着いて様子を見れました。息子の方もクラス編成への複雑な思いは2日で済み、新しいクラスを楽しみ始めているようです。6年ですから、きっとまた少し成長したのでしょう。そんな小さな成長を見守れるのは、子育ての大きな楽しみだとつくづく思うこの頃です。あの騒々しい「ワクワク、ドキドキ、メソメソ、ブーブー」もこれで最後かな。さて絵本です。この時期はお引っ越しも多く、転入してくるお友達にとっては、より一層新しい環境への期待や不安な気持ちは大きいでしょう。なので今回はお引っ越しをテーマに選書してみました。『ヤドカリのおひっこし』(エリック・カール:さく/偕成社)ヤドカリといえば、何度も自分の住処を変える生き物。いわばお引っ越しの名人ですよね。そんな生き物だって、おうちを変えたら、ちょっと寂しい。それじゃあ、と、海の中で出会う生き物や海藻をどんどんお友達にしてゆきます。そして十分楽しいお家になった頃、また……。ヤドカリの一年を情緒的に描いたこのお話は、環境が変わる子どもの気持ちを明るく支えてくれることでしょう。切り紙とペイティングが合わさったエリック・カールならではの絵も、変わらず素敵です(4歳から)。『とんことり』(筒井頼子:さく、林明子:え/福音館書店)かなえは、山の見える町にひっこしてきました。段ボールに囲まれ、お母さんやお父さんは忙しそうにしていて、なんだか落ち着きません。ふと、物音が聞こえました。「とんことり」。なんだろうと玄関へ行ってみると、そこにはスミレの小さな花束が。次の日もまた同じ音が聞こえ、行ってみると、誰もいません。でも今度はタンポポが。期待と不安を胸に、新しい環境での出会いを描いた素晴らしい作品。子どもの気持ちにぴったりと寄り添ったお話と絵に、読み聞かせをしながら、親の方はつい声を詰まらせてしまうでしょう(5・6歳から)。『100回目のお引っ越し』(後藤みわこ:著/講談社)こちらは、業者さんからの視点で描いた「お引っ越し」です。主人公のタツルはおじさんの営む小さな引っ越し業者のお手伝いをすることになります。ところが、100件目に依頼されたのは、頑なに動こうとしないおばあさんの家。さて、どうするか。タツルを取り巻く大人たちのやりとりに疑問を感じて反発してみたり、納得してみたりしてゆくうちに、大切な事情に気づかされてゆきます。引っ越しというのは、単に「これまでの家」から「これからの家」に荷物を運ぶだけのことではないのだと。頑張るタツルの奮闘記。謎解きのような展開にページをめくる手が早まります(小学校上級から)。(Anne)
2021年04月25日4月1日はエイプリルフールでしたね。嘘はいけないと言うのが万国共通の常識ですが、この日は違う。思う存分嘘がつけるのです。新聞には、自動車会社のメーカーのフォルクスワーゲンが、新型の電気自動車の発売に合わせて、アメリカの子会社を電圧を意味する『ボルツワーゲン』に改名すると言うニュースが載っていました。へえ、なんて思いながらそのまま読み進めてみると、なんだエイプリルフールか。思い入れあるメーカーの、さもありそうな話にまんまと引っかかってしまいましたよ。騙されるのも案外面白いものです。実は我が家には毎年恒例、この日にここぞとばかりの嘘をつきあう習慣がありました。つきあうと言うより、妹一家とグルになり、私たちの母を標的にするものです。うちうちで案を出し合って、どんな嘘だったら面白いか、どう話したら信じてもらえるか、綿密に練るわけです。そこまでのプロセスも楽しいですが、そこで鵜呑みにしてくれたらなおのこと。いかにストーリーをうまく組み立て、信憑性を持って話せたかが試されるので、成功すると誇らしくなるほど。その日は大盛り上がりなのです。ところが昨年も今年も、話は別です。昨年はちょうどコロナが蔓延してきたばかりで、我が家は自粛や休校中。海外に住む家族はロックダウンの最中でした。誰彼も先が不透明の中で我慢を強いられ、神経を尖らせていた日々だったので、遊びの嘘とはいえ、人によっては笑えなかったでしょう。ましてや誰かがコロナに罹ったなんて言う嘘はもってのほかです。エイプリルフールどころではありませんでした。今年になってもまだまだコロナ禍。今回も新聞記事に私が騙された程度で終わりました。早く気軽に嘘がつける4月1日を迎えたいものです。一方、母は、ここ2年、今年こそは騙されまいと電話片手に構えていたそうですが、待てど暮らせど子供達からの連絡が一日に来なかったと言うのです。「楽しみを奪われた」母を想像すると、やはり嘘は娯楽にもなりうるとつくづく思います。家族で一緒に物語を作って、語ってみせる。出来のいい「作品」であれば、結果、騙されてくれる。楽しいイベントではないですか!私も息子には、鵜呑みにできるほど上手い物語をエイプリルフールによこしてもらいたいものです。でも方向性を間違えれば、オレオレ詐欺のようなの手口にだって使えてしまう。これもある意味「上手い」物語ですから。そう考えると、一言に嘘と言っても、犯罪にも娯楽にもなる。子どもに、嘘の良い悪いはどうやって教えるべきだろうかと、考え込んでしまいました。とりわけ子どもが嘘をついた時…。顔洗ったの? と聞くと「洗ったよ!」という返事。でも口元にはケチャップがついている。宿題やったの? と聞くと「やったよ」と即答されて、怪しいとノートを開くと真っ白。階段のお掃除は? とそそのかすと、「今朝やった! 多分…」と、後ろめたそうだったり。こんなことは子どもあるあるでしょう。我が家の場合、特に多いのが、ゲームがらみの嘘です。買い物から帰ってくると、宿題が進んでいない。なぜかと尋ねると、難しいんだと言います。でも電子器具置き場にあるはずのiPadは、ドリルの傍に。「ええ、そうでしょうとも。進んでないのはゲームをやっていたからね!」という私に「ママ、なんでわかったの?」と驚いています。嘘がバレバレなところは、まだ可愛いですが、こう言う場合、どうしたって目は釣り上げて注意するべきですよね。嘘はいけませんと。嘘は誤魔化しだし、人を傷つけたり、不愉快にもさせますから、当たり前ですが、良くないことです。でも、エイプリルフールのような娯楽の嘘は?想像力や創作力の源となる嘘。相手を思いやる嘘や、人や自分のプライバシーを守るための嘘だってありそうです。嘘は時と場合にもよるし、内容にもよるし、限度や言うタイミングも関係してきます。一方で、なんでも正直に話すべきなのかといったら、こちらも時と場合にもよるし、言うタイミングもあるでしょう。一概に否めない。そんな風に考えていると、噓にもいろいろな類があることに改めて気づかされました。そんな様々な嘘の形を子どもと考えたいとき、こんなお話はどうでしょうか。まずは、嘘を肯定的に捉えた視点に、ハッとさせられた作品。『エイドリアンはぜったいウソをついている』(マーシー・キャンベル:文、コリーナ・ルーケン:絵/岩波書店)自分の家には素敵な馬がいるんだと言い張る男の子と、それを、絶対に信じようとしない女の子との交流のお話です。エイドリアンという名のその男の子はいつもひとりだし、机はぐちゃぐちゃだし、ぼーっとしてるし、それに、そもそも馬が飼えるような広いおうちではないはず。嘘をつくなんて許せないといったように女の子の方は憤ります。そんな矢先、ひょんなことからエイドリアンの家の前に来てみると……。彼が語る白い毛並みで金色のたてがみが美しい馬は、この作品を手に取った私たちの心の中にもやってきてくれる、輝くような感動作です。『ほんとうのことをいってもいいの?』(パトリシア・C・マキサック:文、ジゼル・ポター:絵/BL出版)このタイトルを一見みると、もちろん良いに決まってるでしょ、と言いたくなります。でも実は本当のことを言うのは、なかなか難しい。主人公のリビーはお母さんに嘘をついたことで叱られ、それを機に本当のことだけを言おうと心に決めます。ところが、なんだか周囲の様子が変。みんな気を悪くしているようです。良かれと思ったのにどうしてなの? リビーは悩みます。どうすれば良いのでしょうか?子どもが嘘をついたら、本当のことを言うのに悩んでいたら、最初から叱る前に、この作品を一緒に読んでみるのも良いかもしれません。親も子どもにアドバイスしやすくなると思います。『うそつきにかんぱい!』(宮川ひろ:作、小泉るり子:絵/童心社)大人気の『かんぱい!』シリーズの一冊で、これを読むと嘘には色々な類があることが明確に伝わってきます。主人公の信也はひいおばあちゃんの様子がおかしくなってきていると気づきます。亡くなった自分の弟と間違えて話しかけてくるからです。でも、お母さんにはその弟になりきるように言われてしまいます。嘘をつくことは良くないんじゃないか。信也が受け入れられないでいると……。そのうちに色々な人がひいおばあちゃんの元へやってきて語り始めます。たくさんの優しい嘘との出会いに信也の心も少しずつ塗り替えられていくのです。他にも『しっぱいにかんぱい!』や『0点にかんぱい!』など。低学年が絵本から読み物に移行するにはぴったりの、自己肯定感を育む楽しいお話ばかりです。(Anne)
