出産を機に東京から自然豊かな沖縄に移住した、モデルの武智志穂さん。大好きな地で双子の子育てを楽しむ志穂さんに、ママライフを綴ってもらう人気連載。第49回目は、東京に帰省した志穂さんが、都内近郊の子どもと楽しく遊べるスポットを紹介してくれました。見て、触れて、体験して、涼みながら楽しめるスポットがいっぱい! まだまだ残暑厳しいこの季節はもちろん、来年の夏休みの参考にもなるので、ぜひチェックしてみて♪みなさん、こんにちは〜!夏休み中に訪れた山中湖で、友人が「同じ寝癖してるよ! 」と言って撮ってくれたお気に入りの1枚。寝起きほやほやのわたしたちからスタートする今回のコラム(笑)のテーマは、“夏休み中に子どもと行って楽しかった、涼しい遊び場”です!今年は2週間近く東京に帰省していましたが、とにかく東京……暑〜〜〜い!(わたしが住んでいる沖縄は、実は夏場全国で1番平均気温が低かったりするんです。意外ですよね)移動するだけでも汗ぐっしょりで体力を持っていかれる始末。炎天下のなか公園にも行けないし、涼しく遊べる場所を求めていろんなところへ行ってきましたが、そのなかでもおすすめだった場所をいくつかご紹介したいと思います。よかったら来年の夏休みの参考にしてください♪【科学技術館】@東京都千代田区日々の生活に使われているさまざまな科学技術。科学技術館では、身近な科学の原理から応用まで、さまざまな展示が行われています。実際にワークショップや実験のデモンストレーション等を通して、その不思議を体感することができるのが楽しかったです!トータル3〜4時間はいたかな〜。小さいながらもいろんな気付きがあったようで、子どもたちは終始大興奮!ワークショップではオルゴールとキャンドルづくりに挑戦しました。すべてにおいて集中して楽しめて、とてもいい施設&コスパもすばらしかったです!【マクセル アクアパーク品川】@東京都港区品川駅のすぐ目の前という好立地、4歳の子どもでも自分の足で歩き回れるほどよい広さ、海の生き物の展示の仕方も工夫がされていて、子どもはもちろん大人も楽しめるすばらしい水族館でした!この日は夫が仕事で不在のため、ワンオペだったので慣れない都会での育児には大助かりでした〜!こういう記念写真シリーズは、あると絶対に購入する派♡近頃は写真を購入すると、写真をダウンロードもできるから嬉しい。わが家の双子はサメが大大大好きなのですが、アクアパーク品川はサメの種類が多かった!ちょうど餌やりタイムと重なり、普段はなかなか見ることができない捕食の瞬間も観察することができてとても喜んでいました!(サメコーナーだけでも15分はいたんじゃないかな)イルカショーも大迫力で臨場感があって、めちゃくちゃ楽しかったです!楽しすぎて2回も見てきました(^^)大都会の真ん中にある水族館は、やっぱり最新の水族館でした☆限られたスペースでこんなにもたくさんのお客さんを魅了できる水族館……なんてすばらしいんでしょう!!!ぜひまた遊びに行きたい施設でした。【山中湖】@山梨県(東京を飛び出しますが、車で約2時間、東京近郊ということで♪)わが家の毎年恒例行事。涼しい山中湖へ今年も遊びに行ってきました! with親友ファミリー。山中湖は富士五湖の中でもっとも標高が高く、湖面の高さは標高982m、南岸に広がる山中湖畔別荘地は平均して標高1000m前後に位置します。そのため東京と比べると約5~6℃は涼しく、夏でも過ごしやすい気候です(今年はさすがに山中湖も暑い日が多かったようですが……)。スワンボートに乗ったり、白鳥さんに餌をあげたり。(白鳥って意外とアグレッシブ! )プールでは、唇が紫になるまで大はしゃぎ!(8月でも熱中症より低体温症を気にしなきゃいけないのは、さすが山中湖! )森林体験・木育を主体とする森林環境教育の拠点の施設「ふじさんのぬく森 キポキポ」に併設している大きな公園も、子どもたちが大喜びしてくれるのでおすすめです!今回は時間が足りず「ふじさんのぬく森 キポキポ」には遊びに行けませんでしたが、木のオモチャがたくさんで、楽しみながら学習・体験できる施設なので、こちらも機会があったらぜひ遊びに行ってみてください。子どもたちが喜ぶワークショップも開催されていたりしますよ〜。【富士急ハイランドトーマスランド】@山梨県(山中湖を拠点にしていました! )とりあえずここ、最高でした!屋外でも涼しいし、何よりも空いていて並ばなくてもいいという……!!!(この日は日曜日。並んでも5〜10分とかでした! )子どもが何十分も大人しく待てるはずもなく……話が通じる相手でもないし、幼児連れだと並ぶという行為が本当に苦痛なんですよね……乗りたい乗り物にサクサクっと乗れて園内をスムーズに回れて、子どもはもちろん、大人もご機嫌でした。この日はあいにくのお天気で、途中雨が強くて乗れないアトラクションもあったので、また来年リベンジしに行きたいと思っています。【富士サファリパーク】@静岡県(こちらも山中湖を拠点にしていました! )子どもたちは今回で3回目!な〜の〜に〜! 毎回驚きと新しい発見をくれるサファリパーク。何回行っても楽しいし、わたしも大好きな場所です。この日は涼しい日だったので、動物たちも活発に動き回っていました!至近距離でのライオンへの餌やりは大迫力!!!(暑い日は動物も元気がなく食欲もあまりないみたいで、餌に反応してくれない日もあるみたいです)わが家恒例の顔はめ写真。顔はめ系も必ず挑戦します。サファリパークのこちらの顔はめは、カンガルーがめちゃくちゃリアルで、さらには立体感があって、点数をつけるなら100……いや、120点の顔はめです。ふれあいコーナー近くにありますので、ぜひ探して撮ってみてください(笑)。年々暑くなってくる日本の夏……涼しく安全に遊べる場所を探すのに苦労しますよね。。来年は少しくらいは落ち着いてくれるといいのですが!それではまた次回♪PROFILE武智志穂さんファッション誌、TV、CM、ラジオなどモデル発のタレントとして10年以上のキャリアを持つ。現在は、美容・グルメ・アウトドア・音楽・旅行などライフスタイルを発信し、同世代の女性から高い支持を集める。出産を機に沖縄に移住し、双子の男の子の育児に奮闘中。Instagram:@shiho_takechi
2024年09月25日出産を機に東京から自然豊かな沖縄に移住した、モデルの武智志穂さん。大好きな地で双子の子育てを楽しむ志穂さんに、ママライフを綴ってもらう人気連載。第48回目は、「母の夏休み」を楽しんだ志穂さんの様子を綴ってくれました。実家のある大阪で過ごしたり、お墓参りに行ったりと大切な家族との時間をたっぷり満喫♪ 父娘水入らずで行った四国旅行ではおすすめの観光地もご紹介。ぜひ旅の参考にしてみて!みなさんこんにちは〜!厳しい残暑が続いていますが、お元気でお過ごしでしょうか?子どもたちの長い夏休みが終わり、ほっと胸を撫で下ろしている方も多くいらっしゃるかと思いますが、今年はどんな夏の思い出ができましたか^ ^?わたしはといいますと実はですね、2週間ほど子どもたちを夫に託し、母の夏休みをいただいていました。こちらのコラムでは基本は子どもたちとの生活にまつわる何かしらについて綴らせていただいていますが、今回はわたしの夏休みについて綴ろうと思います。2週間の夏休み中は地元の大阪に帰省していました。いちばんの目的は、大切な家族と過ごすこと!災害、事故、病気……いつ誰に何が起きてもおかしくないからこそ、貴重なお休みは家族と過ごそうと決めていました。母や姪っ子の誕生日を祝ったり、母と映画や大好きな阪神戦を見に行ったり、妹と深夜までカラオケを楽しんだり、叔母夫婦とおいしいごはんを食べに行ったり、毎日毎日家族とのかけがえのない時間を噛み締めていました。そして武智家の夏の恒例行事!田舎の高知に帰省して、お墓と裏山の大掃除をしてきました。今年は父とわたしのふたりだけの帰省だったので、まぁまぁな重労働でしたが(しかもこの炎天下)、終わったあとの爽快感ったら!自分が親になってから、家族を守ることの大変さや責任の重さをひしひしと感じています。ここまで命を繋いでくれたご先祖様に感謝の気持ちを込めて、ピッカピカにしてきました。わたしの田舎は、高知県越知町の鎌井田というところにあります。数々の映画の舞台にもなった浅尾沈下橋があり、近年は観光客の姿も多くなりました。澄んだ川と山々の深い緑のコントラストが本当に美しい、わたしの自慢の田舎です。星もとってもきれいなんですよね〜!ぜひみなさんにも人生で一度は訪れて欲しい場所。(わたしの親戚が浅尾沈下橋にもほど近い場所で素敵な民泊をしているので、宿泊先をお探しの方は【Carpe Diem Kamaida】で検索してみてくださいね)単身で父と田舎に帰省できたし、こんな機会は今後も滅多にないと思ったので、久しぶりに父娘旅をすることに!生前祖母がおすすめしてくれていた念願の天狗高原(四国カルスト)へ、1泊2日で遊びに行ってきました!せっかく天狗高原まで行くのだからと、周辺にある観光スポットにもいろいろと足を伸ばしてきました。いや、正確に言うと……普段必要な場所以外には寄り道やお出かけをしない父を引きずりまわしてきました(笑)。都会での生活では味わうことができない、すばらしい体験ができるところばかりだったので、こちらでみなさんにもシェアできたらと思います。高知旅行の参考にでもなれば幸いです。●四万十川源流点車で行ける最終地点付近から、歩いて約25分ほどで四万十川源流点に到着します。清水が岩肌を流れる音を聞きながら苔むす森を歩いているだけで心が癒されます。まるでジブリの世界に迷い込んだような気分に!●天狗高原(四国カルスト)愛媛県と高知県の県境の尾根沿いに広がる四国カルスト。標高1,000~1,500mの高地からの眺めは絶景で、このカルスト台地を縦断するように通る県道383号は絶好のドライブコースになっています。白い岩肌の石灰岩が点在する大草原と、遠くに連なる山々の稜線、放牧された牛たち。今まで見たことのないような絶景にとても癒されました!●雲の上図書館2週間前にホテルを予約しようとしたら見事にどこも空いていなくて、やっとの思いで見つけたのが今回宿泊した梼原町にある『雲の上のホテル別館マルシェ・ユスハラ』でした(空き部屋ラス1! セーフ!)。宿泊した施設もですが、雲の上図書館も建築家 隈研吾氏が設計し、図書館は梼原産の木材がふんだんに使用されています。言わずもがなですが、伝統的な木組みを使った建築が圧巻!わたしたちは閉館間際に訪れたので長居はできませんでしたが、木の温もりを感じながら、大人から子どもまでいろんな世代が楽しめる図書館でした。近所にこんなすばらしい図書館があるのが本当にうらやましい!●三嶋神社雲の上図書館からもほど近い場所にある神社なのですが、坂本龍馬が脱藩するときに、無事を祈願したと伝わっている神社です。梼原川にかかる屋根付きの橋も風情がありました。