少し前に出産してママになった友人が、こんなことを言った。
「自分が生んでみるまで、世の中にいる小学生以下の子どもは大体全部同じに見えた。0歳から5歳くらいまで、全部ひとくくりで“赤ちゃん”に見えてた」
「えええ!?」と驚いたものの、よく考えると私だってそうだったかもしれない。
子どもを持つ前……というと、気づけば16年以上も前のことになってしまったので、もはや確かなことは言えないけれど、当時は少なくとも、新生児とそうじゃない赤ちゃんの区別なんて全然ついていなかったし、一般に“ザ・赤ちゃん”と思われているであろうハイハイ期を卒業して、よちよち歩きになった子どもを見かけても、それはそれでやっぱり“よちよち歩きの赤ちゃん”と思っていた気がする。
もっと具体的に言うと、身長100センチくらいまでの子どもは総じて「赤ちゃん」と認識していたような気がする。
実際に自分が子を持つ身になってみると、そんな大きな「赤ちゃん」というくくりの中にも、細々としたステージがあることが分かる。
たとえば生後1ヶ月の赤ちゃんと、生後3ヶ月の赤ちゃん。たった2ヶ月しか違わなくたって全然違う。
できることも違えば、こちらに返してくる反応も違う。また歩くようになってからも、よちよち歩きとしっかりした足取りの歩行とは、やはり全然違うのだ。もう赤ちゃんじゃなくなっちゃったなあ、と最初に感じたのは1歳を過ぎたころだったかもしれない。
まだまだ小さいと思っていた自分の子どもが、ふと産まれたばかりの赤ちゃんと並んだとき、こんなに大きく、しっかりしたのか、と驚いた。
本当なら「幼児」に分類されるような子どもまで「赤ちゃん」に見える、あるいは小学生未満が全部同じ種類の子どもに見えるのって、たとえば、おじいちゃんやおばあちゃんがたまに洋画を観て「登場人物が全部同じ人に見える」と言ったりするのと同じ理屈だろう。
日ごろ接することがない、身近にいない存在だから、ふと接すると自動的に「外国人」や「赤ちゃん」という大きなカテゴリに分類されることになり、そこからもっと小さなグループに分けるためには、もう少し観測する個体の数を増やして、個性の違いがどこに現れるのかを知る必要がある。
少し話はそれるけれど、2年ほど前に考えた「赤ちゃん泣いてもいいよ!」ステッカーが、先日三重県と提携したそうだ。ステッカーはリリース後から、ウーマンエキサイトのみなさんのおかげで着々と広がっている。
とてもありがたい。
すでに知ってくださっている方には繰り返しの説明になるけれど、これは、公共の場で人に迷惑をかけてはいけない、と必要以上に肩身の狭い思いを抱えている親子連れに、「恐縮しないで大丈夫だよ、赤ちゃんがちょっとくらい泣いても、お父さんお母さん、慌てなくていいよ」という気持ちを持っている人が、それを目に見える形で相手に伝えるためのステッカーだ。
実は私は当初、これを「優遇」だと誤解されかねないと思っていた。そして、世の中は誰かを特別に優遇することにとても厳しいので、ともすれば大炎上しかねないとも思っていた。
けれど結果として、そんな私こそ社会を信用できていなかった一人なのだったと気付かされるほど、このステッカーは沢山の思慮深い方々に、温かく受け入れられることとなった。
これが必要な世の中なのは悲しいし、このシールの必要がないくらい赤ちゃんに寛容な社会になればいいですよね、という声には私も運営者のみなさんもまったくそのまま賛成だ。
とはいえ、これだけ広まると当然さまざまな声もあり、代表的なものは「泣きっぱなしにさせる親がいる」という不満の声だ。
子どもが号泣しているのに親が何も対処をしていないように見えたら、確かにイラッとするだろうし、そればかりでなく、大丈夫なのかと心配になったりもするかもしれない。
また、「誰かが怒って声を荒げるかもしれない」と他人事ながら冷や冷やしてそれがつらい、という人も案外いると思う(私はそのタイプ)。