2021年04月15日メゾン マルジェラ(Maison Margiela)は、北海道初となる新しいストアコンセプトを反映した店舗を丸井今井札幌1階にオープン。ウィメンズ&メンズウェアやバッグなど新たにオープンしたメゾン マルジェラ 丸井今井札幌では、Co-Ed(男女共通)のアイテムをはじめ、ウィメンズとメンズのプレタポルテ、シューズ、バッグ、アクセサリー、スモールレザーグッズ、フレグランスを展開。さらに、エムエム 6 メゾンマルジェラのスペースも併設し、ウェアやシューズ、バッグ、アクセサリーを用意する。「5AC」バッグや「タビ」ブーツのリミテッド・エディションも中でも注目は、2020年秋冬「デフィレ」コレクションで登場した「レチクラ(Recicla)」シリーズの限定アイテムだ。過剰在庫として残った上質な皮革をリサイクルして作った「5AC」バッグのライラックとエメラルドの2色と、「タビ」ブーツのブラウンをリミテッド・エディションとして2021年4月6日(火)より発売。メゾンの視覚的言語を反映したインテリア店内のインテリアデザインは、オランダの建築家 アンヌ・ホルトロップが率いるStudio Anne Holtropによる新ストアコンセプトを反映したもの。随所にクリエイティブ・ディレクターのジョン・ガリアーノによって確立され、進化し続けるメゾンの視覚的言語が反映されている。通常は壁の内側に使用される石膏そのものをむき出しにした壁の構造は、隠れた内側をあえて露出させるというメゾンのコンセプト“アノニミティ・オブ・ライニング(ライニングの匿名性)”を彷彿させる。また、トラバーチンの棚やディスプレイテーブル、シートには、服の本質的な輪郭だけを残して核となる部分まで削ぎ落とすというハウステクニックのひとつ「デコルティケ」のカット技術を反映した。【詳細】メゾン マルジェラ 丸井今井札幌オープンオープン日:2021年3月17日(土)場所:札幌丸井今井 一条館1階住所:北海道札幌市中央区南1条西2-11TEL:011-205-2397展開:・メゾン マルジェラ:ウィメンズ・メンズのプレタポルテ、レザーグッズ、シューズ、アクセサリー、フレグランス・エムエム 6 メゾン マルジェラ:ガーメント、バッグ、シューズ、バッグ、アクセサリーリミテッド・エディション:・「5AC」バッグ(ライラック、エメラルド) 277,200円・「タビ」ブーツ(ブラウン) 160,600円
2021年04月08日3月8日は「国際女性デー」でしたね。女性はこうであるべきだという決められた「イメージ」や「役割」から自由になることを目指して、意識づける日。その日を迎えて、私はふと昔のこんなことを思い出しました。長年のフランス生活から離れ、日本に戻ってきたばかりの頃です。友人から日本流の「合コン」というものに誘ってもらいました。フランスではお付き合いを目的とした場合でも、いつもと変わりなくディナーをし、ごく「自然に」(という言葉が相応しいか悩みますが)紹介し合うのが通常です。ゴージャスな装いで現れても、仕事帰りのデニム姿にさっと口紅を塗っての参加でも、何れにしても形式的なルールはありません。なのであまり気負わず、後者スタイルでその「合コン」に出向いたのです。久しぶりの日本生活で友人もまだ少なかったため、男女関係なく、親しくなれたら良いな、ぐらいの気持ちで。ところがいざレストランに着いてみるとなんだか様子が違う。女子の友人たちはスイートピーのようなヒラヒラしたワンピース姿です。笑うとシャドウやチークが輝いて華やかです。男性たちは立派なスーツを着て、背筋を伸ばしながら名刺を配っています。私は履いているデニムのダメージ加工に目を落とし、手で覆い隠そうとしましたが、すぐに開き直りました。ま、いっか。そして、飲み物と前菜がテーブルに置かれると、率先して数人の女性たちが男性たちにワインを注ぎました。前菜も順次取り皿に盛っていき、次に他の女性参加者たちの分も配りました。男性たちは上機嫌で、ますます頬を緩めていました。しばらくして、目の前の男性のグラスが空になった時です。「注いでくれないの?」と聞かれました。冗談めかしていても本音は違う。ああ、こういう場では女性がすぐに気づいて注ぐべきなんだとな。そうと察知しながらも、私の口は、とっさに「なんで?」と発していました。そして断ったのです。ナイフとフォークを握った手は動かさず、「フランスでは男性が注いでくれるのよ」と。このごろの表現で言うならば、紛れもなく「わきまえない女」でしょう。男性が注ぐのが当たり前だという私の意見も正すべきですが、その時は「女性の役割」を拒みたいが故の、精一杯の手段でした。それから月日が経って、「合コン」ではないところで主人と巡り合い、家庭を持ちました。息子には、女性に注いでもらう大人になってもらいたくない。かといって、むやみに注ぐ人にもなってほしくない。自然に、心がこもった時に、注ぎたい時に、性別関係なくサービスができると良い。あるいは、必要な時は自分の分だけでも良い。ジェンダーによって役割を決めつけて欲しくもないし、先入観にもとらわれて欲しくない。そんな風に願っています。ただ、それも杞憂に過ぎないかもしれません。案外今の子たちは、私たちの頃よりずっと自由な感覚を持ち合わせているようです。と言うのも、こんなことがありました。先日、息子に好物の「スニッカーズ」をおやつに出しました。すると喜んで、速攻口に入れたのですが、二個入りパックだったため、一つは残しました。「二つ食べたらカロリー取り過ぎるから」と言うのです。息子は、食が細いわけではありませんが、大食漢でもない。食べ過ぎを好まず、腹八分目をキープするタイプです。そんな健康志向の息子に私はこう伝えました。「大丈夫よ、たくさん食べたって。子供なんだから。これぐらいのカロリー、すぐに消耗できるわよ」。男女問わず食いっぷりの良い人が好きな私は、もっと食べるよういつも勧めてしまうのです。それでもいつまでも息子は迷っている。そこで急き立てるように、ついこう言ってしまいました。「ほら!男らしく、たくさん食べなさい」。するとどうでしょう。間髪入れずに息子が「あ、それジェンダー差別だ」と。その指摘は、私が「あ、ごめん、そういうことではないね」と失言を認めるより早かったのです。息子の世代はジェンダー意識が確実に前進している。と同時に、いかに無意識のうちに「イメージ」や「役割」が私の頭に刷り込まれて、古い価値観に翻弄されているかに気づかされました。あの時、ナイフとフォークを置き、ワインボトルに手を伸ばさなかった私は何処へやら。私は、もう一度自分の中にある価値観を洗いざらして、もっと解放されてゆく必要がありそうです。私たち、そして息子や他の子供たちが、誰もが暮らしやすい多様な社会を作り、その中でぐんぐん芽を伸ばして行けるように。ということで、ジェンダーに纏わる絵本の中から、従来の役割を覆した強い女性のお話をご紹介します。『マイク・マリガンとスチーム・ショベル』(童話館出版)世界中で愛されてるバージニア・リー・バートン作の名作のひとつ。頑張るショベル・カーのお話です。一言でショベル・カーといっても歴史があるんですね。今は油圧式が主流のようですが、最初はスチーム・ショベルと言って、石炭で動くものだったようです。それからガソリン式、電動式、などが発明されてゆきますが、お話の中では旧式も負けません。操縦士のマイクと共に全エネルギーを注いで作業する姿は逞しく、ダイナミックで心を揺さぶります。石井桃子さんの訳も読みやすく、とても美しい。ところで、強い女性は?それは、もちろんこのスチーム・ショベルです。名前は、「メアリー・アン」!(6歳ぐらいからとありますが、もっと小さい子にも見て欲しい。)『マララのまほうのえんぴつ』(マララ・ユスフザイ:作、キャラスクエット:絵/ポプラ社)2017年に最年少でノーベル平和賞を受賞した人道活動家による自伝絵本。パキスタンでは、貧しい子どもたちが学校に通えない。女生徒たちがどんどん授業に参加しなくなる。どうしてなの?みんなが幸せで自由な世界が描けるような魔法の鉛筆が欲しい。そう願うマララが本当に魔法を手にするまでの物語。言葉は世界を塗り替えられると信じた女性の、希望に溢れたメッセージが込められています。一人でも多くの人に読んでもらいたいという作者の思いは、この作品を手に取った人の心に受け継がれてゆくでしょう。(小学1年から)。『大統領を動かした女性ルース・ギンズバーグ男女差別とたたかう最高裁判事』(ジョン・ウィンター:著、ステイシー・イナースト:絵/汐文社)昨年亡くなり、その後任問題が取り沙汰されたのは記憶に新しいルース・ギンズバーグ。精力的に最高裁判事を務めた、アメリカ最初の女性です。どれほどの屈辱的な男女不平等を受けても、信念を曲げず、正しいと思う自分の道を歩んだ姿が、この作品にはこと細やかに描かれています。男子生徒に勉強している姿を見られるまいと、トイレに篭ったり。男性だらけの判事の中で、誰よりも冷静で完璧な「反対意見」を述べ、多数意見をこてんぱんにやっつけて見せたり。こうした彼女の行動には驚きつつも、世の中の違和感に立ち向かう勇気を得られるものばかりです。自分の能力を信じ、努力を惜しまなかったからこそ勝ち得た正義と平等は、本人がいなくなってもずっと守られていくべきでしょう。絵もスタイリッシュで素敵です。(小学生から) (Anne)