清々しい空気が流れている、気持ちのいい神社。●橋本食堂親戚のすすめで訪れた須崎市にあるお店なのですが、いつも大行列と聞いていたので、満を持して開店1時間前に到着。……が、すでに待っているお客さんが2組いらっしゃいました。そこから汗だくで1時間開店を待ち、ついにありついた鍋焼きラーメンは、想像の上をいくおいしさでした。またスープがおいしくて!!思わずライスを追加で頼んでしまいました。お店のお母さんたちも明るくて気さくで居心地よかったです〜●鳴無神社須崎市にある国の重要文化財で、海から入るようにつくられた参道や海に向かって建つ社殿は、「土佐の宮島」と呼ばれることも。強力な縁結びのご利益があるということでも有名だそうです。父と過ごした高知での5日間(内、父娘旅は1泊2日)。一生忘れることがないであろう大切な思い出ができました!父娘水入らず、ほかでは体験できない感動的な時間を過ごすことができて本当に嬉しかったです。父の幼少期、亡き祖父母やご先祖さまの話、普段話さないようなことを聞けたのも、将来わたしの人生の財産になることでしょう。たまには自分が“子どもに戻る時間”があってもいいですね。少しは親孝行ができたかな?いつまでもみんな元気で長生きしてくれるといいなぁ。今回も長々と最後までお付き合いいただきありがとうございました!それではまた次回。PROFILE武智志穂さんファッション誌、TV、CM、ラジオなどモデル発のタレントとして10年以上のキャリアを持つ。現在は、美容・グルメ・アウトドア・音楽・旅行などライフスタイルを発信し、同世代の女性から高い支持を集める。出産を機に沖縄に移住し、双子の男の子の育児に奮闘中。Instagram:@shiho_takechi
2024年08月25日私は第1子を里帰り出産することにしました。初めての出産で不安なことと、母の希望もあって決めた里帰り出産。出産予定日の前後3カ月間を実家で過ごしたのですが、快適である反面ストレスが溜まることもあり……。久しぶりの実家での生活産院を転院する関係で、私は出産予定日の2カ月前から実家へ帰ることにしました。実家で長く生活するのは、高校を卒業して以来約10年ぶりのこと。夫を家にひとり残すのはちょっぴり心配でしたが、久しぶりの実家生活をとても楽しみにしていました。 産院は実家から近く、何かあったらすぐに駆けつけてくれる親戚も近くにいました。また、何よりもごはんを作らなくていい実家生活は、妊娠後期で体が重かった私にとって快適なものでした。 「水道光熱費が増えた」と小言が…無事に長男を出産した私は、退院して実家へと戻りました。慣れない育児、眠気と闘いながらボサボサ頭のまま長男のお世話をしていた私。ごはんを作ってくれる母、少しの間でも長男の面倒を見てくれる父の存在は、ありがたいものでした。しかしあるとき、母に「水道代が高い! 先月からすごく増えた!」と言われたのです。 確かに、里帰り中は家にいることが多く……。父と母の2人のときよりも、水道の使用量は増えると思います。トイレも膀胱が圧迫されるせいか1日10回は行っていました。増えた理由を話しても母は納得がいかないようで、「節約するように」と念を押されてしまいました。 電話しただけで大激怒に発展私が里帰りをしてからの水道光熱費が跳ね上がっていることを知った母は、いろいろなことに対して過敏に反応するようになりました。私のスマホが不調だったので実家の電話を使っていたら、「いつまで電話してるの! お金がかかる!」とものすごい剣幕で激怒されたこともあります。 産後1カ月は湯船につかれないため、毎日シャワーを15分程度使っていたら「シャワー使い過ぎじゃない?」と言われたこともあります。私はそんな母の小言に産後の疲れも加わり、とてもストレスを感じるようになってしまいました。おそらく母も同じようにストレスを感じていたと思います。 自宅へ帰る日に“あること”を実行そして長男の生後1カ健診が終わった日、自宅に帰ることになりました。その日に私が里帰りしたことで増えてしまった水道光熱費と食費として、10万円を母に渡しました。この10万は最初から渡そうと思っていたお金でしたが、里帰り中の母の小言を聞いて「絶対渡さなきゃ!」と思った10万でもあります。 お金をもらえると思っていなかった母は、これまでの自分の言動を申し訳なく思ったのか「ごめんね」と一言。そしてどこか納得したような表情を浮かべていました。 今回の里帰り出産で、親子間であってもお金の取り決めが必要だということ、お金を渡す旨も伝えておいたほうがいいということを学びました。そうすることで、私だけでなく、母のストレスも減らすことができたのではないかと感じています。 イラスト/森田家著者:小山田ちよえ2男1女の母、アラフォー主婦。夫の仕事が忙しく平日はワンオペ育児に奮闘中。復職に向けて資格取得を目指している。
2024年06月27日大きくなったおなかと共に期待と愛情いっぱいで過ごし迎えた出産予定日当日でした。おしるしが始まってからというもの、初産だったので痛みがどのくらいになると生まれるのか未知だったため、我慢に我慢をして病院へ向かったのです。 なにそれ!?診察をすると、なんともう子宮口が5cm開いており、そのまま入院。そして病院到着から2時間半後には出産という猛スピード安産でした。時間的には速いお産だったものの、その分お股のダメージは大きく、痛みに耐えながら、義母へ報告の電話をすることになりました。そこでひと言、義母からは「軽いお産で本当によかったわね!」と言われました。速いお産と言われるならともかく、軽いと言われたことにイラッとしてしまい、つい「スピード出産だったからこそ傷は大きいと、助産師さんにも頑張ったこと褒めてもらいましたー」と言い返してしまいました。 「命懸けで産んだのに……!」と心底憤りの心でいっぱいになった報告電話となってしまいました。このイライラは後日自分の母親にだけこっそりと愚痴って心のモヤモヤを解消しましたが、ふとしたときのひと言であっても言葉の重みを痛いほど知った出来事となりました。 産後で、ホルモンバランスの影響もあり、小さなことかもしれませんがとてもイラッとしてしまったことを今でも鮮明に覚えています。命を産むこと……それは速かれ遅かれとても大きなことで、また命懸けであることを忘れないでほしいと思いました。 作画/miyuka 著者:西村早紀育児に奮闘する新米専業主婦。パクパクと食べてくれる離乳食を日々試行錯誤しながら作るのが楽しみの1つ。
2024年06月26日出産を機に東京から自然豊かな沖縄に移住した、モデルの武智志穂さん。大好きな地で双子の子育てを楽しむ志穂さんに、ママライフを綴ってもらう人気連載。第46回目は、親子留学シリーズ最終回【子どもが喜ぶお出かけスポット】について。子どもがめいっぱい遊べるスポットから、マレーシアの自然を楽しめるスポットまで盛りだくさん! 親子留学はもちろん、海外旅行を検討しているママパパも必見です。三度にわたってお届けしておりましたマレーシアへの初めての母子留学の様子ですが、いよいよ今回で最後となります。最終回は【子どもが喜ぶお出かけスポット】をまとめてご紹介!マレーシアへの旅行を検討中の方もぜひ参考にしてみてください。【Berjaya Times Square Theme Park 】Berjaya Times Squareの5〜8階にある屋内遊園地。訪れたのが平日だったので、並んでも数人。スムーズに楽しむことができました。大人Non-Malaysian: RM 75(約¥2,400)子どもNon-Malaysian: RM 70(約¥2,200)とプライスも良心的。割引サイトを使って事前に購入しておくと、さらにお得に入れます。当時息子たちの身長は100cmにギリギリ足りないくらいだったのですが、3分の2くらいはアトラクションを楽しめたかな〜という印象。思っていたより乗れる物が多かったです。慎重派の弟・絢士はわたしにベッタリでしたが、兄・瑛士は積極的にいろんなアトラクションに挑戦していました。大きくなってひとりで乗れる物が増えて嬉しかったみたい!軽食を摂れるフードコートもありましたよ〜。【KL Hop On Hop Off】時間内なら何度でも乗り降り自由の2階建て観光バス。クアラルンプールの人気観光スポットをひと通りぐるっと回ってくれるので、手っ取り早くクアラルンプールを満喫することができます。子どもから大人まで楽しめて、コスパよすぎなので要チェックです☆Day Tour 9〜18時大人Non-Malaysian: 24時間RM 60(約¥1,900)、48時間RM90(約\2,900)子どもNon-Malaysian(5〜12歳): 24時間RM 30(約¥960)、48時間RM43(約¥1,400)3歳の息子たちはなんと無料。チケットはBukit Bintangのキオスクで購入orオンラインでの事前購入orバスでも直接購入ができるようです。ガーデンルートとシティールートがありますが、効率よく回るために事前にどこの停留所で降りるか計画していた方が◎。なんだかんだ一瞬で時間が過ぎていくので、朝イチから行くのがおすすめ!ちなみにですが、バスは20〜30分間隔で来ます。2階の半分ほどがオープンデッキシートになっているのですが、街の雰囲気をダイレクトに味わえて最高に楽しかったし気持ちよかった!(何度か木の枝とかに当たっている人もいたので、子ども連れの場合注意が必要! )各観光スポットの説明を英語でしてくれるのも親切。わたしが降りた停留所、バスツアー時は降りられなかったけど後日やっぱり気になって改めて訪れた観光スポットも、まとめて一緒にご紹介します。↓停留所マップ●KLCCクアラルンプールのシンボルと言っても過言ではないペトロナスツインタワー。その下にある商業施設「Suria KLCC」に併設されているKLCC Parkへ遊びに行きました。こちらには子ども用の広大なプレイグラウンドと、水遊びが楽しめる浅いプールがあるんです。料金は無料!観光に退屈している子どもの体力を発散させるのにもうってつけの施設です。水着か着替えを持っていくことをおすすめします。●CENTRAL MARKETクアラルンプール随一のお土産スポット!こちらにはバティック染色体験を目的に遊びに行きましたが、とても集中して楽しそうにお絵かきを楽しんでいました!飲食店も豊富にあります。可愛いお店で息子たちのお洋服も購入しました。●BIRD PARK世界中から集められた200種3,000羽ものトリが飼育されています。広大な敷地で、自然に近いほぼ放し飼い状態。餌をあげたり間近で触れ合うこともできます。遊びに行かれる方は、蚊対策(デング熱になると大変)、暑さ対策万全で!●NATIONAL MOSQUE目的は近くにあるIslamic Arts Museum Malaysia。衣服、宝石、武器、器、書物などの展示物がすばらしく美しいのはもちろんのこと、美術館の建物自体がとっても優雅。