1人娘にパパとアラフォーママ。 よくある核家族です。 オタクで雑な人間ですが、妊娠中は『意識の高いママ』を何故か目指しておりました。 現在は、意識の高いママに憧れるだけで、全く意識が高くない生活を送っている、そんなお母さんの子育て絵日記を描いております。
アメブロやインスタで人気の赤井トマトさんのコミックエッセイ。家族構成は1人娘にパパとアラフォーママ。 意識の高いママに憧れるが、全く意識が高くない生活を送っている、そんな子育て絵日記を綴ります。
こんにちは。赤井トマトです。前回に引き続き出産の体験記を書いています。 前回までのあらすじ 「立ち会い出産はしない。」 と伝えたにも関わらず、分娩台の隣に夫がいました。 まだトイレに行ってないのに、大丈夫なのかな…。 でも『いきんで良い』と言われた私は、今まで我慢した分、めちゃくちゃいきんだのです。 ここで頑張れば、なんとか娘だけ出てくるのかもしれないよね? あれ? でも…絶対、先に大きい方が出てくるかな? どうやっていきめばいいの… 私の出産の進みが早過ぎたからなのか、助産師さんが準備している中、代わりに測定計みたいなのを見ながら、色々と声をかけてくれる夫。ありがとう。 凄く心強いけど私は大きい方が出そうで、とても恥ずかしい…。 私はそこから、夫の顔を見れませんでした。でも、そんなことは言ってられないのが出産なのですよね・・・・ ここからは安心することができました、助産師さんがもう1人と産科の先生も到着しました。 そのあと、すぐに娘の頭が出て 「いきまないで!」と言われたら、身体がズルっと抜かれた感じがしました。 娘の鳴き声を聞きながら「お母さんソックリですね!」と言われて「私に似て目が細いんだ。」っと思いました。 そのまま家族3人で1時間ほど、分娩室でゆっくりした時間を過ごしました。 出産は色々な事が起きると聞いていました。 産院の両親学級でも「バースプランをお考えの方もいらっしゃるでしょうが、命を最優先に考えるので、その通りにいかない事が多々あるとご理解ください。」と、先生が話をしていたのです。 出産を経験する前、予想はしていたのですがこんなにも大変なことだとは思ってはいませんでした。 高齢出産で初産だった私の話は、これでおしまいになります。読んで頂きありがとうございました。 過去のお話はこちらから
2020年05月30日こんにちは。赤井トマトです。前回に引き続き出産の体験記を書いています。 前回までのあらすじ いよいよ出産のときが迫ってきました。 しかし、夫もいる中で我慢していたトイレ・・・・ 赤ちゃんが産まれるのに、トイレに行きたくなってしまったお話です。 助産師さんに「こっちに来てください!」と言われて、唸りながら、なんとか、分娩室に移動しました。そして分娩台に乗って、助産師さんが1人でバタバタと準備してるなー。と思っていたら・・・・ 立ち合い出産は、個人的に恥ずかしい、あまり夫に見てほしくないという思いがあり嫌だったのです。でも、そんな事を伝える余裕はありませんでした。 出産がこんな体験になるとは予想もしていませんでした。出産はとても大変なことです。しかし、夫が立ち会っていること、なによりもうトイレを我慢することも限界で・・・・どうなる、トマトの出産! 次回、あと少しトマトの出産のお話にお付きあいください!