2021年03月25日もう三月。卒園や卒業間近の季節となれば、お友達とあんなことこんなことあったなぁと思い返すことが多いでしょう。息子も、新年度にはクラス替えがあるため、今のクラスメイトとはお別れです。過ぎ去った日々を振り返って、あの時この時のことを話してくれています。そもそも「ただいま」と帰ってくる息子の表情を見ると、その日どんな思いで学校生活を過ごしたのか、大抵わかります。やたらテンション高くて声が大きい帰宅。そんな時は、クラスでの発表がうまく行ったか、体育の対抗戦で勝利した日です。落ち着いてドアを開け、靴を脱ぎ、荷物をランドセルから出して、淡々と「おやつちょうだい」という時は、和やかに過ごせた筈です。変なギャグを飛ばして帰ってくる時は、お友達とだいぶふざけてきたのだろうと思いますし、無口な時は、もちろん先生に叱られたとか、およそそんなところでしょう。しばらくすると、叱られた、と教えてくれて、ああ、やっぱりね、と思うわけです。最近ではあまりありませんが、以前は、ドアを開けた瞬間、眉間にシワを寄せて、口元がへの字の時がしばしばありました。その表情を目に、わたしはハラハラ。ああ、どうしよう。どうやって対応しよう。戸惑う私の前をスルーして、まずランドセルをソファーに放り投げます。どっかと座ったと思ったら「なんだよ、あいつ!」と吐き出すようにいうわけです。やっぱり、誰かと喧嘩をしてきたな。こういう時、じっと自分の中に抱え込んで解決しようとする子もいれば、親に思う存分話してスッキリする子もいるでしょう。息子は後者。なので、私は聞き役に回りますが、その役の難しいこと!時には聞いてるこっちがストレスでした。育児の参考書などには、よくこんな風に書いてあります。笑顔でそうだったのね、嫌だったね、とまずは全部聞いてあげること。そして、オウム返し。子どものいうことを同じように繰り返し言って、同調するように、と。確かにそうするとすぐに子どももスッキリするので、有効です。なるべくそのように対応しようと努めてみていました。「あんなことするなんて、ひどい!」と言ったら、「そうね、ひどいね」と。「ぼくがやるはずだったのに」と言ったら、「やるはずだったのにね」。「ムカつく!」など、だんだんと言葉が荒々しくなれば、とりあえず「そうだね」と言ってみる。いや、言ってみる時もあります。汚い言葉に同調するのはとまどいますし、私も一緒になって相手を悪くいうようで、気が引けるものです。正直言うと、そういう時はあまり積極的に同調できず、酷い言葉を聞きたくないばかりに焦ってしまいます。「でも、あの子にも何か考えがあったのかもしれないよ」などとフォローして、落ち着かせようものならむしろ逆効果。「なんだよ、あいつの味方をするのか!」ということになり、親子間に流れる空気は一気に重たくなってしまいます。これにはやはりタイミングが必要なんですね。気持ちを全部吐き出させてから初めて、逆の立場を想像してみたり、仲良くやってた時を思い出してみたりができるのでしょうね。そう上手くは対応できませんでしたが、親として不器用ながらあの手この手で相手をし、なんとかスッキリさせるまでに持っていった記憶があります。高学年になったこの頃は、そういうこともめっきり減りました。相手と折り合う方法が徐々に身についてきたのでしょう。そんな経緯を辿ると、子どもは小さいうちに喧嘩をたくさんした方が良いように思えます。喧嘩をしても大丈夫。仲直りはできる。その時は少し嫌な気持ちになるけれど、それも当たり前。それが自信に繋がり、その自信さえがあれば、主張することも恐れないでしょうし、譲ることも謝ることも素直にできそうです。人としてのバランスを保つための必要不可欠なことのように思うのです。とはいえ、喧嘩にもレベルがあります。自分で解決できない時、親が話を聞いてさすがに首をかしげるような内容の時だってあるでしょう。そんな時は私は、「使えるものは使うべき」と思っています。いろんな人の手です。ご近所ママや先輩ママに軽く相談をしてみたり。少し深刻であれば、例えば先生。それにこのごろの学校には、保健室以外にカウンセリング・ルームもあります。役所の教育委員会に問い合わせたという知人もいます。とにかく相談窓口はたくさんありますから。子供もそうですが、大人も一人で抱え込まないほうがいいですよね。周囲の手はなんでも借りて、ちょっとしたきっかけを作ってもらえれば、仲直りだって大概は簡単なことなのだと思います。絵本の手だって借りましょう。『ピンポンパンポンプー』(マガジンハウス)これは中居正広さん、劇団ひとりさん、古市憲寿さんの豪華メンバーによる、仲直りのお話です。のんちゃんとびりーくんはいつも一緒。でもびりーくんのお誕生日の日、のんちゃんは約束の場所に来てくれませんでした。悲しくなったびりーくんは、のんちゃんの嫌なところを思い出して嫌いになろうとします。でもそれもちょっと寂しい。色々な思いがびりーくんの頭を巡ります。お友達との関係がギクシャクした時、どうすればいいのか教えてくれる一冊。「ピンポンパンポンプ~」と明るい仲直りの合言葉が聞こえそうですが、さて、どこから聞こえてくるのか。それはお子さんと読んで一緒に考えてみてくださいね。キャラクターも版画タッチの絵も可愛いらしい!4歳ぐらいからでしょうか。仲直りのきっかけは、案外ひょんな事からという場合もありますね。『ごめんねともだち』(内田麟太郎:作、降矢なな:絵/偕成社)では、まさにそんな具合。仲良しオオカミとキツネが突然喧嘩をしますが、意地を張り合って、なかなか謝れません。どうしようと悩んでいるうちに、あらまぁ!『ともだちや』からスタートした、愉快活発でちょっとしみじみする、友情物語シリーズの第4作目。オオカミとキツネの衣装や小物も見どころです(3歳から)。『きみなんかだいきらいさ』(ジェアニス・メイ・ユードリー:ぶん、モーリス・センダック:え/冨山房)私が大切にしている絵本のうちの一冊です。とっても仲良しだったぼくとジェームス。でもある日、ぼくはジェームスのことが嫌になって、絶交を心に決めます。あんなやつ!とばかりに悪いところを挙げてみたり。楽しかった時のことも思い出してみたり。そしてやっぱり・・・。仲直りのきっかけなんて、案外シンプルなものなのでしょう。そんな子どもの心理描写が愛おしい素敵なロングセラーです。(幼児から)高学年から中学生向けには『日向丘中学校カウンセラー室』(まはら三桃:著/アリス館)お友達との関係が拗れてしまった茉莉は、いてもたってもいられずカウンセラー室にやってきます。そこで待っているのは、悩みを聞くのが仕事の谷川綾。リラックスできるように努めながら、慎重に手を差し伸べ原因を探ります。すると、なんてことない。問題はスルスルと解決に向かっていきます。自分の居場所を見失った泰人、「時は金なり」主義の啓太など、一見すると些細な悩みを抱えた子どもたち、それになんとも不思議な「ゴースケさん」。彼らが行き交う和やかな部屋を舞台にしたオムニバスです。少しでも困ったら、頼れる人はどこかにいる。そんな風にみんなが思えたらと、お勧めします。(Anne)
2021年03月15日絵本『ごろごろごろ』(ながたしんさく:さく/東急エージェンシー)を手にしてみたら、サブタイトルに「子どもといっしょに育てようアート脳」とありました。「アート脳」?その初めて言葉を目にして、ふと思い出したのが全然違う分野のこんな話です。「英語は何歳から学ばせるのがいいと思いますか?」これは、以前に臨床心理士の方にお話を伺う機会があった時に、問われた質問でした。まだ息子が保育園に通っていたころです。私も人の親。子どもの将来や可能性を考えて、お稽古事に英語という選択肢を入れようかと悩んでいたところでした。そんな矢先のこの質問。「0歳」かしら?でも私は早いに越したことはないという先入観で即答するのを控え、少し考えて「4、5歳?」と遠慮がちに言ってみました。ところが全く的外れ。「ううん、もっと後なんです」。先生がおっしゃるには、9歳ごろが適齢期だそうです。ちょうどその頃に、子どもの脳は論理的に物事を考えられるようになるので、外国語の構造を理解して効率よく吸収できる、というようなお話でした。私は、それを聞いて、早期教育の焦燥感から解放されたのです。息子のお稽古の優先順位から英語を外し、ほっと肩をなでおろしたのを今でも覚えています。ただ、一方で、こんな疑問も浮かびました。論理的に物事を考えられるようになるということは、すなわち感覚だけを頼りに世界を捉える能力が失われてゆくということではないかと。これはこうだからこうで、あれはああだからああなのだ、という物事の解釈方法が始まると、子どもを取り巻く混沌とした世界に「白黒」がつく。わかりやすくなる一方で、それはつまり、様々なものが区分けされ、どんどん境界線を敷き、感覚を限定してゆくもののようでしょう?その成長は必要なことですが、だとしたら論理的思考が「邪魔」する前にこそ得られる感覚は、たくさん備わっていた方が良い。より伸びやかな論理的思考が育つには、栄養たっぷりの豊潤な感覚の土壌を耕しておくべきだ、というイメージが湧いてきました。子どもの感覚に、たっぷり働きかけたいと。実は私が在仏中に受けたシュタイナー教育では、子どもには7歳になるまで文字を学ばせません。文字から情報が得られるようになると、他の感覚を使って世界を把握しようとする働きが鈍る。絵を描かせるときも線を引かせません。蝋でできた太いクレヨンや絵の具で、色を塗り、形も滲んで朧げです。人を描いてもまるで周りの世界と人とが溶け合っているような絵になります。幼児の段階で、物事に線引きをさせない。全て五感を自由に泳がせるためなのだと聞きました。私は冒頭の先生のお話を伺い、そしてシュタイナー教育を思い出し、では息子にしてあげられることはなんだろうと考えました。たくさん遊び、出来るだけ美しいものに触れてほしい。自然、音楽、絵画、彫刻、耳から聞く「物語」。でもたとえ森の中で暮らせなくても、コンサートや展覧会に連れていくのが難しくても、ゴッホやピカソを家に飾らなくても、大丈夫。絵本さえあれば。なぜなら、絵本のなかに入れば、ありとあらゆる感覚が呼び覚まされる。そう信じたからです。というわけで、それからというもの私はそれまで以上に絵本選びに専念し、息子に朝晩、時間を見つけては、せっせと読んで聞かせるようにしました。