ミュージアムショップもクオリティが高くて、センスもよくて、けど比較的安価で、どれもこれも欲しくなるものばかり。ミュージアムショップは無料で入れるので、お土産だけ買いに来てもいいと思うほどおすすめ!わたしが回れたのはこのくらいですが、時間が許せば降りてみたいところがほかにもたくさんありました。バスツアーに参加される方は、ぜひほかの停留所も調べてみて下さいね!【Batu Caves 】ヒンドゥー教の聖地。カラフルな神像や272段の階段がフォトジェニックで、わたしが訪れた日も多くの旅行者で賑わっていました。272段の階段を登った先には、鍾乳洞に守られたヒンドゥー教寺院があります(案外3歳でも余裕で登れました! 登り終えたあとのファンタが体に染みた〜! )。鍾乳洞の切れ間から差し込む光に照らされ浮かび上がる寺院はとても幻想的。ここに寺院をつくったことにも納得ができる神々しさでした。ちなみに入場料は必要ありませんが、短パンやミニスカート等、足が出ている服装での参拝は原則禁止されています(覆い隠すスカーフを有料で借りることができます)。急角度の長い階段が続くので、動きやすい服装やスニーカーで行くことをおすすめします。そしてこちらには可愛い野生のサルがたくさんいます。息子たちはおサルさんを直近で観ることができて大喜びしていましたが、観光客に慣れているので、バッグや手提げ袋、食べ物や飲み物を奪おうとしてきます!(実際に2組ほど、食べ物を盗られている所を目撃しました)荷物はコンパクトにまとめて、サルの標的にならないよう注意が必要です。最後に幼児連れで行かれる方へのアドバイスなのですが、わたしたちが訪れたのは薄曇りの午後でしたが、それでも汗だく!午前の早い時間や、暑さの落ち着いた夕方に訪れるのがベストタイミングかな。晴天の日中はかなりハードになるかと思います……。【National Science Centre】科学の基礎原理、気象、体の仕組みなどを、楽しく体験しながら学べる施設です。メインエリアは大人Non-Malaysian(13〜55歳): RM 6(約¥190)シニアNon-Malaysian(56歳以上):RM 3(約¥100)子どもNon-Malaysian(7〜12歳): RM 3(約¥100)3歳の息子たちは無料!ほかにも別料金が必要なデジタル映像エリアがありましたが、今回はパスしました。小さな子ども向けのプレイグラウンドやアクティビティもたくさんあり、トータル3〜4時間くらいは遊んでいたかな。平日でガラガラだったので、大好きなクレーン車だけでも30分は遊んでいました。本当にコスパがすばらしい施設!国立科学館の外にはちょっとした遊具と子どもたち大喜びの水遊び用の浅いプールもありました(おそらくここは無料のエリア。ずっと貸し切り状態でした)。息子たちは先程ご紹介したKLCC parkの水遊び場より、こっちの方が楽しい! 好き! と言っていました。クアラルンプールは大都会だけど、このように子どもたちが喜ぶお出かけスポットは無数にありました!年齢的にまだ早いかな? と思って諦めた施設やテーマパークもまだまだたくさんあったので、マレーシアへ渡航予定の方は調べてみてください。マレーシアでの母子留学。3歳という年齢で、二週間という短い期間で、する意味があるのかと悩んだこともあったけど……いろんなかけがえのない気づきがあったし、どれもこれも日本を飛び出してチャレンジしてみないと得ることができない貴重な経験ばかりだったから、行ってよかった! と心の底から感じています。眩い命の輝きを放つ子どもたちに負けじと、わたしも自分の限界を決めつけず、人生を楽しんでいかんとな〜!! と。そして子どもたちには【自分の世界を広げるための努力の大切さ】【選択肢はいつだってひとつだけではない】ということを伝え続けていければいいなと思っています。きっとそれは生きやすさにも繋がっていくと思うから。母子留学リポート、かなり長くなってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました♡PROFILE武智志穂さんファッション誌、TV、CM、ラジオなどモデル発のタレントとして10年以上のキャリアを持つ。現在は、美容・グルメ・アウトドア・音楽・旅行などライフスタイルを発信し、同世代の女性から高い支持を集める。出産を機に沖縄に移住し、双子の男の子の育児に奮闘中。Instagram:@shiho_takechi
2024年06月25日第1子の出産のときの話です。 予定日を10日過ぎても生まれる気配がないので、誘発分娩になりました。 義母が産まれるときに行くと言っていたので、誘発分娩でいつ産まれるかわからないこと、産まれてから欲しいことを何度も伝えていました。お義母さん、本当にやめてー!!誘発分娩のため前日から入院する事が決まっていたため、最後の夜は夫婦2人で過ごす最後の時間という事でゆっくりしようと話していました。 そんな入院前日の午後、義母から「今向かっています」と連絡がありました。あれほど何度も言ったのになぜ来るのか。 当然、我が家に泊まるとのことで、夫婦2人最後の夜はいとも簡単に奪われました。 入院当日も1人で寝れる最後の朝。ゆっくり寝ようと決めていたのに、朝4時からガチャガチャ音を出して家の中をうるさくする義母。もちろん寝ていられず、家で過ごす最後の朝も壊され、精神的に最悪なまま病院へ。 誘発分娩中、陣痛で苦しむ中陣痛室にまで入ってきて助産師も「たまにああいう人いるのよね…」とドン引きしてました。実母より図々しく、本当に嫌でした。 ◇◇◇ 夫婦2人の時間を壊され、出産当日の早朝からうるさくて眠れず。しまいには陣痛室まで押しかけ…。義母には嫌なことなどははっきり言わなくて伝わらないと思い伝えるも、何故か「遠慮しないで」と解釈されその後も難しい付き合いを続けてます。夫を通して伝えてもらうも「そんな事思ってないでしょ?」と言われたり、最悪の場合は「嫁に言わされてるんだろう」と全く伝わらない日々です。 作画/さくら著者:山城早苗30代、3歳と5歳の子どもを育てるパート主婦。趣味はコツコツ貯めるポイ活。
2024年06月24日ママ・Aやん、パパ・Pやん、長女・コチコーちゃん(4歳)と次女・パタミちゃん(0歳)が登場する、ハートフル育児マンガ。ゆる~い家族の日常に関西弁のツッコミが鋭く光る! 今回は、出産してから涙腺が崩壊する頻度が格段に増えたというお話。子どもたちの頑張る姿って泣けますよね……!HugMug読者のみなさま、こんにちは!産後ビックリするぐらい涙腺が弱くなっています。(妊婦のときもよく情緒不安定になって泣いてましたけど……笑)何気なくテレビを見ていて幼児にまつわるニュースを目にしたときはもう本気で涙が止まりません。子が生まれる前はこんなこと1ミリもなかったのに、親になると自分の子と重ねてしまうのでしょうか。あと学生たちが一生懸命部活を頑張っていたり、試合に負けて悔しがっている映像が流れたときにはポケットティッシュが1パック必要です。手塚治虫の火の鳥未来編を読んだときぐらい号泣してしまいます。子どもたちが一丸となって何かに真剣に取り組んでる姿は、もう感動というワード一言では表現しきれません。なんならこれを書いている今も思い出してちょっと泣きそうです。(どうなってんだ)私の長女と次女は4歳差姉妹なんですが、それぐらいの歳が離れてる姉妹が仲良さそうに街で歩いていると「あーもうふたりでお出かけできたりするようになるんだー……この子たちも赤ちゃんの時代を乗り越えてこんなに大きくなったんだなーいつの間にかもっと大きくなってどっか就職とかもするんだろなー……ウッッッ泣」といった感じです。いやもうほんと頭おかしい。でもすぐに感動してしまうのは別に悪い事じゃないからな、と思いながら今日も元気に園の送迎に行く作者なのであった。PROFILEAやんさん平成元年生まれ兵庫県出身。長女コチコーちゃん(2019年5月生まれ)の出産を機に会社員を辞め漫画家へ転身。2023年12月に次女パタミちゃんを出産し、現在は2児のママに。インスタグラム(@aandp1989)とライブドアブログ(Aやんのええやん!ブログ)にてほぼ毎日漫画を発信中。KADOKAWAより初書籍「ポンコツ3人家族こんな日常でもええやん!」も発売中!Instagram
2024年06月24日2018年に長男を出産したねぼすけさん。ある日、市の子育て支援事業に遊びに行くと、ひとりのママ友と出会います。次第に仲良くなり、プライベートで会う仲になるのですが、実はそのママ友、インフルエンサー気取りのとんでもない人物だったのです……。 市の子育て支援事業の広場で、あるママと出会ってしまって… 長男を出産後、市の子育て支援事業である「ハッピー広場」に参加したねぼすけさん。 「こんにちは~。何カ月ですか」 「3カ月です」 隣に座っていたママに声を掛けたあと、帽子をかぶったママにも声を掛けたねぼすけさん。 「こんにちは~。ハッピー広場で一緒でしたよね」 「あー、ハイ」 それがヤバいママ・アイちゃんとの出会いだったのです。 ◇◇◇ ハッピー広場で出会ったママ・アイさんは、トモ子さんとは違うタイプのようですね。もしかしたら、育児で疲れていただけなのかもしれないですが、なんだか無表情で素っ気ない感じの印象を受けてしまいました。著者:マンガ家・イラストレーター ねぼすけInstagram:@nebosuke_azarashiiiブログ:ねぼすけの寝所