2020年03月28日こんにちは。赤井トマトです。出産の体験記を書いています。 前回までのあらすじ→ 陣痛が5分間隔になり、病院に到着しました。 夫はこの時、私に怒られた事が『初めて私に理不尽な怒られ方をした気がした』ということで、忘れられないのだそうです。 陣痛でつら過ぎるのに、トイレに行って大きい方がしたい事しか考えられなくなっていました。 出産でいっぱいいっぱいなのに、こんな時にトイレの事で頭がいっぱいいっぱいだなんて!どうしよう・・・どうしよう・・・こんなこと自分だけなのかな? 言い出せなくて辛いよ・・・ でも私がいる部屋には、トイレがありませんでした。もう一人でトイレまで真っすぐ歩ける気もしないぐらいおなかが痛く、どうしたらいいのか分かりませんでした。 3人でどうしたらいいのか分からない状態。夫が助産師さんに相談しに行ったら、助産師さんが部屋に来て、陣痛室に移る事になりました。 母と夫と離れ、1人陣痛室に行きました。私の隠し通している気持ちはどうなるのか・・・ そして、やっと娘が産まれます。 次回もお付き合いのほど、よろしくお願いします。
2020年03月01日こんにちは。赤井トマトです。連載として出産の体験記を書いています。 前回からの続きで、陣痛が始まったけど、子宮口が1センチしか開いてない私。小雨の中、歩いて帰ってきた話の続きです。 今までのあらすじ→ →1話はこちら →2話はこちら →3話はこちら 布団で2時間ぐらいもだえていたら、陣痛の間隔が5分以下になりました。 「陣痛の感覚が5分切ったら、また来てください。」と産院に言われていたので、陣痛タクシーを呼んで、また病院に。 この時、紙に名前や住所を記載したのですが、立ち合い出産の項目は『希望しません』に丸をしました。 立ち合い出産について。私はどちらかというと「恥ずかしい!」という気持ちが強かったのです。産院は立ち会い出産ができる所だったので、夫には「立ち合い出産は恥ずかしいからしないでお願いしたいです。」と、話しました。 夫としては、産むのは私なので、私の気持ちを優先したいと思ってくれていたことはとても嬉しかったです。 高齢出産の初産。もうすぐ娘が産まれます。
2020年02月01日こんにちは。赤井トマトです。 あけましておめでとうございます。 今年もウーマンエキサイトにて描かせて頂ける事になりました。 一重に読んで下さる皆様のお陰です。 ありがとうございます! これからも頑張っていきますので どうぞよろしくお願いします。 それでは、前回から続きで出産のお話しです。 陣痛中に小雨の中歩いていた私と付き添いの母。 踏切を超えた所で、勢いよく座ってしまった話の続きになります。 母には驚かれることもあるかもしれませんが、トマト家のお話しとして読んで頂けたら嬉しいです。 →1話はこちら →2話はこちら 今になって思えば、子どもを優先に母の要望は断るという決断をするべきだったなと思います。 出産の時の事は一生忘れないと言いますが、私の忘れられない出来事は「母が郵便局に行きたがった」事です。 もしかしたらこれも世代間のギャップなのかもしれません。母は私を産む時に、3日間陣痛で苦しんだそうです。これからそんな大変な陣痛が待ち構えているからこそ、今は頑張って歩いたほうが良いという母なりの考えがあったようです。 「あの時、病院でタクシーを呼んで郵便局に行けば良かった。」と母も私も後悔していました。初めての出産で、タクシーを呼ぶことをすら思いつかないほど、混乱していたのです。 陣痛初日、この出来事の夜に娘は無事産まれました。母もまさか、そんなに早く産まれるとは思ってなかったのだと思います。 次回は2月に公開予定です。 ========================================= 本記事に記載された症状は、あくまでも筆者の体験談であり、 症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。 =========================================
2020年01月05日こんにちは。赤井トマトです。 前回、陣痛が始まって病院に行ったものの、まだ子宮口が1cmしか開いておらず帰宅する事になった私と母。 母と300m先の郵便局に向かう事になった続きです。 →1話はこちら なんて歩き出したけど、 タクシーなんてそんな都合良く来てくれない! 郵便局から母の家までの距離、1.1km。 その日は娘が産まれる日。 妊娠後期、今まで屈む時は ゆっくりと動いていたのに 踏切で慌ててしまい、 勢いよく屈んでしまいました。 踏切は何とか越える事ができましたが、 激痛が下腹部を襲いました。 ========================================= 本記事に記載された症状は、あくまでも筆者の体験談であり、 症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。 =========================================