小さい時だからこそ心から楽しいと思える、感覚的な絵本。抽象的な絵。ロジックとはかけ離れた展開。それまでは手に取りもしなかったナンセンスと呼ばれるような内容のものも積極的に。大人が手にとって見るだけでは、論理的に考える癖が妨げとなって、どこに面白味があるのか大抵はさっぱりわからないと思います。でも子どもは、感覚がとても自由なのでしょう。こうした作品を一緒に読んでみると、自由な感性に大人の心も動かされ、もっと楽しんでもらおうと読み方を工夫したりして頑張るわけです。そうすると子どもから教わるようにして、感覚的な世界を堪能できるようになるのだと思います。そして、一度その感覚の扉を開くと、そこに別の世界が広がる。ストーリーが生まれ、新しい発見があるでしょう。「子どもといっしょに育てようアート脳」とは、そういったことなのだと思いました。こうした自由な感覚が育まれるほど、大きくなってからの底力になる。ロジックでは思いつかないような、プラスのひらめきや発想の転換、ピンチに打ち勝つ力が培われるような気がしてなりません。子どもにはぜひ小さいうちにたくさんの感覚に栄養を与えて、芽を伸ばして、そのうち世の中の不条理もなんのその、というぐらいになってほしいな、と思っています。『ごろごろごろ』(ながたしんさく:さく/東急エージェンシー)では、丸と三角がぶつかり合ったり、大きさが変わったりしながら、ごろごろ、がちがち、と音を出します。声に出して読んでるうちに、丸いものや尖ったもの、大小の感覚が芽生えて、モノクロの形が頭の中で彩られていくような作品です。絵本を読み聞かせることによって、子供と大人が一緒になって柔軟な感覚を育んでいく。本作品の発売を記念してた小泉今日子さんとのトークイベントでは、お二人は「理屈でわからないこと、簡単にはわからないことを考えること」がアート脳だとし、「子どもは大人が忘れてしまった感覚や視点を持っているので、大人の押し付けではなく、一緒に考えることが大切なのでは」とお話されたそうです。『もけらもけら』(山下洋輔:ぶん、元永定正:え/福音館書店)こちらも、大人にはわからないが、子どもは大好きだという作品の定番。ジャズピアニストでもある著者たちが、音を視覚に訴える形にしたものです。へんてこな形のものが登場し、意味不明な音を出します。そして形を変えたり、別の形を生み出したり、言葉では到底説明できないような感覚的な世界が広がります。ページを開いた大人が、「なにこれ?」と躊躇している間にも、もう子どもは何かを感じ取って、頭の中で何かをイメージし、笑い出しもします。子どもにもっと楽しんでもらおうと思ったら、テンポを変えたり、強弱をつけたり、声色を変えたりしてみると良いですよ。すると次第に、遊園地だったり、工場だったり、空の上の世界だったり、様々な空間を思い描ける作品です。(2歳からとありますが、0歳からでも)さて。昨年末に安野光雅さんの訃報があり、とても残念に思いました。たくさんの傑作に感謝の気持ちを込めて、代表作の一つ『ふしぎなえ』(福音館書店)をご紹介したいと思います。これこそロジックが通じない。安野さんが魅了されたシューレアリスムやエッシャーの摩訶不思議な世界を子供達にも親しんでもらいたいという思いから制作されたそうです。ページを開くと、緻密で異国情緒溢れる素敵な絵。でもなんだか変。どこがどうなってるの?じっくり見ていくうちに、頭にさまざまな物語が浮かんで、ありえない状況の虜になります。想像力を豊かにする素晴らしい作品です。何時間も見入った私の幼少期が懐かしい。(4歳から) (Anne)
2021年02月25日「子どもに口出ししすぎてるな」。最近、私はこんな風に反省するときがあります。あるいは、「子どもにどう対応したらいいの?」と戸惑うことも、未だに茶飯事です。当然ですが、自然に育て方がわかるほど野性味を残していない私たちは、生まれたての子を抱きながら途方にくれることだってあるでしょう。もし、そんな風に親としての立ち位置が揺らいだ時、観て欲しいのがこの作品。『モンテッソーリ子どもの家』(アレクサンドル・ムロ:監督、日本語吹き替え:本上まなみ、向井理)です。(2月19日(金)より新宿ピカデリー、イオンシネマほか、全国公開。)フランスのとある幼稚園の子どもたちの姿を追ったドキュメンタリー映画です。「子どもの家」と呼ばれるこの園では、私たち大人がイメージする様子とちょっと違います。子ども達は大きな声を出して、走り回ったり、はしゃいだり、喧嘩をしたり、笑い転げたりはしていません。ここでは、ひとりひとり独特の教具を棚から取り出しては、静かに「お仕事」とよばれる一つの作業に集中しています。水を零さぬよう器から器に移し替えていたり、マットを丁寧に巻こうと格闘していたり、ちょうちょ結びを何度も繰り返したり、線に沿って真剣にハサミを使っていたり。一見、この作業は無意味に映るかもしれません。でも観ているうちに実にひとつひとつの動作が子どもにとって必要であることが伝わってきます。そして何よりも、こんなことに夢中になるんだという驚きがあります。子どもを分かったつもりでいる親の私たちでも、もっと謙虚になって観察するべきだと、反省しないではいられません。この独特の園で実施されているのは、マリア・モンテッソーリというイタリアの教育学者が研究と観察を重ねて生み出した教育メソッドです。モンテッソーリによると、子どもには自然からもらった「宿題」があると言います。そして、ひとりひとりの成長段階において必要かつ適切な時期に、取り組まなくてはならないのだそうです。その「宿題」とは、子どもが自立に向けて必要とする動作の一連で、この作品で子ども達が夢中で手先を動かしているようなこと。しかも、その動作を完全に身につけるためには、何度も繰り返し行う必要があると。そして、もう十分だと思った時、子どもは「ひとりでできるように」なり、心が満たされる。それはつまり、心の安定、落ち着き、他者への思いやり、自尊心などにつながる、といいます。では、保育士さんたちは何をしているのでしょうか。この園では、子ども達を観察し、見守り、そして必要な時だけ、そっと声をかけ、手助けをするに徹しています。その姿を見ていると、こんな風に声をかければいいのだな、教えるときはこういう風にすればいいのだな、夢中になっているときは余程のことがない限り、そっとしておくべきなのだな、ということがはっきりと分かります。何よりも印象的だったのは、叱らないのはもちろん、むやみに褒めないところです。ご褒美は、もうすでに満足した子どもの心の内にあるのだと痛感しました。実は我が家も、息子が0~3歳の間、モンテッソーリ教育の保育園に通っていました。子どもへの関わり方は、先生方のアドバイスに沿って、当時は、十分では決してないにしろ、できる限り実践してきたつもりです。「お仕事」と呼ばれる作業は園にお任せして、おうちでは、子どもが何かに熱中したそうだと感じたら、できるだけそのことに取り組めるように気を使いました。例えば、まだハイハイとつかまり立ちをしていた頃のこと。本棚の本をひっぱりだしたくて仕方がない。でも、それをやられると散らかって、親は困ります。そこで、本棚の一角を息子の専用にして、好きなだけ本を取り出して良いことにしました。小さい子でも取り出しやすいように隙間を十分開けて、子供向けの本を並べたのです。初めはただ引っ張り出し、全部出し切ったらそのまま。でも少しずつ、戻し方を見せて、本棚への片付け方を教えてみました。すると、出したらしまう、ということが身についた気がします。そのうち引っ張り出した本は、ページをめくるとなんだか絵が変わる、ということに息子は気づき、絵本への興味が出てきました。このタイミングで、私はずっと楽しみにしていた子どもへの読み聞かせを始めたのです。私がここでやったことがモンテッソーリのやり方として具体的に正しいかはさておき、子どもを観察して、熱中したいことがあれば思う存分できるように環境を整え、必要であれば手を差し伸べる、ということは園に通わせながら親として学んだことです。でもこんな失敗もありました。息子がトイレットペーパーをとにかく引っ張り出したくて仕方がない、というときがありました。じゃあ、と事もあろうに、私はワンロールを思う存分引っ張り出させてしまったのです。先生に報告したら、「それは大切なものですから。やるべきことでないと教えましょう」と。何でも思いのままにやらせれば良いというものでもなく、ルールを教えることも大切だと。息子はもう十一歳。親子共に貴重な保育園時代をすっかり忘れたように思えるこの頃です。私の方は気づけば、やたら口出すお母さんをやってしまっています。それでもふとした瞬間に息子の動作から、モンテッソーリ教育を受けたからかな、と思わせる瞬間があり、懐かしく思います。この際、初心に戻って、この作品のマレシャル先生のように、じっと見守り、落ち着いて、静かに子どもに対応したいものです。世の多くの著名人も卒業したというこのモンテッソーリ教育。もっと深く知りたい方向けに、私が読んだ書物をご紹介します。『EDUCATION FOR A NEW WORLD モンテッソーリの教育・0歳~六歳まで』(M・モンテッソーリ:著/あすなろ書房)。モンテッソーリ自身の言葉で語られた、幼児教育の真髄。私たち一般のお母さんにとっては、専門的な内容や時代を感じる行もありますが、やはり基本を押えたいという方に。『ママ、ひとりでするのを手伝ってね!』(相良敦子/講談社)日本のモンテッソーリ教育の第一人者によって、本質をわかりやすく説明したものです。