2024年06月23日初めて妊娠した10年前、当時は知らないことばかりで雑誌やインターネットの情報を見たり、友人に聞いたりして知識を増やしていました。しかし、里帰り出産で転院するまで知らなかったことで、ちょっと大変な思いをした妊娠時の経験談です。マイナートラブルがなかった妊娠初期私は妊娠中、つわりがありませんでした。病院から妊娠初期に体重について説明されたことはなく、もともと食べることが好きな私は「赤ちゃんも含めて2人分!」と言い訳をつけて、いつもよりたくさん食べたりすることも……。 やがて妊娠中期には体重が8kgほど増加していましたが、それでも産院で注意されることはありませんでした。雑誌やインターネットの記事には「出産に向けて、たくさん歩きましょう!」と書かれていたので、できる限り毎日30分以上散歩をしていたこともあり、私自身も体重について気にしていなかったのです。 そして妊娠8カ月になり、里帰り出産のために地元の産院へ転院。そこで先生に言われたことは、「体重が増え過ぎている」だったのです! 転院先の産院では、BMI23だった私の場合、出産時までの体重増加を10kg以内に留めることが理想だったようです。 ※2021年3月に「妊産婦のための食生活指針」が改定され、妊娠期における望ましい体重増加量については、新たに「妊婦の体重増加指導の目安」が公表されています。参考:こども家庭庁「妊娠中と産後の食事について」(外部サイト)※2024年6月20日 参考リンクを訂正何をしても増える体重……要注意妊婦に!?体重を指摘された私は毎日歩き続け、ときには1時間以上歩いたこともありました。食事の内容を気にしたり、量を減らしたりしたのですが、体重は右肩上がり! 臨月になるころには12kg増加していて、母子健康手帳には赤いペンで体重を書かれる“要注意妊婦”になってしまいました。 出産自体は、たくさん歩いていた成果もあったのか安産でしたが、産後に体重を減らすことがとても大変でした。歩いているから大丈夫! という勝手な思い込みから、食べ過ぎてしまった過去の自分に怒りたくなったほどです。 周りに出産経験がある友人が少なかったこともあり、妊娠中の体重管理が大事だとは知らなかった私。その結果、マイナートラブルの少ない妊娠中に調子に乗ってしまい、あとで苦しい思いをすることに……。今では、街でスラッとした妊婦さんを見かけるたびに、うらやましくも感じます。妊娠中は自分の勝手な思い込みで行動してはいけないと感じた出来事でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ※2024年6月20日 参考リンクを訂正著者:高山ななみ2013年、2015年、2018年、2020年生まれの4人の子どたちと夫との6人暮らし。医療系の資格を保有。医療の知識や子育ての経験をもとに、ライターとして活動中。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年06月21日今から6年前、咲花(しょうか)さんは第一子・はる君を出産。初めての育児に奮闘しますが、思うようにいかないことの連続で咲花さんの情緒は不安定になり……。はる君が生後3カ月になったころ、会社から連絡がありました。 突然の会社からの電話。内容は… 会社からの連絡はうれしい知らせでした。表彰式と食事会について夫に相談すると、「オレも休みとるし、せっかくだから行ってきなよ!」と参加を後押ししてくれました。そして表彰式当日。会社の同僚にはる君をかわいいと言ってもらえて、うれしかった咲花さん。 はる君が生まれてからは家族以外の人と会っておらず。久しぶりの再会でドキドキの咲花さんでした。 スーツ姿の咲花さんを見て、「ママ、かっこいい!」と話す夫。行動を後押ししてくれる声かけはうれしいですよね。出産後、しばらくは家族としか会話しなかったという人も多いのではないでしょうか。仕事復帰で久しぶりに会社の人と話し、ドキドキしたという方もいらっしゃるかもしれません。 リフレッシュする上で、わが子を安心して預けられる環境があることも重要ですよね。ひとりで育児に奮闘するママも多いと思うので、気軽に、そして安全に預けられるところが増えていってほしいですね。>>次の話監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:マンガ家・イラストレーター 咲花
2024年06月20日妻の出産方法について口を出す義母をババキュアがぶった斬る! コメント欄でも多くの意見をにぎわせた育児マンガ「ダルっババキュア」にて、無痛分娩をしたいというお嫁さんを責め立てる義母に「ありえない」と読者から声が寄せられています。そんなママたちのモヤモヤをババキュアが代わりに撃退! ぜひ、この記事を機に読んでみてください!無痛分娩なんて許さない!お嫁さんが、義母に無痛分娩での出産を相談。すると、夫と義母は猛反対してきて……。 「あの痛みに耐えてこそ、子どもに愛情も湧く」、「真の母親になれる」とお嫁さんを説得し始める義母。旦那さんも横でボソッと「そうだよ」とささやき、お嫁さんの味方は誰もいません。 すると、どこからかババキュアが現れて……。 「昔の常識にしがみついてはいけないよ」ババキュアの必殺技に…お嫁さんのそばに現れたババキュアは、さまざまな方法で義母の概念を更生し始めます。 「無痛なんて甘えだ!」、「苦しいことから逃げてはいけない!」と語る、義母。すると、紫のババキュアが義母の常識をアップデート。その後のアップデートされた義母の様子は見違えるようにやさしくなります! 義母も出産のつらさや痛みは知っているはず。同じ経験者として、寄り添っていけたらいいですよね。 この義母の考え方やババキュアに対して、さまざまな声が寄せられました。 ババキュアが現実世界にいれくれたらいいのに!●パバキュア! 現実世界にも居てくれたらいいのにな……(以下省略)。 ●ラクしちゃダメならお義母さんは、お風呂も自分で薪を割って沸かすし、洗濯も洗剤なんか使わず手洗いするし(中略)家も自分で建てたのかな? 毎日使っているものこそ昔からのやり方じゃないよね。ラクさせてもらってるって気づかなきゃ。時代によって利用できるものが変わってるってことに気づいて欲しいですよね。 ●自然分娩で痛い思いをすることが美徳な考え方は本当にいらないですし、押し付けないでほしいなと思います。無・和痛分娩でも帝王切開でも、産後会陰やお腹の傷口が痛いのは変わらないし、後陣痛の痛みもある。ママたちは十分痛い思いをして産んでいます!! ●うちの場合は痛い思いをしていない主人でも愛情をもってこどもに接してくれていますし、養子を迎えた知り合いもいますが愛情もってこどもを育てています。痛い思いをしないと愛情が出ないなんてありえません。 ●痛みに耐えてこそ母親になれるっていうなら、父親はどうやって父親になるのか……。 ●お母さんの体調とおなかの子どものことを考えて無痛分娩でってお医者さんと決めることもあるらしいね。素人がグチグチ口出しすることじゃないわ。 多かったのは「無痛分娩でもちゃんと母親になれる」という意見。実際に無痛分娩をした方からのコメントもありました。また、「出産を経験していない父親は?」というコメントも! たしかに、男性は出産を経験せずにいきなり父親になります。しかし、コメントにもあった「痛い思いをしていない夫も愛情を持って子どもを育てている」という意見にはとても頷きたくなりますよね。 どんな出産方法であろうが、2人の子ども。さまざまな人の意見はありますが、出産するのはママ本人なので、自分が納得できる方法でするのが、一番良いですよね。 このようにコメント欄には、義母や無痛分娩についての考え方をたくさんコメントでいただきました! このあと、義母と加担していた夫もババキュアが成敗してくれます! ババキュアの必殺技にスッキリしてみませんか? 『ダルっババキュア』ママたちの声を代弁してくれるお話となっていますので、ぜひ他のお話も読んで、皆さんのご意見も聞かせてくださいね!
2024年06月19日イヤイヤ期真っ最中の娘を育てながら、正社員として働くりささんは、現在第2子を妊娠中。平日はワンオペ育児でヘトヘトでした。さらに、妊娠4カ月を迎えて会社の上司に報告をしたところ、参加していたプロジェクトのメンバーからも外されることになりました……。そして、休日は義実家で家事を押し付けられ、まったく休む暇がありません。自由気ままに過ごす夫が羨やましく思えて、つい夫に「入れ替わりたい」と非現実的なことを言ってしまいました。すると、なんと本当に入れ替わってしまい、夫はりささんとして過ごすことになります。ひどいつわりに耐えながらの家事や育児は想像以上に大変でしたが、ママ友にも助けられ、すこしずつ慣れてきました。そして、りささんの仕事ぶりがしっかりと上司に評価されていることを知り、うれしくなったのでした。予定どおり、りささんの姿のままで産休に入ることになった夫。自分の実家に里帰りしますが、母親は容赦なく用事を言いつけます。また「嫁の一日は日の出前から始まるのよ!」と言い、午前4時過ぎに起こされてしまい、こんな生活が出産まで続くかと思うと、不安いっぱいになるのでした……。こんな扱いを受けていたの…? 料理に掃除、義父のお世話……。ゆっくりする暇もなく、なんのために里帰りをしているのかとモヤモヤしてしまう夫。そして、夫の姿だった自分に対するはまったく違う態度で接する両親を見て、りささんはこんな扱いを受けていたのかと愕然としました。 そして、朝食の準備が終わり食卓についた夫。目の前に並んでいるのが、娘の嫌いな食材ばかりだと気付いた夫。娘もそれに気付き「いらない!」と言い出しました。義父からはわがままだと言われますが、今がちょうどイヤイヤ期なのもあるとフォローしたところ、タイミングわるく「これイヤ!」と娘が卵焼きを投げてしまいました……。すると、義母の顔色が一変……! 「食べないなら食べなくてよし」そう言って、娘の前から食事を下げ「これ以上泣くなら、庭に連れ出してちょうだい!」とすごい剣幕で怒鳴ってきて、夫はとっさに娘を守るように抱きしめていました。 両親の知らない一面を見て、夫は戸惑っているかもしれませんね。義両親の立場になって考えてみると、義理の娘や息子にどのように接したらいいのかわからないと考える人もいるのかもしれません。ただ、りささんは出産間近。少し体を労ってあげても……とも思ってしまいますが、みなさんは、義両親の自分への対応で困惑した経験はありますか?著者:マンガ家・イラストレーター しろいぬしろ 著者:原作者 中澤夕美恵
2024年06月19日息子はコロナ禍に生まれました。そして高校時代の友人が私と同じ時期に出産。最初は「ママ同士でいろいろ話せてうれしい!」と言い、定期的に子どもの成長を報告し合っていたのですが、あるときから友人のメッセージがそっけなくなってきて……。息子と同級生の赤ちゃんその友人とは定期的に会っていました。そして友人の第1子とわが家の第2子が同じタイミングで生まれることに。「生まれたら一緒に遊ばせようね!」と楽しみにしていました。 しかしコロナ禍ということもあり、わが家から少し遠いところに住む友人と赤ちゃんにはなかなか会えず。それでも「会えない分たくさん連絡すればいいじゃない!」と友人が言うので、私も友人も今まで以上に連絡をとるようになり、子どもの成長を送り合っていました。 メッセージがそっけない?最初こそ「昨日、初めて寝返りした」、「泣かれ過ぎてつらい」など日々の子育てで、うれしかったことや愚痴を送り合っていました。私としては「友人は初めての子育てだし、この定期連絡で友人を支えられればいいな」という思いも。実際、友人から質問されることも多く、そのたびにわかる限りのことを答えていました。 しかし、あるときから急に友人からのメッセージがそっけなくなったように感じました。送られてくる写真もどんどん減っているように感じます。私はそんな変化が心配で「大丈夫?」、「しんどいことある?」と折に触れて送っていたのですが……。 そんなつもりじゃなかった……私が心配しても「何でもないよ」と返していた友人。しかしある日、長文が届きました。その内容は「定期連絡をやめたい」、「自分の子と比べてしまってつらい」、「私は近くに頼れる人がいなくてつらい」、「自慢されているみたいに感じる」とのこと。 友人にとっては私が送った「○○ができたよ」、「○○みたいにしたらいいよ」などの内容がマウントをとられていると感じたようでした。これを受けて私は大反省。「そんなつもりはなかった。本当にごめん」と謝り、話し合った末、友人の気持ちがこちらに向くまで連絡のやりとりは一旦やめることになりました。 私は「産後はメンタルが不安定になるだろうから」と友人に気を遣っているつもりでいました。けれど、昔から仲の良い友人ということもあって、配慮に欠けてしまったところがあったのかもしれません。気遣いの足りない言い方をしてしまったと反省し、今は友人の負担にならないよう連絡はしていません。著者:山口花田舎で1女1男を育てる母。コーチングの資格を子育てに生かしながら日々奮闘中。主に妊娠・出産・教育の記事を執筆している。