2019年12月03日こんにちは! 赤井トマトと言います。 今回から『私の出産話』を描いていきたいと思います。 初産の高齢出産。陣痛スタート 妊娠39週4日目。 陣痛アプリ、とても役に立ちました! 陣痛中は痛くて痛くて! 陣痛の間隔なんて図る余裕もないですが、陣痛アプリだと、ただスマホ画面をタッチすればいいだけなので、私でもできたのでおすすめです。 病院に到着 その時、「入院グッズも一緒に持ってきて下さい。」と言われたので、母が大量の入院グッズを持ってくれました。 娘を出産した病院は総合病院だったから?なのか、入院・出産グッズはほぼすべて準備する必要がありました。産後、色々なママの話を聞くと、何も準備する必要がない病院もあるみたいでした。産後に聞いたのですが、羨ましかったです。 陣痛の私に、母がまさかのお願い。 陣痛中の私と、大量の入院グッズを持った私の母は、なんと300m先の郵便局を目指し始めたのです。 次回に続きます。 ========================================= 本記事に記載された症状は、あくまでも筆者の体験談であり、 症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。 =========================================
2019年11月03日ウーマンエキサイトをご覧の皆様、こんにちは。 赤井トマトと言います。 前回、娘の卒乳に悩む話を書かせて頂きました。 今回は続きになります。 良かったらお付き合い下さい。 2歳イヤイヤ期、真っ盛りの娘に 心身共にヘトヘトのアラフォーオカンの私。 きちんと強い意志を持って頑張れるお母さんは素晴らしいと思います。 1日の寝かしつけにおっぱいを無くすなんて… わたしには無理でした。 そんなズボラオカンな私は 全く断乳する事もなく 娘の寝かしつけには全力でおっぱいな毎日。 色々と考えては 日々の生活で疲れて何も実行せず 不安ばかりが溜まっていってました。 その日から、段々と おっぱい無しでも寝ている日が 少しずつ増えていきました。 断乳や卒乳の事を色々悩んだり考えたりしましたが、 今となっては授乳していた時期が懐かしくあります。 授乳はいつかは必ず終わります。 そして一生、その子との間には訪れません。 悩まないでもっと授乳を堪能すれば良かった!と、今は思います。 授乳という素敵な時間を過ごすお母さん達が、 少しでも悩まなくなるような話を描きたくて、 今回は卒乳をテーマに描かせて頂きました。 読んで頂きありがとうございました!
2019年09月30日ウーマンエキサイトをご覧の皆様、はじめまして。赤井トマトと言います。 4歳の娘、夫、アラフォーな私の 3人家族です。 どうぞよろしくお願いします。 今回は娘の卒乳話をさせて頂きます。 娘は1人目の子な事もあり、完全母乳で育てておりました。 少しでも授乳回数を減らそうと、 牛乳などを与えたり、スイカなど果物を食べさせたり 昼寝のタイミングなら抱っこ紐で外出して授乳で寝かしつけしないなど、 色々と試してみましたが 娘の授乳回数は全く減りませんでした。 そして時間が経つにつれ、娘の幼馴染がどんどん断乳していきました。 そんな周りを見て慌て始める私と、 フリードリンク状態で、しょっちゅう授乳しに来る娘。 卒乳や断乳。 娘の月齢が上がるごとに、私へのプレッシャーとしてとても大きくのし掛かってました。 同じような月齢の子が、どんどん卒乳していく中。 なかなか離乳食が進まず、完全母乳で育てていた娘は、1歳まではほぼ母乳で育った?というぐらいに母乳ばかり飲んでおりました。 辞めるタイミングが遅くなれば遅くなるほど、おっぱいへの執着が凄いと聞きましたが、本当にその通りでした。 授乳による母親の体力消耗や睡眠不足で、断乳を考える人も多いと思います。 私もそうでした。 周りの真似して、少し授乳回数を減らす所から始めよう! と思っても、全然減らせない。 私が授乳する回数を減らそうとしているのに気がついているのか、娘がおっぱいを求める回数は増えていった気がしました。 人は人。 自分は自分。 娘は娘。 と分かっていても、 卒乳する子を見ては、慌てる日々。 次回は卒乳するまでの事を書きたいと思います。 良かったら是非、お付き合い下さい。 この記事は、5年ほど前の卒乳の話を書いております。 当時は、子供が自然に授乳を辞める事を『卒乳』。 母親が授乳を終了させる事を『断乳』と呼んでいた為、この記事では当時のままの呼び方で書き分けております。
2019年08月31日