映画の中で見られる子どもたちの「お仕事」のやり方も、絵で細かく説明しているので、学びやすい。マンガ版(河出書房新社)もあります。『モンテッソーリ教育が見守る子どもの学び』(松浦公紀:著/学研)。静岡で「子どもの家」を主宰する教育者によるモンテッソーリ教育の参考書。図や表、教具や現場の写真などを通して、より簡潔に説明されているので、抵抗なく理解を深めたい素人でも満足できる内容です。実施している園の全国リストも載っているので、重宝します。『モンテッソーリ教育を受けた子どもたち』(相良敦子:著/河出書房新社)。それで、モンテッソーリ教育を受けた子供たちは、その後はどうなるの?気になる私たち親の気持ちにしっかり答えてくれる体験談集です。どの経験が脳に効いたのか、科学的な視点からも分析しているので、説得力があります。さて絵本です。モンテッソーリの保育園で、初めて見せてもらったこの素敵な2冊が、赤ちゃん向けの絵本の扉を私に開いてくれました。『ぶーぶーじどうしゃ』(山本忠敬:さく/福音館書店)。こちらは、なるべく本物に近い絵のものを選んでいます、と。もちろん、あかちゃんの目が捉えやすいシンプルな形の乗り物本もありましたが、教具に関していえば、リアルな絵のものを使うことがほとんどでした。『のりものいっぱい』(柳原良平:さく/こぐま社)も子どもに大人気。特に「おメメ」が魅力のようです。 (Anne)
2021年02月15日"Mona Lisa – Portrait of Lisa Gherardini, wife of Francesco del Giocondo / Leonardo DA VINCI © RMN-Grand Palais (Musée du Louvre) / Michel Urtado © PETER SAVILLE"ユニクロ(UNIQLO)のグラフィックTシャツブランド「UT」から、ルーヴル美術館とのコラボレーションアイテム「ルーヴル美術館コレクション」第1弾が、2月5日より発売される。"The Virgin and Child with Saint Anne / Leonardo DA VINCI (Musée du Louvre) "本コレクションは、ユニクロとルーヴル美術館が結ぶパートナーシップの一環として展開されるもの。記念すべき第1弾は、「モナ・リザ」をはじめとする歴史的名作を、UTならではのユニークな解釈で表現したアートワークが落とし込まれたLifeWearを提案。アイテムは、メンズ Tシャツ(6柄)、メンズ スウェットフーディ(4柄)、ウィメンズ Tシャツ(6柄)、ウィメンズ スウェットシャツ(4柄)がラインアップされる。"La Belle Jardinière – Madonna and Child with Saint John the Baptist / Raffaello SANTI, known as Raphael © RMN-Grand Palais (Musée du Louvre) / Franck Raux Flowers, Shells, Butterflies, and Grasshopper / Balthasar van der AST © RMN-Grand Palais (Musée du Louvre) / Tony Querrec Louvre Pyramid © I.M. Pei "メンズコレクション(Tシャツ 6柄、スウェットフーディ 4柄)メンズコレクションは、イギリスを代表するグラフィック・アーティスト、ピーター・サヴィルがデザインを手掛けており、「アートアンドロジック(Art and Logic)」をテーマに展開。ルーヴル美術館の所蔵品すべてにつけられる「目録番号」や、芸術作品の構図に用いられる「黄金比」など、アートに潜むロジック(論理)に着目し、デザインの要素として取り入れられている。"The Winged Victory of Samothrace / Hellenistic Art (C. 190 BC), Island of Samothrace (northern Aegean) © Musée du Louvre, Dist. RMN-Grand Palais / Philippe Fuzeau © PETER SAVILLE""Aphrodite, known as the ""Venus de Milo"" / Hellenistic Art (C. 100 BC), Island of Melos (Cyclades, Greece) © Musée du Louvre, Dist. RMN-Grand Palais / Anne Chauvet © PETER SAVILLE"ルーヴル美術館では、約3万5000点の作品が8部門に分けて展示されている。UTメンズコレクションではその幅広さを紹介するため、4つの展示部門よりそれぞれの代表的な作品をセレクト。「モナ・リザ」や「サモトラケのニケ」「ミロのヴィーナス」など、誰もが知る名作が、ピーター・サヴィルの洗練されたグラフィックにより新しいアートとして生まれ変わった。"Psyche Revived by Cupid’s Kiss / Antonio CANOVA © RMN-Grand Palais (Musée du Louvre) / René-Gabriel Ojéda © PETER SAVILLE""Flowers, Grapes, and Peaches / Jan Frans van DAEL © RMN-Grand Palais (Musée du Louvre) / Adrien Didierjean © PETER SAVILLE""Mona Lisa – Portrait of Lisa Gherardini, wife of Francesco del Giocondo / Leonardo DA VINCI © RMN-Grand Palais (Musée du Louvre) / Michel Urtado © PETER SAVILLE""Aphrodite, known as the ""Venus de Milo"" / Hellenistic Art (C. 100 BC), Island of Melos (Cyclades, Greece) © Musée du Louvre, Dist. RMN-Grand Palais / Anne Chauvet © PETER SAVILLE"ウィメンズコレクション(Tシャツ 6柄、スウェットシャツ 4柄)ウィメンズコレクションは、UTオリジナルデザインで展開。「女性」をモチーフとした作品群に焦点をあて、ミステリアスな微笑みを浮かべる「モナ・リザ」、献身的な聖母を描いた「聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネ」、官能的な「オダリスク」など、巨匠たちが残した様々な女性の姿に花のモチーフを掛け合わせた、鮮やかなグラフィックTシャツをラインアップ。"Mona Lisa – Portrait of Lisa Gherardini, wife of Francesco del Giocondo / Leonardo DA VINCI © RMN-Grand Palais (Musée du Louvre) / Michel Urtado Vase of Flowers in a Niche / Jan van HUYSUM © RMN-Grand Palais (Musée du Louvre) / Tony Querrec Louvre Pyramid © I.M. Pei ""The Bather, known as the Valpinçon Bather / Jean-Auguste-Dominique INGRES © RMN-Grand Palais (Musée du Louvre) / Philippe Fuzeau Flowers in a Stone Frame Opening onto a Landscape / Ambrosius BOSSCHAERT © RMN-Grand Palais (Musée du Louvre) / Franck Raux Louvre Pyramid © I.M. Pei ""Deianeira and the Centaur Nessus / Guido RENI © RMN-Grand Palais (Musée du Louvre) / Gérard Blot Flowers in a Crystal Vase Standing on a Stone Pedestal, with a Dragonfly / Abraham MIGNON © RMN-Grand Palais (Musée du Louvre) / Stéphane Maréchalle Louvre Pyramid © I.M. Pei""La Belle Ferronnière / Leonardo DA VINCI © RMN-Grand Palais (Musée du Louvre) / Michel Urtado Flowers in a Crystal Vase Standing on a Stone Pedestal, with a Dragonfly / Abraham MIGNON © RMN-Grand Palais (Musée du Louvre) / Stéphane Maréchalle Louvre Pyramid © I.M. Pei"スウェットは、シンプルなラインアートにより、女性が主役の歴史的名作がモダンに表現されたグラフィックをデザインモチーフとしてプリントしたコレクションに。"The Virgin and Child with Saint Anne / Leonardo DA VINCI (Musée du Louvre) ""Aphrodite, known as the ""Venus de Milo""/ Hellenistic Art (C. 100 BC), Island of Melos (Cyclades, Greece) (Musée du Louvre) "取り扱いは、一部のユニクロ店舗およびユニクロのオンラインストアにて。また、本コレクションの発売を記念し、「ルーヴル美術館コレクション」スペシャルサイトも公開中。合わせてチェックしてみて。「ルーヴル美術館コレクション」スペシャルサイトURL:その他のユニクロの記事はこちらから