2024年06月18日今から6年前、咲花(しょうか)さんは第一子・はる君を出産。初めての育児に奮闘しますが、思うようにいかないことの連続。咲花さんの情緒は不安定になり……。“ちゃんとやらなきゃ”と自分追い込み型ママになっていたら……。 相談することでラクになる? この時期の咲花さんは、「当たり前の子育てができていないから」とテレビを見ることやスマホを使うことに罪悪感を感じていました。 そんなとき、咲花さんより先に出産していた友だちに育児のことを相談。親身に寄り添ってくれる友だちに、咲花さんの心は救われたのです。 母親も変わらず咲花さんをサポートしてくれていましたが、それでもまだはる君のことをかわいいと思えずにいたのでした。 友だちに相談することで、自分だけの悩みじゃないと心が軽くなったのではないでしょうか。 慣れない育児に自分を追い詰めがちですが、ママにも息抜きは必要。リフレッシュする時間も大切に、心の健康をキープしたいですね。>>次の話 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:マンガ家・イラストレーター 咲花
2024年06月18日妊娠中、予習をしておこうと出産動画を視聴していました。それを横で見ていた夫がトンデモない発言をして……。頭にきて家出しました。 何もわかっていない夫いろいろな出産動画を見て感動していたら、横で見ていた夫が「それって大げさにやってるよね(笑)」と言ってきました。その一言に“離婚”の文字がよぎり……、22時を過ぎていましたが自宅を飛び出しました。それから気持ちを落ち着けようと、1時間ほど近所を歩くことに。 このことが影響したかはわかりませんが、そのあと予定日より早く陣痛がきて出産。産後しばらくは実家で過ごしました。夫は週に1度やってきましたが、赤ちゃんのお世話はほとんどせず。沐浴にいたっては「怖いから」と一度もしませんでした。 積もり積もったものが爆発し、「みんな最初はやったことがない!やろうと思う気持ちがあればできるわ!出産のことも“大げさ”とか言う人でなし!」と怒り散らしたら改心したようで、育児について調べ始めました。 謝られましたが、今でも恨みは消えません。産後の恨みは一生ですね。 ◇ ◇ ◇ 出産はママにとっても、赤ちゃんにとっても命がけ。それを“大げさ”と言われたら……、男性側も一度体験してほしいと思ってしまいますね。ふたりの子どもなので、男性側も理解しよう、やってみようとする気持ちが大切。出産も育児もママひとりではなく“ふたりで乗り切る”という意識が広まっていくといいですよね。 イラスト/さくら著者:篠崎由紀子
2024年06月15日私には2人の息子がいます。次男を出産するとき、子宮口は順調に開いたものの破水はなかなかしませんでした。いよいよ人工破膜をしなくては、というタイミングで、思いもよらないことが起こったのです。2度目の出産だからと高をくくっていた私が、助産師さんまでをも巻き込んでしまった、次男出産時の恥ずかしかった体験談をお話しします。順調に開いていく子宮口私が長男を出産したときは、病院へ着いてから1時間もたたないうちに、第1子と思えないほどあっという間に生まれてきました。 次男妊娠中もこれといって問題はなく順調でした。2人目の出産でもあり、痛みにもわりと強いタイプだったので、私は陣痛が始まっても「夕飯を食べてから病院へ行こう」と考えられるほど余裕があったのです。 陣痛の間隔が短くなり、病院へ行くとすでに子宮口は7cm。痛みはあるものの、私はもうすぐ生まれてくるという高揚感でいっぱいでした。 なかなか破水しなくて…しかし、病院について1時間ほどたっても破水しません。子宮口は時間が経つにつれて広がっていきます。子宮口が広がるとともに、私はいきみたい気持ちになっていきました。いきみ逃しも限界だと思っていたところ、助産師さんが独り言のようにこう言いました。「人工破膜をしたほうが良いみたいね……」と。 人工破膜とは、文字通り人工的に膜を破り破水させることです。助産師さんが子宮口を確認しようと身をかがめたそのとき、思いもよらないことが起こりました。 人工破膜の前に、まさかの…!?バッシャーン! なんと、その瞬間に勢いよく破水したのです。それは、まるで大きな水風船が割れたかのような激しさでした。 身をかがめていた助産師さんの顔面は羊水だらけで、シャワーをかけられたかのようにびしょ濡れに。私は陣痛の痛みを感じつつも、恥ずかしさと申し訳なさで顔から火が出そうでした。何度も謝る私に、助産師さんは笑顔で「気にしないで!」と答えてくれました。 破水後、私は次男を無事に出産しました。「2人目だし、大丈夫」と高をくくっていた私。まさか羊水を助産師さんの顔面にかけてしまうとは思いませんでした。嫌な顔ひとつせず、最後まで気丈に私の出産をサポートしてくれた助産師さんに、感謝しています。こんな赤っ恥エピソードですが、今では良い思い出です。 著者:中田りこ8歳と4歳の兄弟の母。次男は自閉症スペクトラム障害。教育業界を退職後、現在は実家の家業を手伝っている。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年06月14日今から6年前、咲花(しょうか)さんは第一子・はる君を出産。初めての育児に奮闘しますが、思うようにいかないことの連続。咲花さんの情緒は不安定になっていき……。はる君を出産して数日。母子同室でパパと一緒に子どものお世話ができていた間はよかったのですが……。仕事でパパが関東へ戻ってしまい、咲花さんは孤軍奮闘します。 どうして泣き止まないの!?※看護師⇒助産師 ※「カバーようなもの」⇒「カバーのようなもの」 ※看護師→助産師 ※看護師→助産師 ※首がすわる前の赤ちゃんを縦抱きにするときは、しっかり首を支えるようにしましょう 抱っこしてもなかなか泣き止まず不安に思っていたところ、はる君は縦抱きが好きだと判明! 咲花さんの不安は1つ解消され、その後は友だちも遊びに来てくれて楽しい時間を過ごしました。 母乳の悩みは経験したことがある人も多いのではないでしょうか。少しずつできるようになる、と言われても“母乳=赤ちゃんの食事”と思うと焦ってしまう気持ちもわかります。 赤ちゃんが泣き止まないと困っていた咲花さんですが、助産師さんの動きを参考にはる君の好みを探り当てました。助産師さんの動きを観察したり、まねしてみたりすることで発見することもありますよね。 赤ちゃんと一緒に成長していく気持ちで、焦らずに前進していきたいですね。>>次の話 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:マンガ家・イラストレーター 咲花
2024年06月14日今から6年前、咲花(しょうか)さんは第一子・はる君を出産。初めての育児に奮闘しますが、慣れない育児で咲花さんの情緒は不安定になります。そんな中、パパからあることを告げられて咲花さんは涙が止まらなくなり……。咲花さんは、九州の病院で長男・はる君を出産。赤ちゃんの誕生を喜ぶ咲花さん夫婦でしたが......。 何だろう!? かわいいとは思うけれど… やっと会えたわが子の第一印象は「かわいいなぁ」だった咲花さん。 産院は個室でパパもお泊りOKだったので、二人三脚での育児がスタート。しかし、パパが急きょ仕事で関東に戻ることに。それを聞いた咲花さんは不安で泣いてしまうのでした。 初めての育児は慣れないことの連続ですが、“やらなきゃ”という焦りもあり、二人三脚だと心強いですよね。そんなとき、急にパパが帰るとなると不安になるのもわかります。 特に、出産直後はホルモンバランスの急激な変化で情緒が不安定になりがち。不安な気持ちはひとりで抱え込まず、家族や友人、助産師、医師などに相談しましょう。自身の体と心を労りながら、赤ちゃんとの生活を楽しみたいですね。>>次の話 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:マンガ家・イラストレーター 咲花
2024年06月13日第3子妊娠中、経過は順調でいよいよ出産予定日まで1週間といったタイミングで、夫が「休みの日に会社のバイク仲間とツーリングに行きたい」と言い始めました。それ本気!?予定を聞いたらなんと出産予定日の3日前。さすがにそのタイミングはいつ陣痛が来てもおかしくないし、生まれているかもしれないから絶対にやめてほしいと伝えました。しかし夫は「生まれたら次いつツーリングに行けるかわからないからこの機会しかない」と言い張り、4歳、3歳の上の子ふたりを私に任せてツーリングに行ってしまいました。そして恐れていたことが……。お昼過ぎにおしるしがあり、その後間を開けずに陣痛と思しき腹痛が始まりました。アプリで間隔を測ると10分を切っており、今すぐ産婦人科へ行かなければならないレベル。夫に「陣痛が来た」と連絡したところ、「じゃあこれから帰る! 1時間半くらい!」との返事で絶望。上の子2人を抱えて「お願いだからこれ以上痛くならないで……」と祈りながら、長い長い1時間を待ちました。そして夫がようやく帰宅→即産院へ! 自力で動けるうちに無事に産院に到着し、そのまま無事出産できました。◇◇◇ 上ふたりが安産だったこともあり夫は「3人目だし大丈夫だろう」くらいの感覚でいたようです。いくらなんでもありえないエピソードとして、懲らしめの念も込めて夫の親族や上司、同僚に言いふらしています。 作画/犬野ぽよ彦著者:須加ちあき30代、保育園児3児を育てる限界フルタイムワーママ。夫は同じ会社の職場/職種違い。
