連載記事:『みんなの学校』流「生き抜く力」の育て方
不登校で苦しむ子。「過保護」と「教育」の線引はどこにあるのか?【『みんなの学校』流「生き抜く力」の育て方 第2回】
■「過保護や過干渉」なのか? それとも「教育」なのか?
木村:子どものある行為に対して、「これについて干渉することは『過保護や過干渉』となるのか? それとも『教育』なのか? 大人として、目の前にいる子どもに、どう関われば良いのか?」。大空小でもやまほど悩みました。
たとえば、子どもが「イヤ!」と言って、いうことを聞かない。「このイヤは、この子のわがままなのか? イヤということを認めたらいいのか? イヤというのを、やめさせないといけないのか?」。大人は、そこで選択したくなるものです。
でも、それを
決めるのは子どもです。大人は「言うことをきかせるべきか」とか、「甘えさせるべきか」と考えてしまう。けれども、その視点でモノを考えている大人は、子どもに関わる場合に、
自分の法則で考えようとしているんです。
言ってみれば、子どもを、「どうにかしなければいけない」というリーダー性を大人が持たないといけないと思っている。
■何で、この子は「イヤ!」と言っているのか
© milatas - Fotolia.com
参加者:
「どうにかしなければいけないというリーダー性」とは、どういうことですか?
木村:たとえば、「これを、やりましょう!」と言って、「イヤ!」と言う子は、いくらでもいます。「イヤ!」という子に対して、大人がまず考えるのは、「どうやって、『イヤ!(NO)』を『YES』に変えようか?」ということではないでしょうか?
ここで、先にお話した4つの力のうち、ひとつの大事な力が抜けています。この子が、「イヤ!」と言ったら、大人は4つの力の中の、
「人を大切にする力」を使ってほしいのです。
大人が「この子の、『イヤ!』をやめさせよう」と思うのは、
上から目線の関わり(どうにかしなければいけないと考えるリーダー性)なんですよね。「やめさせることが、この子にとって幸せにつながる」と、思っているんでしょうけれど、それは、子どもにとっては、
おおきなお節介です。
「これについて干渉することは『過保護や過干渉』となるのか? それとも『教育』なのか?」。
この問が自分の中に生まれたら、まず、「この話に、唯一無二の正解などない。
ケースバイケースで、答えはそれぞれにまったく異なる」ということを思い出して欲しいのです。子どもの「イヤ」に対して、「過干渉なのか過保護なのか、それとも教育なのか」と考える前に、まずは目の前の子どもを
「感じてみる」ということが大切なのだと思います。
「学校に行きたくない」という子がいたとしたら、「なんで、『学校に行きたくない』って言っているか?」を、まずは考えてみるんです。「なんで、この子はイヤと思うのだろうか?」ということを、
大人がきちんと考えてみるということです。
【『みんなの学校』流「生き抜く力」まとめ】
●いまの学校現場では、不登校の増加など、見過ごせない問題がたくさん起きている
●子どもが「イヤ」と言ったときに、「いうことをきかせる」のは大人が上から目線になっている
●子どもの「イヤ!」の理由は、子どもなりの「自分の意見」。大人はその気持ちを大切にする力を持つ必要がある
次回は、「マニュアル子育ては見抜かれる! 大人の論理「あなたのため」は通じない」です。
【2024-2025冬ツアー】冬キャンプで育てる子どもの感性。雪を楽しむ厳選15ツアー!