2021年01月29日2021年が明けて、皆さんも「初」を意識をしたこと、あると思います。初日の出、初夢、初笑い、初売り、初仕事…。初ものを大切にするのが日本の文化ですが、確かに心が改まる感じがします。考えてみれば、何にでも「初」があるものです。それがことの始まり。知ると物事が存在する意味がわかって面白いものです。実は最近、こんな本に出会いました。『なんでもはじめて大全』(スチュワート・ロス:著/東洋経済新報社)人類文明における様々な事柄の「はじめて」を紹介した、事典のような読み物です。ビックバンや生命の誕生はもとより、身近なものも。ダイエットのおおもとは?冷蔵庫はいつから?スポーツはどんなふうに?美容整形はどこの国から?他にも、興味を持ったら索引から逆引きできる便利さは、息子の「なんで?」「どうして?」に答えるのにだいぶ役だ立ちました。大人向けなので、高学年ならではの質問、例えば「窓ガラスっていつ頃できたんだろう?」「薬物なんて、なんであるんだ?」「戦争、誰が始めたんだ?」にも十分対応しています。ただ、小学生にはちょっと難しいので、大人が読んで説明してあげる必要があるかもしれませんが。そもそも子どもは、多かれ少なかれ「なんで、どうして」攻撃を親にしてくる時期がありますよね。特に小さい頃、何につけてもなぜなのかと聞いて、それに答えると、その答えに対して、またなぜかとと聞いてくる。そして答えると、また「なんで?」。もう、辟易とするほどです。例えば、こんな風。子ども「なんでトマトは赤いの?」、お母さん「うーん、お日様に当たると赤くなるのよ」子ども「なんでお日様に当たると赤くなるの?」お母さん「美味しく熟れたよって印なのよ」子ども「なんで印が赤なの?」お母さん「太陽と同じだね、ということよ」(だんだんと、お母さんの答えは、いい加減になります)子ども、「なんで、おんなじなの?」お母さん「うーん。(もう答える気が失せかけています)なぜかしらね?」子ども「なんで、なぜかしら、なの?」結局、お母さんは、「なんででも、そうなの!もう!!」と言って半分キレてこの質問攻撃に終止符を打ってしまいませんか?私もそういう経験がありますが、それはどうでしょうか、という話がよく育児書には載っていますよね。子どもの思考力を育むために、「なぜ?」にはとことん付き合いましょうと。そこで、私は、息子が小さかったときに改めることにしました。とはいえ、私は百科事典ではありません。子どもの「なんで?」に正確な知識でもって延々と付き合えるはずもありません。しかも相手は子ども。分かりやすく説明するのも至難の業です。そこで、残されたできることは、2つ。一緒になって、なんでだろうと考える。一緒になって、とことん調べる。これをやってみました。息子の「なんで?」にはこの2策で対応するのがだんだんと定着しました。結果、家の中が図鑑だらけになってしまい、片付けに困る結果となりましたが。一方で、思考力の成果のほどは?こちらは様子見ですが、少なくとも調べ癖がついているのは確かです。ものごとの「はじまり」がわかると、なぜそのものがあるのかが分かったり、もっと深く探りたいという好奇心が生まれるでしょう。そういえば、子どもにも大人気の伊沢拓司さんは、どんな質問が振られても、即座に「これは元々はですね」とその由来を素晴らしく明確に説明してくれますよね。由来を知ることは知識を広げることにつながり、広い知識があればより世界が面白くなる。世界が面白くなれば、偏見がなくなり、偏見がなくなれば多くの人に愛される。そういうものだと、つくづく思います。私も子どもには、なぜなのかを考えることと、由来を知ることを大事に、と伝えたいと常々思っています。子向けにも、物事の由来を説明している事典はたくさん出版されています。図書館や本屋さんで、色々手にとってどれがお子さんに合っているか試してみることをお勧めしますが、例えば、『こども語源じてん』(聖心女子大学教授、山口佳紀:編/講談社)はどうでしょうか。普段使っている言葉の中から選ばれたおもしろ語源エピソードが、約600語載っています。リビングに置いておくと、暇なときに手軽に言葉の由来を知ることができるので、自然と物知りになるかもしれませんよ。そもそも語源がわかると、言葉を覚えるのが楽になりますし、語彙が増えれば、読書も学校の教科もどんどん面白く思えてくるのではないでしょうか。息子の「なんで銀行では社長と言わないで頭取というの?」に応えてくれた事典。「ちゃんこ」鍋の謎もスッキリ。「元々はどうやって始まったの?」という疑問は、考えてみれば日常のあらゆる場面にも抱けるものですね。『はじめてのはじまり』(中川ひろたか:ぶん、中野真典:え/小学館)は、はじまりに焦点を当てた、エネルギッシュな絵本です。なんでも「初」の瞬間は、とても新鮮で、緊張もしますし、勇気もいるものですよね。1日の「はじまり」から始まり、舞台の開幕、試合がスタートする瞬間、そして、生命が生まれる時…。私たちはなんて多くの「はじめて」を乗り越えてきたんだろうと感動さえ覚える作品です。出産祝いや入園祝いにも喜ばれそう。(赤ちゃんから大きい子も)。私たちはどこから来たのでしょう?私たちの始まりを知るには、今やダーウィンなしでは語れないのではないでしょうか?ダーウィンの進化論や人物についての子ども向け作品はたくさんありますが、今回は絵がとても美しい科学絵本をご紹介します。『はじめての進化論/ダーウインの種の起源』(サビーナ・ラデヴァ:作・絵/岩波書店)。長い間、全ての生物は一瞬にして「神様」が作ったもので、人間はその存在が生まれた時から同じ姿をしていた、と思われていました。その考えを一気に覆したのがダーウィンです。生き物は、様々な進化を繰り返し、今の姿があると。では、どういう風に変化してゆくのか。なぜ生き残る種とそうでない種があるのか。生命の根源を分かりやすく説明したダイジェスト版ですが、とても詳しく、読み応えは十分です。(中学年から)日本人として知っておきたいのは『古事記』(偕成社)日本はどのように生まれたのか。こちらはご存知、神話です。上巻の部分を富安陽子さんの親しみやすい文章で、とても読みやすく編訳されています。神様たちの名前がややこしくてお手上げだった私も、この作品と出会ってあっという間に読んでしまいました。全ページに、山村浩一さんの実に愉快な挿絵が施された絵物語形式というところも、物語がすんなり頭に入ってくる理由ではないでしょうか。なにせ神々が繰り広げる展開が奇想天外で、面白い。馴染みのある『ヤマタのオロチ』や『イナバの白兎』のお話も出てくるので、小さい子にも読んで聞かせてあげてもいいかもしれません。いろんな日本の昔話のみならず、世界の物語に通じる部分もたくさんあり、世の中を知る上でのコンパスにもなるのではと思います。(中学年から)(Anne)
2021年01月25日明けましておめでとうございます。今年も『絵本とボクと、ときどきパパ』をよろしくお願いします。なかなか自由がきかないこのごろですが、それでも楽しみを見つけられますように。さて。新年の食べ物といえば、まずはお餅ですよね。焼いて食べたり、きな粉やあんこをかけて甘味にしたり。でも、私の一番はお雑煮です。それぞれ家庭の「味」というのがあるのは、お味噌汁や肉じゃがに近いものを感じます。幼少期、お正月のご挨拶周りで親戚訪問する機会がありましたが、行く先々でいただくお雑煮の味は、同じ首都圏でもやはり少しずつ違って、それがとても楽しみでした。息子にもお雑煮を好きになって欲しい。そう思っても、子育て中のお雑煮となると、やはり気を使いますよね。お餅は噛み切りにくいし、喉につかえるので、赤ちゃんに向かないのは、新米ママ時代の私でもわかりました。お餅って、いつから食べさせるもの?離乳食についての本を漁り、3歳ぐらいまでは与えなかったと思います。歯がしっかり生え揃って、咀嚼も上手くなって、それからです。緩めに溶いて、小さくした白玉団子から少しずつ様子をみながら始めた気がします。保育園に通わせてるご家庭なら、給食で白玉団子が出るタイミングを目安にしても良いかもしれませんね。その前は、私は、ご飯をすりつぶした餅もどきを作り、大人のお餅とお揃いにして食べさせた記憶があります。離乳食期は、一食材ごとにいちいち安全を確かめ、食事を作っていて神経を使いましたが、今となってはその頃が懐かしい。中でもお餅は一番悩んだ食材かもれません。そんな息子ももう11歳。