2024年06月11日2人目の妊娠・出産でハッピーな産休ライフを過ごせるかと思いきや、想定外のことが起こりお金の心配がつきまとうことに。友人にまで、「お金のことで大変なんだね」と心配させるほど、話題はお金のことばかりになってしまい……。楽しみな産休ライフのはずが…1人目の出産・育休から復帰し、公務員として働きながら2人目を妊娠。1人目の子育てと仕事に追われる日々で体に負担がかかっているのか、体調を崩して休日は動かずに安静にして過ごすことが多かった私。早く産休に入りたいと心から願い、やっとその日が訪れました。 やっと入れた産休ライフでは、楽しみにしていたひとり時間に万歳三唱。大好きな海外ドラマを観まくれる、私だけの時間に浸っていました。2カ月だけの期間限定とはいえ、こんな時間はもう訪れてはくれないと、1人目を出産して痛感していました。 そんな中、妊婦健診に行くと「出産は大きな病院にしましょう」と先生から言われたのです。どうやら羊水の量が少ないとのことでした。 しかし、転院先で初めての健診をしたわずか数日後に陣痛があり、破水してしまったのです。出産予定日の1カ月も前のことでした。 病院を替えた途端に!病院に着いて診てもらうと、やはりもう出産になるということで陣痛室へ。 そんなときでも私は、あと1カ月ある産休ライフがなくなったことの悲しさと、もらえる給与が1カ月分なくなるのではないか(※)、ちょうどボーナス支給月に産休から育休に切り替わってしまうのでボーナスが支給されなくなるのではないかという心配で頭がいっぱいに。(※)公務員の場合、産休(産前・産後休暇)は有給休暇扱いとなり、給与が満額支給されます。 陣痛に襲われながらもお金の心配が頭をよぎりすぎて、職場の友人に電話をして、私のボーナスはどうなるのかわからないかと聞いたり嘆いたりしていました。そして、そんな状況の中ではありましたが、無事に出産したのでした。 結果的に給与1カ月分はなくなりましたが、ボーナスは支給されました。今考えると、生まれてきてくれたうれしさと同時に、そのときはお金のことで相当シビアになっていたように思います。退院した際に友人から「出産祝いを贈るよ」と話がありましたが、「(お祝い返ししなきゃいけないから)お祝いはいいよ」と言ってしまうほどで、友人にもびっくりされました。今でも思い返すと必ず出てくる笑い話です。 イラスト/ななぎ著者:米田のの監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年06月11日赤ちゃんのおしりのあたりにあると思っていた蒙古斑。わが家の次男は足の甲にあります。生まれたときは色が濃く、目立っていました。出産後、赤ちゃんの蒙古斑を周りに指摘されるたびに不安になりました。その不安をどう乗り越えていったか、当時の体験談をご紹介します。 赤ちゃんの足に「あざ」出産後、病室で初めて次男をよく見たときに、足の甲にあざがあることに気づきました。「このあざは何だろう?」と心配になった私は、先生に聞いてみると“蒙古斑”とのこと。「蒙古斑はおしり以外のところに出る場合もあります。この子の場合は蒙古斑が足に出ただけ。成長とともに消えていくことが多いので、あまり心配しないでください」と言われました。 あまり心配しなくていいことがわかったものの、赤ちゃんを見た人からは「これは何?」とよく聞かれます。聞かれるたびに「こうやって毎回聞かれるのかな……」と不安になりました。 長男のお友だちにも指摘されてある日、長男と次男を連れて公園へ行きました。長男はお友だちと砂場で遊んでいたため、私はその近くで生後6カ月の次男をベビーカーに乗せてあやしていました。すると、長男のお友だちが私たちのそばに来て、一緒に遊んでくれることに。 そのとき、次男の足を見た長男のお友だちから「何で足がこんな色なの?」という質問が。産後よりも色が少し薄くなってきたとはいえ、「こんな色をしていると気になるものなんだ……」と改めて感じました。 きちんと説明をすればわかってくれる!次男の蒙古斑のことを質問されたとき、お友だちのママがすかさずフォローをしてくれました。お友だちのママが「生まれるときにこういうあざが出るんだよ」と説明すると、子どもたちは納得してくれました。 このやりとりを見て、周りの人に蒙古斑のことを聞かれたらきちんと説明して疑問を解決してあげれば、不思議に思われることなくお友だちとも仲良く遊べるんだ、と感じました。足に蒙古斑があっても次男はとっても元気でよく笑う子です。あまり気にする必要はないということに気づきました。 蒙古斑がよく見える位置にあったので不安な気持ちになりましたが、周りの人にもきちんと説明するようにしています。現在は、生まれたときから比べると薄くなってきました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/Michika著者:石井はな0歳と3歳、2男の母。子育てのかたわら、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は家庭菜園。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年06月10日第2子出産後の衝撃エピソードです。1人目がなかなかできなかったので、2人目は計画より早く準備をしていました。しかし思ったより早く妊娠し、出産もスムーズでした。このまま順調に育っていくのだと思っていましたが……。すべて順調だと思っていたけれど…2人目が生まれ、当時2歳の兄も大喜び。「触りたい触りたい!」との欲求がすごく、まだ力加減もわかっていないので親もヒヤヒヤ。それでも幸せな時間が過ぎていました。 産院で産後3日目に新生児聴覚スクリーニングの検査が任意であり、夫に「どうする? お金かかるしなあ。きっと大丈夫やと思うけれど……」と聞くと、「大丈夫やけどまあ受けといたら?」と言われたので、軽い気持ちで受けることにしました。 検査当日。次男を預け、私はひとときの休息。産後のスライム腹を眺め、またダイエットしないとなぁとげんなり。そういえば、次男がなかなか戻ってこないと思っていると、30分経過していました。するとスタッフさんに「お待たせしましたー! なんかうまく検査できなくて、翌日また見せてもらいますねー!」と軽いノリで言われ、私も「ちゃんと大人しくしないとだめだぞー」と次男を指でツンツンしながら微笑ましく見つめていました。 しかし、そのあとも検査するたびに「なんか起きちゃってー、うまくできなくてごめんなさいね」と言われ、スタッフさんも少しずつ不安そうに私と次男を見つめるようになりました。結局、退院時にまた連絡してもらうことに。 1カ月健診での再検査退院の日。先生には1カ月健診でもう一度調べましょうと言われ、スタッフさんも「きっと大丈夫、大丈夫よ」と微笑んで励ましてくれました。 とはいえ、産後でメンタルが不安定だったこともあり、「もしかしたら聞こえてないかもしれない!」と不安でいっぱいに。スマホで検索魔になったり、音を出して次男の反応の見たりして一喜一憂する日々。「大丈夫、きっと大丈夫」。そう信じ、再検査の日を迎えました。 ドキドキしながら結果を待っていると、診察室に呼ばれ中へ。「先生、聞こえていましたよね? 大丈夫ですよね?」とヘラヘラする私に先生は、「赤ちゃん、もしかしたら聞こえてないかもしれません。生後3カ月になったら大きい病院で検査しましょう」と言われました。私は頭が真っ白に……。 不安になりながらの育児。「聞こえてないってどうしたらいいの? なんで? どうして?」という思いでメンタルはボロボロでした。ただ、里帰りしていたので、両親がいたことが本当に救いでした。 生後3カ月の検査の日。結果は…いよいよ生後3カ月の検査の日! この検査ですべてがわかる……。ドキドキしながら検査中のモニターを見つめる私。検査が終わり、結果は先生からお伝えしますねと言われましたが、ネットの検索魔になっていた私には、次男がまったく聞こえていないことが一目瞭然でした。 それからは毎日のように泣いて過ごしていました。それでも育児はしないといけない。不安そうに見つめる長男に申し訳なさを感じ、長男が起きているときは明るく振舞い、寝るとまた泣いて……。そんな日々が続きました。 それでもなんとか1日1日を乗り越え、ろう学校の教育相談に通ったり、手話サークルへ突撃してみたり、外へ出ていろいろな人に会ったりしていました。 気づけば、あっというまに次男の1歳の誕生日。病院やろう学校へ通うなかで、少しずつ成長していく次男の姿に私のほうが励まされていました。 「この子は必死に生きている。私を求めてくれている。次男のお母さんは私なんだ! 私が次男を守ってあげなくて誰が守るんだ」とやっと思えるようになりました。それからは、積極的に次男に向き合い手話を使ったり、長男と一緒にいっぱい遊んだりしていました。 3人目の出産を決意!もともと子どもは2人の予定でいたのですが、たまたま知り合いに、3人きょうだいで真ん中の子が聞こえないという方がいたので、どうして3人目を産んだのか聞いてみました。 すると「3人目は、聞こえてても聞こえなくてもどっちでもよかった。聞こえなくても真ん中の子と手話できるし、聞こえない同士で仲間になれる。聞こえててもみんなで支えてあげられるから」と聞き、衝撃を受けました。 夫には「ムリムリ! 経済的にムリだから!」と言われましたが、「大丈夫、大丈夫!」とごまかして(笑)3人目を妊娠しました。3人目も本当に順調で、しかも15分で生まれる超スピード出産! 初めての女の子でかわいいなぁと見つめる一方、うっすらと次男のことがよみがえりました。 娘を検査に預け、外で見守る私。「大丈夫、大丈夫、大丈夫」。そう自分に言い聞かせながら、心臓が爆発しそうでした。スタッフさんが出てきて「お母さん、ばっちり聞こえてるよ!」と言われた瞬間、目からぼろぼろ涙が。キョトンとしているスタッフさんに次男のことを伝えると、背中をさすってくれました。 それからは3人育児でバタバタ! 驚いたのは1歳3カ月の娘が「わかった」、「おいしい」、「なあに」と小さい手で手話を使い出したこと。聞こえる長男、聞こえない次男、聞こえる長女。みんなで少しずつ手話を使っています。みんなで助け合って暮らしていける。そう信じて毎日育児奮闘中です! 健康な赤ちゃんが生まれるのが当たり前だと思っていましたが、まさかまさかの連続でした。しかし今では、聞こえない次男だからこそ娘も生まれて、今の家族があると思っています。聞こえないことは不便であっても不憫じゃない! ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:ゆみっくす5歳の長男、3歳の次男、1歳の長女をもつ3児の母。次男のことがきっかけで、4月から毎日付き添い通学へ。いろいろなことを乗り越え、支え合って今を生きる。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年06月10日産院で出会ったママと友だちになり、それ以来交流が続いているという話を聞きますが、コロナ禍の出産ではママ同士の交流が叶わず、ママ友ができるということはありませんでした。