連載記事:新米ママ歴14年 紫原明子の家族日記
小学生未満の子どもがみんな「赤ちゃん」に見えた【新米ママ歴14年 紫原明子の家族日記 第42話】
公共の場では、色々な事情を抱えた人がなるべく居心地良くいられるように、みんなが少しずつ他者に配慮する必要がある。だから当然親も、周りの人に迷惑をかけないために努力をする必要はあると思う。
ただ、一方でこの「泣かせる親」問題について一つ思うのは、最初の方で書いた通り「赤ちゃん」と一括りに見ている存在にも、言葉が理解できる子、我慢ができる子など、実は色々な段階があって、そのことを案外知らない人もいるかもな、ということだ。
ある時期の赤ちゃんというのは、話しかけても、揺れても、歌っても、どうしても泣きやまないことがある。またある時期の子どもというのは、言葉がわかっても大人が諭すままに我慢できない場合もある。
赤ちゃんが身近にいる人には当たり前のことでも、そうでない人の中にはもしかしたら、赤ちゃんはみんな、語りかけたり、叱ったり、何かしら手をかけたらピタッと泣き止むもの、と思っている人もいるかもしれないと思うのだ。
何を隠そう私も、息子が産まれたばかりのころ、産院で“おっぱいも飲ませた、おむつも変えた、なのにどうして泣きやまないの?”と泣き続ける意味がわからず困惑した。赤ちゃんが無駄に泣くというのは、生んでから最初の驚きだった。
少し前に、女性の生理に対して、びっくりするような誤解をしている男性がいるということがネットで話題になった。女性の生理はCMのように青い血が出てくるとか、女性は性行為をすると生理になるとかいった内容だ。女性だって男性特有の体の反応について知らないこともあるわけで、嘘みたいな話だけど、ないこともないのだろう。
こんな風に、自分にとって言うまでもなく当たり前のことも、生活圏が違う人には全く当たり前じゃないということは、私達が想像しているより、実はもっと当たり前に起こっているんじゃないかと思う。で、例えばそういう、相互の無理解からくる不毛な摩擦をさけるため、電車に「赤ちゃん専用車両」などを作って親子連れだけ分ける、というような案もあるそうだけど、私はどちらかというと、そういうのは良くないと思っている。
なぜなら公共の場で、少しずつでもさまざまな人と接触して、自分と違う人達の生活を想像してみることがなければ、お互いの立場への理解は永遠に進まないからだ。そしてなぜお互いの立場への理解を深めたほうが良いかといえば、赤ちゃん期も青年期もシニア期も、生きている限り誰もが必ず通る道であって、決して他人事ではないからである。
自分がどこからきてどこへ行くのか。
町を見渡せばその答えがいくらでも転がっている。そういうのがいいと思うし、そうでなければ簡単に迷子になってしまいそうな気がするのだ。
イラスト:片岡泉
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