当たり前ですが、しっかり噛み切り、咀嚼して、飲み込めてます。もうこのごろは、お餅は小腹が空いた時の非常食。お正月のお雑煮も堪能していました。ところで、話は逸れますが、息子とよく観る番組の一つに『世界くらべてみたら』があります。先日の放送は、おせち料理の品を外国の人に試食してもらうという内容でした。かまぼこは、オランダの人にとっては、お菓子に見える。どうやら「トンプース」というピンクのアイシングが塗られたカスタードケーキに似ているそうです。アメリカでは、数の子はカットしたアップル。ケニアの人は、ニシンの昆布巻きを黒いビニール袋ではないだろうかと疑っていて、私たち親子で思わず吹き出してしまいました。確かにそう見えなくもない!見た目はさておき、実際口にしてもらうと、意表を突かれながらも「美味しい」という感想です。共感してもらえて嬉しくもなります。また、万国共通と思われるハンバーガーも、実は形や味わいをその土地の各慣習に合わせて作られているんですね。チキンがメインだったり、ベジバーガーだったり、形を長細くしてあったりと。見慣れたものも、世界ではまた表情が変わる。私は、息子には、みんな同じが当たり前だと思って欲しくないんです。それぞれの文化を尊重して、「違い」を面白がって、興味を持つことをとにかく息子に伝えたい。そういう願いもあって、この番組を楽しく観ています。さて、お雑煮です。各家庭の味があるどころか、日本各地に視野を広げてみても、こうも違うのかと驚きますよね。私の住む関東の定番は、すまし汁に焼いた角餅です。鶏肉、蒲鉾、青菜、人参、椎茸、三つ葉、が主だった具材でしょう。関西では、白味噌に丸もちを焼かずに入れて、中身は里芋がメインでしょうか。私は京都の友人が作った、大きな里芋と丸もちがとろとろになった白味噌のお雑煮の美味しさが忘れられません。その他には、例えば奈良では、別皿のきな粉につけながらだそう。岩手県ではアワビやホタテにいくらを盛ってと、なんとも贅沢。逆に石川県では、だし汁に紅白のお餅だけとシンプル。鳥取県では、おしるこのような甘いお雑煮。広島県は、特産品の牡蠣が入って納得!福岡県朝倉市では茶碗蒸しのようなものだそうです。沖縄県ではお餅は入らず、中身汁のみ。こんな風に特色のあるお雑煮マップが「毎日小学生新聞」に載っていて、息子と眺めました。中でも、2人で驚いたのが、香川県のお雑煮です。白味噌に、あんこの入ったお餅が入っているんです。塩味と甘味のブレンド。ぜひ一度食べてみたい!ちなみに、私の実家で代々伝わるお雑煮は、これまた変わっていると思われるでしょう。なにせ、透き通ったオックステールシチューに、焼いた角餅を入れて食べる、というものなのですから。この「オックステール雑煮」、私の祖父が自慢にしていたものなので、継いでいかなければと思いつつ、今年もサボって作らなかった!コロナが収束したら、腕を奮って、友人たちにご馳走しようかな。どれだけ「違う!」と驚いてくれるか。今から楽しみです。ということで、お餅の絵本を選んでみました。まず私は一にも二にも、『おもちのきもち』(かがくいひろし:文・絵/講談社)お勧めします!ぺたんぺたんと叩かれ、ズリズリ伸ばされ、ちぎられて、そして丸められたら、むんずと座っていないといけない鏡餅の気持ち、考えたことありますか?いやはや、大変そうです。どんな風に大変なのか。おもちの苦悩を豊かな表情と擬音でコミカルに描いていて、お話はテンポ良く進みます。そしてとんでもない展開へ。ゆっくりじっくり読んで聞かせると、もう子どもたちは、大笑い。高学年のクラスで読み聞かせてもリアクションが良かったのには驚きました。しかも単なるドタバタ劇ではなく、オチもなるほどと思うかも。思いがけず重宝する作品だと思います。(5歳ぐらいから)『おもちのおふろ』(苅田澄子:作、植垣歩子:絵/学研プラス)お餅のもーちゃんとちーちゃんが仲良く銭湯に出かけるお話。真っ白なお顔のニコニコ笑顔で二人は「ぽかぽかゆ」の暖簾をくぐります。するとそこには昔ながらの銭湯の風景が広がりますが、お客さんは白菜、人参、葱、帆立。番頭さんは、大きな大根爺さんです。ふたりが醤油の足湯に行くと、お寿司がズラーと座っています。きなこの砂風呂に行くと今度はちっちゃなお団子たちがコロコロと、、、。といった風に、二人を取り巻く銭湯の世界が、細部まで面白くてほっこりする作品です。ちなみに、この銭湯は、小金井公園内の江戸東京たてもの園にある、「子宝湯」がモデルになっているそうです。こんなお出かけスポットがあるなんて知りませんでした。楽しそうなので、この機会に行ってみるのもいいかもしれないですね。もちろん、緊急事態宣言が解除されたら。(3歳~5歳ぐらい)『がまどんさるどん』(:大江和子:文、太田大八:絵/童話館出版)お米の名産地である越後らしい猿と蛙の昔話です。蛙のがまどんは拾ったもち米の穂で、餅を作ろうと猿のさるどんに提案します。ところが、さるどんはちっとも協力的でない。それでもがまどんは文句も言わず、せっせと稲を育ててゆきます。そうするとどうなるか。昔話のお決まりパターンが見えてきますが、それでも読んで聞かせるとお話が生きてきて、不思議と可笑しみと安心感に包まれます。味わい深い太田大八さんの絵もじっくり堪能して欲しい作品です。(およそ6~7歳から)お餅のお話。読んでいると、寒い間に、あと一回はお雑煮を食べたくなるのは、私だけでしょうか。(Anne)
2021年01月15日数日前にオランダに住む妹から悲鳴のようなメッセージが届きました。「こっちは明日からロックダウン! 休校は1月中旬まで!」。子どもとたっぷり過ごせて幸せな反面、自分の時間は削られ大変です。この先、日本はどうでしょう。新型コロナの変異種は日本にも上陸することになるでしょうか。はたまた休校だって考えられます。そうなっても困らないよう、息子の通う公立小学校でもオンライン授業ができるよう準備を進めてくれているので、春の休校時のような学習面の滞りは軽減されそうです。とはいえ、やっぱり休校は困りますよ。そんなこんなで、この一年は本当に早く感じました。インパクトの強い春の後、思うように出かけられなかった消化不良の夏は過ごした記憶が薄い。2学期を息子と駆け足で二人三脚しながら、もう秋だと思っていたら、あっという間に年の瀬ですもの。1年をきちんと締めくくらなくては、と焦ります。そんな矢先にオランダからのロックダウン通知。それと同時に子供とクッキーを焼いただとか、リースを作っただとかの写真が添付されていました。家での時間を満喫しているようですが、リースとは!やはり1年を締めくくる慣習は国によってまちまちです。オランダではリースを手作りするのが当たり前のようです。私もおとずれた時に、門に飾られた個性あふれるリースに目を奪われて、一つ一つ写真に収めて歩いたのを思い出しました。年越し自体も衝撃的でした。夜中の12時がくると、街の人たちは一斉に花火を打ち上げるんです。この国では「煙火消費保安手帳」のような免許は必要ないのか、などと疑問に思うゆとりもありません。凄まじい爆音。閃光の嵐。まさに腰が抜けそうになりました。反対に人の声や音楽はほとんど聞こえてきませんでした。一方、長年過ごしたフランスでは、夜を徹してのパーティーがいたるところで催されます。会場もありますが、大概は個人宅。我が家でも50人ぐらい迎えたこともあります。おしくらまんじゅう状態の中、いろんな人とのおしゃべりを楽しんだり、一緒に踊ったりしながら夜中の12時を迎えます。カウントダウンしてシャンパンで乾杯。一通りお祝いのキスをし終わると、帰る組はそっちのけで再びおしゃべりや踊りが始まります。とにかく、騒々しいわけです。反対に静かなのは日本の大晦日ですね。大勢の人がお寺に集まりますが、一部の地方のお祭りを除けば、どんちゃん騒ぎをするわけではなく、お焚き上げを見て、静かに並んでお参り。甘酒飲んで、大きな鐘の音を聞いて、大人しく帰る。その日ばかりは子どもも遅くまで頑張って起きています。私の幼少期は、大晦日はフランス風の過ごし方をしていたので、日本に住んでいた時、除夜の鐘を聞きにお寺に連れていってもらったことはありません。近所の幼馴染たちは、おこたで年越し蕎麦を家族で食べ、紅白を観て、半纏を着て、私の知らない夜中の路上に繰り出していました。除夜の鐘を聞きに行くんだと。夜中まで起きて、お寺で甘酒を飲んだと聞くと、同じ年頃なのに、ものすごく大人な感じがしたものです。怖くなかったのだろうか。一体どうやって眠気をこらえていたのだろうか。私は9時には眠くなっちゃうのに、なんだか素敵。子どもが生まれると、息子には、あの、大人びた静かな年越しを経験させたい。そう思いました。長い間、私は日本らしい年越しに憧れていたんですね。ですから、息子が初めて迎えた31日は、静かな夜道の中を抱っこ紐姿で、お寺に向かいました。間近で見るお焚き上げの神々しかったこと。鐘の響きが澄んでいたこと。甘酒があたたかかったこと。そして眠いと思ったこと。ぱっちり目を開けて周囲を見つめている赤ちゃんの息子とは対照的に、抱っこしている私の方が早くお布団に入りたいと思ったのも、新鮮でした。以降、日本で年越しを迎える時は、できるだけ日本風にしようと心がけています。でも今年は、お寺の除夜の鐘は混み合うから画面越しかな。1年が過ぎるのが早くてもゆっくりでも、時は確実に刻まれていきます。どんな時も誰のところにも平等に。その「時」に彩りをつけるのは、どう過ごすかなのでしょうね。画面越しでもなんでも、除夜の鐘が刻む時を、まずは天ぷら付きの年越し蕎麦とともに楽しもうと思います。