それでも、病室には産院ならではの不思議な雰囲気が漂っていたのです。私が入院した産院では、帝王切開で出産したママはナースステーション近くの病室、自然分娩のママはその1つ上のフロアの病室に入院することになっていました。それぞれの階にトイレなどがあるので、フロアを行き来することは基本的にありません。 産院で感じたのは…帝王切開のあとは歩くのもつらく、ヨロヨロした自分の姿を想像すると笑ってしまいます。しかし廊下に出ると、みんな同じようにヨロヨロと歩いていました。 できればそんな姿を他人には見られたくないけれど、同じ階に入院するママは皆同じ境遇。互いに気持ちがよくわかるので、すれ違いざま、言葉は交わさないけれど「頑張ろうね! お互いに!!」と、みんな同じ気持ちを抱いていたに違いありません。 そんな産院ですが、唯一、退院前の夕飯である「お祝い膳」だけ、帝王切開のママと自然分娩のママが一緒の空間で食べることになります。つまり、初めて帝王切開フロアから出ることになるのです。いつものように、ヨロヨロと歩いて食事をする部屋に行くと、そこには何事もなかったかのように、スタスタと歩いているママがいました。もちろん、自然分娩だからラクだった、と思っているわけではありません。しかし、これまで気にも止めなかった、帝王切開の私たちとの違いに驚いた瞬間でした。 これは私だけでなく、そこにいた帝王切開ママたちも同じように思っていたはず。今思うとおかしいのですが、あのとき、あのフロアに入院していたママには不思議な連帯感があったのです。 互いにすっぴん、マスクで顔も覚えていませんが、私は今でも同志だと思っています! ◇ ◇ ◇ 隣で陣痛に耐えている人、先に分娩室に移動した人など、産院で出会ったママ同士には、“一緒に出産を乗り越えた仲間”という感覚が生まれます。 産後は心身ともに大変なこともありますが、あとから思い返すと良い思い出になりそうですね。このお話は、ベビーカレンダー公式インフルエンサー「ベビカレメイト」のママと実施した座談会でお話しいただいた体験談です。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年06月09日私は48歳の産婦人科医です。同じく産婦人科医として働く夫と2人で地域密着型の産院を開きました。ずいぶん長い間仕事を優先してしまい、子どもが欲しいと思ったときには30代後半。不妊治療を経て40歳を過ぎてから娘を出産しました。高齢出産で大変だと思うこともありましたが、気持ちには余裕を持って子育てできたような気がします。でも、最近気になることがあってーー。歳取ったママでごめん先日、病院の受付スタッフから、娘が私と夫の年齢で同級生にからかわれているという話を聞かされました。からかっていた子のママたちも隣にいたそうですが、一緒に笑っているだけだったとか……。いつかそんな日が来るかもしれないと覚悟していたつもりでしたが、いざ目の当たりにするとショックでした。我慢できずに「親の年齢で嫌な思いをさせてごめんね」と娘に伝えると「全然気にしない!」と笑い飛ばしてくれたので、少しホッとしました。 事業参観で後悔…少し後の授業参観日のこと。普段は白衣ばかり着ているので、ちょっとだけオシャレをしようと服選びをしていると、「今日は着物にして!」と娘からリクエストされました。 悪目立ちしないか心配でしたが娘も譲らず、恐る恐る着物で学校に行くと、案の定注目の的。それでも病院の患者さんでもあるママたちから「先生! お着物素敵です!」と声をかけてもらったので、気を取り直して教室に向かいました。 教室に入ると「え、着物! 誰のママ?」とざわつきます。娘が「私のママだよ! 素敵でしょ!」と答えると、「恥ずかし〜い! おばあちゃんみたい」と笑い出す子が……。保護者の列を見ると、あからさまにニヤニヤしている派手なママがいました。娘に嫌なことを言っている子のママでしょう。複雑な気持ちになったちょうどそのとき、チャイムがなりました。 涙、涙の授業参観その日の授業は作文の発表。私は、娘の発表を聞いたら早々に帰ろうと決めていましたが、そんな私をよそに、娘は堂々と作文を読み始めました。 娘が書いた作文は「将来の夢」。そこには私の仕事への尊敬の気持ちや、高齢出産にもかかわらず自分を生み、育ててくれたことへの感謝が綴られ、「母のような産婦人科医になりたい」という一文で締められていました。 思いがけない内容に、私は涙目に……。すると、あちこちから「先生はこの地域になくてはならない人!」「あのときはありがとう〜!」という声があがり、いつの間にか教室内には拍手が沸き起こったのです。 そんな様子に納得ができていなかったのが、娘をからかっていた例の親子。悔しそうに「着物ばーさんの娘のくせに!」と呟いたその子に、クラスの男の子が「え!? おばあさんじゃなくても着物着るじゃん」と言ってくれ、その場がおさまりました。 これを機に、娘をからかう人はいなくなったよう。ホッとしました。意地悪親子のその後数カ月後、私の産院に娘をからかっていた親子がやってきました。早速診察をすると、ママのおなかの中には元気な赤ちゃんが! しかし年齢的には高齢出産になります。 「おめでとう! お姉ちゃんになるのね!」と私が言うと、2人は声をそろえて「ごめんなさい!!!!」と頭を下げました。順調に妊娠が進めば、出産する年齢は私が娘を生んだときと同じ年になります。自分が同じ状況になってみて、年齢をからかうことの愚かさに気づいたのかもしれません。同じ立場だからこそ、アドバイスできることもあると思うので、私はしっかり仕事をこなして、元気な赤ちゃんが産まれてくるのをサポートするのみです。 赤ちゃんが欲しいと思っても、必ずしも欲しいタイミングで授かれるわけではありません。また、何歳であってもみんな命懸けで出産に挑んでいます。 年齢など関係なく、ママになるだけでも本当にすごいことですよね。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年06月09日この記事では、2024年5月に妊娠・出産を発表した芸能人や有名人をご紹介! 妊娠・出産時期が自分と近い芸能人や有名人には、なんとなく親近感がわくものですよね。加藤夏希さん、舘山聖奈さんなど、多方面でご活躍中の方々からおめでたいニュースが届きました。アナウンサー・タレントなど、11名の出産のニュースをお届けします。 出産発表高橋真理恵(37歳)関西テレビアナウンサー妊娠発表:2024年1月11日(2人目)出産発表:2024年5月2日(男児・出産は3月)ブログ・SNS:Instagram(@marie___takahashi)舘山聖奈(26歳)関西テレビアナウンサー ※夫は中村帆高(26歳)プロサッカー選手 妊娠発表:2023年2月24日(1人目)出産発表:2024年5月3日(女児)ブログ・SNS:Instagram(@seina_tateyama_)Salyu(43歳)歌手出産発表:2024年5月6日(1人目・女児)ブログ・SNS:Instagram(@salyu_official_)島田晴香(31歳)元AKB48・実業家妊娠発表:2024年1月1日(1人目)出産発表:2024年5月12日ブログ・SNS:Instagram(@shimadadesu_official)玉木 碧(31歳)フリーアナウンサー ※夫は松平健太(33歳)卓球選手出産発表:2024年5月20日(2人目)ブログ・SNS:Instagram(@tamaki_aoi.official)加藤夏希(38歳)俳優・モデル妊娠発表:2024年1月10日(4人目)出産発表:2024年5月29日(女児)ブログ・SNS:Instagram(@natsukikato_official)長月 翠(24歳)ラストアイドルの元メンバー・タレント ※夫は矢部昌暉(26歳)4人組バンド・DISH//のメンバー妊娠発表:2023年11月9日(1人目)出産発表:2024年5月31日ブログ・SNS:Instagram(@miffy00517)パパになった芸能人・有名人橋本 稜(32歳)お笑いコンビ・スクールゾーン妊娠発表:2024年2月26日(2人目)出産発表:2024年5月15日(女児)ブログ・SNS:Instagram(@schoolzonehsm)新井和輝(31歳)4人組バンド・King Gnu出産発表:2024年5月15日(1人目・男児)ブログ・SNS:X(@K_and_his_B)りょうと(22歳)4人組バンド・ヤングスキニー出産発表:2024年5月17日(1人目)ブログ・SNS:X(@ryoto_yang)武田祐介(39歳)ロックバンド・RADWIMPS出産発表:2024年5月29日(2人目)ブログ・SNS:Instagram(@yusuke_takeda_)気になる芸能人や有名人はリストの中にいましたか? 同じくらいの妊娠週数だったり、わが子と近い月齢の赤ちゃんが登場したりする芸能人のブログには、マタニティライフや子育てのヒントがあるかもしれません。家事や子育ての息抜きにチェックしてみてはいかがでしょうか。
2024年06月09日今年にはいり、女の子を出産。これまで義両親とは年に数回しか連絡をとっておらず、私たち夫婦に口出ししてくることは一切ありませんでした。出産後、孫の写真を見たいかなと思い、義母を写真共有アプリに招待したところ……。 気軽に招待しなければよかった…最初に義母を招待したら、義父や義姉からも招待してほしいと連絡が。承諾したら大変なことになり……。 娘の写真をあげるたびに連絡が来るのです。「抱き方がなってない」「女の子なのにその服の色はダメだ」「それを使うのはよくない」などなど。私に直接言ってくるわけではなく、すべて夫を介して夫から報告を受けるので毎回けんかに。 昔と今では育児の常識も変わっているし、ちゃんと調べているので大丈夫だと夫から言ってもらい、その後は連絡がこなくなりました。 ですが、直接会うと今も口出しはしてきます。義両親との関係が良好であっても、写真を共有する際は慎重になったほうがいいなと思いました。 ◇ ◇ ◇ 良かれと思ってやったことが裏目にでるときもありますよね。“夫から報告される”のも嫌な気分になりますが……。子育ては十人十色なので、何か言われても思い詰めずに楽しく子育てしていきたいですね。 イラスト/さくら著者:山田小雪