ということで、お寺に出向くのを控えたとしても、年越しらしさを味わいたいものですね。こんな絵本はどうでしょうか。お蕎麦にちなんだ落語絵本、『ときそば』(川端誠:作/クレヨンハウス)一般的によく知られる落語の演目ですが、やっぱり可笑しいものです。屋台の蕎麦をただ食いしようと企んだ男が、うまいこと店主をちょろまかすテクニックは手品師のよう。お見事と唸ってしまいます。そして、おなじみのパターンに続きます。その様子を傍で見ていた男がいざ真似しようとすると…、です。薄暗がりの中に人の顔が屋台の灯りで浮き上がり、湯気が立つそばを啜る描きっぷりに、こちらの食欲も掻き立てられます。落語系のお話は、絵本を手に取らなくなった高学年にもウケがいいので、おすすめです。『かさじぞう』(瀬田貞二:再話、赤羽末吉:絵/福音館書店)貧しい暮らしをしている老夫婦のお話。ある年の瀬に、お正月を迎える餅に替えようと、少しの傘を持っておじいさんは出かけます。ところが市では一つも売れません。仕方なく傘を持ち帰る帰り道。吹雪の中を進むと、野原の石地蔵様たちが寒そうに並んでいます。気の毒に思った男は、お地蔵様に手持ちの傘をかぶせていき、一つ足りないと自分の分も使ってしまいます。すると、その夜になんとも不思議なことが。大晦日に欠かせない心温まる昔話ですが、様々な作者の絵本がある中で、本作品は私の一押しです。語りのように生き生きとした文は読みやすいですし、赤羽末吉さんの絵で昔話の世界にどっぷりと浸れますから。(4才から)。『じょやのかね』(とうごうなりさ:さく/福音館書店)これぞ私がイメージする日本の年越し。こういう雰囲気に憧れていました。新しい年が始まるときを見ようと、眠気をこらえて男の子がお父さんとお寺に出かけるお話です。いつもと違う、寒さと緊張感が漂う街並みを白黒の版画で描いています。同時に、温かみも伝わってきます。暗がりを照らす街灯の明かり、おばさんたちの甘酒、ぴったりとくっついたお父さんの手、お線香の煙…。そしてお腹に響く大きな鐘の音が聞こえてくるようです。とても神聖な気持ちにさせてくれる逸品です。(4才から)。みなさま、今年もお付き合いありがとうございました。良いお年をお迎えくださいね。 (Anne)
2020年12月25日我が家は、親族が外国に住んでいるので、クリスマスから年末年始を国外で過ごすことが度々あります。それでも、サンタさんはちゃんと息子のところに訪れてくれました。今年はコロナ禍ということもあって、渡航できないのが寂しいですが、前年までの楽しかった思い出を今もう一度、噛みしめているところです。息子が就学前の小さかった頃、12月半ばを過ぎると、フランスの母のところへ行っていました。そこで迎える25日の朝には、時差ぼけは何処へやら。息子は飛び起きて、ヨーロッパならではの暖炉にぶら下がった靴下の前で足踏みです。喜びと興奮でウズウズするんですね。サンタさんは煙突から入ってきたんだ、という雰囲気が漂っていて、見ている大人も浮きたちます。朝食はもちろんそっちのけ。即座に靴下からプレゼントを取り出し、大騒ぎです。そこには毎回フランス語でメッセージが添えられていました。「東京の家に大きいプレゼントを置いてきた。戻ったら開けてみてくれ」「サンタさん、フランスに来てるって知ってたのかしらね?」こんな風に、私は息子に声をかけていました。昨年過ごしたのは、従姉の住むシアトルです。やっぱりそこにもサンタさんは訪れてくれました。宿泊先のゲストハウスに到着し、鍵を開けて入ると…。子ども用のベットサイドにプレゼントが置いてあるではないですか!開けてみるとアメリカらしいお菓子やおもちゃ。メッセージは英語で、何やら「よく来たね。楽しんで」というようなことが書いてありました。この予期せぬプレゼントに、喜んだのは息子だけではありません。大人の私もびっくりでした。「サンタさん、すごいね!どうしてここに来るって知ってたんだろう!」と親子で首を傾げたんです。少し違ったのは、妹一家の住むオランダでした。私たちは25日を過ぎてからアムステルダムに向かったので、サンタさんは東京にすでに来てくれていました。いざ、妹一家の家に到着し、挨拶を交わし終わった時。年末、小さい子には「サンタさんは来たのか?」と聞くのがお決まりパターンですが、それが息子に対して大人たちからありません。でも、私はそれには構わず、甥っ子に聞きました。「サンタさん、来た?」甥っ子はキョトンとした表情を浮かべています。その途端、妹が割り込んできて、こう言いました。「こっちにはシンタクラースが来るの」風習が違うんだそうです。今はまだ混乱するだけだから、そのサンタさんの話はしないでくれと囁きます。オランダには昔から独特のクリスマスのお祝いの仕方があるようです。シンタクラースもサンタさんなのですが、少し早めに、しかも連日子どもたちの様子を見に来るんだとか。アメリカやフランスにように24日の晩のキリストの誕生を祝う行事、あるいは日本の楽しいイベント感覚とも少し違う。その土地に見合った形で「登場」してくれるものなのだな、なるほどと思いました。そういうわけでウチの息子は、オランダ以外は海外へ行ってもサンタさんが来てくれる体験をしています。はじめは、単に寝てる間にプレゼントをくれるおじいさんという存在だったでしょう。でも、地球儀をくるくる回して海外のステイ先の場所や東京からの距離を確認したり、言語の違いに気づいたりするうちに、だんだんと色々な疑問が頭をめぐるようになったようです。私も、徐々に子どもの質問や疑問に真剣に答えなければならなくなりました。でも、なかなか難しい。このごろは、まあ、こんな風です。息子「たった一晩で世界中を回るなんで、やばくね?」私「うん、やばいね」息子「一人で配るんだったら、超人じゃね?」私「ほんとだね、超人なのかも」息子「複数のサンタがいるのかもしれない」私「そうなのかもね、近所の人とか?」息子「いろんな国の言葉ができるのは、たくさん勉強したんだろうね」私「すごい勉強家だね」。息子「 AIなのかな?」私「あーあ、なるほど、そうなのかも」息子「あのソリは何でできてるんだろう?絶対、飛行機より早いっしょ!」私「でも音は静かだよね」息子「今日行ったお店に、サンタさんがくれたプレゼントみたいなものがあったよ。あそこでサンタさん買ったのかな?」私「さあ。フィンランドにも同じようなもの売ってるのかもしれないね」息子「勝手に人の家に入るのは不法侵入だよね」私「まあね。でもサンタさんなら許されるんじゃない?」息子「サンタのふりした泥棒が入ってもおかしくないよね?」私「あの絵本みたいに?」ふたりで『教会ネズミとのんきなねこのメリークリスマス!』(グレアム・オークリー作・絵/徳間書店)のワンシーンを思い出しました(主人公のネズミとねこが、大きな家に忍び込むサンタ姿の泥棒に出くわすシーン)。やっぱり絵本は想像力を豊かにしてくれますね。さて。こんな風に、疑問や質問が多くなってくる小学生に向けて、楽しんでもらえそうなオススメ「サンタさん」絵本です。『あんたがサンタ?』(佐々木マキ/絵本館)「こまったサンタの実例集」というサブタイトルがついていますが、その名の通り!サンタがプレゼントを配る際におきてしまう、とんだハプニングシリーズです。ソリで乗り物酔いをすることはないのかな、入り口を間違えることはないのかな、途中でサボったり眠くなったりしないのかな…。そんな子どもたちの疑問に応答するように描いてくれています。でも、そんなズッコケサンタさんだったら、困っちゃうよねーって思うところが面白くって、笑ってしまいます。佐々木さんらしい、おかしみが散りばめられた愛すべき絵本です。(3才ぐらいから)『さむがりやのサンタ』(レイモンド・ブリッグス:さく・え/福音館書店)もはや古典ですね。コミック形式で、24日の起床から25日の就寝までの、サンタクロースの一日を追って行きます。でもスムーズに仕事ははかどりません。寒いだの、お腹が空いただの、眠いだの。サンタさんも大変です。やっぱりそうだよね、と子どもたちは笑顔になるはず。私も子どものころ、何度も読みました。煙突を降りるところや、サンドイッチとラジオでの休憩シーン、牛乳配達のおじさんとすれ違う早朝など、とても印象に残っています。ちなみに、コニャックが好物だということもこの絵本で確認しました。我が家では、24日の晩には、ちゃんと喜んでもらえるよう、コニャックとグラスを用意してお迎えします。息子も先日、「またこれ読も~!」と言ってページをめくっていましたよ!(4才から)『サンタクロースっているの?』(フランシス・ファーセラス・チャーチ:著/金の星社)1897年、NYの新聞社に届いた、8歳の女の子の手紙。「サンタクロースって本当にいるの?」という純粋な質問に、真摯に答える記者の社説です。8歳の子どもに向けられた文なので、難しい内容ではありません。優しい言葉で、正直に書かれた文章は素晴らしく、大人の私たちの心にも大きく響きます。本当に大切なもの。それは一体何なのか。再確認させてくれるとともに、子どもたちのもやもやした気持ちはきっと晴れて、ときめきに満ちたクリスマスを迎えられることと思います。私が大切にしまい込んでいる『サンタクロースっているんでしょうか?』(偕成社)が、この度金の星社から、いもとようこさんのイラストと訳で出版されました。原文も添えられたバイリンガル絵本です。こちらの方が親しみやすいという方、是非、一度目を通してみて下さい!(幼児から)それでは、良いクリスマスを!サンタさんが入り口を間違えませんよう、祈りながら。 (Anne)
2020年12月15日