2024年06月09日この記事では、2024年5月に妊娠を発表した芸能人や有名人をご紹介! 妊娠・出産時期が自分と近い芸能人や有名人には、なんとなく親近感がわくものですよね。バービーさん、西野未姫さんなど、多方面でご活躍中の方々からおめでたいニュースが届きました。タレント、アナウンサーなど、9名の妊娠のニュースをお届けします。 妊娠発表石田安奈(27歳)SKE48元メンバー・タレント 妊娠発表:2024年5月1日(2人目)ブログ・SNS:Instagram(@annaishida_0527)皆川玲奈(32歳)TBSテレビアナウンサー妊娠発表:2024年5月3日(1人目)沙央くらま・元宝塚俳優 ※夫は大貫勇輔(35歳)ダンサー・俳優妊娠発表:2024年5月3日(2人目)出産予定:夏ブログ・SNS:Instagram(@kurama_sao)天明麻衣子(34歳)フリーアナウンサー妊娠発表:2024年5月8日(2人目)ブログ・SNS:Instagram(@maiko_temmei)伊倉愛美(30歳)元ももいろクローバーのメンバー・歌手・俳優妊娠発表:2024年5月15日(1人目)出産予定:10月末ブログ・SNS:Instagram(@ikura_manami)久代萌美(34歳)フリーアナウンサー ※夫はハルキ(28歳)YouTuber妊娠発表:2024年5月18日(1人目)出産予定:夏ごろ西野未姫(25歳)元AKB48・タレント ※夫は山本圭壱(56歳)お笑いコンビ・極楽とんぼ妊娠発表:2024年5月21日(1人目)ブログ・SNS:Instagram(@nishinomiki_official)バービー(40歳)お笑いコンビ・フォーリンラブ 妊娠発表:2024年5月30日(1人目)出産予定:夏ごろブログ・SNS:Instagram(@fallin.love.barbie)パパになる芸能人・有名人ジャスティン・ビーバー(30歳)歌手妊娠発表:2024年5月10日(1人目)ブログ・SNS:Instagram(@justinbieber)気になる芸能人や有名人はリストの中にいましたか? 同じくらいの妊娠週数だったり、わが子と近い月齢の赤ちゃんが登場したりする芸能人のブログには、マタニティライフや子育てのヒントがあるかもしれません。家事や子育ての息抜きにチェックしてみてはいかがでしょうか。
2024年06月08日私たち家族はオーストラリア在住です。2人目出産時、頼れる身内は夫だけという状況の中、夫婦で育児ノイローゼのようになってしまいました。ここでは、2人目で育児経験があってもうまくいかないと実感したことや、精神的に不安定な状態になってから復活までの体験をお伝えします。オーストラリアでの出産を決意!2人目の妊娠判明後、オーストラリアでの出産を決意。理由は、長女のときは日本に戻って出産したため、夫が初めて長女に会ったのが生後3日目で、貴重な新生児期を一緒に過ごせたのはたったの1週間程でした。仕事があるので仕方のないことですが、私は夫と子どもを引き離してしまっていたことをずっと後悔していたのです。 日々変化する子どもの成長を夫にも見せたい! と思いオーストラリアでの出産を決断しましたが、普段あまり娘のお世話をしていない夫と2歳イヤイヤ期真っ最中の娘を抱えての出産には正直なところ不安もありました。 ついに出産! そして……その後、妊娠38週3日の深夜に次女を出産しました。妊娠中の苦しさや、出産での疲労でくたくたでした。「これでやっと数日入院して休める」と思っていた矢先、看護師さんから「少し休んだら帰ってね」とひと言。これには驚愕しました。 私は疲労困ぱいでしたし、長女と一緒に帰ったら絶対に休めないと思い、1泊だけでも入院したいと食い下がりましたが答えはNO。沐浴もまだで胎脂をつけたままの次女を連れ、出産から約8時間後に泣く泣く退院することになったのです。 空回る夫、疲れ果てた私。その結果……夫は張り切って家事や育児をしましたが、慣れない家事や2歳イヤイヤ期の娘のお世話は簡単ではなく、次第に夫の様子に異変が。表情には覇気がなく食事をしなくなり、靴を履かないだけで長女を怒鳴ったり、ぼーっとしたりしている時間も増えていき……。 それを見た友人が冗談ぽく「育児ノイローゼじゃない?」とひと言。それだ! と心の中で叫びました。私のほうも夫のフォローにまわり、家事も育児も頑張った結果、心身を病み育児ノイローゼのような状態に……。めまいや食欲不振、倦怠感に、突然出る涙、娘たちがかわいく思えないという事態にまでなってしまったのです。 一家の危機に救世主現れる!そして出産から2カ月後、わが家へ義母が手伝いにきてくれました。家の空気は一変! 明るくて子どもの面倒もよく見てくれる義母。バランスの良い食事を作ってくれて、家事もテキパキとおこなってくれて助かりました。 私は十分に休息でき、仕事に復帰した夫も次第に育児ノイローゼのような症状が治ってよかったです。約3週間滞在してくれた義母と一緒に、私も娘たちを連れて日本に帰国しました。久しぶりの母国、実家、すぐに助けてくれる人たちがいる環境に安堵し、心から娘たちをかわいいと思える余裕が生まれました。 この経験で学んだことは、・誰でも育児ノイローゼのような状態になる・自分の力量を知り、対策する・育児や家事に完璧を求めない・産後は無理してでも休む 以上4つです。まさか夫婦で精神的に不安定な状態になるとは思いませんでした。経験者でも育児を甘く見てはいけないと身をもって感じたのでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:藤原 にじ2児の姉妹の母。兵庫県出身、オーストラリア在住。自身の経験と感性をもとに執筆活動中。趣味はイラスト、漫画を描くこと。旅行も大好き! 妄想の中でも旅行に行く。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年06月07日私は現在0歳の息子を、計画分娩で産みました。 そのときのハプニングです。 朝から陣痛促進剤を入れ、いい感じに陣痛がきました。え!?嘘でしょ!?しかし、陣痛の間隔が2分くらいなのに、子宮口が4cm以上開きませんでした。そのため、医師から「もしかしたら今日は生まれないかも」と言われました。その旨を自宅でスタンバイしていた立ち会い予定の夫にラインで連絡。私も「今日は会えないのかー」と落胆していたところ、 突然プツンという破裂音とともに破水、そして激痛が走りました。 ナースコールをして確認してもらうと、なんと子宮口全開大! そして赤ちゃんの頭がもうすぐそこにきているとのこと。ラインしてからこの間までなんと5分足らず。助産師さんに「急いでご主人に連絡して!」と言われ 、電話しましたが出ません。夫は今日は生まれないかもと聞いてから、緊張の糸が切れて、電話が鳴っても気づかなかったそうです。 ◇◇◇ 最初の電話から15分後、最後のいきみのときに電話が繋がり、助産師さんが代わりに様子を伝えてくださいました。夫は数分前までは立ち会いができるようにスタンバイしていたのにできなかったことと、「今日は生まれないかもー」と言われた矢先の超速出産にショックを受けていました。 作画/さくら著者:山口みなみ30代、0歳、5歳の息子の母。現在育休中で、来年復帰に向けて保活頑張ってます。。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年06月06日妊活の末、待望の赤ちゃんを授かった私。妊娠がわかると、夫は真っ先に「早く母さんに知らせないと! 」と義母に電話をかけました。義母は親戚や近所の人の孫自慢を、うらやましがっていたそう。だからと言って、何よりも先に義母に報告した夫に、少しもやっとしました。結婚するまで気が付かなかったのですが、実は夫はかなりのマザコン……。義母も夫にベッタリです。でも、義父が義母を制してくれたおかげで、なんとか受け入れてここまできました。義父を亡くしたのに…しかしおなかが大きくなり始めたころ、義父が事故に遭い突然の他界……。妊娠を報告したときも、私の体のことを一番に気遣ってくれた義父を亡くしたショックは大きく、涙が止まりませんでした。 しかし義母は、参列者が帰ったあとに義父の遺影を見て「旦那がいなくなってスッキリした!」と笑い、夫も「そうだね!」と同意する始末。 翌日から義母と夫は義父の持ち物を片っ端から処分し始めました。名残惜しむこともなくまるでゴミのようにポイポイと捨てる義母を見て、切ない気持ちになります。 家族の思い出の品と思われるものまでちゅうちょなくゴミ袋に入れるので、私はこっそりいくつか抜き取らせてもらいました。母に事情を話すと、快く保管をしてくれるというので、思い出の品として実家に持っていくことにしたのです。 無痛分娩はダメ!義父がいなくなって、義母を制してくれる人はもういません。ある日突然やってきた義母は、顔を真っ赤にして怒っていました。 何事かと思って話を聞いていると「無痛分娩にするって本気なの?」と言うではありませんか。無痛分娩を決めたのはつい昨日のこと。もう義母の耳に入っているとは驚きです。 「無痛分娩はダメよ! おなかを痛めて苦しんで産むからこそ愛情がわくの! 楽をするなんて母親失格!」すごい剣幕で怒っている義母の横で、夫も「母さんが正しい! 考え直せ!」と頷いています。 昨日は任せると言ったくせに、急に手のひらを返されては納得がいきません。それに命懸けで出産するのは私です。これ以上話していても無駄だと思い、荷物をまとめて実家に帰ることにしました。 無痛分娩に反対した理由とは?事情を話すと、母が迎えにきてくれることになりました。早々に到着した母に、義母と夫は文句ばかり。「無痛分娩を選ぶなんて根性のない娘を育てたものだ」「痛みに向き合わないなんて母親失格だ」とひどいものでした。 しかし母は顔色ひとつ変えず、夫の母子手帳を差し出したのです。それは先日義母が義父の遺品と一緒に捨てたものでした。夫の生まれたときの大切な記録だから……と私が実家に保管しておいたのです。 「見てごらん」と母。なんと、母子手帳に書かれていた出産方法は「帝王切開」でした。気まずそうにしている義母に、母は「あんたも母親失格だね!」と言って笑ったのでした。後から話を聞くと、無痛分娩にかかる費用がもったいないと話した義母と夫は、そのお金で私が入院中に旅行にいこうとしていたのでした。出産とは…その後、私は無事にかわいい女の子を出産。こんな人たちとは一緒に暮らせないと確信した私は、予定通り家を出て、離婚することにしました。 義母と夫は、仲良く2人で暮らしているようです。あんな性格なので、今後新しい奥さんがやってくることもないでしょう。ただ、本人たちが満足しているのであれば、もう私が言うことは何もありません。 出産は女性にとって命懸け。お金と天秤にかけて出産方法を指定するのは、あまりに自分勝手ですね。また、出産の方法にはさまざまな選択肢がありますが、どんな出産方法を選んだとしても、“母親失格”ということはありません。そのような考えがなくなることを願います。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年06月05日めまぐるしいけど愛おしい、空回り母ちゃんの日々
謎の痛みで救急外来に駆け込んだ話
うちの家族、個性の塊です